かわいいひと side B
緊張を表に出さないように、そっと席に着いた。すぐ隣の上村に気取られないよう、平然さを意識して。
すると、上村の反対隣にいた笹崖涼歌に口パクで「もっと寄れ!」と指示される。うるさい、笹崖! じろ、と目ぇ向ければ知らなーいって風に、ぷい、と顔をそらされた。でも、そらした目がすっげぇ笑ってる。かかか、と顔が赤くなった気がした。落ち着け自分。ただ隣に座るだけだろ!
なんて思っていたら、にやにやした眼差しが笹崖だけじゃなく、周りからも送られている気がしてきた。「中川くんってわかりやすい」なんて先日言われたばかりだ。九十分、早く終われ、と思った自分のチキンっぷりに凹んだ。ただ、隣に座っただけなのにもう逃げ腰だ。
なのに、奇跡が起こった。
上村は、突然目を輝かせて俺の右手を握り締めたのだ。しかも両手でがっちりと。え。なに、何ナニなに!?
「あの、私と付き合ってもらえませんか!?」
予想の斜め上をいった、彼女からの告白だった。
ごろーんとベッドに転がって、自分の手を眺めた。今まで自分の手なんて意識したことなかったからだ。でも、この手があったから、彼女を手に入れた。その事実が、なんとも複雑な気分にさせる。
告白された当日はにやにや笑いが収まらなかったが、実態を知ると泣けてきた。上村の奴は、俺の手に感動して告白してきたと、あっさり打ち明けてくれたからだ。やたらベタベタ触りたがるとは思っていたけど、こんな展開どうですか。
「中川くん? の、手ってすっごいキレイです! 男の手とは思えないぐらい、繊細! 完璧!」
告白されたその日に知ったけど……上村って俺の名前さえ覚えてなかった。自覚あったけど、俺って影が薄過ぎる……。その事実に傷つきつつ、でも手を触ろうとする上村がかわいくて、ただただ困惑するばかりだった。
「中川くん、そんな情けない顔しないでよ」
付き合うきっかけを与えてくれた笹崖が、苦笑する。笹崖もこんな展開、予想しなかったに違いない。
「情けない?」
「うん。傍から見てたら、たーすーけーてーって感じ。七音は遠慮ないからねぇ」
その指摘に目が泳いだ。心の叫びが筒抜けになっている気がしたせいだ。実際、上村は人がいようといまいとお構いナシだ。ネコや犬がじゃれるように、手を触りたがる。俺を見つけては、嬉しそうに走り寄ってくる。警戒のない、無邪気な笑顔。でも――
「七音が見ているのはその手だけ。それでいいの?」
いいわけない!
笹崖も困惑しているようで、気の毒そうに見てくる。いいはずない。手だけって、何だそれ。俺じゃなくていいってことか。こんな手の奴がいたら、そっちになびいてくってことか。
なんて考えるのに、面と向かって言えない小心者。だって、好きだなって思ってたから。気づいてくれないかなって思ってたから。目さえマトモに合わせられない。会話なんてもっと無理。恥ずかしいっつーのか、無性に照れてしまって。上村じゃなければ、普通にしてられるのに。
そんな俺が、やっとやっと手に入れたんだ。
とりあえず、バイトで貯めた金を使い果たす勢いで、服やら何やらを買いあさってみた。髪型も変えた。ことのついでに、メガネも外してみた。視線誘導だ。上村の目線をこの手から剥がしてやる。二月かかっての自分改造計画。これでどうだ!
