序章
妹が飛んだ
華奢な腰をくの字に曲げて宙で一回転すると、アスファルト道路に後頭部から落下して、一度だけ重そうに弾んだ。
妹がかけていた黒いセルフレームの眼鏡が、ガードレールで砕けて散った。
妹が持っていた帆布のトートバッグが、地面の上を滑っていった。
夏空に浮かんだ積乱雲が視界の中で激しく揺れた。
五月蠅かった蝉の声が聞こえなくなった。
地面に横たわったまま動かない妹に、よろめきながら駆け寄って、つまずくように跪いた。
「椎奈」
妹の名前を呼ぶ。
だが妹は何も答えず、だが妹は振り向かない。
おそるおそると伸ばした手で、妹のとがった肩に触れた、次の瞬間。
ごろん
妹の首が、力なくそっぽを向いた。
首の関節が曲がるはずのない角度に曲がった。
鮮血が、妹の目尻と鼻の穴から細く長く伝って落ちて、アスファルトの上に真っ赤な水溜りをつくった。
妹の肌からみるみる色が失われていった。
「椎奈」
妹の名を呼ぶ。
「椎奈。椎奈。椎奈。椎奈――」
何度も何度も呼び続ける。
惨状に気付いた誰かが悲鳴を上げた。
別の誰かが話しかけてきた。
救急車のサイレンが近付いてきた。
両脇を抱えられて車に乗せられた。
そして――。
平沢桂は、細くて長い廊下に置かれた固いベンチに座っている自分に気が付いた。
視線の先、金属製のドアの上で、手術中の文字が赤々と光っていた。