隣家の家族
浩司が伸ばした手でインターホンを押した。
ピンポーン♪
暫くすると女性の声がスピーカーから聞こえてくる。
『は〜い、どちら様ですか?』
「あっ、す、すいません。隣に引っ越してきました滝野と言いますが」
『あ〜、ちょっと待っててもらえます?』
「あ、はい」
言われたままに待つ二人。
「今日は何回も挨拶してるのに、また緊張してきた……」
浩司がそう口にすると、綾音も同調する。
「私もよ……」
綾音が口を閉じた直後に、玄関のドアが開いた。
「すいませ〜ん。あら? 若い夫婦さんですね〜、ってベランダからお互いに見合ってるよね?」
出てきたのは、長い髪の女性。前髪を作っておらず、横に流して耳に掛けている。トレーナーに短パン姿のスレンダーな色白美人。豊満な胸に目をやった浩司の頬が少し赤くなった。
出てきた女性はベランダに居た人と同じだったが、近くで見るとまた一段と綺麗だった。彩音が見ても綺麗だと思う人だったので、綾音は横にいる浩司が見惚れているだろうと直感した。
浩司の、鼻の下が伸びただらしのない顔を想像して綾音は思った。
── 浩司、横で絶対この女性に見惚れてるよね……。もう! 私以外の女性に見惚れるなんて!
ドンッ
「いてっ!」
綾音が浩司の背中を叩くと、浩司は一瞬綾音の方を向いた。綾音に叩かれて、この女性に見惚れていた自分に気付いたのか、浩司は咳払いをして挨拶を始める。
「あの、隣に引っ越してきました……えっと、僕が滝野浩司でこっちが妻の滝野彩音です。今後とも宜しくお願い致します」
浩司がそう言い終えてから深々と頭を下げたのを見て、彩音も一緒に頭を下げた。
「うわ〜〜ん!!」
すると、突然奥の方から子供の泣き声が聞こえてきた。その声に気を遣った浩司が口を開き、もう一度さっきの半分程頭を下げた。
「あっ、お子さんがいらっしゃるんですね? 長居しても悪いので、これで失礼します」
帰ろうとする二人を制止する女性。
「待って、子供は大丈夫だから。まだ私の名前も言ってないのに、帰っちゃ駄目よ」
色気たっぷりで話す女性。
その女性の後から、浅黒い肌に整髪料で固められた短髪、筋骨隆々で整った顔をした男性が子供を抱っこして現れた。
「こんばんは! いや、初めまして……かな?」
シャツの上からでも分かる筋肉質な体付き。子供を抱いている腕がムキムキだ。
その男性を見た綾音は思った。
──凄い筋肉……。どこのジムに通ってるのかしら? それに凄くイケメンじゃない! 浩司じゃないけど見惚れちゃうわ。
男性が二人に挨拶した後に、家族の紹介を始めた。
隣の家のこの家族は、夫の八木勇夫、二十八歳。妻の八木香織、二十七歳。その子供、八木真琴二歳。
浩司と綾音がもう一度頭を下げ、浩司が香織に引っ越し蕎麦を手渡すと、八木夫妻が丁寧にお礼を言う。
「あ〜、引っ越し蕎麦ね。美味しそうなお蕎麦をありがとうございます! 若いのに引っ越しの挨拶なんて偉いわ。これから宜しくね!」
「会っても挨拶一つしないヤツもいるのに、本当に偉いな君達は。──力仕事なら何でも言ってくれればいい。俺の筋肉で片付けてやるぞ」
浩司と綾音が笑い、綾音が口を開いた。
「何かとご迷惑をお掛けすると思いますが、宜しくお願い致します」
「あっ、致します!」
綾音が頭を下げたので、慌てて頭を下げながら浩司は思った。
──若いを連発してたけど、歳は左程変わらないんだけどなぁ。女性からすると、三つ四つは大きな差なのかな? それよりも、真琴君かぁ……可愛いなぁ。
「う゛〜ん!」
勇夫の腕の中で真琴がグズり出したので、浩司と綾音は気を利かせ八木家を後にした……。
❑ ❑ ❑
近隣に挨拶を終えた二人は自分達の家に帰り、自分達用に残していた蕎麦を食べている。
「お〜、この蕎麦美味しいなぁ」
「うん、美味しいね。お隣さんも良い人そうだし、ここに家を建てて良かったかも」
浩司に相槌を打ちながら綾音は思った。
──とくにあの御主人はイケてたわ。
「そうだよな。仲良く出来るならしたいよな。──よし、明日から頑張らないと」
そう言って蕎麦を頬張りながら浩司は思う。
──八木さんか……奥さんは綺麗だし、旦那さんはムキムキだけど……。真琴君と遊びたいなぁ。どうやって仲良くなればいいかな? 玩具でも買っていこうか? いきなりそれは変かな?
