美しき鬼
鋭い弧を描いた月の昇る
それはそれは
深い夜
雨のような桜吹雪が舞い落ちる中に彼女はいた
月明かりに照らされた彼女の周囲には異形の者達が取り囲み
今か
今か
っと彼女の命の灯を消そうとしていた
しかし
この状況でも彼女の口角は上がり
不敵な――
いや
完全無敵な笑みを浮かべていたのだった
彼女が大地に突き立てた金棒は
身の丈を超え
無骨な茨に似た棘は
血を欲していた
異形の者達の開いた口からは
涙のように滴り落ちる唾液が地面に落ちていた
彼らは恐れを抱きながらも彼女を喰い尽くそうと時を待っていた
が
腹の虫は収まることを知らず
満たされぬ胃袋は
すでに限界を迎えようとしていた
彼女から発せられる芳しく
甘美な
匂いが
感覚を狂わせ
やがてそれは頭で
本能で
最高の獲物であることを認識する
そして
欲望の限界が来てしまった
煩悩を解き放つ時が来たのだ
ある者がたった一匹で彼女に飛び掛かった
渇望した食欲に歯止めなど存在することなく
我先に!
我先に!
禽獣は一斉に獲物へ喰らい付くため飛び掛かった
彼女は八重歯と言うには鋭い歯を剥き出しにし
唸り声を上げた
抜け駆けした一匹がまず先に地獄へ落ちた
彼女は金棒を振りかざし異形の者達を薙ぎ払う
彼女の周囲は桜の花びらと共に肉片や血が飛び散り
大地に桃色と赤色が交差し
極彩色の厚化粧をさせていった
異形の者達は断末魔の叫びをあげる暇もなく蹂躙されていく
もはや死していく異形の者達は断頭台に立った受刑者のようなものだった
彼女の金棒が振りかざされた時には
声を上げることなく
この世の最後を迎えた
そして
彼らが最後に見たのは誰も彼も
それはそれは美しい鬼の少女だったのだ
一匹
また一匹の命を散らしていく瞬間に
彼女は満悦を感じ始めていた
命を奪うごとにそれは快感となっていき
心臓の鼓動は早くなった
陰であり、畏怖の化身にして傲慢な神
鬼
吹き止まぬ血吹雪
乱れ踊る桜吹雪
彼女は徐に月を見た
三日月は身体中にこびり付く異形の者達の血で汚れた彼女を嘲ていた
そして
彼女はそっと目を閉じた
一瞬の享楽がもたらした快感に溺れた自らを憎しみ
虚しく打ちひしがれた
しかし
彼女は愛しき人に抱き締められる自分を思った
愛しき人の顔を思い浮かべ涙を流した
汚れた自分を受け入れてくれるだろうか……
醜い心を持った自分から離れていくのではないかと思えば思うほど
ただ残るのは自らへの嫌悪の情を催すだけだった
そんな恐怖と不安が彼女の心に棲みつき
もがき
苦しませた
遠くで自分を呼ぶ声が耳に入った
振り向けば
そこには愛しき人が真っ直ぐにこちらへと向かってくる
彼女は愛しき人に飛びつきたい思いを心に閉じ込めて
優しい笑みを向ける
愛しき人は血の池を駆け抜け
彼女を強く
ずっと強く抱きしめた
抱きしめられた瞬間に再び涙が込み上げて頬を伝った
やがて二人はお互いの瞳の奥の心が見えるほど見つめ合った
そして
愛しき人は
自分を嘲笑う月を指差して
愛の言葉を囁いた
――月が綺麗だね――
唇が触れ
重ね
二度と離れることがないのではないか
そう思うほどの時間
溺れた
彼女は愛しき人を見つめ呟いた
心の底からの自分の本心を
――旦那様、愛していんす――