「平ちゃん、平ちゃん」
上村は相変わらず、俺を発見しては抱きついてくる。だ・か・ら! 人がいるのになんで飛びつけんの? 女子相手ならまだしも! 無理やりひっぺ剥がすと「んもーう」と頬を膨らませる上村。ぷくっとなった顔もかわいい、けど。仕方ないってな風に抱きつくの諦めて、腕を絡めようとするんだけど。
そんな無邪気なスキンシップがどれだけ酷か考えてみて欲しい。
「あの、さ、上村。その……抱きつくのやめない? てか、手繋ぐのも」
「七音って呼んでって言ったのに。そうじゃなかったら、ナナって。私も平ちゃんって呼んでるんだから」
じ、と上目遣いで見つめられると頭がクラクラした。こんだけ密着してるのに、どうしてそう平然としてられるんだ。
「あ……えと、だから、その」
「ナナって呼んでくれなきゃ嫌です」
ずい、と顔を寄せられると、まともに視線を受け止めることもできなかった。
「…………な……、ナナ」
「そう。ナナです」
にこ、と嬉しそうに微笑むナナ。それだけでカッと顔が火照ってくる。言葉が喉から出てこなくなる。これが真実、自分に向けられていたらどれだけ嬉しいか。俺の手にウットリしてる彼女を見てると、こっそりため息が零れた。視線誘導の効果はさっぱりない。
にこにこ顔で「平ちゃん」と呼んでくれる。たったそれだけで、幸福いっぱいになる。これって彼氏としてどうですか。
「そーんなに、ダメかなー」
鏡の前で唸ってみても、ナナには全然届かない。参ったね。本当に手しか見てないとか。こっちの見た目も、性格も、この手の前には霞んじゃうってわけだ。そこまでスバラシイの、この手って。
「いっそ、これ、ナイフか何かで切ってみるとか」
そうしたら、手から意識、剥がしてくれる? 手だけじゃなくて、俺を見てくれる?
幸せそうに俺の手を頬に寄せているナナが浮かんだ。――手以外でも、あの顔をしてくれるだろうか。……自信、ない、なぁ……。
そ れ ど こ ろ か !
さくっと彼氏彼女な関係にピリオドを打たれそうで、滅茶苦茶恐い。手に感動して告ってくれたナナだから、ありえそうで情けない。
最初は――『七音』って名前が印象的だなぁって程度だった。それがいつの間にか目で追いかけるようになったのは、くるくる回る表情のせい。あまり女の子らしいってタイプじゃない。しょっちゅう一緒にいる笹崖が美人だからなおさら、七音は少年のようだった。短めのボブが似合ってて、でっかい口を開けて笑うとこが好きだった。いくつか開けられたピアスが、七音の唯一のオシャレだ。
付き合いだしても、そんなところは変わらなくて。むしろ目をキラキラさせて呼ばれるたび、照れてしまう自分がいる。
「あの、中川くん! 少し、いいかな」
そんな風に声をかけられるようになったのは、いつ頃からか。最初は深く考えもしなかった。飲み会とか、サークルとか、バイトとか。ふとした拍子に誘われる。自分改造計画、目的外のところで威力発揮しちゃっても意味ないし。
正直、こういうのは苦手だ。ちょっと前までは俺のこと眼中にもなかった人たちに告白されたって。
自虐的思考。いやいや、最近は普通に見えるかもしれないけど、これって俺の通常思考。だってさ、影薄いって自分でもわかってたし。そのときに告白されてたら、違ったんだろうけど。――こんな風に自分変えたの、こんなののためじゃない。
「彼女いるから。……ごめん」
困ったように笑ってみせて、告白を断った。女の子が素直に下がってくれると、ホッとしている自分がいる――
「中川くんって、七音のこと、ホント好きだよねぇ」
すぐ間近で声がして、一瞬身体が飛び跳ねた。振り返ると、ちょこーんと座った笹崖がいる。くは、とこっそり息を吐いたのは内緒だ。
「……悪いか。つか覗いてたのか?」
「あは、覗きとか言わないでよぅ。だって、七音以外の子と歩いてるから! あの子の親友としては、気になるじゃなぁい?」
露骨にため息を零せば、うるさくない程度に笹崖が笑い声をあげた。
「疲れてるね。告白多いの?」
「多いわけないって。今までそういうのなかったから、困ってるだけ」
自分の格好見下ろすと、またため息が溢れてくる。ナナには全然効果がないのに。
「あの子、超がつくほど鈍感だから。ハッキリ言わないと気づかないかもよ。それで、何人目?」
他人事だと思ってくすくす笑う笹崖に、じろ、と目線を送ってやった。でも、なぁんかこいつには弱いんだ。自信に満ちた言動、それに裏づけされた美貌ってか。一切自分に引け目、感じてないんだろうな。そんなもの、俺にはないっつーの。だけど、話してみたら「なんだ」って思うぐらい普通だから困る。
結局「三人」って答えた。こっちの内心を知ってか知らずか、ふうん? と長い髪を揺らして、彼女は首を傾げる。その瞬間、笹崖が豹変した。
「ねぇ――いっそのこと、私に乗り換えてみない? 手はあの子にあげていいから。私は中川くん、好きだなぁ」
艶やかに微笑まれ、知らず、腰が引けた。一瞬で笹崖のまとったオーラ(?)は化物じみている。つぼみだった花が開いたような華やかさだ。存在感が一気に増した。艶っぽさが入り混じって圧倒される。さっきまでと全然違う!
