20. 活路
幻覚の『闇魔法』が解けると、ドッペルゲンガーは目の前に立っていた。
相変わらずマイラの姿を取ったまま、やつは驚いたように目を丸くしている。
だがすぐに我に返って俺から距離を取ると、アトリが倒れているところまでバックステップで後退した。
「まさか、ボクの幻術をこんな短時間でやぶるとはね。どうやら、勇者ってのは伊達じゃないみたいだ」
「……はっ。お前の術がショボかっただけだろ」
俺は全身の鈍痛に耐えながら、悪態で応じた。
幻覚の中で親父に殴られている時、実際にドッペルゲンガーに殴られていたのだろう。身体中に打ち身ができているし、口の中は切れて血が出ているようだ。
だがこの程度、長年親父の暴力に晒されてきた俺からすれば、耐えられないレベルではない。
問題なのはーーマイラの得物だった剣鉈の双剣が、やつに奪い取られていることだった。
俺に剣鉈が使いこなせたかは怪しいところだが、みすみすリーチの長い武器を取られたのは痛い。
痛みをこらえる振りをして、自分の身体に手を這わせる。よほど舐められているのか、ナイフまでは奪われていなかったようだ。
俺に残されている武器は、ゴブリンからくすねた錆びたナイフが二本と、俺が日本から持ってきたナイフが一本。
その内、日本から持ってきたナイフについてはまだマイラには見せていない。切り札にするならこれだろう。
俺が錆びたナイフを両手に構えると、ドッペルゲンガーはにやにやしながら剣鉈を抜いた。
「まぁ確かに、ボクの幻術はそれほどじゃないけどね。でも、君を殺すくらい幻術なしでも余裕だよ?」
「そりゃどうかな」
「もしかして、ボクに勝てるとでも思ってるのかい? そんなチンケな得物で?」
「お前こそ、いつまで女の姿で戦う気なんだ?」
露骨に嘲弄を込めて言うと、ドッペルゲンガーはむっとしたように黙り込んだ。
畳みかけるように俺は続ける。
「お前は『喰った』やつの能力を擬態できるはずなのに、まともな戦闘じゃずっとマイラの姿のままだった。それはつまり……お前はまだ、マイラ以上に強いやつを『喰った』ことがないってことだ」
「だったら、どうだって言うんだい?」
「正直言って、マイラの能力はそれほどずば抜けてるわけでもねえ。俺にだって十分勝機はあると思うぜ」
「大した自信じゃないか。でもね、こっちは君のスキルなんて見通しなんだよ。幻術の核を壊して出てきたくらいだ。『魔力感知』でボクの核も探し出せると思ってるんだろう?」
図星を指されるが、俺はまったく表情を変えずに受け流す。
が、やつはこちらの反応などお構いなしに、嘲弄を続ける。
「仮に探し出せたとして、奇襲しかできない君にボクを殺せるのかい? 君を殺す方法なんて、ボクは百通りも思いつくんだよ?」
「想像するだけなら誰にだってできるぜ」
「言われるまでもない。これから実践してあげるよ」
互いに得物を構え、じりじりとすり足で間合いを詰める。
剣鉈とナイフとでは、間合いの点で圧倒的にこちらが不利だ。その上、単純な戦闘技術ではあちらのほうが上と来てる。口ではああ言ったものの、まともにやり合えばこちらの敗北は必至だろう。
森を移動していた時の様子を思い起こす限り、相手はそうそう疲弊したりはしない。戦いが長引けば長引くほど、こちらが不利になっていくだろう。
ーーならば、一瞬で勝負をつけるまでだ。
『俊敏』で加速し、ドッペルゲンガーに向かって一気に間合いを詰める。
当然、やつは即座に反応してくる。俺の進行方向に剣鉈を突き出しつつ、もう片方の剣鉈を油断なく構える。
真っ直ぐ進めば串刺しだし、左右に避ければ即座にもう一方の剣鉈が襲いかかってくる。
俺の攻撃の対処法など、本当に何通りも想定済みなのだろう。
なら、それを上回ってやるだけのことだ。
俺は全身の勢いを殺さないまま、ナイフを敵の顔面に投擲する。
『狙撃』スキルによって放たれたナイフは、俺よりも速く、敵の眉間に向かって真っ直ぐ突き進む。
俺の『魔力感知』が正しければ、ドッペルゲンガーの核があるはずの場所へと。
ドッペルゲンガーはぎょっとした様子で反射的に首をねじり、投擲されたナイフをぎりぎりのところでかわす。
だが無理な体勢で回避したため、やつの身体は明らかにバランスを欠いている。
俺は低く腰をかがめながら、弾丸のようにドッペルゲンガーに突き進む。
突き出された剣鉈の下を抜けて敵の懐へ飛び込み、左手のナイフを敵の顔面に叩き込む!
