前編
(あー…ねむ)
欠伸を噛み殺し、廃棄ロスのおにぎりを眺める。ホイップ仕立てでスイーツな味わいの珍妙なおにぎりは、入荷と同時に誰が買うんだよと心配していたが少なくとも1個は売れたようだった。まぁ、この分では在庫管理のシステムに通されて、すぐに店頭で見かけることはなくなりそうだ。グッバイ、スイーツおにぎりよ。
ここは、夜間のコンビニ。アルバイトは僕と大学生の2人。因みにもう1人はカウンター周りで掃除なんかしてるっぽい。つまり、お客も居ない暇な状況だ。僕はもう一度欠伸をする。今度は上手く咬み殺すことが出来ずに涙が出てきた。
寝不足の原因は、昨日開封したばかりの乙女ゲームをやり込んだせい。回収した推しの超美麗なスチルを思い出すと思わず頰が緩んだ。リュシアンくん、尊い。
(あのスチルのシーンの吐息混じりの声はやばかったな…)
まだ一巡しか出来ていないので、これから他のルートもクリアして、不足しているスチルを回収したりと忙しいのである。最推しのリュシアンくん以外のキャラだって一応、巡回しておきたい。
「いらっしゃいまーー…」
僕の前世の記憶は、客の入店音と共に途切れていた。
「お、ねえちゃん…?」
目覚めると、そこは豪華絢爛な部屋。前世で家族たちと暮らしていたボロくて狭いアパートとは大違いの毛足の長い絨毯に、高価そうな家具たち。まるでプレイ中の乙女ゲームの背景のようだ。って、そうではなくて。此処は実際に、その乙女ゲームの世界なのだ。
「え、え…は?へえっ!?」
僕がそのことを思い出したのは、ふたつ年上の姉、ローズ=マリー・フォン・ヴォルテーヌ侯爵令嬢が行儀悪く自室のカーペットに寝そべって、顔のいい男同士が半裸で睦み合っているイラストを描いているのを目撃した時だった。
この国ではカーペットの上は土足で歩くものであって人間が寝そべっていいような場所では、勿論ない。因みに、紙の上に描かれたそれって、この国の王子と側近のような気がするのは一先ず置いておこうか。王子の方は自分の婚約者だろうに…どういう神経なんだ、この姉は。
「えっと…おねえちゃんだよね?」
「いやいや…確かにお姉ちゃんだけどさ…」
狼狽えながらも上品なスカートのふんわりとした裾の下に、如何わしいイラストが描いてある紙を隠そうとする姉。だが、その口調は普段の貴族令嬢としての口調ではない。僅かに動揺した様子で目を逸らされる。その可哀想な程に狼狽えた姉の手元で隠しきれていないイラストの絵柄には前世で見覚えがあった。一先ずそれについては全裸じゃなくて半裸だっただけ良しとしておこう。
「†翡翠 月夜†おねえちゃんでしょ!?」
「いやいやいや、待って!?お願いだから!そこでしれっと黒歴史抉って来ないで、なぎすけ!…って、なぎすけだよね?なぎすけで間違いないんだよね!?」
†翡翠月夜†という何とも拗らせたペンネームで二次創作をしていた姉は、SNS上ではそれをひた隠して「ひ」とか「翡翠」とか名乗っていた。そんな姉とは何度も絵チャをして互いの誕生日にはイラストも送り合った仲、僕がその絵柄を見間違うわけがない。
前世で僕はコンビニ店員だった。一人称は僕。しかし、女の子。所謂、ボクっ娘というやつだ。一方の「おねえちゃん」も、前世では本当の姉ではない。元々、僕とおねえちゃんは同じ乙女ゲームを愛好する者同士だった。おねえちゃんとは、ネットを介してやり取りをしていたのだが、「なぎすけ」という男の子っぽいハンドルネームと、一人称が「僕」だったことで長い間、僕のことを男の子だっと思っていたらしい。乙女ゲームクラスタは圧倒的に女性が多い中で、僕の性別を疑いもしなかった能天気なところは僕のおねえちゃんらしいと思う。兎に角、前世ではじめてボイスチャットをした時に「えっ、女の子だったの?ずっと弟みたいに思ってたよー」っていう姉の言葉に、わかりやすく浮かれた前世の僕は「じゃあ、弟になる」と、あっさり告げた。その日から前世でも血の繋がりはなくとも「おねえちゃん」と呼んでいたのだ。