かろうじて「彼氏いるじゃなかったっけ?」、と尋ねればけろりと返された。
「うん。二人ほど?」
二人もいんの!? 呆れてみせるときゃらきゃら彼女は笑った。先ほどの色気があっという間におさまってしまう。女ってこういうとこ恐ぇ。つーか何なんだこの差! ナナは、こんな風に感じないんだけど。うは、心臓まだ飛び跳ねてる。
「オッケ。仕方ないね、ちょっと七音には揺さぶりかけてみるから」
笹崖は服を軽くはたいて立ち上がった。って、ちょっと待て。揺さぶりって何するつもりだ!?
「だから中川くん、ちゃんと七音と話さなきゃダメよ? あなたたちって危なっかしいんだから」
有無を言わさない笹崖が「任せなさい」なんてハートマーク付きで勝手に動き出した。止めてくれ、と言えば「今のままでいいの?」と切返される。今のまま――ナナは手だけを見て、恋愛の絡まない彼氏彼女でいろってことか。
言葉に詰まれば、ほら見なさい、とばかりに笹崖は笑う。でもさ、厄介なことになったって思ったの俺だけか? こういう場合って普通上手くいく? 大体がこじれるだけじゃん!
でもわかってる。俺は、半分期待しているんだ。自分じゃ動けないチキンだから、きっかけを欲していた事実。これで何かが変わるかもしれない……なんて他力本願。自嘲しちゃうね。
「中川君」
登校したとこで声をかけられた。振り返れば――げ。山口だ! 山口は先週告白されたところだった。あれ以来顔合わせなかったのに。
「ちわ。ええと……なに?」
内心を隠して尋ねるのは、やっぱり俺がヘタレだから? でも、面倒なことは極力避けたいし。やっと馴染みだした人間関係ぶち壊されたくないし。いきなり無視するのは流石に感じ悪いし。でも本音は「逃げたい」の一点。
「あの、この間のことだけど、私やっぱり納得できなくって」
「納得って……ちゃんと断ったはずだけど」
「だって上村さんと中川君、付き合ってるって言ってもあまり上手くいってないって――」
いきなり往来でする話かソレ!? しかも声高に!
いや、確かにナナは講義中にいきなり告ってきたけど、それ普通かって言ったら違うだろ! え、なになに? と周囲からの目線が痛い。慌てて山口を引っ張った。人気のない場所へ誘導して振り返る。
「山口サン、困るんだけど。それにナナとのことは関係ないだろ、あんたに」
自然と口調がきつくなる。ああ、半分八つ当たりか。
「関係なくないよ、中川君が好きなんだから。ずっと中川君のこと見ていたし、いつも上村さんと一緒にいるとき、困ったような落ち込んだような顔しているの、知ってるんだよ?」
返答に詰まってしまった。
「私ならそんなことさせないから。その、さっきはちゃんと伝えたかったから、あんな人多いとこ選んだけど! 私、本当に中川君が好きだから……」
強気だった声が徐々に消えていった。ナナにはない、女の子らしさが山口にはあった。それは、認める。かわいいな、とも思う。でも……
「山口サン、さ。いつから俺が好きって言ってた?」
「え……す、好きになったのは、一月ぐらい前で……」
ほら。自分改造計画、こんなとこで出てきた。ナナには効果ないのに。
ああ、講義、遅刻になる……。教授、待ってくれたり……しないよなぁ。イライラする。
「何度も言うけど山口さんとは付き合えない。ごめん」