二人は各々《おのおの》違うことを思いながら蕎麦を食べ終わると、引っ越しで疲れた体をお風呂で癒しこの日は就寝することに。
ベッドに入ると綾音が話し出した。
「浩司、あのポスター久しぶりね。同棲する前に浩司の部屋に貼ってあったやつでしょ?」
「僕の仕事部屋のやつ? ダンボール箱を整理してたら出てきたから、懐かしくて貼っちゃったよ」
「なんてグループ名だっけ?」
「伝説のロックバンドCOMB & DUCKTAIL 略して『C&DT』」
綾音が思い出したように笑った。
「そうだったわね。リーゼントが売りのロックバンド……格好良かったわ。──それと、デスクの上のあのバイクのプラモデル。あれって、暴走族が乗るバイクでしょ? ずっと気になってたんだけど、どうしてあのプラモデルを大事にしてるの?」
「ははっ、確かに暴走族仕様だよな。──あれは、大親友の形見なんだ。ヤンチャなヤツでさ、綾音も知ってると思うけど……高校の同級生で貴史って聞いたことない?」
綾音が天井を見つめて考えている。
「ヤンチャな、貴史君……あっ! あの有名な連合の総長さん?」
綾音の答えに浩司が上半身を起して、身振り手振りで話し出した。
「そうそう! その総長と僕は大親友だったんだよ。その貴史の家に遊びに行った時に、当時貴史が乗ってたバイクのプラモデルが部屋に飾ってあってさ、たまにバイクの後ろに乗せてもらってたからそのプラモデルが気に入ってたんだ。貴史がそのプラモデルを大事にしてたのは知ってたんだけど、どうしても欲しくてさ。駄目元で欲しいって頼んだら、呆れた顔で持って帰れって言ってくれたんだ」
浩司は、当時を思い出しながら楽しそうに話を紡いだ。
「凄くいい奴でさ、『弱きを助け強きをくじく、これが俺のモットーだ!』なんてことを真顔で言うヤツなんだよな。面白くて、優しくて、そして強かった。──ある日、イジメられてた子を貴史と僕が助けたんだけど、後日二人で歩いている時に十人くらいに囲まれて、「あの時は世話になったなぁ」って襲われて……勝つには勝ったんだけど、後ろからバットで殴られた貴史は打ち所が悪くて、病院に運ばれたんだけど……そのまま目を覚まさなかった。──だから、あのプラモデルは貴史の形見なんだ」
浩司の話は終わったが、綾音は何も相 槌を打たない。
「あれ? 綾音……寝た?」
「ん〜ん、そんな話を聞いて寝れないわよ。浩司の大親友が……そんな事があったんだね。あのプラモデルは浩司の宝物なのね」
浩司は綾音に返事をするでもなく綾音に覆いかぶさると、胸に手を回した。
「──あん」
「久しぶりに貴史のこと考えてたら、人恋しくなっちゃったよ」
浩司はそう言いながら、綾音のパジャマのボタンを外し、下着を付けていない胸を触る。
「ん、あん……もう〜浩司元気なんだから……。そんなに元気ならもう少し筋トレ増やさなきゃね」
「げっ……。そんなこと言うお口は塞がなきゃ」
浩司が綾音の口を自分の唇で塞いだ。
「んんっ……あっ……浩司……大好き」
「僕も大好きだよ……綾音」
「はぁん! いきなりそんなとこ触っちゃ駄目よ。──あっ! 浩司、今日筋トレやった?」
浩司は目が点になっている。
「い、今そんなこと訊く? 今日は引っ越しだったからやってないけど……」
「じゃあ、筋トレやってからね。それまでお・あ・ず・け!」
「えーー!?」
就寝する筈の時間は大幅に過ぎ、夜は更けていく……。