第一章5 奇病
「土砂降りね……」
それから何度か雷が鳴ったあと、下校時刻も迫って来ているので生徒会の仕事は途中で切り上げることになった。
オレたちは学校を出てバスに乗り、すぐに帰宅しようとしていた。
これは、その帰路の途中の話になる。
バス停小屋で、オレと静奈と火織の三人は雨があまりにも強く降って来たから少し雨宿りすることになった。
年代を感じさせるかなり古い小屋だが、雨風を凌げるのだから文句は言えない。
レトロなポスターに昔から置かれている空の牛乳瓶、一輪の花、小屋の反対側には小さなお地蔵さんの祠が置かれていた。
「雨足が止む気配無いわね」
火織が外を眺めながら溜息を吐いて呟く。
「ここまで酷くなるって、天気予報で言ってたか?」
「言って無い……と思う」
「また空の‟アレ”のせいで例の異常気象でしょ。それにしても蒸し暑いわね~。佑汰、今すぐ下敷きか何かであたしを扇ぎなさい!」
「へ? オレが?」
「今すぐ」
「へ、へい。了解したでヤンス……」
鞄から下敷きを取り出し火織に向って扇ぐオレ。
オレも暑いんだが……。
古椅子に腰掛け、制服のブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩めブラウスの襟を摘まみ扇ぐ火織。そのときに火織のブラウスが微妙に透けて、ブラジャーが見えそうなのに気づいたオレはそれをいやらしい目で見ていた。
火織は(見た感じ)女子幼馴染みの中で一番、胸が大きい方だ。あくまでオレの勘(見た感じ)だが。
静奈のほうは……、んー……わからない。
着痩せするタイプだと以前、幼馴染みの一人である香雅里が言っていたから、予測では火織に負けず劣らず大きいほうだと思うんだよな。
それにしても火織は暑そうにしていたのに対して、静奈は少し汗はかいているものの至って普通に過ごしている。ブレザーも着て暑くないのだろうか?
「あ、LINKでお父さんに車で送りに来てもらっちゃおう」
「あ、ずりぃ」
ここまでバスに乗って来て、更に車で迎えに来てもらうとか贅沢なやつめ。
火織はさっそくスマフォをポケットから取り出し、親に連絡し始める。
ちなみにLINKとは無料でメッセージ交換や音声通話が出来るというアプリで、ケータイを持っている人の大多数は、このアプリを利用している。
メールよりも活用しやすい『トークン』という文字の他に位置情報、音声メッセージ、動画などが手軽に送信出来るのだ。女性はとくに『スタピン(スタンプピンナップの略)』と呼ばれるカワイイ物から面白いものまで揃えてあるスタンプを多く活用している。
「そういえば、火織は登校も車だっけか」
「まあね、生徒会役員の朝は早いし、お父さんと家を出る時間が一緒だから、ついでに送ってもらってるの」
「静奈も……そうなのか?」
いつも高校へのバスに乗って会うのは蒼珂だけだ。進は朝が弱いらしく、いつも遅れて来るから遅刻寸前である。
そんな蒼珂と進は、たまに一緒のバスに鉢合わせになるのだとか。
高校のクラスメイトの中で家が近い幼馴染み六人、登校経路が分からないのは静奈だけであった。
まあ、バスに乗っているからバス通学だと思うが一体いつ乗っているんだ?
「わたしは……、バス……だけど、たまに……運が良ければ……‟飛ぶ”……」
「あぁ、そうか。ある意味飛ぶのは便利だよな」
「何言ってるのよ。アレは‟飛んでいる”じゃなくて、‟浮いている”でしょう?」
何を隠そう静奈は“アイキャンフライ”じゃなく、“アイキャンフロート”である。『飛ぶ』ではなく『浮く』のだ。それは飛ぶことは出来ないが浮くことが出来るということ。
どうして静奈は浮くことが出来るのかというと百奇病――≪浮身化≫であるからだ。『ふしんか』と読み、時折、風船のごとく自分の体が浮く奇病である。
自分の意思や場所、時間など関係なく発作が起きれば浮ていしまうのだ。風呂やトイレ、授業中にさえ浮くこともあるので二年前から静奈はそれに悩まされていた。
対策としては、風呂、トイレ、机や椅子にベルトで固定して浮かない様にしているらしい。
静奈が浮く理由は、自分の体重が零キロになるのではなく静奈自身の重力が無くなっているからだという。詳しくは分からないが≪浮身化≫を発病した人を研究機関が調べているが、解ったのはこれだけである。