気が重い。誰かに好かれるのは嬉しいけど、断ると相手が傷つく。後味が悪いんだ。精一杯勇気絞って告白してくれても了承できないんだから。ましてやこんなこと、今までの人生一度もなかったし。
「好きです! 中川君が好きです。か、彼女がいたっていいから……」
だから、と振り返ったところに、ぶつかる重み。山口が抱きついてきたのだ。とっさに湧き上がったのは「何こいつ」っていう嫌悪。べりっと音がしそうな勢いで引き剥がした。
「勘弁してよ。そんなに困らせて楽しい? あんた言ったじゃん、俺を困らせたり落ち込ませたりしないって。だいたい、俺みたいなのの何がいいわけ。山口さんならもっと他に相手選べるだろ?」
両肩をつかんで、ギリギリまで離してから軽くその身体を押した。山口は目に涙を浮かべていた。良心がズキリと痛む。いや、でも、変にずるずる関わるよりは、このほうがずっといいんだ。
それじゃあ、と今度こそ分かれようとしたその時だ。――コンコロコン……なんて音が耳をついた。誰かに見られた!? って身構えた先にいたのは――呆然と立ったナナ。凍りついた顔で、こっちを見ている。大きく目を見開いて、泣きそうだった。ヤバ、と思ったのは一瞬。広がった静寂を破ろうと口を開いたけど、ナナの「あ、あははは!?」なんて笑い声に遮られた。そのままナナは背を向ける。
「待ってナナ! これは違うから! ナナ――」
だがナナはあっという間に消えてしまった。唖然とした、泣きそうな表情を俺の目に刻んだまま。
『ええ? ちょっと待ってよ、何言ってるの中川くん。――待って、待ってね?』
笹崖涼歌は電話口で困惑したのか、「待って」を繰り返した。どうやらナナが彼女に連絡を取ろうとしたらしい。しかし、電話に出れなかった笹崖は、その後連絡のつかないナナを訝って俺に電話してきたのだ。ちなみに俺のほうも、連絡取れていない。ナナの家は実家だから、押しかけるわけにもいかないし。どうしようか、と迷っていたのだから、ラッキーかもしれなかった。
時計を見れば十二時を過ぎている。普通なら、これから寝ようとする時間帯だ。笹崖のやつ、今まで携帯一回も確認してなかったのか? いや、こんな遅くまでナナへ連絡とろうと粘ったのか。
「だから、告白現場を目撃されて。今現在連絡が取れないから、アイツのようすなんてわからないって言った」
『……は?』
「もう一度だけ言うぞ。今日、山口が告白してきて、抱きつかれて剥がしたところを、ナナに目撃されて――」
『っの、バっカじゃないの!?』
ええ、バカですよ。よりにもよって、なんであのタイミングで、なんて呪ってますよ。せめて、もうちょい前から見ててくれたら、誤解もされずに済んだのに……。もしくはもうちょっと後でなら。
……。
そうだよな、やっぱあの顔、誤解したよな。だからケータイ、電源入ってないんだよな……。ため息つこうとしたら、携帯からきゃんきゃん吼えられた。
『ああもう、間の悪い! 私、ナナに、あなたはモテてるから気を付けなさいよって釘さしたとこだったのよ。もう、バカばか! ナナを傷つけたら許さないんだから! どうしてくれるのよ、あの子が泣いてたら――』
「こっちも本意じゃねぇって! だけど、どうしようもないだろが!」
それにモテてねぇし!