「本当におねえちゃんなんだ…」
「急に懐かしの日本語で喋りだすから、おねえちゃんびっくりだわ」
「そうだよね…ごめん」
とりあえず謝ってみたものの、何に対する謝罪なのかは不明である。記憶が蘇るのと同時に口を突いて出てきたのが日本語だから仕方がない。かと言って、この世界のこの国の公用語も今まで通りネイティブとして喋れるので、いきなりバイリンガル状態だ。
「え、何。なぎすけは今思い出したの?」
「うん…」
君が描いた如何わしいイラストのおかげで思い出したんだよ。そうは思っても口には出さない僕は、うん、よく出来た弟だよね。
今世の僕の名前はアルフォンス・ジェームズ・ヴォルテーヌ。ヴォルテーヌ家の長男。つまり正真正銘、男だ。前世の記憶を取り戻したと言っても、今世の記憶が消えたわけではないので、違和感は今の所ない。姉の部屋に置かれた姿見を覗くと、プラチナブロンドのふんわりとした髪にまん丸大きな碧眼の、まるで天使のような少年が立っていた。凄い、睫毛まで金色だ。因みにお姉ちゃんは燃えるように真っ赤な赤毛に吊り上がった猫目だから僕ら姉弟は似てはない。強いて言えば瞳の色は共にグリーンなんだけど、ローズ=マリーの作画の方が色素が微妙に濃いんだよね。
「何でよりによってアルフォンスなんだよ…」
「なぎすけは、どうせリュシアンが良かったんでしょー」
「うるさいな…」
「そこでヒロインちゃんに成り代りたいって思わない辺り、お姉ちゃんはなぎすけが大好きだけどね」
ひひひ、と。到底令嬢らしからぬヲタク女丸出しの笑い声を立てる姉。リュシアンとは、若くして騎士団を束ねる団長でサラサラとした黒髪が格好良い前世の推しキャラであった。姉の言葉からも、この世界が僕たちの好きな乙女ゲームの世界で間違いはないようだ。因みにアルフォンスも攻略キャラの一人で、あざとい年下属性の担当である。
ここまで来るとラノベ愛好家の皆様は、もうお分かりのことだろうと思う。前世でコンビニで働いていた筈の僕は、気づけば大好きな乙女ゲーム『カラフル リング〜溺愛の証〜』略してカラリンの世界に転生してしまったようなのだ。それも前世で姉と慕っていた同士様の弟…それも攻略対象者として、だ。こういうのって確かに普通はヒロインとか悪役令嬢に転生するのがテンプレだよね。
「…って、別にお姉ちゃんの弟が嫌なわけじゃないからね!?」
それは紛れもない、本心。前世の時から、僕が姉の本当の弟だったら毎日がどんなに楽しいだろうと何度思ったことだろうか。
前世で三人姉弟の1番上に生まれた僕にとって姉の存在は憧れでもある。だから今世で血を分けた姉弟に生まれたことは、とても幸せでもあった。そういえばゲームの本編では、アルフォンスは我が儘で気の強い姉のことをあまり良くは思っていないような描写があったが、今の所はヴォルテーヌ侯爵家の姉弟といえば社交界でも仲良しで有名なぐらいだ。
「なぎすけっ!お姉ちゃんも、なぎすけが大好きよ!」
そもそも今世の記憶を辿っても、このローズ=マリーはゲームの世界の彼女と比べて随分丸い性格だ。中身の姉の影響なのだろうが、それで本編の世界に影響などはないのだろうかと僅かに心配にはなる。
「って、おねえちゃん!ローズ=マリーって…」
「うん?」
「カラリンの悪役令嬢じゃないですか!!」
そう…姉のローズ=マリー・フォン・ヴォルテーヌ公爵令嬢は、何と!この乙女ゲームのメイン攻略キャラ、サミュエル王子の婚約者であり、悪役令嬢だったのだ!
