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AM 7:32

作者: 宇野 ひらく

深く突き詰めようとは思わないけれど、こんな経験って見逃していたらもったいないのかな、と思ってこの作品を書きました。日常にある景色ってどこかが欠けたら酷く気になってしまう...。自分の体験を起しました。

AM:07:32



雨がパラついている。 


東京都品川区。幹線道路沿いに大中、様々なマンションが立ち並ぶ。

コンビニで買ったコーヒーが底をついた。あと5分。少しばかりの苦みが今の気分を代弁している。

いつもの朝。決まった時間。

いや、自分がひっかかっている時間がやってくる。俺は、かろうじて張り出したコンビニの屋根の下で斜向かいのマンションのゴミの集積場を眺めている。ゴミ袋の大きさは大小様々で、今日は『可燃』の日だ。街道に郡節した花のようである。


職場まで自転車で10分。ここは、その丁度、中間の地点といったところだ。駅から外れているので同僚や会社の人間に遭遇する可能性は極めて低い。いままでこのコンビニで遭遇したこともない。


俺は今日、会社を休んだ。テイの悪い有給消化を前日に申請して。

理由?


彼女が姿をみせなくなって3日。


2年と9カ月。俺の仕事は日祝休みだが、土曜日はそのストリートを足で走る。。


………..それ以外はこの通りを自転車で走る。



AM 7:32


霧のような小雨が舞う。

彼女の姿は現れず。俺は半ばそれを予期していた。そして、今日一日を使って張り込むことにした。黒いyシャツに目深に被った黒いキャップ。その姿をコンビニのウインドウに移ったとき、今の自分の心境そのものだなと解釈した。


                   *



朝の起きぬけ、私の場合AM7:00に起床し、サンルーフでタバコをふかし、コーヒーを飲みタイプを始める。11階建ての賃貸型マンション。1LDKには平積みされた書籍が部屋の中で物言わぬ同居人となって久しい。正直、自分の経済状況は芳しくなく、家賃を遅滞なく納められるのもあと3カ月といったところだろう。

新作が書けない。息詰まりを感じながら退屈を弄んでいる。

そういった類の悩みは、起床して3時間もすれば頭の中の大勢を占めてしまうので、私が『

書きもの』に集中できるのは朝だけといった具合になる。決まった時間にそれをしとめあげる。こらえ性のない私は窮々とした思いを抱えながら近所の立ち飲み屋の開店時間を待つ

とになる。

しかし、昨日で3日。今日で4日目になる。

向かいのマンションは下から数えて18階建のマンション。バルコニーが自分の部屋の向きと反対側である。南向きのベランダなので、それは私の部屋から窺い知ることはできない(結構なことだ)

ピンクとオレンジの中間色のような建物。眼下に目ををやり煙を燻らせる。

   

いつも、きっかりこの時間にゴミをだす女の姿が消えて3日が経過した。今日、姿を現わさねば4日になる。

別段、だからといって日常に支障をきたすワケではないのだが、気になることには違いないのだった。私は、彼女にある憧憬に似た情を感じていた。そして、小説のテーマにすることにしたのだ。確信に満ちたあらすじがある訳ではない。しかし、私の中で彼女への憧憬(それは恋とは少し違う。この世界が現実であるという、ある種の安定した様式美であり、人生のテーマであり欠かすことのできない儀式なのだ。)

欠けてはいけないピース。

彼女がそれを知ったり、理解するとは思わないが。


そして、しばらく通りを眺めていると、普段自転車で通りをかけていくサラリーマンといった、そう、信金の若手といった雰囲気の男がコンビニの前で腕組みして立っている。

目深にキャップを被ってるが、その男がいつも通りを走り抜ける男なのは間違いないだろう。


所在無さげにコンビニの外で時間を潰しているようにもみえる。

何をしているのだろうか?