人気のない場所までわざわざ移動したのに、向こうがやってきたんだから仕方ないだろう。こっちが望んで山口と一緒に密談したわけでもない。しかも一度ちゃんと断った相手だ。
すると、「わかってるけど!」と怒鳴り返された。ああ、ちょっと意外だ。笹崖って本当にナナの友だちだったんだ。全然共通点なさそうなのに、大事にしちゃってるんじゃん。こんなにナナのことで取り乱すなんて想像もしなかった。
『……誤解なんでしょう? もう、バカなナナ。中川くんは浮気できるタイプじゃないのに』
「……ならソレ、あいつにも伝えてよ」
『根本的解決になってない! 私に頼むんじゃなくて、自分でしなさいよ。この意気地なし。そんなだからナナが悲しむのよ、バカ!』
言うだけ言って笹崖からの電話は切れた。何なんだ、こいつは。バカバカ連呼しやがって。こっちだって相当落ち込んでんのに、傷口えぐって塩こすり付ける気か。
ベッドに身を投げ出して、携帯を見つめた。ナナからの連絡は一つもない。泣いてたらどうするのか、だって? そんなの、一番考えたくないに決まってる。
「出ろよナナ……」
コールしても留守録に切り替わる。そもそも電源入ってないし。一度メッセージ残したから、これ以上は止めてる。あんましつこいと、逆に嫌がられそうだったから。携帯を切れば手のひらから落ちた。天井のライトがぼう、と視界に入り込む。
笹崖も、きっと電話に出れなかったことを後悔してるんだろう。だから、半ばパニックになって怒鳴ってたんだ。いつもなら電話にもすぐ出るし、メッセージもすぐ返ってくる。それがないってだけで異常事態だ。
ため息がこれでもかってほどに溢れた。普段は「平ちゃん、平ちゃん」って、犬や猫みたいに構ってくるナナだから、あの表情は余計に堪えた。
翌日は電話で起こされた。またしても笹崖涼歌である。時間は、まだ九時になったばかりだ。あと一時間は寝てられるはずだったのに。
『明日お祭りあるじゃない。ナナと待ち合わせするから、中川君が行ってちょうだい。ナナは絶対引っ張ってくから。ちゃんと仲直りするのよ』
笹崖は怒っているようだった。一方的に予定を決め付けてくれる。くあ、と欠伸が出てベッドから起き上がった。まぁ、明日はナナと祭りに行く予定してたから、空けてるけど……。
変な感じだった。ナナは笹崖と行くからOKするのか。俺と行くとは言ってくれないのだろうか。
ナナ、あれからどうしてるんだろう……。学校には行ったんだろうか。
「――元気だった?」
半覚醒でぼけーっとしながら、ふと思いついて聞いてみた。すると笹崖は束の間沈黙する。
『元気なわけ、ないじゃないの。泣きはらした顔してた。もう、見てられなかったわよ』
低い声で返事がきて、思わず身をすくめた。怒鳴られるのもキツイけど、こんな風に責められるのもクる……。もしこの場に笹崖がいたら、首でも絞められてそうな迫力だ。
『あんなナナ、はじめて見た。私のほうが泣きたいぐらいよ。どうしてくれるのよ!』
バカ馬鹿! と起き抜けになじられるのはうんざりなので、待ち合わせ場所と時間を確認した。笹崖は不満を飲み込んで、これからナナに持ち掛けるのだ、と教えてくれる。そういえば、なんでこの時間に電話なんてかけられるんだろう。講義は……? ……深く考えたりはしないけど。
「夕方五時半に河原橋でって伝えて。それなら行けるから」
祭りの神社まで近いし、あの橋なら間違えようがない。ナナとするはずだった待ち合わせ場所とは、微妙に違うのもいいかもしれない。
『わかった。ナナに伝える。……お膳立てしてあげるんだから、本当に何とかしなさいよ』
ごめん、とサンキュー、を伝えた。笹崖のお陰で、明日ナナに会える。切れた携帯には、ナナからの連絡なんてゼロ。笹崖の言葉通りなら、今日も電話は通じないかもしれない。学校に行っても、ナナとはすれ違いもしない日だってのに。
