猫みたいに
「はぁ・・・・」
アレクサンダーは盛大なため息をついた。
アルフレッドとビリーが聖女の部屋を出てから早半日、もうすぐ夕食の時間となる。
その間、乃愛からの合図は何もない。メイドも呼ばれず誰も入れない。もちろん自分もだ。
最後の、ありがとう、という声色はなんとも悲しげだった。
ビリーはとても怒っていたが、彼女の境遇を考えれば混乱するのも理解できた。
突然知らない世界に呼ばれ、聖女という尊き存在ながらも、本音は心細いはずだ。
自分も、生まれ育った土地から離れ、騎士団に入団してから一度も故郷へは帰っていない。
時々、父と手紙を交わす程度、それも1年に一度あるかどうかだ。
それでも、会おうと思えば会える場所に両親がいる。
だが、聖女は・・・・。
故郷に思う人がいないはずがない。
そう思ったら、乃愛の態度は多少冷たく周りに接しても自分はなんとも思わない。
「・・・・今も・・・・・」
先ほどの窓辺に座った後ろ姿が忘れられない。
今も、そこに座っているのだろうか・・・。
春風に靡くその髪までもが、自分にはとても悲し気に思えた。
だからと言って、何かしてあげられることはなにもない。
この扉を護り、部屋の中の気配に神経を研ぎ澄ます。
なぜこんなにも心を乱されるのだろう。
今まで、女性を見てこんなに心が揺れたことはない。
ただその顔を思い出すだけで、こんなに思いを巡らせるほど。
今彼女が、どんな顔をして何を考えているのかと・・・。
長いこと、物思いに耽り扉を眺めていた。
「アーレク!!!!」
「おぁっ!!!!」
突然、聞き馴染む声と共に両肩に重みを感じた。その肩に両手をかけていたのは騎士団の同期
「ジェフリー!」
ニカッと笑った薄色の髪色を持つ陽気な印象の男、アレクサンダーと同じ王室騎士団の正装を纏っている。
ジェフリー・アレオン
ジェフリーは伯爵家の次男だ。
「なぁーに深刻な顔して突っ立ってんだよ。俺がここまで来るまでに気づかないなんてお前そんなんで護衛なんてできんの?」
「ちょっ・・・と考え事してて・・・・はぁ・・・。」
「お前が背後取られるなんて護衛失格。」
その調子のいい口調で失格と言われ、アレクサンダーは顔を覆った。
「ほんとだな・・・護衛失格だ・・・・。」
落ち込むアレクサンダーにジェフリーはふふっと笑った。
「冗談だって、俺だってお前に気づかれないように歩くの超神経使ったよ。お前にすぐさま首斬られるかもって思って。」
「バカ・・・本当に斬ってたらどうすんだよ・・・。」
こんな聖女に気を取られて、迂闊に近づいた者がいたら反射的に斬ったかもしれない。
それが王太子だったなら、この世からおさらばだ。
「ほら、交代だ。お前少し休憩してこいよ。一晩寝てないだろ?」
「えっ・・でも。」
扉を振り返り、焦った。もしこの扉が開いたとして、そばにはまた知らない人間がここにいたら
聖女がまた混乱してしまうかもしれない。
「いや・・・、俺はここから離れない・・・。」
少しも疲れていないし、ただ、心が休まらないだけ。
「お前、すっげーひでぇ顔してんぞ?聖女の護衛はお前が主でも一日中は無理なんだから素直に休めるときに休めよ。いざという時に何もできないとか笑えねぇよ。せっかく出世の機会なのに。
聖女の護衛に選ばれたのも、お前が実力的に一番だからだ。まぁ団長は無理だけど。」
「俺は出世なんてどうでもいい!」
「・・・・・バカ、お前のそういうところ嫌いじゃないけど、バカだよ。
一生そうやって孤立して生きてくのかよ。」
