表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 滋賀ヒロアキ
5/13

5

未だに悪夢に見ることがある。


あれは中学三年、受験シーズン真っ只中の頃。一学期ラスト付近になると、三者面談があったりクラスメイト同士でも頻繁に話題に上がるようになり、志望校に対する情報交換が活発になる。その情報は、机に突っ伏してクラスの喧騒に耳を傾けるだけでも収集できるものだ。

その過程で、僕は戸塚の志望校が自分と同じだということを知った。知れた。知ってしまった。


次の授業中丸っきり放心してしまう程度には、僕は絶望していた。

嫌だ。中学に続き高校も戸塚と同じ環境で過ごすなんて本当に勘弁してほしい。最近は暴力も過激になってきたし、まだ少額とはいえ金銭も要求されるようになってきたのだ。

これ以上彼と付き合い続けたら、いずれ骨の一本か諭吉の一人でも失うことになるのは目に見えている。

僕は母に頼み込んで塾を増やしてもらい、ノートもしっかり取るなど文字通り死ぬ気で勉強した。だが、最終的に偏差値こそ上がりはしたものの、試験当日に緊張から吐き気や腹痛を起こしてしまい、結局合格できたのは戸塚と同じ高校だけだった。

教室にてスマホで合否判定を見た時、僕はショックでスマホを取り落としてしまった。

その時に響いたカランカラン、という音に近くにいた戸塚が反応する。音の主が僕だと認識すると、戸塚は「ちょい絡みに行くか」とニヤニヤしながら来てスマホを拾った。

そうして合否判定画面のままだったスマホを断りもなく覗き込む。


「んん?おおっ、おいおいマジかよらくじょー!お前も暗寧高校受験してたのかよー!俺も同じだったんだから言ってくれよなー、しかも合格してるしー!」


スマホを持った手で僕と肩を組み、頬と頬が触れるほど近づく。体から汗が噴き出た。


「高校に行ってもよろしくなぁ!仲良くしようぜ!」


傍目からはいかにも朗らかそうな声で言ってから、彼は首に回した手をより強く締め付けた。

圧迫感と恐怖から、僕は錆び付いたロボのごとく緩慢に首を向ける。

戸塚は笑顔のまま、僕にだけ聞こえる声で言った。



「高校でも、ちゃあんといじめてやるからな?」



その時の戸塚の表情は、今でも悪夢に出る。

あれは足を粗方もいだ虫が、尚も生きるためにもがいているのを見た子供の顔だった。

まさに蛇に睨まれた蛙。この時僕の心はハッキリと、音を立てて折れた。

本能的に悟った。

無理だ。僕はもう、こいつからは逃げられない。こいつが飽きるまで、オモチャとして使い潰される。


反射的に、顔に理由なく笑いが浮かんでしまったあたりで、この悪夢(トラウマ)は終わりだ。






今の光景も、二年くらいしたら『新しい悪夢』として見るようになるのだろうか。

そんなことを思いながら、今日も僕は校舎裏で羽交い締めにされている。


「あーーー!イライラするっ!!」


ドスッ、という音が校舎裏に響く。その度に、胃が焼けるような感覚。

既に呼吸困難の手前であり、ロクに悲鳴を上げることさえできない。制服の下の腹にはもう立派な青痣ができているだろう。

もう今にも膝を曲げて重力に身を任せたくなるが、


「おおっとコラコラ、グロッキーにはなんなよ。させねぇよ?」


戸塚の取り巻きである今宮が、僕の羽交い締め役と立たせ役を兼任している。背中に壁のように立つコイツのせいで、僕は倒れることすらできない。


「しかしこれで十七発目……戸塚ちょい殴りすぎじゃね?そろそろ死ぬかもよコイツ」


「腹殴ったぐらいじゃ死なねぇだろ。痣がついても服着てるからバレねぇだろうし。もし死んだら……まぁいいだろ。どうせ死なんし」