泣きはらした顔してた、と笹崖の声が脳裏で繰り返された。ナナがショック受けていたのは、他の女の告白を受けていたからか。手が大好きと明言するナナが、少しは俺に関心を持ってくれているのだろうか。
こんな事態になって、初めて意識されたのなら皮肉だな、と少しだけ笑った。
待ち合わせの五時まであと少し。
浴衣姿の女の子がやたら多い待ち合わせ場所は、すでに賑わっていた。祭りの行われる神社じゃないのに、すでにお祭りモード全開だ。その中をサラリーマンとかスーツ姿のOLが無関心で通っていくのは、場違いで少し物悲しい。いや、あの人たちもこれから「飲み会だ!」とか? 着替えて「お祭りだ!」ってなんのか? 残業がないことをこっそり祈った。だって、こんなに浮かれた雰囲気で占められてるんだから。
俺も、場違いにならなきゃいーけど。
この群れの中に、ナナがいるはずなんだ。携帯を見れば「約束は取り付けた。健闘を祈る!」なんてメッセージが笹崖から届いている。
そして五時――流れる人の群れに逆らわず、俺は橋の上を歩き出した。可愛く着飾った女の子の塊を避けて、反対側へわたったところで……ナナを見つけた。橋の欄干にもたれて、携帯を触っている。
「いた、ナナ!」
思わず声が出ていた。もう人の流れなんか関係ない。だけど、ナナは飛び上がるほどにビックリしてから、一目散で逃げ出した。あ、あいつ……話もさせないつもりか! 振り返りもしないってどういう了見だ。こっちはずっと会いたかったのに。言い訳ぐらい聞けよ。
逃げていく背中だけを見つめて、走った。小柄なナナは、すぐ人ごみに埋まってしまう。だけど、一直線に突っ切ってくだけなのが良かった。見失わずにすむ。結構なスピードで駆けていく彼女を、こっちも必死に追いかけた。
「ナナ!」
人とぶつかりながら伸ばした腕が、やっと捕まえた。息切れもそのままに、「昨日のことだけど」とさっそく切り出す。もうとっとと蹴りをつけたかったんだ。なのに「き、聞きたくないです!」といきなりの拒絶。両目を閉じて、耳もふさいで、「聞きたくないです」とかぶりを振る。ナナ、と呼びかけても暴れる彼女には届かない。挙句、うつむいたナナの目から涙を見た気がしたから――
腹が立って、ムカついて、抱き寄せた。
「は、放してください!」
当然の反応に苦笑がこぼれた。だよ、な。二股かけたとか、浮気したとか思われてたなら、密着する身体を剥がそうとするよな。こんな拒絶を望んだわけじゃなかったのに。
「一昨日のあれは……これと同じだよ」
ナナが凍り付いて、おそるおそる俺を見た。やっぱり、その目には涙が膜を張っていて。
「抱きつかれたから、引き剥がした。でもそこ、ナナが見てて。すごい悲しそうだったからヤバいなって思ったけど、逃げるし、携帯繋がらないし……」
きょとん、としたナナが可愛い。だから余計罪悪感が募った。傷つけたのが、辛い。
「やっと捕まえた。怒っているんだろうけど、追いかけてごめん。ただ、誤解されたままなのは嫌だったから」
それだけ言いたかった、と彼女を解放する。これ以上困らせたくなかった。でも、だらんと落ちた俺の手を、ナナは拾い上げた。両手で、そっと包むようにして。大切な宝物みたいに。
「私、怒ってなんか、ないですよ。私、私が逃げたのは、平ちゃんと別れたくなかったから……っ。お別れを、切り出されるんじゃないかって……恐くて」
言うが早いか、ナナはぼたぼたと涙を落とした。ぶわぁと涙を溢れさせて、子どものようにわんわん泣くもんだから、ビックリする。なんで? なんで今泣くわけ? 通行人から突き刺さる白い目。え? これって俺のせい? 俺のせいで泣いてるの? 助けを求めようにも、周りには見知らぬ他人ばかりだ。いや、だから待って。だって泣かせるようなこと言ってない……はずだし!
