2人の唇
「・・・ノア、下がろう。これで十分だよ。」
「・・・・ええ・・・・。」
アルフレッドは、乃愛の肩を抱き手を取り来た道を引き返していく。
〈素晴らしい力だ!あんな力見たことがない!〉
〈あれはなんだ硝子か?あの床を覆ったのは?〉
〈それにしても殿下が聖女様を支えて行ってしまうわ。なんて美しいの〉
〈そうよね。とてもお似合いだわ。〉
〈でもあの聖女様のドレスはなに?あんなに肌を見せるなんて下品ですことっ〉
〈神官様たちが向こうで話していたわ!あれはダイヤモンドらしいわ!〉
〈まぁ!本当に!?あんなダイヤモンドなんて見たことある?〉
〈指輪やネックレスでしかお目にかかれない物なのにあんなにたくさん!まるで剣でしたわ!〉
〈あれは自在に出せるのだろうか!?この国を護るだけの力だなんて勿体ない!
たくさん出せるならこの国がどんなに潤うことか!陛下たちに進言したい!
ダイヤモンドをたくさん出してもらったら、この国は安泰だ。〉
様々な声が乃愛の耳にも届いてくる。汗を垂らして顔を顰めた。
「すまないノア、もう少しだけ我慢してくれ。」
「・・・・気にして・・・・ない・・・・。」
息切れをしながら乃愛は答えた。それだけでアルフレッドの胸はどんどんと高鳴る。
素っ気無い彼女が返事をくれるだけで。この手に彼女が収まるだけで、
すべてがどうでもよく感じるほど。熱くなる。
やがて末席のほうまで歩いてくるとアルフレッドはアレクサンダーをちらりと見た。
「ノアを休憩させる。レジスに伝えてこい。部屋を用意するように。」
「・・・畏まりました。」
アレクサンダーは瞳を伏せて、腰を折る。
本来護衛の彼の役目が彼女を支えることだった。
けれど、今はただの伝令役だ。
彼女の身体が、高貴な王太子の腕の中にある。
乃愛も特に抗うこともない。ただ大人しく支えられている。
こちらも見ようともしない。
アルフレッドは、少しだけの優越感を感じながら開いた扉から乃愛を連れ出た。
「・・・・・・。」
アレクサンダーはぐっと手に力を込めた。
今は乃愛を休ませることが第一優先。王太子が彼女に触れていることは高貴な者同士。
誰が物申せようか。
アレクサンダーはマントを靡かせて真っ先にレジスの元へ向かった。
しばらく神殿の廊下を歩きながら、少しほっとしたアルフレッドは乃愛を覗き込んだ。
「ノア、大丈夫か?」
「・・・聞かないで。」
疲れたと顔に書いてある乃愛は返事をするのも億劫だったが、体を支えられている。
無視はできなかった。
儀式の間から少し離れたところに椅子がある。
そこに乃愛を座らせたアルフレッドは膝をついて乃愛を覗き込んだ。
小さく息を繰り返し、ぐったりとする乃愛を見て息を飲む。
美しい姿が妖艶に見えた。
「ノア・・・・」
名を呼び、その熱い手を乃愛の頬に伸ばし、触れた。
「つらいか?今すぐ横になれるように手配するから。」
「・・・えぇ・・・そうさせて・・・・。」
「・・・ああ。」
口角が自然と上がってしまう。アルフレッドの熱い手に乃愛は心地が良かったのか、冷えた頬を押し当てた。
胸がドキドキして止まらない。
また、猫が懐いたように見える。素直で無防備な乃愛は愛くるしい。
この手を放したくない。
自分のモノみたいに思える。こうして触れられるのは自分だけのような気分になった。
「ノア・・・・、すぐ楽になるよ。待ってて・・・。」
「うん・・・・。」
舞い上がって今なら飛べそうな気がしてしまう。長い睫毛が震えてみえる。
ああ護りたい。このままでいたい。
このまま・・・・・。
このまま、彼女に・・・唇を押し付けたいほど・・・・。
「殿下、すぐ部屋を用意いたします。」
「っ・・・・・。」
パタパタとレジスが走ってやってくる。
レジスの声に、我に返ったアルフレッド。頬から名残惜しく手を離した。
弱った女を貪るような思いを抱いてしまった。
少しの罪悪感と己の欲望を知った。