私服(垢ぬけない様に男の性格が垣間見える気がする)の趣味がいかにも生真面目でシックな印象をきわだたせている。私の主観でしかないけれども。スニーカーはグレーで上下は黒。


それにしても、時間と空間とは不思議なものだな、と煙と呟きが口から零れおちる。

ノートを畳み、髪を結わい、コンビニに行こう。

『信金のお兄ちゃん』に話しかけよう。


『定期積立を考えているんだがね…』


文無しがそれを言うのを想像して少し笑った。

        

           *


ヒタヒタを滴る雨は四角に刈り込まれた灌木を満遍なく濡らしている。自分が学生だったころ、造園業のバイトをしていたころがあった。街道沿いの灌木の-刈り込みや、大学キャンパスの芝刈りなんかをやった。あのころは、炎天直下で肌を焦がしながら2サイクルのオイルとガソリンを混ぜて、ポンポンと音を立てる器具を扱うのが楽しかった。

今じゃ考えられない思い出。ここ最近、長い季節となり果てた夏が暑いといっても、今の俺は学生ではなく、職場は空調の整った環境での仕事だ。社内常駐のインフラ周りの整備と情報処理と制作進行。主に、半導体の製造装置を主力商品とした国内のリペアセンターに勤めている。

じっさいのところ、なんの文句もないが、自分が抜けてもその欠員は半日で埋まるといった仕事なので少し、心が傾くことがある。すぐに、自分が特段、成果や自信につながるような努力をしてこなかったと打ち消してしまうのだけど。


こんな具合に、ボーッと道端に立っていると、レインコートを着た男や、赤いドットの入った傘をさした女性、サングラスをした初老の男性がテンポよくジョギングをしている様が目に入る。

きっと、この人たちも日常のルーチンがあってそれぞれの生活を送っているのだろう。と考える。


AM7:45


彼女は現れない。もう13分が過ぎようとしている。

ため息が漏れる。想像力が生来あまり豊かでないと思っている自分でも、彼女がどんな状況にあるのかに関しては水量の多い川のように、推測と邪推じみたパラレルが滾々と満ち、河口に向けて流れていく。


引っ越し、したのかな…

 

ありえそうな可能性が、頭に浮かんでは消えていく。堂々巡りをしばらく繰り返していると、背後から、見知らぬ男に声をかけられた。


『もし。えーっと。あなた何年か前に家に出入りしていた●●信金のかたじゃないですか?』


?ただでさえ非日常の行動をとって不安を感じているのに、この老人はいったいなんだ?

自分が挙動不審にみえるのだろうか?


『どなたか知りませんが、人違いですよ』

初老にみえる男は首を傾げるが、視線のその先は俺を見ていない。

その視線の先にあるのは…ゴミの集積所。しかも彼女の。


『うん、いやね…君に声をかけたのには理由があるんだ。この通りをいつも眺めているとね、そのねえ、気にかかることもあるものなんだよ。うん』


怪しまれないように受け答えをしよう。まだこの老人が何を指しているのか目的がわからない。こちらの目的を悟られるわけにもいかない。普通…ではないことなのはぼんやりと自覚はしているつもりなんだ。


俺は老人を無視してスマホに目をやる。畜生。時間だけが過ぎていく…

しかし今日は、一日張り込んでみようと心に誓ったのだ。


『な、兄さん。もしかして向かいのゴミ置き場に決まった時間に捨てに来る、女性のことを気にしているんだろう?7時32分…今日も姿を見せなかったね』


思わず、心臓が口から飛び出しそうになる。慎重に受け答えしよう。この老人は俺の何を知っているというのか?


『なんのことだか…僕はここでコーヒーを飲んで…待ち合わせしているんですよ。人と』


にんまりと頷き、俺の表情を楽しむかのように老人は喋る。別段、こちらを警戒しているようでもないらしい、が余りにもこちらの目的が胡散臭く捉われることを警戒して、こちらから喋ることは躊躇われた。しかし…


『もしかしたら、その人は僕の待ち人かも知れません。えぇ、あなたの推測は当たっていますよ。多分ね』


何かヒントや手がかりを掴むことはできないのか?はぐらかしつつも核心を得たい。


『いやさね、ところであなた、タバコもってないかね』

『すみません。僕は吸わないので』

『そうかね。いやあ、気にせんで』

なんで俺が気にする必要があるのだ。厚顔なことだ。


まったく…いったん引き揚げるか?