「ナナ、とりあえず泣き止もう? な? 俺、別に別れるとかそんなの言わないし、泣く必要なんかないから。というより、なんで泣くの」
「わ、わかんないよぅ。涙出るんだから、っ、仕方ないじゃないですか……っひ、平ちゃんの、ばかぁぁ」
「わわわ、だからナナごめんって! ……えーっと、ほらあっち行こう、あっち行ったら屋台いっぱいあるし、何か買えるし、な? ほら、何か食べたい? バナナチョコとかあるよ、どれがいい?」
ぐずるナナをなだめても、ますます大泣きされて、突き刺さる目も増えた。こういう時ってどうしたらいいんだよ。仕方なしに人の少ない場所を探す。
その間ナナは、俺の手をぎゅっとつかんでいた。
涙には罪悪感が沸いたけど、俺がナナを引っ張って歩いてる事実にホッとする。
これが、俺の彼女ですって、今なら言える気がしたから。
その後、俺たちの誤解は解けた。
祭りのある大通りと社からちょっと離れた公園広場で、向かい合って話し合った。
俺があの告白以前から好きだった……ってことを話すのはさすがに照れたけど。女子から告白されるってことを告白するのだって、なんか自意識過剰っぽくてぼそぼそ小声になったけど。
ナナはへにゃへにゃと力が抜けたみたいだった。
「でも待った。……じゃあなんで、平ちゃん、私に触らないですか」
ってナナの台詞辺りから、話の流れが妙な方向に……。え? 待て、待てまてまて! なんでそこに飛ぶ!?
「へ・い・ちゃ・ん・? 平ちゃーん、どうして目線そらすのですか~?」
ナナはにっこり笑ってるんだけど、こ、怖い。ずりずり近づいてきた分だけ、俺の身体もにじり下がる。
「……どうして逃げるのですか」
「あ、暑いでしょ、くっついたら!」
ナナの顔が一瞬凶悪になった。次の瞬間、逃げようとする俺は胸元をつかまれた。はい!? と驚く間にぐるんって回った視界。後頭部を打たなかったのは我ながらよくやった――ってそれどころじゃない! ナナがなんで馬乗りになってんの!?
慌てて顔をそらした。ナナの胸が丸見えになっていたからだ。気づけナナ、女だろ!? なんでキャミ一枚になってるわけ。上着持ってたじゃん、それどこ行ったよ!? ああもう、だから夏は苦手だ。なんでどいつもこいつも薄着なんだ。いや、暑いのはわかってるんだけど!
しかし、心の悲鳴は届かなかった。ナナは意地でも視界に入ろうとしてくるのだ。
「わかったからナナ、上着着て、上着!」
「……なんでですか」
うわ、気づいてないし。逆に開き直ってるっていうのか、目が据わってる! 起き上がろうとしたけど、それはナナが許してくれない。襟首つかまれて、じっと睨んでくる。
観念した。もう両手挙げて、降参だ。いや、前々から白旗は振ってたけど。
「……押し倒したく、なる、から」
うわあ、言っちゃったよ。最低じゃないのか自分! 羞恥で顔が熱くなる。これ絶対耳まで赤いから! ナナのほうなんか見てられない。どんな顔してるのか知るのが怖い。今までだって俺、手しか認識されてなかったもんね!? 無邪気にくっついてくるナナを、そんな風に見てたってこんな形で暴露しちゃって、どうする俺。どうしたらいいわけ?
だけど、パニックはナナのくすくす笑う声に遮られた。ナナ? と恐る恐る起き上がれば、ナナの顔も真っ赤だった。真っ赤なまま笑顔で俺を見つめてくる。
「いいよって言ったら?」
ナナが俺の手を取って、自分の胸に押し付ける。え? え? えええええ?
「な、ナナ!? 何す――」
「ドキドキ言ってるの、わかるですか? これ、嫌だからこんなドキドキしてるんじゃないですよ。平ちゃんの手だから、こんななのですよ」
思考停止。ナナの心臓なんてわからない。ドキドキしてるのはむしろこっちだ。これは、この状況は、いい、のか? ナナの頬に触れると、ナナは瞼を下ろした。心臓の音がうるさくて、他に耳が入ってこない。唇が、重なる――その瞬間。ナナは目をぐあっとあけた。
え゛。
「って、涼歌ちゃん! 見世物じゃないですよ!?」
!?
俺が息を呑んでいる間に、ナナは小石をつかんで茂みに投げた。「あいた」なんて悲鳴が聞こえてくる。ちょ、なんでそこから登場するんだ、笹崖涼歌!? 浴衣姿で、いつもより色気倍増――ってそんなことどうでもよくて。今の、見 ら れ て た !?