「俺は今までだって・・・・そういう存在だっただろ。」
「いいから交代だって言ったんだろ!!さっさと風呂にでも入ってこい!くせーぞ!」
「えっマジで・・・?」
「当たり前だ!ここは王城なんだぞ?すぐわかるっつーの!」
バシンっと背を叩かれてアレクサンダーの足は聖域から遠ざけられた。
「・・・・ぐっ・・・・。」
苦々しい顔で、ジェフリーを見た。ジェフリーは意気揚々とニコッと笑った。
「さっさとその辛気臭い顔洗ってこいや。あと最低でも2時間は仮眠とれよ。それまで
俺がこの閉ざされた扉を護ってやるよ。任せとけ。俺だってお前には敵わないけど王太子殿下の護衛なんだからな。」
「・・・・・・。」
そう、ジェフリーは王太子の護衛騎士の一人だ。王太子の側近の護衛は6人。
皆、伯爵家や侯爵家出身だ。それ以下の貴族は王太子の護衛にはなれない。
そして腕も確かだ。だからこそジェフリーがやってきた。
王太子の護衛から一人が自分の代わりに入る事は聞いている。それは自分が休む時だけ。
ジェフリーは同期入団で、伯爵家の男なのにこのような調子で初めから懐っこい性格の男だ。
最初は警戒したけれど、自分が入団試験で一番になった時も声をかけてきた。
それは罵る言葉ではなかった、素直に自分の実力を認めてくれた。
孤独な騎士団での生活の中でも、ジェフリーは信頼に値する存在にいつの間にかなっていた。
ジェフリーの生家の伯爵家の当主、ジェフリーの父が有名な騎士だった。
ジェフリーの兄も王様の最側近の護衛騎士だ。そんなジェフリーに物申す者などいない。
だからやっていけたという事実もある。自分一人だけの力で耐え抜いていた訳じゃない。
だから・・・自分は、聖女の苦しみをすべて共有できる訳じゃない。
だが、ジェフリーの知らないところで罵声を浴びたことも、陰湿な虐めを受けたこともある。
よく物はなくなったし、集合時間の変更も知らせられなかった故に罰を受けたこともある。
けど、俺は一人じゃなかった。
「じゃあ・・・そろそろ夕食の時間だ。聖女様はあまり食べ物を口にしてないんだ。
だから、もし夕食を取るなら少しでも食べるようにお前からも言ってやってくれ。
お前みたいなやつなら、聖女様も・・・心を開いてくれるかもしれないから・・・・。」
その言葉にジェフリーはきょとんと目を丸くした。
「え、なに、聖女様引きこもり?」
「バカ。・・・少しは察しろ。そういう所は鈍いんだから。」
そう言ってアレクサンダーは聖女の部屋から遠ざかっていった。
「・・・ふーん・・・要は、元気出してもらえばいいわけだな?」
ジェフリーはニコッと笑って両手をぐっと握りしめた。
騎士団の宿舎にある一室、ここはアレクサンダーの一人部屋。唯一の優待遇だ。
その実力に嫉妬する者たちからの嫌がらせが増え、目に余った騎士団長の計らいだった。
騎士団長は実力主義者だったことが救いだった。
簡易的なシャワーで、頭から温かな湯を浴びて瞳を閉じる。
聖女は夕食を召し上がってくれただろうか・・・。
あれから一時間程度経ったはずだ。軽食を取り、シャワーに入ったらもうそんな時間だ。
ポタポタと滑り落ちる雫を見ながら思ったことは。
せめて、心を閉ざして冷たくなるよりも、ただ寂しいと・・・ツラいのだと・・・
そう言葉にしてくれたなら、この雫のように、涙でもこぼしてくれたなら・・・・。
慰めることだってできるのに・・・。
その涙を指先で拭って・・・寂しさや恐怖、全部から護ってあげられるのに・・・。
ガンッ!!
