風の終息点
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
「子供は風の子、元気な子。ゆえに外で遊びなさい」
これ、半ば親が体よく子供を外に追い出すための、言い訳と化している気がするの、俺だけだろうか?
純粋に子供の健康を願う時もあれば、邪魔だったり目障りだったりする子供を追い出す口実に使う。そんで外から帰ってきたら、インフルエンザなりコロナウイルスなりをもらってきたりしてね……まさに「子供は風邪の子」だ。
体調不良は、なんとしても避けたい異状。だが、それもひょっとしたら意外な使い道があるかもしれない。
そう考えさせてくれた体験があるんだが、その時の話、聞いてみないか?
小学校にあがったばかりの俺は、ちょっとしたことでよく体調を崩した。熱が出る、立ちくらみがするなんてしょっちゅうで、下痢や吐き気もひどい。一年でマスクの世話にならない日なぞ、数えるほどしかない。
生活リズムを整えて、薬を飲んでもさほど効果なし。病院にいっても風邪の診断しか下されず、それでいて処方箋は役に立たないと来た。当時の俺にかかれば、どんな名医もヤブ医者のレッテルをはられる。
いつも元気いっぱいで走り回れるみんながうらやましかったなあ。貴重な、調子のいい日はあったけど、「そういう時こそ安静にしてなさい」って親がうるさくってさ。本気になることに、自然とブレーキをかけちまう。
まだまだいけるのに……と、俺は不満タラタラだったねえ。そのぶん、いったん体調を崩すと体も心もしんどい。調子のいい日がものすごくありがたく感じる。
ちゃんと力をセーブすれば、こんな思いをすることもなくなるんだろうか。ぼんやり考えつつも目の前の熱さ、気持ち悪さと戦うのでせいいっぱいだった。
そして年末。俺んちにばあちゃんがやってきた。いつもならゴールデンウィークとかの長期休暇にもくるんだが、今年は外せない用事が重なったらしい。おおみそかの日の訪問が、その年最初の訪問だった。
俺はその日もマスクをつけて、布団にくるまりながら過ごしていたよ。「ほこりにやられるといけない」って、大掃除も手伝わせてもらえなかった。
見舞いで部屋にきてくれたばあちゃんは、俺のおでこと自分のおでこに、それぞれ手を当てて熱を測る。何秒かじっとそうしてから、ばあちゃんはこう告げたよ。
「身体が悪いの、どうにかしたくないかい?」てね。
今までどんな医者や薬に頼っても効果が出なかったんだ。俺は「もちろん」と即答したよ。そしたらばあちゃんは、少し妙なアドバイスをしてくれたんだ。
三が日が明けてより、小正月が終わるまでの10日あまりの間。外へ出て、もしも追い風に吹かれることがあれば、それに押されるままに歩いて行け。
途中で向きが変わるのならば、それは「楽」の導き手。素直に従えば、やがて風の終息点にたどり着く。そこへ行ければ、きっと治るとな。
半信半疑の俺だが、年始は親のすすめもあって、ほとんど家の中で過ごした。外を出歩けたのは8日。新学期の始まりの日だ。
午前中には学校が終わったが、校門を出ると早くも足元が怪しくなってくる。視界が気持ちグルグルし出し、足を止めたら止めたで、そのまま倒れちまうかもしれなかった。
こんな時は、たいていバス停のベンチとかで休ませてもらうんだが、まだ距離は200メートル以上ある。「どうにかもつなり、回復するなりしてくれよ」と祈りながら、一歩一歩ゆっくり足を運んでいた。
不意に背中が押され、一気に足取りが軽くなる。
追い風だ。ランドセル越しにも、びんびんと寒気が突き抜けてくる。汗をかきはじめた時のように、背中の毛がぞわぞわと逆立ちそうな感覚が襲ってきた。
奇しくも、俺のふらつきを抑えてくれるほどに強い風。それに吹かれるまま、どんどん前へ進むも、交差点にさしかかったところで風向きが変わる。強さを変えないまま、今度は右から左への横なぐりだ。
ふとばあちゃんの話を思い出す。これが本当に「楽」の導き手なら、試してみる価値はある。俺は通学路を外れ、風のご機嫌のままに運ばれていった。
俺は愚直なほど、風の指示に従っていく。坂をのぼり、小川にかかる橋を渡って、他人様の家の畑や敷地を横断すること数回。幸いにも、見とがめてくる人はいない。
そうしてたどり着いたのは、最近一軒家が新しく建ち始めた住宅地の一角。路地の行き止まりだった。
不思議な場所だったよ。そこではな、風が色づいて見えるんだ。