「そうなんだよね…」
「え、おねえちゃん…しぬの?」
「しぬよね」
真顔の姉。一生懸命に前世の記憶を辿ってみるも、殆どのルートでざまぁ的にローズ=マリーは命を落とす。
「いやいや、おねえちゃん…こんなところでBL描いてる場合じゃないじゃないですか!」
「え?私は前世の時からヒロインちゃんがあんまり好きじゃなくて腐の道に落ちてたじゃん」
「いや、そうじゃなくてですよ」
確かに攻略対象を思うあまりに先走って逆に危険へと追い込むこともあるヒロインはクラスタの中でも賛否が分かれていた。僕的は好きでも嫌いでも無かったけれども。いやいや、そうじゃなくて。
「じゃあ何?」
「おねえちゃんが確実に生存出来るのってヒロインのサミュエル第一王子とのBAD ENDぐらいじゃない?」
「それな!」
「それな、じゃないよ。益々、引きこもってBL描いてる場合じゃないじゃないですか…」
ヒロインがサミュエルルートに入ってBAD ENDになれば、ローズ=マリーは生存のまま王子と結婚して王太子妃となる。その他のENDだと断罪からの処刑や、平民追放してナレーションの中であっさり死んだり、後半で覚醒するラスボスの餌食になってこれもナレーションであっさり死んでしまったりもする。
「だってサミュエル推しじゃないんだもん…」
「そりゃそうだけどさ」
サミュエル第一王子は一応、このゲームのメイン攻略キャラだ。表面上は物腰柔らかだが、ヒロインに心を開くにつれて次第に俺様な一面の覗かせていく。しかし、僕も姉も前世から俺様キャラに萌えるタイプじゃなかったので、たまに話題に出るのも専らネタ要員扱いだった。それでも命には代えられないだろうに。
「どっちかっていうと、双子の弟で影武者扱いのシルヴァン第二王子の方が好み」
「わかりみがつよい」
前世の記憶で平然と話しているが、王子が双子であることは僕たちが知る由もない王族のトップシークレットだったりする。サミュエルを攻略しないとルートが開かれない隠しキャラの一人でもあるシルヴァンは、顔こそサミュエルにそっくりだが気怠げな雰囲気でヒロインを翻弄していく。しかし好感度が上がってくるにつれて影武者らしい、どこか影のある真面目な一面を見せていくのだ。所謂、ギャップ萌えというところ。カラリンの攻略キャラって何かしらギャップがあるのが多いんだよね。
「大体、私…諜報員のピエロ君とかさ、ローズ=マリーと接点なさそうなキャラばっかり好きだったのに…」
「僕はやっぱりリュシアンか、ロジェさんかな」
「あー、ロジェさんね。なぎすけ本当に黒髪好きだよね」
「黒髪は最高だよ、おねえちゃん」
因みにロジェさんはサミュエル王子の幼馴染で側近。サラサラの黒髪で、碧眼にモノクルを嵌めたインテリタイプである。彼は意外と攻略キャラでは無い。人気声優さんも使っていたのに勿体ない。そう思っていたら続編作品では攻略キャラに昇格していて、お買い上げ余裕でしたね。僕は親指を立てて見せた。
「ロジェアル…うん、悪くないね」
「おねえちゃん…?実の弟でBL描くのだけは止めてね」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。お姉ちゃん承認欲求のかたまりとかではないから。描いても多分、世には出さないよ。たぶん」
「うん、そもそも描かないでくれたら嬉しいかな…」
心の底からお願いしてみたものの、あの笑みはだいぶ怪しい。長年の経験からして多分やるな、あれは。普段やるやる詐欺が多い姉だが、ハマった時の瞬発力だけは凄いのだ。
「いやー、でもアルがなぎすけだったなんて、お姉ちゃん全然気付かなかったよ」
「僕も本当に今思い出したからね…正直まだ前世の記憶と今のアルフォンスとしての記憶がない交ぜになって混乱してる」