ぐっと奥歯を噛みしめて走ってくるレジスを見た。
「横になれるにしてくれ。かなり疲れているようだ。」
「当然です!ダイヤモンドと黒曜石を発現させるんですから!!」
興奮しているレジスはとんでもない笑顔だ。
「ノア様、歩けますか?」
「ぁ・・・う・・・・・。」
椅子に座ってしまったが最後、乃愛はクタクタだった。
「じゃ・・俺が」
アルフレッドは照れながら乃愛の身体に手を伸ばそうとした。
「いえ、自分がお運びいたします。」
そう言って乃愛の身体に先に伸ばした。
「・・・・・・・。」
アルフレッドはその伸ばされた手の主を見た。
「アレクサンダー・・・。」
アルフレッドは、一気に血の気が引いた。それは怒りに似ていた。
伸ばした手には自身のマントがあり、乃愛の身体を包んだ。
乃愛は何も言わず、目の前にやってきた肩に両手を伸ばした。
アレクサンダーの肩を滑るように手を這わせてその首に抱き着いた。
「・・・・アレクサ・・・・。」
「聖女様、しばしのご辛抱を。すぐにお連れ致します。」
アレクサンダーはマントに包んだ乃愛の体を軽々と抱き上げてレジスを見た。
「部屋を。」
「ああはい!こちらです。」
「・・・・・・・・・。」
駆け出すレジスに、アレクサンダーはアルフレッドを見ずに乃愛を連れて後をついて行った。
急に手が冷えたアルフレッドは、アレクサンダーに絡みついた細い腕を見た。
「・・・・ぅ・・・・・」
あの絡みつく手が自分の首元だったら。
そう考えるとどうにかなってしまいそうだった。
胸が苦しい。他の男に縋り付いているその手が、細い指先までが。
他の男に抱かれている彼女が。一瞬にして奪われた。
「アルフレッド殿下。」
「!」
後ろから声が聞こえた。それは聞き慣れた声だった。
高鳴った心も、冷めた手も、さらに凍り付きそうだった。
「ああ・・・ミレイユか・・・。」
振り返って作り笑顔を向けた。
「新しい聖女様の誕生。とても喜ばしいですね。」
「ああ。聖女ノアの力はどうやらとんでもない力のようだ。」
「さすが殿下が召喚されただけありますわ。この国も安泰ですわね。」
ミレイユは、アルフレッドの腕にそっと触れた。
「私と殿下の御代が平和になりますわ。」
「・・・・・国が平和なのは、いいことだからな。」
「んふふっ・・・殿下があそこまでなさる必要はなかったのでは?」
「私が召喚した聖女なのだから、当然だ。君に言われる筋合いはないよ。」
「まぁひどい、私は殿下の婚約者ですのに・・・そんな寂しいことおっしゃらないで?」
好きじゃない香水の匂いが纏わりついてくる。アルフレッドは顔を引き攣らせた。
この腕に絡む指先も、押し付けられる体も。
「この後、パーティーがございますね。あの様子で聖女様は大丈夫でしょうか?」
「・・・・聖女の体調を見てからだ。彼女のためのパーティーだからな。」
「・・・・そうですか。聖女様と一言でもお話出来たら嬉しいですわ。」
「ああ、君も、聖女と話してみるといい。いい刺激がもらえるぞ。」
「楽しみにしておりますわ。」
ふぅっとアルフレッドの首筋にミレイユの吐息が通り過ぎる。
「・・・・・・・・。」
アルフレッドは無表情でミレイユを見ることなかった。
「俺は聖女の様子を見てくるから、君は戻るといいよ。それじゃあね。」
その場から、アルフレッドは立ち去った。
「・・・・・もうっ・・・・。」
ミレイユは頬を膨らませた。アルフレッドのことはずっと見てきたからわかっている。
普段はあんなに穏やかな顔なんてしない。彼女に触れた時の瞳の奥にある情熱。
見過ごせない。婚約者として。
あの聖女は危険だ。とても・・・・。
異世界からきた聖女。
美しく、聖女として偉大なる力を持つ者。
敬うべき存在。
今はまだ、王太子の婚約者だ。
乃愛より立場は低い。
だが、王太子妃になれば違う。
立場は同等のもの、いや、王族の方が上だ。
それに、アルフレッドが自分の夫となる。