とにかくこの老人と話すのはしんどい。煙たいという言葉が丁度いい具合に頭に浮かぶ。


『友人から連絡がきたようなので…失礼します』

『そうかね。…今日は木曜日だね。明日は不燃ゴミの日だ。今夜…21:56に彼女が現れるかもしれないね』


『そうですか』

しまった。そうですか、はないだろう。


爺さんの目は俺の目を覗きこんで満足そうに頷いた。


『君、もう一杯、珈琲でもどうかね。』


今度は俺が頷く番だった。架空の友人はどこかの世界で待ちぼうけ。

ちょうど今さっきまでの俺みたいに。




くもり空のせいか、廊下全てが灰色にみえる。老人のマンションの回廊は中庭を中心に囲うように玄関が繋がっている。子供用だろう。黄色い傘が誰かの玄関先で開いている。その傘を避けるように俺は老人のあとをついていく。


複雑な回廊の中を行く。建屋には中庭があり霧雨と溶け合った新緑は綺麗なものだった。

俺は、4階建ての雑居ビルをリノベートした2階部分に住んでいるので、隣部屋のない環境に住んでいる。それまでは親元に住んでいたので、数少ない友人のマンションしか思い出せる要素がない。つまり、この構造物はとても新鮮だったのだ。

緊張のせいもあっただろう。普段、通り過ぎる景色の数メートル内側の世界はこうなっているのかと考えると、俺の前を歩く老人の背中は自重を感じさせないような軽やかな足取りにみえる。

後日友人にありのまま話したら


『お前って意外に感動症なのな…な、最近何で泣いた?』

ゴボゴボと煙を蒸かしながら。シューティングゲームをやりながら茶々を入れられる羽目になったんだ。

『で、その女は可愛いのか?』

俺は適当にはぐらかすことにした。

『いいもんだよ、都会は…』


爺さんが珈琲を淹れてくれる間、どことなく居心地のいい部屋で俺は年季の入ったスツールに腰掛けていた。複雑な本棚だな….

それは、目ねじなどを一切使っていない木材の組み合わせだけで組まれた棚だった。壁面を3面埋め尽くす本棚と、キャスタの付いた四面体の本棚が部屋に聳え立っている。小型の図書館といったように見える。不躾に手に取る訳にも…と考えながら記号のような背表紙を眺めていた。


『お兄さん、私、一応ね…文筆を生業にしているの。』

『お名前…あ、俺、いや私は kと言います。よろしかったらお名前を教えていただけませんか?』

『f。名前か…私らが名前を交換することにあまり意味などないように思うがね…訊かれたから応えるがね。偽名かもしれないよ』


f老人は珈琲カップに注ぎながら目も合わせずに呟く。珈琲のふくよかな香りが一気に空間を染めていく。


『で、kさんだっけ。その女性がもし、明日、いや5分後でもいい。現れたらやはり名前を尋ねるのかね?』

『…尋ねないと思います。』

『それはどうして?』

『私の通勤路…いや、どうしてだろう…何かそういったことでもないような…すれ違うだけでいいというか…』

『同意見だよ。私も尋ねない。それは、この関係性に満足しているからだと思うがね。折角淹れたんだ。どうぞ、飲んでくださいな。あなたはどうも遠慮がちなのかな?私は少し冷めてから口をつけるタチでね』