それぞれの家と家の間。塀と塀の間。果てにはガレージから頭を出している車の下から、赤、黄、黒色とさまざまな色の風が吹き抜けてきて、道路の真ん中に集まる。
それらの色がすべて混ぜ込まれて、竜巻になっていた。俺よりちょっと背が高い、紫がかった小さいものだったけどな。
ミシンにかけた糸が、逆回しになっているかのように風を巻き取っていくその渦。俺の両脇を通る緑色の風も、例外なく絡められていった。振り返ると、俺に触れるまでの風は青色で、触れてから緑色へと変わっているのが分かったよ。
気がつくと、俺はもうふらつきを感じなくなっていた。あいかわらず風になでられるたび、その涼しさにふるえるが、それが今は心地よく感じる。
――熱と一緒に、悪いものがどんどん運び去られているんだ。
そう直感したね。
しばらくすると、渦はその場にとどまったものの、風はすっかり止んでしまう。
音もなく回り続ける極小の竜巻。興味はあったけど、これには俺の具合を悪くしたものが入っている。そう思うと、触れるのははばかられた。
身体はしゃっきり。気分は爽快。俺は思わず渦にお礼をいって、るんるんスキップしながらその日は家へ帰ったよ。
翌日以降も、俺の調子が悪くなる帰り際に、あの風は忘れず吹いてきた。休むよりずっと心地よくなれるその風を、俺は歓迎していたよ。背中を押す寒気も、ほてることが多い身体にとってはありがたい。
連れてかれるのはいつもの行き止まりだが、不思議と風に押されてこない限り、あの竜巻は見られなかったよ。身体からつらいものが抜けていく、あの心地よさも感じない。
ばあちゃんは三が日が明けてから、小正月の間といっていた。もし話の通りなら、次の月曜日でこの体験も終わりかもしれない。俺は風を受けながらも胸を張って、渦の許す限りこの時間を味わおうとしていたよ。
そして小正月の終わる16日の夕方。学校帰りに襲われる立ちくらみと、それを見逃さない追い風に、俺はまたも終息点へ運ばれる。
渦はこの10日あまりで、だいぶ大きくなった。今は周りの家の半分ほどの背丈になり、その身も黒を主体に、ときどき一部に黄色や赤色が混じるなど、毒虫を思わせる彩りをつけはじめている。
――そりゃ、俺からも不調をあんだけとったんだ。他の風も同じだったら、これくらいになんべえよ。
俺は全然怖がらない。むしろ当たり前のようにとらえていた。
今日の気持ちよさは格別だ。がまんにがまんを重ねて、危機一髪でトイレに駆け込み、発射し始めた時と同じくらい。実際に漏らしはしなかったけどな。
その快感も最後と思うと、目をつむって身体を委ねたかったが、今日の渦は様子が違った。
これまで片時も地面を離れなかった渦が、ふっと浮いた。びゅんびゅんごまのように猛烈に回る勢いを増すと、ぱっと近くにあった家の一軒。その二階の窓へ飛び込んでいったんだ。
レースのカーテンが引いてあったけど、渦は窓を割らず、カーテンもそよがさず、すっぽり部屋の中へ隠れてしまう。
ほどなくして、今度はその窓から飛び出してくるものがあった。
渦状じゃない。四本足だ。身体を真っ黒に染めたそれは、先ほどまで渦があった場所に着地する。音ひとつ立てることなくだ。
それは四つん這いの老婆だった。タールにまみれたかのような黒い身体の中で、頭には束となった白髪がしがみつき、落ちくぼんだ眼でじろじろと周囲を見回す。
とっさに動けない俺を、確かにこいつは凝視した。でも襲い掛かってくる様子は見せず、そのままかさこそと、行き止まりの塀をクモのように這い上って、向こう側へ消えちまったよ。そして渦のほうも、入り込んだまま出てくることはなかったんだ。
それからは風に追われても、途中で向きが変わることはなく、あの行き止まりで渦を見ることもなくなった。
俺が不調になる頻度も、がくんと低くなる。親は最初心配していたが、それを跳ね返すほど元気に動き回り続けたおかげで、今は全く制限がない。
それからは健康優良児として過ごした俺だが、何年もしてとある話を耳にする。
あの日、渦が飛び込んでいった家だが、実は長年寝たきりのばあさんがいたらしい。施設には入りたくないと、それなりの時間、家族の世話になっていたとか。
それがある時を境に、急激に回復。今も病気を患うことなく過ごしているんだ。
風の終息点は、同じく風邪の終息点でもあったのだろう。
毒をもって毒を制す。俺を含む、多くのものから集めた風邪たちが、しぶとく居座っていたばあさんの不調を、追い出していった。
俺はそんな風に考えているんだ。