一対一
朝陽が大地を照らす。
先発ジャンヌ隊が、陽を浴びながら出発していった。それをディアスが見送る。首には三角巾が巻かれている。その三角巾に朝陽があたりキラリと光った。陽を含んだ銀糸の刺繍はJと刺されていた。
ディアスは小さくなった人影を見ながら、三角巾を掴む。
「いつも一緒ですよ、ジャンヌ。どうか、一人で泣かないで」
誰にも聴こえぬ小声を大地に紡いだ。
先発のジャンヌ隊は、第二王子に合流するための路を事前に偵察している。シャルドとは違う路だ。敵兵の有無を調べるのが重要な役目である。本来なら、闇騎士だけで行うのだが、敵の奇襲隊との遭遇を考えジャンヌ隊全員での出発となった。
ゴラゾンの続く勝利はドラドにそろそろ伝わっているだろう。敵はどの路を使いドラドに戻ろうとするのか。その路を探るため、ドラドはゴラゾン領に散らばったはずだ。ジャンヌ隊と同じ十程度の隊で。その役割は、ゴラゾン陣営への奇襲も含まれているだろう。
ジャンヌ隊は辺りを警戒しながら進んだ。
「ジャンヌ、あれ」
レイが指をさす。思った通りに敵の奇襲隊か遊撃隊であろう影が遠くに確認できた。相手はまだこちらに気づいていない。
「この路は危ないな」
ジャンヌ隊は後退し、別の路を探す。が、その後退した路に、敵が息を潜めジャンヌ隊を待ち構えていた。レイがその存在に気づいた時には、すでにジャンヌめがけて矢が跳んでいた。
「矢だ、ジャンヌ!!」
レイとタスクがジャンヌの盾になろうと動くが、それは叶わずジャンヌの左肩を矢が突き刺した。ジャンヌの体が馬上で揺らぐ。眼帯騎士が咄嗟にジャンヌの体を支えた。と、同時に九人が守るようにジャンヌを囲む。タスクがすぐにジャンヌを診ようとするも、ジャンヌはそれを制した。
「へ、いき……だ。ここで、肌は晒せない」
ジャンヌは体勢を立て直した。
「引き抜かないでください。敵を残滅したら診ますから。耐えてください」
矢を引き抜けば、出血する。今は、突き刺さったままが最善の処置だ。ジャンヌは頷いた。
「運が悪かったな、ゴラゾンの騎士よ」
明らかに軽んじた声がジャンヌ隊にかかった。敵の頭であろう男は、不敵に笑いながら前へ出てきた。
「貴様!」
眼帯騎士が前へ出る。その顔は怒りに震えていた。
「おお、これはこれは、あのときの騎士じゃないか。生きていたんだ?」
男は、ニヤニヤと笑った。
「もう片方の目もヤられにきたのかい?」
男は、眼帯騎士の目をヤった男であった。つまり、アルシンドを追い詰めた男とも言える。アルシンドを逃がすため、このジャンヌ隊の騎士の三人は耳をヤられ、頬をヤられ、片目を奪われたのだ。その男が目前にいる。騎士の怒気たるや、十分すぎるほどわかった。
「下がれ」
レイは眼帯騎士を押しのけ前へ出た。敵の挑発で、冷静さを失っている眼帯騎士では場を危うくさせてしまうと判断したからだ。
「いや、こいつの相手は俺だ!」
眼帯騎士は剣を引抜き、今にも襲いかからん気迫である。
「無用な血は流したくないし、時間も惜しい。ここは頭同士の戦いといきましょう、ゴラゾンの騎士よ」
男は、肩を竦めて言った。互いに十名ずつの遊軍同士を見極めた発言である。男のペースで話が進んでいる。
「断る」
レイはそれを断ち切るように発した。
「へえ、ゴラゾンの騎士って弱腰なんだな」