僕はずきずきと痛むこめかみを押さえて呟いた。因みに頭痛の原因のひとつは、目の前で能天気に良からぬBL妄想に思いを馳せる姉のせいであることは伏せておこうか。
「そうだろう、そうだろう」
うんうんと頷いてみせる姉に、不意に気になって僕は尋ねた。
「そういえば…おねえちゃんはいつ自分がゲームの世界に転生してるって気づいたんです?」
「えーと…」
「おねえちゃん?」
露骨に視線を逸らして言い淀む姉に嫌な予感しかしない。
「えーと、その…6才の時に、サミュエル王子が転びそうになったのをロジェさんが抱き留めたところを見た時に…」
「ちょっ、僕のロジェさんで何てことを…!」
まさか僕がこのゲームで2番目に推しているロジェさんまでもが、そんなに幼い頃から姉の妄想の毒牙に掛かっていたなんて…。姉が6才といえば、アルフォンスが4才。それぐらいの頃、確かに王子たちが遊びにきていて姉が突如倒れて3日間ほど高熱で寝込んだことがあったような。当時4才のアルフォンスにとってはおぼろげな記憶だが、あれはそういうテンプレ的な出来事だったらしい。
「僕の?僕の!?年下独占欲きたこれ!?」
「あー、もう。うるさいよ、おねえちゃん…」
「ごめんって、なぎすけ…」
姉は古典的にも人差し指同士をくっつけながら上目遣いに僕を見ていた。残念ながら、悪役令嬢たる姉の目つきはあまり宜しくはない。まぁ、作画は存分に良いのだが。それでも僕は正直、ヒロインちゃんの方が好きなキャラビジュである。ごめんよ、おねえちゃん。
「大体ね、ロジェさんの忠誠心みたいなのを恋愛と履き違えないで欲しいんだ」
「わかる…っ、わかってるんだよ。頭の中では、この2人はあくまで男同士の友情なんだ。あくまで忠誠心なんだ…って、わかってる。それが公式であり、絶対なんだってわかってる。わかってるけど…妄想は妄想として心がはしゃぐのを止められないんだよぅ…」
「…あ、そう」
しかし、それとこれは話が別で。前世でも今世でも姉は僕にとって大切な姉だ。死亡エンドも、侯爵家追放エンドも出来ることなら回避したい。前世の話が出来る貴重な同士というスキルまで付与されたのだ。家を追放されては会うことも、侭ならない。姉がこの調子である以上、弟の僕もしっかりしなくては。僕は決意を新たにした。
「ところで…おねえちゃんはゲームのローズ=マリーとは、もう既に何か違うよね?」
現世のアルフォンスの知識によると姉はロゼリオ魔法学園の魔法動物科の1年生。ゲームの悪役令嬢としてのローズ=マリーはヒロインやサミュエル王子たちと同じ魔法科だった筈。
「うん。これでも一応、無い頭で回避できるフラグは回避しようとしたんだよ」
「回避する方向がおかしくない?魔法動物科って、また随分マニアックな…」
やはり魔法科、魔術科が学園の華である。上位貴族の子息らは魔物の世話や土いじりの科目がない、これらの科を選択することが殆どだ。魔法動物科や魔法植物科は平民出身の比率が多くなってくるため、貴族の間では不人気の学部だった。姉もバリバリの侯爵家令嬢なので、よく父上が許したものだと不思議な気持ちになる。
「だって、前世でも犬とか猫が好きだったし…」
そう言った姉が小さく呪文を詠唱すると、ふんわりとした赤地のカーペットの上に黄金色した魔法陣が浮かび上がって、青く小さなドラゴンが姿を表した。ドラゴンは2、3度羽ばたいてから姉の隣に舞い降りると、まるで飼い猫のように姉の腕にすりすりと頬ずりをしている。犬とか猫が好きの延長線上に異世界でドラゴンを飼う姉なんて、異世界中探したって他にはそうそう見当たらないだろう。
「大体、おねえちゃんがヒロインちゃんに会わないように他の科に通ったとしてもですよ、その間にヒロインちゃんがサミュエル王子ルートに入ってしまったら、邪魔する悪役令嬢の存在もなく、あっという間に二人は結ばれちゃうじゃないですか」