それこそサンドバッグを殴ってるような気軽さで拳が振るわれる。

バスケ部で鍛えられた剛腕は、もちろん手加減なんてされてない。


「にしてもあのクソ顧問……なーにが『お前よりニシハラの方が真面目に取り組んでいる』だよ……偉っそうな口きいて俺をレギュラーから下ろしやがって」


声は静かだが内心相当苛立っているらしく、今までと比較しても戸塚の拳は重かった。

……誰だよ、そいつ。僕その顧問やニシハラのことを聞いてもパッと顔が浮かんでこないんだけど。

それぐらい僕とは関わりが無い事柄なんだけど。


「なんでアイツなんだよ……俺よりも下手糞のくせに……あーもう今回の大会ぜってー負けたわ。あーあ。顧問の無能采配のせいでよぉ!」


「うぶっ……!」


一際強くに拳がめり込んだ。

自分の意思と関係なしに口が開いて、胃液とも唾ともつかない液体が口からこぼれた。

吐かれた液体は風に乗って飛び、そのまま戸塚の制服にかかる。


「っ、きっったねぇなお前!!」


顔を歪ませ、怒りに任せ戸塚はそれまで避けていた僕の顔面をモロに狙った。

肉を押し退けながら、手が思い切り頬を殴り抜ける。視界が九十度横を向いて、耳鳴りに似た謎の音が鼓膜に響いた。

二拍ほど遅れてから頬がジンジンと痛み始める。防衛機能の一環なのか、目に勝手に水の膜が張って視界が揺らいだ。今まで殴られたことなんて親からはおろか、本気の喧嘩になった友達からも無かったのに。

だが、戸塚はなんの感慨も抱かずに


「やべ……つい顔を殴っちまったわ。周りには適当に誤魔化しとけよらくじょー」


赤く染まる僕の頬を尻目にプラプラと手を振った。

……仮にも『人を殴る』という行為をしているのに、ここまで何も感じていないように振る舞える戸塚に、今更ながら畏怖のようなものが湧いてきた。……それとも僕が知らないだけで、人を殴るのって案外何も感じず気軽にできることなのだろうか?


「あーあーもう。戸塚はおっちょこちょいだなぁ全く」


「殴り終わったらこの制服のクリーニング代もぶん取っとかなきゃなぁ」


二人してケラケラと嗤うと、不意に戸塚は準備運動するようにその場で何回かジャンプした。

何をするつもりなのかと、そろそろ勝手に閉じ始めてきた目でなんとか確認しようとすると、


「おーーーらっと!」


「ぶ……」


軽く助走をつけてから、戸塚の蹴りが思い切りみぞおちへ打ち込まれた。


痛い。


壁を蹴るような勢いだったというか、『この蹴りによって助骨が折れました』と言われても信じれそうな一撃だった。

内蔵が潰れたような感覚と共に、また胃液らしきものが口から出る。落ちた液体がわずかに赤黒かったのは見なかったことにした。


「……さて、今日はこんぐらいにしといてやるか。まぁまぁスカっとしたし」


「お。お前はもう終わんのか?」


「ああ、さすがにこっちも手痛くなってきたわ。コイツも反応鈍ってきたし。残りのストレスは帰りのゲーセンで発散すっか。あ、一応ボイスレコーダーの類いがねぇかも確認しとくぞ」


パッ、と。

それまで足の代わりに僕を重力から支えていた今宮の手が離れる。考える間もなく、骨組みが無くなった人形のようにドチャリと倒れた。

景色が横を向く。もう四肢に力なんて入らなかった。

倒れたことで、頬や体に地面の温度が伝わってくる。ひんやりとした感覚が熱くなった体を冷やして、場違いながら気持ち良いと思った。

そんな僕を───冷たさを感受するのに夢中でピクリとも動かない僕を前にしても、二人はただ折れた木の枝でも見るように微動だにしない。念のため生きているかどうかを確認することさえ、しない。