アレクサンダーは咄嗟に壁に頭をぶつけた。
「バカか俺は!!くそバカだ!!!!大馬鹿だ!!!!俺如きがそんな真似できる訳ないだろ!!」
ガンガンと頭をぶつけて温かな湯を冷水に切り替えた。
急速に体が冷えていく。これくらいがちょうどいい。
「俺は聖女様に会ったばかりなのに・・・・。」
こんな感情は、初めて出会った・・・。
「俺は、彼女を護る使命があるから・・・そうだ・・・・。だからだ!!」
たった一人の護衛対象を護りたいと思うことは悪いことじゃない。
そうだ。だからこれは正常なはずだ。
俺は、彼女を護りたいんだ。当たり前だ。この国の宝を護る大役をもらったのだから。
冷水のシャワーに打たれて、アレクサンダーはまた心を引き締める。
濡れた頭を乱暴に拭きあげて、ベッドに横になった。
瞳を閉じて、少しでも眠らなければ・・・。最低でも2時間とジェフリーは言った。
それは自分の習慣を知った上での発言だった。
いつも何かに警戒していた自分は、眠りも浅く誰よりも睡眠時間が少なかった。
だから無防備になる時間が嫌だった。だが、この個室をもらってから少し眠れるようになった。
だが今は、聖女が気がかりで眠気がこない。しばらくこんなことはなかったのに・・・。
アレクサンダーは仕方なく、戸棚に閉まっていた赤ワインを飲んだ。
寝酒に少し飲めば眠れるかもしれない。普段ならこんなことはしない。
この赤ワインも、ジェフリーが以前置いて行ったものだ。
グイっと飲み干したワインで頬を赤らめた。喉の奥が熱くなる。
次第に気道が熱くなり、その熱は体の中心を熱くする。
「・・・・そうだ。体をしっかり休めないと、これも護衛の務めだ。万全じゃないと・・・。」
そう言って瞳を閉じた。
閉じた瞼に映る、あの美しい聖女を思いながら・・・。
20時を回ったころ、それはやっと訪れた。メイドを呼ぶ合図だ。
「おっ?」
扉の前に控えていたジェフリー。メイド二人が部屋に向かって歩いてくる。
ジェフリーの顔を見て頬染めたメイド達。その二人にジェフリーは笑顔を向けた。
「聖女様がお呼びだね。」
「はっ・・・はい。」
メイド一人が、聖女の部屋の扉を叩いた。
透き通った声が扉の奥から聞こえる。
開かれた扉、それは内側から乃愛が開いたのだ。
「軽めの夕食お願いしたいの。」
やってきたメイドにそう言った。そして上から注がれる視線に顔を上げた。
「初めまして、聖女様。」
「・・・・・・・・・・。」
少し頬を染めたジェフリーと目が合い、乃愛は目を見開いた。
「・・・・誰。」
「ご挨拶申し上げます。私はジェフリー・アレオン。王太子殿下の護衛をしております。」
「・・・・は?」
「・・あ・・・ですから・・・・。」
ジェフリーは乃愛の眉間に皺が寄るのを見た。
「アレクサはどこ・・・・?」
「アレクサ・・?あ、アレクサンダーのことですか?今は交代で、アレクサンダーには休んで」
「あたしに何も言わずにここを離れていたの?いつから?」
どんどんと表情が強張っていく乃愛。ジェフリーの額に汗が浮かぶ。
「あ・・・の・・・・せ、聖女様?」
次の瞬間、バタンッ!と扉は閉じられた。
ぽかん・・・とジェフリーは扉を見た。
挨拶の返事もなく、アレクサンダーが居ないと知ると聖女は扉を閉めた。
その時だった。
「ぁ、ジェフリー、ご苦労。」
「あ・・・殿下・・・・。」
一足遅く、アルフレッドがビリーを連れて乃愛の部屋を訪れた。
「交代してからノアから合図は。」
「それが・・・・今しがた・・・・。」
気まずそうにジェフリーは答えた。その様子に疑問を持ったアルフレッドは首を傾げた。
経緯を聞いたアルフレッドは、乃愛の扉を叩いた。
「ノア、私だ。扉を開けてくれないか?」
閉じられた扉に向けてアルフレッドは声をかけた。
「・・・・・・・。」
すると、小さな声が扉の奥から聞こえた。
それは、勝手に入ればいいという乱暴な言葉だった。
その小さな言葉を聞き取ったアルフレッドは、静かに扉を開けた。
