綾音の後輩と、その彼氏
浩司が電話口で香織が言う本題とは何かと訊くと、香織が事情を説明した。
─『なんだ、そんな事ですか。お安い御用ですよ。一人で暇してたし、真琴《ま〜くん》と遊べるなら僕からお願いしたいくらいです』
「本当に? そう言ってもらえると凄く助かるわ」
─『それは全然いいんですけど……。あの〜、真琴《ま〜くん》を遊園地に連れて行ってもいいですか?』
「勿論よ! 勇夫が何処にも連れて行ってくれないから、真琴《ま〜くん》を何処かに連れて行ってあげたいなぁって思ってたの。──私も一緒に行きたいけど……」
─『えっ? 何です? 最後の方、声が小さくて聞こえなかったんですけど』
「ん〜ん、こっちの話」
─『用意出来たら真琴《ま〜くん》を迎えに行きますね』
浩司のその一言で通話を終えると、香織がスマホを胸に当てた。
「普通に話せた……。また前みたいに浩司に会えるようになるかな? ん〜ん、ゆっくりでいい。またお茶でも飲みながら話をしたいな。──ふふっ、嬉しいな」
友達の事も気になるが、まずは自分の幸せを噛みしめる香織。勇夫と話す事も減っており、窮屈な毎日を過ごしていた香織だったが、浩司のメールで嫌なことが全て吹き飛んだ。胸を躍らせながら真琴の出掛ける準備を終らせ、浩司を待つこと数分。
ピンポーン♪
「来た!」
香織は、いつもなら真琴を抱いて玄関に行くのだが、浩司と面と向かって会える嬉しさに、自分でも驚く程のスピードで玄関へと急いだ。
玄関のドアを開けると、浩司が立っている。前までの香織ならここで抱きつくのだろうが、あの日に線を引かれた以上、感情を抑えなくてはいけなかった。
それは、香織だけではなく浩司も同じである。お互いに照れ笑いを浮かべながら、線を引いても前よりお互いの気持ちが近くなった気がして、どちらが言うでもなく握手した。
雪解けした二人の関係。まだ解けた水は残っているが、水が乾き完全に前と同じ状態に戻るのも遠くないのかもしれない。
ここで浩司が、子供を車に載せる時はチャイルドシートがいると以前香織に聞いていたので、どうやって遊園地に行けばいいか香織に相談した。すると、その浩司の相談に香織が微笑みを浮かべ話し出す。
「浩司、その話覚えていてくれたんだ。──あのね、タクシーだったらチャイルドシートの使用義務が免除されているのよ。子供と一緒に乗る人がシートベルトを締めて、しっかりと子供を抱いてればオーケーなの。 それと、国土交通省が万が一の衝突の危険に備えて、運転席の真後ろに座ることを提唱してるんだって。本来事故で考えるなら助手席が一番安全なんだけど、タクシーで親が子供を抱いていたり、チャイルドシートに子供を座らせる場合は、助手席はエアバックが作動した時にその圧で子供が危険な目に合うらしいの。だから、その場合は運転席の後ろが一番安全らしいわよ。ドアの開閉時の危険防止にも繋がるからそこに座った方がいいんだって」
「へ〜、そうなんですね。知らないことばっかりだ……。じゃあ、タクシーで行こうかな」
香織がそのように教えてくれたので、浩司は真琴を連れて家からタクシーを捕まえ、運転席の後ろで真琴を抱いて遊園地に向かった。
❑ ❑ ❑
─ 遊園地 ──
遊園地に到着した浩司と真琴。
「真琴《ま〜くん》、遊園地だぞ!」
「ゆ〜えんち! ゆ〜えんち!」
浩司が、はしゃぐ真琴を肩車して遊園地の中に入った。
「うわ〜、久しぶりだなぁ。ははっ、皆楽しそうだ。──よ〜し、まずは真琴《ま〜くん》が乗れるヤツを探そう」
浩司は真琴にそう話し、子供の乗り物がある『子供広場』にやって来た。
「こ〜くん、あれあれ。あれのる〜」
「ん? どれどれ?」
浩司が下に目をやると、肩車をした真琴の可愛い腕と小さな指を伸ばした影が見え、その影が真正面を差していた。
「メリーゴーラウンドか。よし、行こう!」
メリーゴーラウンドを皮切りに、真琴が乗れそうな乗り物を制覇。ここで丁度お昼を回ったところ。急いで遊園地内の、色んな飲食店が隣接しているフードコートに入り、沢山あるテーブルの一つを確保した。
「うわ〜、いっぱいだな……。丁度席が空いたから良かった。まだお昼を回ったばかりなのに、みんな早いんだな」
手荷物を置いて場所を取られないようにし、真琴と手を繋いで食券を買いに行く浩司。
「香織さんが、真琴《ま〜くん》はもう三歳近いからある程度は食べれるって言ってたけど、何がいいかな?」
券売機の前で真琴の昼ご飯に悩む浩司。その浩司の横で、浩司の上着の裾を引っ張る真琴。
「ん? どした? 真琴《ま〜くん》」
「ま〜くん、ちゅるちゅるがいい!」
「ちゅるちゅる?」
浩司は考えた。
──ちゅるちゅるって言うくらいだから、麺類だろうな? ラーメン、お蕎麦、うどん……どれかな?
