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毎朝無事に目が覚めた瞬間に「『明日』なんて来なければ良かったのに」と思ったのは何度目だろうか。……いや、これに関してはいじめられるようになってから毎回思うようになったことなので、カウントはやめとこう。
とにかく、今日もやはり目覚まし時計に叩き起こされた瞬間に「『明日』なんて来なけりゃ良かった」と思った。
無理もないだろう。
だって、これから名前しか知らない女子と付き合うことになってしまったのだから。
『いいですよ。お付き合い。これからよろしくお願いしますね、落城さん』
夕日の中での返事がよみがえり思わず額に手を当てる。
……どう接すればいいのだろう。自分はこれから清崎さんと付き合う……ことになるのだが。
わからない。これまでの人生で彼女はおろか、女友達や好きな人すらできたことがないのに。
まだ清崎さんの人となりも知らないし、そもそも僕は清崎さんのことが恋愛的な感情を持ってるわけでもない。
かといって、今さら戸塚の命令で告白したのだとバカ正直に話すわけにもいかない。一度オーケーで話が纏まってしまった以上、絶体面倒なことになる。この点に関しては僕のミスだ。
『いいじゃん付き合っちゃえば。お前らお似合いだしよ』
あの告白の後、元凶である戸塚は気色悪い含み笑いをするだけだし、今宮と本山も以下同文。僕なんかと清咲さんのような美人のどこがお似合いなのか、許されるなら小一時間ぐらい問い詰めたい。
清咲さん本人はLINEも知らないしもらえるツテもないので、学校でしか話ができない。
連絡ができたら、昨日の内に何でオーケーしたんだと彼女にも問い詰めたかったのだが……。
「…………」
このあたりは昨晩布団で考えまくったのだが、ついに結論は出なかった。どう考えても僕と清咲さんは互いに好き合うほどの積み重ねもないし、実は以前から知り合いだったなんて都合の良い展開もない。
かろうじて思いついたのは『清咲さんはブス専であり、たまたま僕の容姿がその琴線にヒットしたから』だが、それも確率は低そうだし事実だったらそれはそれで傷つくので却下した。
結局対応としては、まぁとりあえず彼女の出方を見つつ適当に付き合う……である。
恋人(仮)への接し方としては不誠実の極みと取って良いだろう。
「頭痛い……」
まぁ、考え続けてもしょうがない。いくらとやかく言おうが、物事は勝手に野となり山となる。
勉強以外で使われない脳ミソを酷使する傍ら、朝の用意を済ませていく。自分で食パンを焼き、コーヒー牛乳で腹に流し込んでいく。兄に急かされながら洗面所で顔を洗い、止め忘れていたスマホのアラームを止めた。
家を出る直前、ふとテーブルの上に目を向けると色違いの赤と青の弁当の包みがあった。
「おや」
珍しいこともあるものだ。僕に弁当が用意されているなんて。ちょうど昨日取られた金の額的に昼飯は抜きになると思ってたから、タイミングが良い。
たまには運も向いてくるものだ、と思いながら、いつも兄が使っているのは赤の方なので青の包みを取ろうとする。
瞬間、それまで僕と目を合わせようともしなかった母さんが声を発した。
「淘辞。それはあなたのじゃないわよ」
「え?」
聞き返した瞬間、ニュッと横から長い腕が伸びて赤い包みを取っていった。見るとそこには僕の兄である落城栄西が立っていた。大学生特有のちょっと洒落たファッションが、高身長の身なりによく似合っている。
「驚かさないでよ」
「……じゃ、行ってきます」
抗議の声を無視して栄西は母さんに挨拶をしてさっさと学校に行く。
「行ってらっしゃーい気を付けてねー」と母さんが言い終わるまで待ってから、改めて僕は尋ねる。
「……で、これは誰の分なの?」
「お隣のミネコさんとこの娘さんの分。朝忙しいらしくて、頼まれちゃったのよ。そうだ、あんたこれから出るんだったら、ついでに届けてあげなさい」
「……して、僕のお昼は?」
「いつも通り適当に自分で済ませて」
「……あーい」
美味しそうで暖かいな匂いに鼻腔をくすぐられながら、包みをミネコさんの家へと届けた。
ママ友歴がそこそこ長くお隣さんであるミネコさんとは僕も顔を合わせたことがあり、
「あら淘辞くん久しぶりね~最近どう?」
「ぼちぼちです」
「まぁぼちぼち?」
みたいに少し会話をし、「じゃあそろそろ学校なんで」と僕はミネコさんの「はーいいってらっしゃーい」という声を聞きながら自転車をこいだ。
こんな日に限って僕は日直だった。
できるなら朝の内に清崎さんと二言三言話しておきたかったのだが、戸塚が学級日誌を隠すなどして無駄に仕事を増やしてくれた。さすがに学校の備品を紛失するのはシャレにならないので(そして戸塚は『飽きた頃に返す』なんてことはしない。飽きたら放ったらかしだ)、僕は自分の持ち物の時以上にあちこち探し回ることになった。
そうしてあっという間に昼休みになる。
いつもなら戸塚たちにパシられる頃合いだが、今日は違った。
「らくじょー、早く迎えに行ってやれよホラ」
声と共に物理的に背中を押される。
振り返ると、机の上に腰かけた戸塚たちがニタニタと笑っていた。昨日までと同じ、見世物でも見るような笑みである。
「二組の、お前のカノジョさんをさ」
その台詞のせいで、忙しくて頭から抜け落ちてた事柄を思い出す羽目になった。
……そうだった。元々今日の一大イベントはそれだった。このまま忘れていたかった。
「……迎えに行くって、誰を」
なんとなく、せめてもの抵抗の意を込めてすっとぼけてみる。だがそんな精一杯の抵抗も、戸塚の「あぁ?バカかお前」という太ももへの蹴りによって霧散した。
「キヨサキに決まってるだろうが。ちょっと考えたらわかるだろ。今日は記念すべきカップル一日目なんだから、昼飯ぐらい迎えに行ってやれよーらくじょーくん」
無駄な抵抗。
きっと「嫌だ」と駄々をこねても無理やり押されていくのがオチなんだろうな。
頭痛い……。昨日までの清咲さんは面倒事のタネで、今の清咲さんは頭痛のタネだ。
本当に、なんでこんなことに……。いやもちろん何割かは自業自得なんだけど。
「『カレカノ』なんだからさぁ。ちゃんと一緒にいてやれよ?」
戸塚の言葉に今宮と本山の笑い声も追従する。
……他人事だと思って。てか、実際他人事だと思ってるんだろうな。自分が元凶だという自覚も無いのだろう。
だが確かにこのままというわけにはいかない。
戸塚の機嫌を損ねすぎれば罰を受けることになる。昨日風呂場で確認したところハッキリ痣の残っていた腹は今も鈍く痛んでる。
無闇に傷を増やしたくなければ、素直に盤上で踊るしかない。『手の平で踊らされる』ことはよく悪い意味のように使われるが、僕としてはそれは生存のための立派な戦略のように思う。手の平からはみ出さず大人しく見世物にな作ってっていれば、少なくとも指揮者に飽きられるまでは安全は保証される。
なら、やることは一つだ。