キャップを被ったままだからか、立ち上る湯気が目の前に立ちこめる。

じっとりと後頭部に汗をかいていることに気付く。

この緊張をほだす匂い。

熱い珈琲は少し酸味が強く感じられた。


『おいしいです』


『素直なんね』

『実は凄く緊張しています』


『私もだよ。人間同士の初対面なんてそんなものだと思うがね』


無言で珈琲をすする。あっと言う間に飲み干してしまった。

カップに注いでいた視界から目をあげると、窓の外はいつのまにか晴れていた。

あのあたりは大崎だろう。陽光を反射したビルに虹がかかったかのようだ。


『あんた、彼女は既婚者だと思うかね?』


『そうだろうなって気はします』

『何故かね』

『…すみません。…ただの願望です…』


老人は笑った。


『それが楽しいんじゃないか。私は独り身だと思うよ。』

疑問。

『fさんは、実はご存じなんじゃないですか?』

老人は手のひらをクルクルと回す。


『それじゃ、面白くもなんともないでしょーに、だったらあんたに声をかけたりせんよ』


俺はトボケているのかわからない老人との問答に言いようのない新しい好奇が頭をもたげてくるのを感じていた。


『彼女はどうしてここ数日、姿を現さないのでしょう?』

『私に振る前に、あんたはどうしてだと思っているの』

『そうですね…旅行、病気、引っ越し…いや、どれも違うでしょうね。想像してあたるような気がしないです』

『引っ越しじゃないよ。おそらく。私はタバコを吸うときは、ほら、あそこのサンルーフでやるんだ。だから向かいのマンションをちょこちょこみてるんだ。そんな気配は感じなかったね』

しばらく黙りこくってしまった。


『あの…もう一杯、珈琲をいただいてもいいですか?』


『ああ、気がつかんかった。今淹れてくるよ。』


f老人はキッチンへ消えていく。

妙な気分だ、それにしても。誰とも知らない人間と誰ともわからない女の話をしている。

ふいに、下世話なんじゃないか、こんなこと。と心が訴えてくる。

しかし、同時に反発する心。

いいじゃないか?誰に迷惑がかかるわけでもない。


スツールに腰掛けてなんとなしに、目の前にある本を手に取った。

グレッグ.ベア『永劫』

パラパラめくってみる。擦れたカバーの文庫本。

小説なのだろう。タイムパラドックスなのか?


『おや、興味あるのかい?』

f老人がカップを二つ持って後ろから声をかけてくる。

『いや…凄い量の蔵書ですね』

『暇なのさ…少し自分の想像の背中を押してくれるやつだよ,。kさんは趣味って何かね』

俺は言葉に詰まった。頭に浮かんだどれもが違うように感じられた。


『天気がいい時が趣味です』

f老人がぽかんと口を開ける。そして笑った。


『そりゃ素晴らしい。いやいや、私も晴れた日は好きだよ。気が合うじゃないの』


しばらく、二人で外を眺めていた。ストリートには人や車の流れがあり、それは俺の知らない時間のこの通りの景色があった。俺の眼は通り向かいのゴミ集積所に収まった。

f老人は何も言わず、ただサンルーフの窓を開けてタバコを取り出した。

『すまんね。習慣でね。』

ポケットからライターを取り出し、火を着ける。

うまそうに、吹かすもんだ。

煙を吐き出したとき、一瞬、歯を食いしばったような表情をみせる。ヤニなのだろう。歯が黄色い。人生のキャリアを感じる一瞬のリアリティだった。


俺は今でもその老人の歯を思い出す。



今、原稿を書きながら、珈琲を啜る。

結局、彼女はその後も姿を現さなかったのだ。


品川区役所に用事があって庁舎を訪れた日。


(AM07:32)


庁舎の一角にジオラマが展示してあった。

俺は息を飲んだ。

そこには自転車を漕いでいる俺とサンルーフで珈琲を飲んでいる老人、そしてゴミを出す彼女の姿があった。


作者の名前は…いや、いいか。


ノートブックを畳む。

そして、俺は自転車に乗りいつもの通り、いつもの時間に街を通り過ぎる。

俺の生活は変わらない。何かを失ったわけじゃない。


朝日が眩しかった。それがなによりも嬉しかった。













特にありませーん!明日、晴れますように!

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