「ああん、もう。いいとこなんだからぁ、遠慮せずチューしちゃえばいいのに」
「人に見せびらかす趣味はないです! というか、いつから」
「ほぼ最初から。だって、あんたがまた暴走しないか心配してたのよ」
「そしてデバガメ……。余計なお世話って言葉知ってますか!? しかも開き直り!?」
笹崖のせいで、一気に夢から覚めたみたいだった。それでも心臓はどくどくと煩い。ほてった顔は、まだ熱を引かなくて。ナナにきゃんきゃん怒られている笹崖が、こっちを見た。う、と身体が無意識に一歩下がった。よかったじゃないって声に出さず、言われた気がしたせいだ。笹崖が引っ掻き回してくれたお陰……なのか? これって。
とりあえず、どうどう、とナナを押さえた。馬じゃありませんよ、なんて文句を言われたが仕方ない。するとナナからいい匂いがした。シャンプーかなにかかな? 香水をつけるタイプじゃないし。
笹崖がひらひらと手を振って「ごゆっくりね」と行ってしまってからも、なんとなくその匂いを嗅いでいると――
「うひゃぁう!?」
ナナが変な悲鳴を発していた。あ、あれ? なぜかナナの身体がぐらぐら揺れて、爆発しそうなほど顔が赤くなっていた。……熱かった、か? パッと身を離せば心持ち涼しくなった気がした。祭りの音楽が聞こえる……。そういえば、祭りらしいこと何もしてない。
「それじゃ、俺たちも行こっか」
やぐらへ向かって、歩き出した。ちょうちんの赤い光があるほうからは、人の声と美味そうな匂いがする。焼きソバか? たこ焼きか? そういえば腹が減ったから、何か二人で食べようかな。そんなこと考えると自然と顔がにやけた。平ちゃん、とナナが睨んできたけど、顔が締まらない。手を見下ろしていると、にへらと笑いがこみ上げる。
「手だけじゃない、みたいだし」
思い返すナナの反応は、手だけじゃ得られないものばかりだ。ちょっと自分でも一歩前進ってとこがわかって、気分もいい。今度笹崖に何かおごってやろう。ナナも連れて。あんま高いものは無理だけど。
と、思っていたら。
「あああああ!? ちょっと平ちゃん、手に傷! 傷ができてる!! うそ!? いつの間に!? 平ちゃんの手に傷がー!」
突然ナナが叫んだ。え? あ。掌の、小指の下辺りがうっすらと切れている。こんな傷よく見つけるなぁ。
「草で切ったかな……ってナナ、何してんの!?」
ナナが躊躇なく俺の手をかんだ。いや、噛んだんじゃなくて、舐めた。うわ、ちょ、いきなり!? 慣れない感触がした。それ以上に、俺の手を口に含むっていう仕草がたまらなかった。どうして無頓着にそういうことできるんだ!? ビックリして手をナナから取り上げた。
するとナナが刹那唖然と俺を見返して、「かわいい……」
「……っ」
そんな、思わず零れました的台詞が「かわいい」ってどうなんだよ俺。つーかかわいいって言われても!
何か反論せねば、と口を開いたが「あ」とか「うう」しか出てこない。ぱくぱく口を動かしてみたが、きょとん、とこっちを見るナナは無防備でかわいくて。うわ。マジスカ。言葉が出てこないってアリですか。気がつけば、身体が勝手に逃げていた。
あーもー! 俺のチキン! 何逃げてんだよ、彼女相手に逃げんなよ、ああもう!
ワンテンポ遅れてナナが追いかけてくる。
「平ちゃん、置いてかないで下さいっ」
後ろからぎゅ、と腕に抱きつかれた。ちょ、胸が当たるほど密着しなくても! 暑いのに! 何だか頭が沸騰しそうなんですけど!
ぐるぐる考えてれば「あはは」って笑い声が聞こえてくるんだ。もう、いいよ。最初から俺の負け。振り回されても、ナナがちゃんと俺を好きでいてくれるなら、それでいい。
これが俺の彼女です。俺の手が大好きで、多少変だけど、かわいい子です。
時々、無防備すぎてこっちが勝手に陥落してしまうけど、ね。
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最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
ナナ視点を書いた『かわいいひと side A』もございますので、よろしければどうぞ!
ご意見ご感想をお待ちしております^^
橘高有紀