迫りくるナイフを見てーーやつは嗤った。
ーー不意に。
足元がぐらついた。
前進した勢いのまま身体が右に傾きかけ、俺は思わず自分の左半身を見下ろした。
そこに、左腕はなかった。
左腕は肘のあたりで切り落とされ、ナイフを持ったままの左手は地面に転がっている。
断面からは血が溢れ、燃えるような痛みが傷口から這い上がってくる。
「うわああああああァーーーーッ!」
絶叫する。
痛みを堪えきれずにのたうち回り、無様に泣き叫ぶ。
そんな俺を見下ろしながら、やつは楽しそうに嗤っていた。
「ハッ! あれだけ大口を叩いておいて、所詮はその程度じゃないか。勇者のくせに、まったく情けないなぁ!」
「う、ぐぅぅ……」
俺は苦鳴を漏らしながら、芋虫のように地面を這って敵から距離を取ろうともがく。
その惨めなさまを楽しむように、ドッペルゲンガーはにやにや笑いながらこちらを見下ろしていた。
「そんな状態でボクから逃げられると思っているのかい? まぁボクとしても、本当は君を殺しちゃいけない立場なんだけど……さっき、あんなにコケにされちゃったからねぇ? 事故でやりすぎちゃっても、誰も文句は言われないと思うんだよねぇ」
「…………か……は……っ」
「んー? なんだって? よく聞こえないなぁ? 命乞いなら、もっとはっきり言ってくれないと困るよ」
痛みで荒くなる呼吸を整えてから、俺は口を開く。
「ーーーーバカか、お前は」
言って。
俺は『俊敏』で地面を蹴った。
数メートル先に横たわるアトリに近づき、その首に右手を添える。
ーーやつは勘違いしていたようだが、俺の勝利条件は『ドッペルゲンガーを倒すこと』ではない。
アトリを魔物どもに手に渡さなければ、俺の勝ちなのだ。
麻痺毒に侵されたアトリと視線が絡む。
彼女は痛ましそうに俺の左腕を見てから、口の端だけを動かして笑った。
悔しいが……彼女もとっくに、自分の死を受け入れている。
片腕が切り飛ばされたくらいでは、アトリを殺すのには何の支障もない。
アトリの命は失われるが、彼女の尊厳は守ることができる。アトリ自身も、魔物どもの人体実験の道具になり果てるのを望んではいない。
それにーー俺もこの傷だ。そう間を置かずに死ぬことになるだろう。
魔物どもに連れ去られるよりも、数日だけだが心を通わせた人間と共に死ねるほうが、きっと幸せに違いない。
「ーーっ、させるかァ!」
ドッペルゲンガーもようやく状況を理解したらしい。
やつからすれば、アトリは自身の生命線でもある。
ここでアトリが殺されれば、それはドッペルゲンガーの失態だ。
仲間のもとに戻れば容赦なく処断されるだろうし、仲間のもとを離れるとしても追手を差し向けられることになる。
つまり、身の破滅だ。
ーーだからこそ、やつは判断を誤った。
ドッペルゲンガーは剣鉈を手放し、両腕を軟体化させて鞭のように伸ばしてくる。
おそらく、最速で俺に攻撃を加える方法を一瞬で検討し、実行してきたのだろう。
だが、遅すぎる。
俺はアトリの首を指で軽く押した。
アトリの身体がびくんと大きく跳ねる。
そしてーー何事もなかったかのように、彼女の身体は一切動かなくなった。
呼吸もなく、脈もない。
まばたきしなくなった彼女のまぶたを、俺は右手でそっと閉じた。
「あぁぁぁぁァァァっーー!!」
狂ったような叫びとともに、駆け寄ってきたドッペルゲンガーが俺の頬を殴り飛ばした。
倒れた俺の上に馬乗りになり、何度も何度も拳を叩きつけてくる。
「クソっ! クソっ! クソっ!! ふざけるなよっ! お前みたいなザコのせいで、こんな……っ! ありえないだろっ!」
「はは……ざまあみろってんだ……」
「畜生っ!! ボクはもうおしまいだっ!!」
「…………あぁ、そうだな」
言いながら。
ずぶり、と。
俺は懐から引き抜いた最後のナイフで、やつの顔面を貫いた。
ドッペルゲンガーは呆気にとられた顔をするが、同時にようやく理解したようだった。
真っ向から勝負を挑んだのは、芝居。
腕を切られて泣き叫んだのも、芝居。
それにーーアトリを殺してみせたのも、芝居。
すべて、この瞬間に繋げるための布石だったのだ。
核を砕かれたドッペルゲンガーは人間の形を失い、あとには醜い肉塊だけが残される。
……こんなものがマイラの姿を取っていたのだと思うと、むしょうにやり切れない気持ちになるな。
俺は萎えかけた気力を振り絞り、アトリのもとに歩み寄る。
ちょうどアトリの身体が大きく跳ね、息を吹き返し始めたところだ。
咳き込みすぎて口の端からよだれがたれているが、呼吸も脈も復活している。
『超暗殺術』の派生スキル『暗殺拳』によって、俺にはどこにどう触れれば相手を殺せるのか大体わかる。
それを少しだけ応用して、アトリを一時的に仮死状態にしたのだ。
ドッペルゲンガーは感情的を優先して動くことが多く、抵抗できない相手をいたぶる癖もあった。
アトリが死んだと誤解すれば、俺をいたぶって隙ができるだろうと踏んだのだが……ここまでうまくハマるとは、我ながら上出来だ。
あとは、この左腕を止血しなきゃいけないが…………さすがに、体力の限界だな……
視界が暗くなるのに抗うすべもなくーー俺は意識を手放した。