つまり地球内で無重力体験を静奈が一人で味わっているのだ。
この奇病は、普段極端に地味な人間だけにかかるという。
クラスで浮かない人間の体が意図もせず勝手に浮いてしまう。ダジャレで言っている訳ではないが、そういう奇病なのだ。
「大丈夫……、浮いちゃったときは……木や電柱を……叩いたり蹴っ飛ばすと……、早く移動できる……」
「静、あんた……木や電柱、蹴ってるのね……」
もっとも無重力になって浮くわけだが、そこまで高く浮くことはないそうだ。『百奇病』には限度や制限があるらしく、さすがに雲の上や大気圏、果ては宇宙空間まで浮かないらしい。浮いても一メートル、高くてニメートルと低い高さだ。それが‟リスクゼロ”に関係しているからだとも言われているが、真実は解らない。
しかも強風によって、簡単に飛ばされやすいというデメリットも抱えている。
このような融通が効かないところは、異能や超能力ではなく病気らしいといえばらしい。
発作が起こることを十分に注意と配慮を怠らないことが大切だと静奈は言う。
「あ……」
そう言ってたら静奈が、フワフワと浮き始めたのだ。
しかし病気とはいえ、本当にフワフワ浮くから一見、すごい楽しそうに思える。その姿は本当に足がついている幽霊のように見える。
「面白そうだよな……。その百奇病」
この病気で静奈は、以前説明したクラスメイトから『幽霊さん』と呼ばれる原因になっているが、本人は割と気にしていない。むしろ浮く奇病を楽しんでいるのだ。
「でもね……。起きているときなら……いいけど、寝ているときに……『浮身化』の症状が起きて……頭打つし治まると……、落下して腰を……打っちゃう……」
「そりゃ……痛そうだな……」
静奈は軽く頷く。
「それでベッドや……、椅子。ベルトで体を……固定している」
しかし、あれだけフワフワと浮いているのに、制服のスカートの中身が見えそうで見えないのは何故なんだ……。
「ねぇ佑汰。ちゃんと扇ぎ――きゃっ!」
突然、火織の叫び声を聞き、オレと静奈は火織を見る。
サスペンスドラマで死体を発見してしまった――かのような顔で口を開けて、それを左手で押さえ、右手はある方向へ指をさす。
今度は、その指先のほうに振り向くと雨が降っている道路に太く長い棒が立っている――ではなく“人間”がそこに立っていた。
それは普通の大人よりも高い、二メートル以上もある。そのあまりの長身に頭が天井に隠れて、顔が見えず首なしになっている。首なしの人間が小屋の前に立っているのだ。
そのあまりの光景に悲鳴をあげるのも無理はない。
「やぁ、良い天気ですね。驚かせてしまって申し訳ありません。ワタシは怪しい者ではありません」
いや、そんな可愛く手を振っても怪しすぎる。
怪しすぎるのは、身長が高くて顔が見えないからではない。着ている服装が突飛過ぎていて、とても怪しくないとは言えないからだ。
微妙に日本語の発音が不自然に感じるが外国人だろうか?
男の服装は医者なのか、学者なのかわからないが白衣を羽織っている。
白衣でも『白』い白衣ではない。紫を若干薄暗い色をした白衣だ。まるで某RPGで見た毒の沼の色をした不気味な白衣。それ以外は普通で中はYシャツにネクタイ。ズボンは灰色。
そして、傘は差しているのだろうが肩や袖の部分が雨で濡れている。
声と見た感じだと若い二十後半か三十前半の男だ。
顔が見えない人と話すのは、初めてだがオレは恐る恐る訊いてみた。
「へ、ヘイ。こ、これは旦那。な、なにかご用で……ヤンスか?」
オレは超ビビりなので、下手になるときの三下語になってしまった。
フハハ。オレの小物ぷりに見惚れるが良い。
「ちょっと尋ねたいのだけど、そこの君、少し良いかな?」
オレの三下口調をスルーして指を差したのは――静奈だった。
というか、こちらからは顔は見えないのに毒沼色の白衣の男からは、まるで見えているかのように静奈に指をさす。
「わたし……?」
「はい。偶然ここを通りかかってしまいましてね。そのとき浮いている君を見てしまい、つい声を掛けてしまいました」
サムズアップをして正解だと教える毒沼の白衣の男。
「君――、‟異世界”を見たことはあるかな?」
その言葉に三人とも少し黙って、それから小屋の天井を見上げた。
「――はい?」
*** *** ***
Side change-Seta.