「まぁ、確かにね」
「そしたら、二人が結ばれるためにはサミュエル王子の婚約者である、おねえちゃんが邪魔になりますね?」
「あ…死亡フラグ!?」
「断罪、婚約破棄イベントからの、死亡エンドですね」
「えー、断罪される程の罪を犯す予定はないんだけどー」
姉は不服そうに唇を尖らせながら、抱っこした小さなドラゴンの首筋を撫でてやっている。ドラゴンの喉元がくるくると鳴って飼われた猫みたいだと思うのは姉に毒されすぎだろうか。
「おねえちゃんは、まだヒロインちゃんとは会ってないんだよね?」
「ん。あのゲームって確か2年の時に平民でありながら強い魔力に目覚めたヒロインが学園に編入してくる設定だったよね?」
「うん」
それまで圧倒的に高い成績を修めていたローズ=マリーは、ヒロインの登場ではじめて文武共に大惨敗を喫する筈。まぁ…実際には姉は魔法動物科へと進学してしまったため、その描写が見られることはないのだろうが。
現在の姉の説明によると、幼少の頃から魔法の扱い自体がそこまで得意では無かったそうだ。転生に気づいたばかりの頃は好奇心で魔法を使うことも楽しかったそうなのだが、勉強していくにつれ自分の潜在的な魔力量が平均レベル程度しかないことや、細かな調整も苦手なことに気づいてしまったらしい。前世では料理も目分量だったし、と呟く姉だったが、イマイチ僕にはその感覚はわからない。攻略キャラの僕は、姉よりは魔法のセンスもあるようだ。そう考えるとゲームの中のローズ=マリーも、描かれていない物語の外で、相当の努力をしてあの成績を修めていたのかもしれないと僅かに思ってしまった。
「おねえちゃんは今のところ攻略対象の誰と1番好感度が高そうなんです?」
「うーん。正直言うと…これと言って、誰も?」
「誰も?」
「うん。サミュエル王子とは前世の記憶を取り戻してから必要最低限しか顔を合わせてないし、サミュエルに会ってないから双子のシルヴァンも同じく…ってシルヴァンは一巡目攻略できないから除外していいのかな。あとリュシアンとも顔見知り程度だし、レオナールとは出会ってもない」
因みにレオナールは攻略キャラ最年長で優しいお兄ちゃんのような学校医なのだが、その正体は前騎士団長で王子の護衛として密かに学園に潜入している設定だ。攻略キャラでは兄貴分っぽい属性で、ルートに入ると髪を切って爽やかな容姿で騎士団に戻ってくる。
「うーん…」
僕は顎に手を当て考える。分岐ルートは多くあるが、真っ白なところから最良のルートを選択していくとなると中々難しいものがあるものだ。
「あ!ていうか、転生者が他にもいたら聞きたいことがあって…」
「ほう。僕でわかることで良ければ…」
「なぎすけって、このゲームの全てのENDを見た?」
「大体は見たと思うんだけど、全部は…」
僕はかぶりを振った。
「そっかー、そうだよね…」
姉は見るからに落胆した様子で肩を落とす。そう言えば姉もシルヴァン第二王子のルートを周回ばっかりして先に進めてないって前世で言ってたっけ。乙女ゲームクラスタにも色んなタイプの人間が居るけれど、僕も姉も比較的に推しのルートばかりを何巡もするタイプだったことが、ここに来て悔やまれる。だって、まさかゲームの世界に転生するなんて想像すらしていなかったからね。普通はそうだ。
「とりあえず、二人が知ってるルートでローズ=マリーがどうなったかをまとめてみる?」
「うん!そうだね」
そうやって姉がメモ紙代わりにスカートの下から取り出した上質な紙の左上には、サミュエル王子とロジェさんさんが半裸で睦み合っているのは取り敢えず無視するとしよう。
「まずはサミュエル王子」
「サミュエル王子は4つENDがあったよね?」
「好感度と選択肢によってBAD、NOMAL、HAPPYの他にTRUEがあったはず」