部屋の中で、膝を抱えて先ほど分かれた時と同じ場所に座っている乃愛がいた。
「ノア?ずっとそこに?」
「・・・・あたしの勝手よ・・・・。」
その縮こまった姿にアルフレッドは、静かに笑みを浮かべてしまった。
そして近づいた。
「・・・今メイド達が夕食を持ってくる。君は何が一番好きなんだ?」
「・・・・・別に・・好きなものなんて・・・。」
「そうか?そういえば、ぶどうを好んでいたよな?」
その優しい声の問いかけに乃愛は、アルフレッドを見た。
優し気な金色の瞳が映る。シャンデリアの光でキラキラ光っているようだった。
「・・・だって、あれ・・・シャインマスカットでしょ?食べないなんて勿体ない。」
「・・・そんな洒落た名前だったか?」
アルフレッドはビリーを振り返った。ビリーは未だに顰め面だったが、首を横に振った。
「ノアの世界にも、あのぶどうがあるのか?」
「美味しいじゃない‥あれ。」
「そうか、じゃあたくさん用意するよ。君の好きなものが知れてうれしいよ。」
「・・・・・。」
アルフレッドは最大限の優しさを乃愛に注いだ。それは乃愛にも伝わっている。
先ほどあった時は怒りに任せていた。それなのに、アルフレッドは品がよくとても優しかった。
しばらくして、メイドが夕食を運んできてくれた。
「今夜もこれだけでいいのか?」
「ええ、いいの・・・。こんな時間だもの。」
「その時間で食べるのが何が問題なんだ?」
「こんな軽食ばかりで・・・。」
「・・・・別に、お腹が入ればいいじゃない。それに、体型も維持できるもの。」
そう言って、スープを一口飲んだ。
「・・・・・・。」
そんな乃愛を見ながら、アルフレッドはまたふんわりと笑みを浮かべた。
なんだか今の乃愛は威嚇をやめた猫のようだった。
こうしてみていたら、その美しさも、大人しさも愛らしかった。小さな唇がスープを啜る。
温かいスープを少しずつ、本当に猫の様だった。
そんな乃愛を見て温かい表情を浮かべるアルフレッドをビリーは睨んでいた。
ビリーは先ほどのことを忘れてなどいない。今はお腹が空いてきっと大人しいだけだ。
王太子の前でマナーも何もないその聖女(仮)が、王太子に相応しい訳ない。
そうして思うのだ。聖女と王族が婚姻した歴史はあるが、
この聖女は絶対にあり得ない。と・・・・。
「ノア、他に何か望む物は?」
「なにも・・・・・。」
食事を終えた乃愛は、ソファーにまた膝を抱えて座り、メイドは慌ててブランケットを膝にかけた。
大人しくなった乃愛に気をよくしたアルフレッドは、乃愛の隣に座った。
片手をソファーの手すりに伸ばした。正面から見たならば乃愛をその腕の中に包んでいるようだろう。
「そうだ、儀式の衣装を見ないか?先ほど出来上がったと知らせが来たんだ。
一足先に見たんだが、とても美しいんだ。きっと君に似合うはずだ。」
そういうとビリーを一目見て合図した。
ビリーは、そばに控えていたメイドに指示した。
「・・・・・・・。」
乃愛の目の前に置かれたその聖女の装束。真っ白な光沢ある生地に金糸で美しい刺繍が施されている。
体の線が分かるチューブトップのドレス。それを覆う天の羽衣のようなショールが肩から背に流れ、腰元で金色のブローチで止められている、そしてそのショールは脹脛までの長さできっと歩くと揺れ靡いて綺麗なことだろう。
ただ、ドレスとだけあって、ロングドレスだ。
「・・・・・・・・。」
「どうだ?とても綺麗だろ?乃愛にとても似合うと思う。」
「・・・・・そう?」
「ああ!もち・・・ろん・・・・・。」
乃愛の問いかけに自信満々に答えようとしたアルフレッドは、乃愛の横顔を見て言葉を詰まらせた。
乃愛のその美しい横顔は、切なげで・・・手放しで喜んでいる自分が、申し訳なくなった。
「・・・・・・・。」
この世界に来て、朝には好きな服を着たいのだと主張した彼女。
だが、こればかりは聖女の装束を着てもらうと言い切ったことを思い出した。
その衣装を見て、彼女が今どんな表情をしていることか。
読んで下さりありがとうございました。