まぁ、当然だ。

人間扱いしてもらえるのは人間だけ。彼らにとって僕は人ではない。人の形をしたオモチャだ。

オモチャで遊ぶのに一々壊れるか心配する人はいない。落としても血眼になって駆け寄る人はいない。他にもオモチャがあるなら、一つのオモチャに特別執着する人はいない。


「そんじゃあ後は適当に金取って、ゲーセン行くか」


「あ、おい待ってくれよ戸塚」


「あん?」




「まだオレのストレス発散の分もあんだけど」




オモチャが壊れても、その時はその時だ。





殴られ続ける内に、いつしか意識を失っていたらしい。

次に目が覚めるまで、僕は自分が本気で死んでいたかと思った。()()()()()()()()、ようやくああ僕はまだ生きていたのか、とわかったぐらいだ。

眼球だけ動かして上を見ると、空は既にオレンジ色が引っ込んで暗くなってきていた。確か殴られ始めたのは五時ぐらいでその時はまだ夕焼けが見えていたから……軽く一時間ぐらいは意識を失っていたらしい。

……早く家に帰らないと。確か、今の暗寧高校は六時半が完全下校時間だ。

萎縮した脳でそう弾き出し、僕はうつ伏せから立ち上がろうとした。

瞬間、体の中心から突き抜ける痛みが走った。ゾンビみたいな声にならない声を上げ、四肢が地面につく。

それだけではなく、胃の方から急速に酸性の液体が込み上げてきた。咳が出る前から「あ、出るな」とわかるタイプのものだった。


「げへっげぇぇっっ。うぶっ、うおぇぇぇ……っ」


顔だけを最低限上げて吐く。一度治まっても数回咳き込む度にまた汚い吐瀉物が出てきた。そして吐く度に先ほどの貫くような痛みが体を襲う。

それでも止まらなかった。腹に泥でできた蛇がいてソイツが気ままに蠢いているようというか、胃の中に何かが入ってること自体を胃が拒否しているようだった。

気持ち悪い。痛い。痛い。嫌だ。胃にダメージがあるから吐く。吐くことでより胃にダメージが入る。

新手の拷問でも受けてるような気分だった。数時間も嘔吐し続けてるような気がして、実際には数十秒ほどの時間が過ぎてからようやく落ち着いてきた。

全て出しきったはずなのにまったくスッキリしない腹を必死にさする。顔を上げると、さっきまで吐いていた汚い液体が目に入った。

……気持ち悪いことこの上ないが、この吐瀉物を口に戻せば二回ぐらいうがいができそうな量である。当然ながら臭うし、端っこの方には朝に食べた菓子パンの一部がまだ消化されずに残っていた。

そんなパンと今の自分の姿を交互に見ていると、いつの間にか口が勝手に三日月を作っていた。


「……なんでだよ」


胃酸が通った後のガラガラの喉でポツリと言う。

独り言のつもりなので、返答が来なくても別に構わない。来たところでロクな答えじゃないのはわかりきってるし。

痛む体を無理やり引きずって吐瀉物の海から距離を取ると、僕は寝起きの猫のように緩慢ながらそこで仰向けになった。当社比だが、うつ伏せよりも仰向けの方が疲労回復の割合が高い気がするのだ。髪に土が付いてしまうが今さらどうでも良い。

顔の位置はそのまま、腹に手をやる。まだジンジンと痛むし、戸塚と今宮の拳がめり込んだ感覚がまざまざと思い出せる。

腹部。学校生活において、一番露出の機会が少ない場所。そして個人的に、痛め付けられて一番キツい場所だ。

とりあえず骨が折れてないかだけ確認して、手を元の位置に戻す。

空に意識を集中すると、既にうっすらと月や星が見えていた。その近くを、赤や緑に光った飛行機が通り過ぎていく。きっと中の乗務員からは僕の姿なんて米粒にも見えないに違いない。