紙の余白に転生して以来の久々に見る日本語で書かれた文字。手紙や年賀状のやりとりも前世で姉としていたので、懐かしい姉の文字にほんの少しだけ目頭が少しだけ熱くなった。
「最初のBAD ENDは、サミュエル王子はローズ=マリーと結婚。ヒロインは失意のどん底で魔法を暴発させて死亡」
「うわぁー…そうだったね」
ヒロイン側に立ってプレイしてる身だった前世では、大層なトラウマエンドだったのを思い出す。主人公なのにナレーションで呆気なく死んだんだよ、確か。
「NOMAL ENDは、ローズ=マリーと婚約破棄した王子とヒロインは想いを通わせ合うものの、身分の差で結婚は出来ずに側妃エンド。ローズ=マリーは婚約破棄された醜聞から地方のおじさんの後添えだったかな?」
「ちょっと!ヒロインが側妃だったら、婚約破棄する必要無かったくない!?」
「プレイした時にはヒロインを想って正妃の座は敢えて空けてくれた真摯な人だなぁ、なんて思ってたけど…悪役令嬢側の人間になってみると、そうだよね」
「HAPPY ENDでは、ヒロインが王子の正妃になって、婚約破棄されたローズ=マリーは恨みからヒロインの暗殺を試みて断罪、処刑」
「そして、死…!!」
「そう」
「婚約破棄されても、暗殺なんて大それたこと試みなかったら何とか生き延びれないかな…?」
「甘いよ、おねえちゃん。おねえちゃんは前世、あんまりラノベは読まない人だったっけ?」
「うん。そだね」
こんなに能天気な性格の姉なのに、ラノベは秒で読み終わるから物足りないみたいな理由で読まないと前世で聞いた気がする。流石に秒では無理だと思うし、ライトノベルにだって様々あるから偏見だとも言いたい。でも、こうして前世の記憶を取り戻すと、前世の姉のことも昨日ボイスチャットで話したね、ぐらいのノリで思い出せるのが不思議な感覚だった。
「ラノベでよく見る悪役令嬢に転生したけど系の作品にはね…」
「そんなのあるの!?」
「あるんです。そして、そのテンプレだとゲーム補正みたいなのが生じる可能性があるんだよ…」
「ゲーム補正?って言いますと…」
「例えば悪役令嬢がヒロインと攻略キャラとの出会いを阻止しようとしても、ゲームのイベントとは違う場所で出会ってしまったり」
「ほほう」
「断罪イベントから逃れようとヒロインに優しく過ごしたはずなのに、ヒロインを暗殺しようとしたなんて罪を被せられて結局は断罪されてしまったり」
「えええ…駄目じゃん…」
「悪役令嬢に転生した場合、そういった補正が起きることも視野に入れてフラグを回避しないといけないんだよ」
えへん、と。胸を張って解説すると、姉が「すごーい、弟が物知り!」と拍手をしてくれる。ううむ。身内の贔屓目に見ても、本当に毒気のない悪役令嬢なんだけどなぁ。
「でも…それってつまり、頑張っても死亡フラグが折れないってことなんじゃ…」
いけない、いけない。そんなことを考えている間に姉が蒼白になっているではないか。
「うーん…僕が前世で読んだラノベだと悪役令嬢に実は物凄いチートがあったり…」
「私の魔力値は平凡だよ?これといって特性もないし」
「料理や裁縫なんかが優れてたり…」
「料理は前世でそれなりにやってたけど、この世界って醤油とかないからなー…」
「そこを醤油から味噌まで手作りしだすのがテンプレです」
「えー、素人が発酵食品に手を出すのは怖くない?」
「まぁ、確かに…」
「それに裁縫は、ほんと駄目!刺繍の授業で布破ったって言ったでしょ!?」
「…それって、前世だっけ?今世だっけ?」
「両方だよ!」