悩むより本人に訊いた方が早いと思い、ラーメン? お蕎麦? うどん? と順番に訊いてみたが、全部に「うん!」と答える真琴。
「え? 全部ちゅるちゅる?」
真琴の答えに悩んでいる浩司の肩を、後ろにいた人が叩いてきた。
「あっ、すいません。すぐに選びます」
体を半分だけ横に向けて、相手の顔は見ずに頭を下げる浩司。
──ヤバ、早くしないと後ろの人が怒ってるぞ。ん〜、この三つだと……やっぱりラーメンかな?
「浩司さん!」
後ろから当然名前を呼ばれ振り向くと、知った顔が笑顔で立っていた。
「美香ちゃん! どうしたのこんなところで?」
「こんなところでって、ここは遊園地ですよ? デートするには最適でしょ?」
そう言われればその通りだと、妙に納得させられた浩司。
「確かに……」
「ふふっ。こんなところでって、こっちが訊きたいですよ。小さな男の子なんか連れて、どうして《《こんなところに》》いるんですか? ──綾音先輩は……いなさそうですけど?」
浩司は若干混乱していた。
岩井美香は綾音のジムの後輩。その後輩の美香が、今この遊園地にいる。綾音は今日出勤していて、勇夫も綾音のジムに行くと聞いていた。
──あれ? 美香ちゃんはなんで今ここにいるんだ? 今日ジムは休みたいじゃないよな?
そう思った浩司だったが。
「あ〜、なるほど。美香ちゃんは有休かシフトで今日は休みなのか」
浩司は勝手にそう判断した。
「ん? ──浩司さん、その話は後にしましょうか。後ろがつかえてますから」
浩司が美香の後ろに目をやると、行列が出来ていた。
「わわっ! えっと、ラーメンラーメンっと」
「浩司さん、それってこの可愛い男の子の分ですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、《《うどん》》にしときましょう」
美香は元々保母さんなので、子供のことを良く知っていた。
「あ、はい。うどんね、うどん二つ……っと。──美香ちゃん席取れた? もしまだなら、僕達あそこの席だから良かったら一緒にどう?」
「本当ですか? 助かります! 席がいっぱいだから、彼とどうしよっかって言ってたんですよ……ねっ」
美香がそう言って後ろを向いた。
「ああ……」
美香の彼氏の返事から、機嫌が悪いのかと想像した浩司。
美香のお陰で無事に食券を購入出来た浩司は、カウンターで食券と番号札を交換して席に戻ると、真琴を子供用の椅子に座らせ、終始真琴を抱いていた腕を振りながら真琴の横に座った。
「やっとご飯が食べれるよ。なっ、真琴《ま〜くん》」
「おなかしゅいた〜」
浩司が笑いながら真琴の頭を撫でていると、美香と彼氏が四人テーブルの向かいの席に着いた。
「浩司さん、ありがとうございます」
「いやいや、知らない人と座るよりいいだろ? さっき助けてもらったし、気にしなくていいよ」
「相変わらず優しいですね。あれから先輩とはどうなんですか?」
美香の質問に答えようとした時、浩司が持つ札の番号が呼ばれた。
「あっ、ごめん美香ちゃん。真琴《ま〜くん》見ててもらっていいかな?」
「はい、全然いいですよ。行ってきて下さい」
浩司が「ありがとう」と言って席を立ち、商品受け取りカウンターへと向かうと、美香の彼氏が口を開いた。
「何だよ美香〜。あんなヤツとばかり喋ってさ」
「雅人もしかして焼いてるの?」
「そりゃあ焼くだろ。せっかく遊園地にデートしに来たのに、彼女が違う男と喋ってるんだから……」
美香が雅人の頬を軽くと突いた。
「可愛いこと言っちゃって。待たずに座れたんだから、浩司さんに感謝しないとね?」
「それはそうだけど……。てか、この子可愛いな」
雅人が席を立ち、真琴の隣にしゃがんで話し掛けた。
「俺、雅人ってんだ。ヨロシクな」
「う〜」
真琴が雅人に目を合わさず、唇を突き出し頬を膨らませた。
「何だよ、連れないガキだな」
雅人がそう言いながら、真琴の頭を人差し指で軽く押した。
「うわ〜ん!!」
頭をこづかれた真琴が突然大声で泣き出し、混雑してざわついる建物内に泣き声が響いた。