それだけでどんなに心地良いことか。
考えただけで高揚する。
「異世界の娘なんて、なんて事ないわ。」
しばらく歩いているうちに、乃愛はアレクサンダーの肩に顎を乗せた。絡みついていた手をぐったりと彼の肩に垂らした。
「聖女様、もう少しです。」
乃愛をまた抱え直してアレクサンダーは早足で歩いて行く。
「はぁ‥‥‥。」
「!!」
乃愛の溜息にアレクサンダーの肩が跳ねる。
疲労の吐息がアレクサンダーの頬と耳を掠めたのだ。
ゾクっとする熱情にアレクサンダーの胸は一気に高鳴った。
さっきまで乃愛の心配だけをしていたつもりだった。アルフレッドが乃愛を連れ出したのも冷静で居た。つもりだった。
だが、胸の高鳴りはこの有様だ。
あのままアルフレッドに乃愛がこんな風にしていたなら、心臓はドンドンと内側から叩いていたかもしれない。今も別の意味でドンドン叩かれている。
いけない、いけない、
聖女はお疲れなのだ。
通された綺麗な小部屋。レジスはバタバタと忙しなく清潔なシーツと掛け物を持ってきた。
少しの名残惜しさを感じながら、アレクサンダーは簡易ベッドに乃愛を寝かせた。
カクンと、小さな頭が枕に沈む。
「聖女様、しばしお休みを‥‥。」
「あぁ‥‥うん‥‥‥。」
瞳を伏せていた乃愛は、徐にアレクサンダーの手を取った。
「?聖女様?」
突然手を掴まれて、またアレクサンダーの身体がビクッと跳ねる。
乃愛は、温かさを求めていた。
アレクサンダーの身体は温かくてユラユラと運ばれて心地よかった。
まだ冷たいこの身体、アレクサンダーの手を自身の頬に当てた。
「せっ‥‥‥聖女様っ‥‥ぁのっ‥‥っ。」
頬を真っ赤にして慌てふためく。
「寒いの‥‥体温かして‥‥。」
瞳を閉じたまま、乃愛はぐいっとアレクサンダーの手を引っ張った。
その拍子に、アレクサンダーは乃愛のベッドの近くに膝をつき、聖女に近付く好機がきた。
吐息が乃愛の前髪を僅かに揺らすほどの距離だ。
爆発する。
「寒い‥ですか?確かにお顔の色が‥‥」
頬を赤く染めながら、乃愛にそう問い掛けた。
「なによ‥‥いやなの?」
「そっ‥そんなことではなく‥‥心配で‥‥。」
「心配じゃなくて、体温分けてくれたらいいわよ‥‥寝ていい?起きて‥‥られな‥‥」
途切れた声とは裏腹に乃愛の手はアレクサンダーの手を胸元に引き寄せた。
わぁぁっと心が悲鳴を上げる。
叫び出したくなる衝動、片手で抑えた唇。
温かさに安心して安らかな寝顔を見せる。
なんて、罪な人だ。
素っ気なくて、自分勝手で、愛くるしい。
「‥‥‥ロビアン卿。」
「あぅぁ‥‥」
情けない声を漏らし、後ろを振り返る。
穏やかな笑顔のレジスがそこに立っている。
「レジス神官様っ!あの‥‥私は決してっ‥‥」
「分かっております。見ていましたから。
それにしても聖女様は随分とあなたに心を許しているのですね。」
「あ、いや‥‥ぅーん‥‥‥そんな事は‥‥」
散々無視されっぱなしなのだ。
こうして手を抱きしめられているのも、
温もり欲しさだ。深い意味はない。
寝て起きた頃には簡単に離される手。
どんなに誠意を示しても、目が覚めたら明後日の方を見ているのが関の山なのだ。
「‥‥掛け物をもう一つお願い出来ますか?本当に寒い様ですから‥‥。」
考えれば考える程、この聖女の思考などわかるわけもない。
とにかく、本能のまま。それが猫や犬の手だったとしても、温かければ彼女は抱いて眠るだろう。
レジスが持ってきた少し厚めの掛け物を掛けしばらくすると、乃愛の眉が下がる。
顔色も少しよくなったように見えた。
「‥‥少しは、マシになっただろうか‥‥。」
彼女は得体の知れない敵だ。
姿は見えても、掴めない。護りたいのにどんどん追い詰められる。理解できない。それなのにこの気持ちはなんだ。捕らえたい。もっと抱きしめたい。
その柔らかそうな唇を‥‥捕らえてみたい。
読んで下さりありがとうございました。




