34. これからのこと(1)
アトリに体の洗い方を口で教えてから、俺たちはようやく服を脱いで体を洗い始めた。
俺が体を洗ってやることを考えなかったわけではないが、やれば確実に理性が飛ぶ自信があったので、さすがにやめておいた。
それぞれ小さな桶に水を汲み、互いに背中を向けて布で汚れを落とす。
桶の水はぬるく、体を洗うのにはほどよい温度だ。
とはいえ、ここには石鹸もないし、森を強行軍で抜けたせいもあって、汚れはしっかりこびりついてしまっている。完全に落とすのにはなかなか難儀しそうだった。
アトリも最初はぎこちなく体を洗っているようだったが、ちょっとずつコツを掴んできたのか、布がこすれる音がスムーズになってきた。
「んっ……ふぅ…………痛っ……」
…………背中越しに聞こえてくる艶めかしい声に、体の一部が反応してしまいそうになる。
だが、今はそんなことに気を取られている状況じゃない。
俺はありったけの自制心をかき集めて、話を切り出した。
「それで、これからどうする?」
シンプルな質問だったが、アトリには意味が伝わったはずだった。
今まで、俺たちは森を抜け出して街にたどり着くことを最優先に行動してきた。
その目標を達成したところで、俺たちはようやく『即全滅の危機』から脱した……ように思える。
だが、まだ状況はひどく不安定だ。
ラグナルはなにを考えてるかわからないし、ミーシャやクーファが『虚無の因子』にどういう感情を抱いてるかもわからない。
仮に連中に受け入れられたとしても、他の住民たちには? 帝国の権力者たちに存在を知られたら?
即死亡に繋がる状況ではなくなったとはいえ、現状はいまだ薄氷を踏むように危うい。
しっかりと指針を立てて行動しなければ、どこかのタイミングで氷を踏み抜くハメになるだろう。
アトリはしばし熟考してから、落ち着いた声で返答してくる。
「そうですね。ひとつ言えるのは……しばらくはここに滞在することになる、ということでしょうか」
「どうしてそう思う?」
「先程も言いましたが、ラグナルさんはわざわざ、わたしたちに自分の正体を明かすように仕向けました。もちろん、ラグナルさんはそのことを漏らすつもりはないのだと思いますが……同時に『彼の望み通りに動かなければ、いつでもわたしたちの正体をバラされる恐れがある』とも言えます」
「まぁそうだな」
実際、それを恐れて俺は正体を隠そうとしてたんだしな。
「たぶんですが、ラグナルさんにはなんらかの思惑があって、わたしたちの力を借りたいのだと思います。このタイミングでわたしたちに相談する時間を与えたのも、わたしたち二人の納得の元で協力を得たいからなのだと思います」
「そんな面倒事に付き合うくらいなら、今すぐ逃げ出したほうがいいんじゃないか?」
「身体能力に優れた獣人の居住区を、地の利もないわたしたちが逃げ切れると思いますか?」
「…………確かに無理筋だな」
逃げるにしても、ある程度の逃走計画とタイミングが必要になるわけだから、必然的にここに滞在する期間が長くなる……というわけか。
やはりアトリは頭の回転が速い。世間知らずで驚かされることもあるが、こういうところは非常に頼もしかった。
「そんじゃ、基本方針は――
一。しばらくここに滞在し、ラグナルたちが本当に『虚無の因子』を害する気がないのかを見極める。
二。いざという時の逃走計画を用意しておき、いつでも実行できる状態にしておく。
と、こんな感じか?」
「そうですね。付け加えるなら――
三。獣人居住区の人となるべく親交を深め、いざという時に誰か味方についてくれるようにする。
四。逃走や予期せぬ戦闘に備えて、体力や戦闘技術を磨いておく。
の二つでしょうか。…………まぁ、体力については主にわたしの課題なんですが」
苦笑交じりにアトリが言うが、俺はその前のところで引っかかっていた。
「待て。戦闘技術を磨くのはわかるが、どうして連中と馴れ合う必要がある?」
「色々理由はありますが……ラグナルさんが『虚無の因子』に対して中立の場合、味方につけられるならつけておきたいからです。それがダメでも……ミーシャさんやクーファさんなら味方につけられるかもしれません。逃走する時に手引してくれる味方がいたほうが、遥かに事は容易になります」
「本当に味方になってくれるなら、だがな……」
そのあたり、俺はあまり期待をしていなかった。
裏切るかもわからんやつに、下手に期待を抱いても痛い目を見るだけだ。最初から当てにしないほうが合理的だろう。
俺の考えを読んだのか、アトリは小さく嘆息したようだった。
「セツナがなにを考えているかはわかります。ですが、味方を作るというのは重要なことですよ? 今後どこに逃げるにしても、信頼できる味方がいるのといないのとでは行動の幅が違ってきます。今回だって、ミーシャさんたちが泊めてくれなければ手詰まりだったかもしれないでしょう?」
「それはそうなんだが……」
「第一、わたしが『虚無の因子』なせいで足を引っ張っているだけで、勇者であるセツナなら味方を作るのは簡単なはずです。生存確率を上げるためにも、セツナにはきっちりこの仕事をこなしていただきますからね」
アトリはどこか面白がるような口調で言いやがった。
…………しかし、理屈はわかるがどうも胡散臭いな。
勇者のほうが味方を作りやすいってのは確かだが、人当たりのよさで言えばアトリのほうが遥かに上だ。
元の世界でもまともに友人なんて作れた試しがないし、正直味方を作るなんて荷が重いんだが……
「……その仕事、お前に任せちゃダメか?」
「ダメです」
速攻で却下された。
「というか、わたしじゃ無理だと思いますよ? 『虚無の因子』で王族だなんて、親しくなるとかいう以前に、普通の人はどう接したらいいかわからないものです。ぼっち経験の長いわたしが言うんですから、間違いありません」
…………そういや、アトリもぼっちだったな。
しかし、世界でも屈指のぼっちどもが味方を作ろうだなんて、無茶が過ぎるな。
「まぁ、やれるだけやってみるさ」
「お願いします」
アトリがなぜか嬉しそうに返事をするのとは逆に、俺は重い気分で嘆息した。