「まったく」
ヨレヨレのレインコートとスーツを着た中年の男が「まったく」と何度何度も言って、苛つきながら公園のベンチでタバコを吸っていた。
刑事コロンボを連想させる格好にボサボサの髪型。
喋り方もなんとなく似せている。
「まったく、いつから警察は病人患者の御守りをしなくちゃいけなくなったんだ? えぇ? おい」
「わたしに言われましても。それとタバコ臭いです。お酒飲めないからって当たらないで下さい」
不機嫌そうにタバコを吸う中年男の隣に、もう一人十四、五歳の中学生くらいの少女が座っていた。ただ外見的にそう見えるだけで、中学の制服などは着ておらず、レディーススーツを着ている。
薄い橙色のセミロングの髪を一房だけ三つ編みにした女性だ。目を常に閉じていて、元から細いのか開けてないだけなのかわからない。
「けほっ! 瀨田警部の任務は、百奇病の発症者を……」
スーツを着た女性は、瀬田と呼ばれる警官のタバコの煙を手で振り払う。
「あぁ、わかったわかった。それ以上言うな。いいな?」
「なら、タバコを消してくれませんか? 嫌いなんです」
瀨田は、溜息を吐いてからタバコを地面に捨て、靴で火を消す。
二人の関係性を見るに、おそらく警察の上司と部下の関係なのだろう。
「それで水橋。次の百奇病発症者――いや、容疑者は?」
「その言い方。わたしあまり好きじゃないです」
「ある意味、容疑者のようなもんだろうよ」
病人を容疑者扱いする言葉を嫌う水橋という女刑事が睨む目を、瀬田はウザったそうに手で払いのける。
「つぎは≪凍笑化≫ですよ」
「『どうしようか』?」
「……ちがいます。『とうしょうか』です。オヤジギャグはやめてください」
「単に間違えただけだ。ばかやろう」
女性は胸ポケットから黒皮の手帳を取り出し、その百奇病事件のあらましを読み上げる。
「お笑い劇中に漫才をしている二人組の一人が、突如発病し、その場で発作を起こしたそうです。それで……観客席にいた人たちを凍らせたそうです」
「なんだ? そいつはオヤジギャグでも飛ばしたのか?」
フハハハと声を出して笑う警部を「全然、笑えません」と水橋は瀨田を諫める。
「――実は被害にあった観客たちは、その漫才に笑えなかった人たちだけ……なんです」
「文字通り、いや、言葉通りの意味か? 観客はカチンコチンに凍っちまったのか」
「いいえ、服や体の一部、周囲の木や壁が凍ったりしただけで、凍傷も外傷もありません。『病域』から見て、おそらく‟リスクツー”に想定するかと。現在はこの街の署で、勾留してもらっています」
「笑えなかっただけで凍っちまうなんて、笑えねぇ冗談だと言いたいが。まったく困ったもんだ」
人を笑顔にしたい漫才師が、笑わなかった人たちに危害を及ぼすなんて、考えも思いもしなかっただろう。いきなり目の前の観客たちが悲鳴を上げて、服や体の一部が凍ってしまったのだから。
「あくまで≪凍笑化≫は、漫才が面白くない人が発病しやすい奇病ですので」
「『俺の才能(漫才)が笑えないやつは凍っていろ』とかか? 馬鹿馬鹿しい。確か逆に火を吐く女もいたな。似たようなものが」
「確か――≪火唱化≫のことですか?」
百奇病≪火唱化≫――。
歌を歌う時だけ、火を吐いてしまう奇病。
歌が上手ければ上手いほど、火力も上がる。ただし、発病するのは歌が上手い人か才能のある人のみ。
ただ、その女性の場合、舌が多少火傷を負うだけで周囲には火が移らず燃えもしなかった。
「あの人は“リスクゼロ”でしたからね」
「ああ、まったく、どうなっちまったのかねぇ世の中、突然火吹いたり、人を凍らせるような病が流行するなんて、まるで――えきびょ」
そこまで言って瀨田は、それ以上言うのを止めた。
水橋が瀨田の顔をじっと見て伺っていたのを、瀬田が気づくと言いかけた言葉が出難くなったのだ。
「まるで?」
「いや、何でもねぇよ。そろそろ行くぞ」
瀨田は、ベンチから立ち上がり≪凍笑化≫を発病した男が勾留されているであろう署に向かう。彼らの役目は、そういった奇病を持つ者たちの保護ではなく――『捕護』なのだ。
――『百奇病』
それは二年前、突如全世界に蔓延した百種類の謎の奇病。この奇病を患った者は、あらゆる法則や事象そのものを捻じ曲げたり、自然という現象そのものを狂わせるなど、一般常識を覆すような病気だった。
その病気は平穏に暮らす人々に、あらゆる面で支障を来した。
不可思議な現象と事象を無差別に起こす病人を診た医者や学者たちは、原因究明に乗り出すも二年経った今でも、未だに解明出来ず、研究は今も続いている。
増えて行く百奇病発症者と、それと隣り合わせで危険性を持つため容易に近づくことすら出来ない者も中にはいた。
対応仕切れなくなった世界各国の要人たちは、ついに百奇病を発症した者たちの『隔離施設』を設けることにした。だが、この施設はあくまで‟危険領域”に達してしまった者たちを入れる施設。
未だに‟危険領域”に達していない者や病を隠す人、自分自身が発症や発病していることに気づいていない人もまだまだ世の中には大勢いる。
一方で彼ら『百奇病』の発病者たちを異能や超能力者、果ては神に選ばれた使い――使徒と呼び崇める人たちもいるし、『百奇病』を使った悪事に加担する犯罪者も現れた。
瀨田と水橋の二人組の警察官は、そんな悪事を働く者たちから百奇病発症者たちを対象に『捕護』するよう任された警視庁『特務局』の人間なのであった。
「だがよ――」
「はい?」
「この蒸し暑さに凍るのって、ちょっと良いかもな」
水橋は瀨田の足を軽く蹴った