刺繍をやろうとして布を破るって、姉には一体どんな特殊スキルが備わっているんだろう。今世では刺繍なんてやる必要がない貴族令息の僕でももう少しまともなものを作れる気がする。あぁ、鑑定のスキルとか欲しかったな。姉よりもRPG好きで、ファンタジー脳な僕の血が騒いできた。元々、偶然にもこの作品で同じクラスタだっただけで、前世における僕と姉の好きなジャンルは微妙に被らない。僕は生粋の乙女ゲーム好きでヒロインちゃんと攻略対象の恋愛の行く末を見るのが好きだったし、読む漫画もそういうのが多かった。RPGゲームも好きで、魔法とかが絡むファンタジー作品も大好きだ。僕っ子のくせに意外?余計な御世話だよ。
「後は、幼少時代に前世を思い出して、先手を打って起業して独立してたり…」
「何そのキャリアウーマン的発想…前世で扱き使われるだけの社畜だった私にそんな発想すら無かったわ…」
「それは、まぁ…前世がコンビニ店員の僕にも無理だね…」
二人で揃って溜め息をつく。話は逸れたが、一方の姉は元々あまり乙女ゲームをしないと言っていた。好きな作品も少年漫画が多く、ゲームもすぱっと片が付くアクションゲームが好き。
そうは言いつつ矛盾しているのが、手間のかかる育成ゲームの類は黙々とスマホアプリに入れてやっていたところだ。確かに前世から動物のステータスを見て育てたりするのは好きだったんだろうね。この作品に限って乙女ゲームに手を出したのはパッケージイラストに一目惚れしたからだと言っていた。確かに人気絵師さんの超美麗イラストだったお陰で、僕も姉も今世は超絶美女と美少年です。どうも、ありがとう。鏡を見て拝みたくもなる。あ、ナルシストでは別にないけれど。
「結局、何だかんだやばいとは思いつつ攻略対象を避け回ることしかしてないわー…」
考えることに疲れたのか、姉はカーペットの上に四肢を投げ出してごろんと転がる。ぴょこんと驚いた様子のドラゴンが膝から飛び降りた。何度も言うようだが、ここの世界観は中世ヨーロッパがモチーフのようなので土足での生活が主。お行儀悪いことこの上ないが、前世の記憶を思い出すと日本育ちの血が騒ぐのは仕方ない。幸いなことにうちのお手伝いさん達は有能で、掃除は行き届いているしね。見ればドラゴンが心配そうに姉の白い頰をペロペロと舐め回していた。
「とりあえず今からでもサミュエル王子のBAD END目指して好感度上げにいってみない?」
それが1番確実な線には変わりがないようだ。他の攻略キャラにも巻き添え的にローズ=マリーが死ぬ描写があるルートは存在するのだが、他のキャラの場合はルート次第によって安否不明なものも多く博打に近い。僕、アルフォンスのルートでも義妹となるヒロインをいじめ抜いたローズ=マリーは弟である僕によって断罪されて領地を追い出される。僕自身が姉を追い出すつもりはないが、ゲーム補正によって僕自身がどうなるのかわからないし、僕が姉を庇っても両親が姉を追い出す可能性だって捨てきれない。まぁ、魔力を暴発させて死んでしまうヒロインは気の毒だが。
「んー…サミュエル、ねぇ」
姉は気のない返事をしながら、ドラゴンの頭を撫でる。その細い手首には金色の細いブレスレットが揺れていた。ブレスレットというか、バングルというか。
「…ところでお姉ちゃんは僕のルートって全部やった?」
「ぼく…って、アルフォンスの?」
「うん」
「えっと…確か一通りやったかな?」
「NOMALとBADって、どうだった?」
僕は生憎と、金髪碧眼も年下腹黒わんこ属性にも興味がないので、僕自身のルートは攻略見ずにうっかり行ってしまったHAPPY ENDだけしか知らない。因みにHAPPY ENDだと、ヒロインがアルフォンスと心を通わせた後、義妹になったヒロインをいじめ抜くローズ=マリーを見かねたアルフォンスが実姉を追放。姉はその後のラスボス覚醒に巻き込まれて不遇の死を遂げた筈だ。そんな僕とは違い、姉は前世でも推しとまでは言わないが「年下わんこ可愛い…癒し…」と呟いていただけあって、攻略済みのようだ。姉は起き上がるとBLイラストの下にある空きスペースに何やら文字を書き始めた。