「……こんな時でも、お空は綺麗だなぁ」


あはは、と虚空に向けて笑いかける。飛行機を追いかける形で目を動かして行くと、不意に校舎の屋上にある給水塔が見えた。

距離……遠くはないな……。


今の心境なら、飛び降りられるかもしれない。


突発的に行動に移そうと思ったが、その途端に体が痛んで断念した。

ダメだ。体が上手く動かない。死にたいけど痛い。

何を言ってるのか自分でもわからない。だが、死ぬ下準備をするのにも体力はいるものだ。


仕方なく、僕は天然のベッドで六時半ギリギリまで休むことにする。

ふと、何の気なしに制服のポケットに触れてみると、帰りのHRまでは膨らんでいたはずの箇所がしぼんでいた。


「……あれ」


本来そこにあるべきだった物は財布だった。もっと驚くべき場面だったのかもしれないが、もはやわざわざそんなリアクションをするのも億劫である。

首だけを左右に動かすと、少し離れた位置に茶色い財布が開かれた状態で落ちているのが見えた。僕のだ。

亀のようにノロマに這って拾う。

見たくないなぁと思いながらも中身を確認する。やはりというか、中には住んでいたはずの福沢諭吉が一人と、野口英世が数人、あと金色の硬貨も消えていた。あとはくすんだ色の小銭がいくらかあるだけ。今からうまー棒を三本買いにいけば、もう完全に廃村になってしまいそうな有り様だった。


「……はは」


どうにもならなくなると、人は思わず笑ってしまうらしい。最近の僕は笑ってばかりだ。


「……お金だけなら、まだマシか。どうせ今すぐ買いたいものもないし」


文具は兄のお古がある。本も滅多に買わない。

お小遣いをもらったり短期バイトをやってれば、すぐ金は貯まるだろう。

特にウチはちょっとした小金持ちだから、もらえる小遣いは一般的な高校生よりは多い。


だから、まだマシだ。

こないだみたいに、金のついでに定期券や学生証を捨てられたのに比べれば。



そうだ、今日はまだマシなんだ。いつものと比べれば。

戸塚と今宮合わせて三十五発しか殴られなかったし、金しか盗られなかった。

だからまだマシなんだ。今日はいつもより浅い傷で家に帰れるんだ。

あはは。

あははははははは。


「……ざっけんな」


手の平で目を覆う。涙は出なかった。

全てがどうでも良くなり、地面にまた手を下ろした。そのまま不貞寝するような感覚で体を横にし、目を閉じる。

人の目?知るか。完全下校時間?どうでもいい。

ここは戸塚お気に入りの『人目に付かない場所』だ。どうせもう一眠りしてもバレない。




だが眠る直前、僕の脳裏にとある映像が浮かんできた。僕を殴り終えた時の戸塚と今宮の光景だった。


『うーし、オレはこんなもんでいいか。残りはゲーセンで発散するとして……』


『終わったか。んじゃさっさと行こうぜ今宮ー』


壊れたオモチャを見るような目を向けてから、ゆっくりと歩き去っていく二人……。

だがその足取りが不意に止まる。


『あ、そうだらくじょー。お前に新しくやってほしいことがあるんだ。あぶね忘れるとこだった』


振り返り、戸塚が再び僕の元へ歩いてくる。髪を掴まれて無理やり顔を上げさせられた。視界が戸塚の顔で埋められる。


『お前、二組の女に告白しろよ』


視界の外で今宮が吹き出した。


『あの誰だっけ、えーと……そう、二組の清崎ナントカって女子。明日、ソイツに告白してこい。』


ほぼ寝起きみたいな状況で僕は言葉を聞いていた。清崎ナントカ……どこかで聞いたような気がする名前だ。


『おいおい戸塚、それはちょっと可愛そう過ぎじゃねぇ?』


『いいんだよ。こいつなんか最近反応悪ぃし。それに今日、あいつと関わりあるってわかったし』


『それもそうか。まぁ最近殴るのもマンネリ化してきたし、たまにはこういうのもありかもな』


『そーそー。それに見た感じこいつ、清崎の噂知らねぇっぽいし……』


二人は色々喋っていたが、僕としては早く意識を手放したくてほとんど聞いていなかった。



『んじゃ明日セッティングしてやるから、ちゃんと覚えとけよー』



そう言い残して戸塚は今度こそ去り……僕もまた目を閉じた。






───というところで現在の僕が思わず目を開いた。


……今のは、なんだ?

なんかサラっととんでもないことを命令されたような気がする。

顔に殴られていたときとは違う種類の汗が浮かび始める。いつの間にやら、眠気も疲労も全部吹っ飛んでいた。




今のは……疲れた僕の夢か妄想……だよね?


まさか現実にあったことじゃないよね?





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