「NOMALは確か、王子に婚約破棄されて家に留まってるローズ=マリーにいびられながらも、アル君と仲良く暮らす的な…って、何で私何もしてないのに王子から婚約破棄されてるんだろう!?」
ゲームのご都合主義って凄い。しかもそれがヒロインにとってNOMALな終わり方だというのだから、製作者にとって小姑は標準装備なのだろうか。
「BADは?」
「BADはローズ=マリーのいじめに負けて、破局。アル君はモブの同級生と婚約して結婚してたかなぁ…その時のローズ=マリーがどうなったまでは、覚えてないや」
ぐぬぬ、と悔しそうな声を上げる姉。貴族っぽさはログアウトだ。でも正直、ヒロイン目線でプレイしてると、悪役令嬢のその後まで気にしたりはしないものである。
「……わかった。じゃあ僕は一応、ヒロインを落としにかかるから。お姉ちゃんは今からでもサミュエル王子の好感度を上げに行こう」
僕は暫く思案して、そう姉に提案した。
「えっ!なぎすけ、ヒロインちゃんを攻略するの?」
姉は驚いたようにアルフォンスと同じ碧色の瞳を瞬かせる。
「そりゃまぁ前世の記憶を取り戻した今、女の子を口説きに掛かるのも随分と不本意だけど、おねえちゃんの命には変えられません」
そうは言ってもヒロインが編入してくるまで、まだ数ヶ月の猶予はあるんだけどね。でも、思いつく限りでは、それがきっと最良の手段だ。ローズ=マリーとサミュエル王子の結婚が成立してしまえば、姉の死亡フラグは回避出来る筈。それでも念には念を入れて、ヒロインがアルフォンスルートに入れば完璧だ。ヒロインが僕のルートに入りさえすれば、あとは選ぶのはこっちなのだから。何か大事なことを忘れているような気もするが、一先ずはこれで行こうではないか。
「な、なぎすけいい子…!」
「だからおねえちゃんも、できることは頑張ろう?」
感激する姉。しかし、こうでも言わない限り物ぐさな姉はきっと動かないだろう。それは前世の付き合いだけでは知り得なかったアルフォンスから見た姉の姿でもあった。
「ううう…でも、あのヒロインが私の可愛い弟のお嫁さんになるのも嫌だぁぁ!」
「あのねぇ…」
「だって!ヒロインが余計なことに首を突っ込んだせいで、アル君が怪我するスチルとかあったよ!?」
打って変わって、今度は半べその姉。それではよくない。万が一でも姉がヒロインを嫌うような様子を見せれば、ゲーム補正であっという間に断罪イベント発生の可能性が高いのだ。
呆れて言葉を続けようとした瞬間、姉の背後の空気がぐにゃりと歪んで見えた。姉は気付いていない様子だが、歪んだ空間にくっきりと紫色に光った魔法陣が現れる。んんん?紫色の魔法陣…?飽きて隣で丸くなって寝息を立てていたドラゴンが、起きて何かを報せるように姉の膝にたしたしと前足を掛ける。
「ロゼ」
魔法陣から出てきたのは、もっさりとした印象の冴えない男だった。真っ黒のローブを纏った色白で華奢な男は、瓶底のような丸眼鏡と癖のある長い前髪で顔面は殆ど見えない。しかし、その野暮ったい容姿にまるで似合わない、吐息混じりの無駄にいい声に僕の記憶が揺さぶられた。この声は、絶対に僕も知ってる人気声優さんだ!!前世の知識を全力で総動員する。
「…っ、エル?」
肩に触れた掌と、ローズ=マリーの愛称を呼ぶその低い声に、弾かれたように姉が呼んだ名前。僕の記憶は一気に蘇った。
ーーエルネスト・ブランシャール!!
僕は言葉を失う。素材は黒髪だが、僕好みの真っ黒な艶髪ではない。ゲームの中のナレーションでは鴉の羽根のようと描かれた紫がかった癖毛の黒髪。それは作画によっては黒髪にも紫髪にもなる。特徴のあるいい声も、はっきりと中の人のフルネームまで思い出せてしまった。