男は、何度も挑発する。それには、ジャンヌ隊も殺気だった。一触即発の状態である。互いに剣の柄を持って構えている。
「いいだろう。一対一、受けてたとう」
ジャンヌが低く声を上げた。それにはジャンヌ隊の面々は目を見張り驚く。ジャンヌはタスクの制止も聞かず、前へと出た。
「はあ? お前が頭か? まだ子供じゃないか。ゴラゾンは子供まで戦に出してんのかい?」
男は、クツクツと笑い出す。小馬鹿にしたように。まさかジャンヌが女だとは思っていないのだろう。少年騎士だと思っているのだ。
「何処ぞの貴族の坊っちゃんだい?」
「その答えは勝負の後だ。馬上での戦いを挑もう」
ジャンヌは低い声で淡々と答える。
「手は出すな」
ジャンヌ隊の面々に向けそう言うと、ジャンヌはレイピアを抜きリリィを蹴って駆け出した。
「面白い! いい捕虜ができそうだ」
男も剣を抜き駆け出した。
圧倒的にジャンヌが不利であることは間違いない。それでもジャンヌは受けた。勝因があったからだ。その勝因にうっすら気づいているのはタスクだろう。どうしていいかと焦るジャンヌ隊の皆に、指示を出していった。
男の優勢は明らかで、ジャンヌは男の剣を柔軟な体でかわすのみ。男は力の差をわかっているのか、ジャンヌをいたぶる。わざとジャンヌの軍服は裂かれていった。矢を射られた肩を庇うように、ジャンヌは体を支える。荒く息を吐き出し、男を睨んでいる。
「坊っちゃんに戦はまだ早いって」
余裕の笑みをジャンヌに向けた。
「ああ、そうだな。坊っちゃんには早いな」
ジャンヌは男にそう答えた。答えたがすぐにリリィを蹴る。ジャンヌはリリィの背で立ち上がる。男は一瞬驚くもすぐにジャンヌを待ち構える。ニヤニヤと笑って。ジャンヌはリリィの背を蹴り跳んだ。ジャンヌの体が宙を舞った。レイピアを振り上げ男に降り下ろす。男に突き刺すように。
しかし、男の剣はジャンヌのレイピアを軽々弾いた。ジャンヌの剣は空高く放たれた。男はそれを見て、勝負あったと……油断した。
ジャンヌはジャンヌを待つリリィの背に着地し、男の脇腹めがけ"矢"を突き刺した。男は、ジャンヌの放たれたレイピアを見ていて、ジャンヌを見失っていたのだ。武器のない者に自分は討たれないだろうと。しかし、ジャンヌにはもう一つ武器があった。左肩に刺さった矢という武器が。
「な、んだとぉ……ぅぐっ」
ジャンヌは左肩の矢を引き抜き、男に突き刺したのだ。男のニヤついた顔が、ひきつっている。ジャンヌは矢をさらに押し込めた。男の顔は歪み、腹から血がどくどくと垂れていく。
「ドラドの坊っちゃんには、戦はまだ早いって」
ジャンヌはニヤリと笑って発した。
空に放たれたレイピアが降りてくる。ジャンヌはそれを掴むと、男の喉にあてがった。
「ドラドの第三王子の坊っちゃんだろ」
ドラドの隊はこの勝敗に呆気に取られていた。だから出遅れた。気づいた時には、ジャンヌ隊がすでに王子を囲んでいた。
「さて、この王子を殺されたくなければ、武器を捨てていただこうか」
レイは言った。そして、何か思い出したのか言葉を続ける。
「運が悪かったな、ドラドの愚兵よ」
ディアスの本隊は、ジャンヌ隊が出発した後に、リガ山麓へリャンガの民とともに向かった。先の戦いで負傷した三十人はリャンガの町に置いてきている。今、本隊は百五十人だ。リガ山に登るリャンガの民を見送り、ジャンヌ隊を待つ。
遠くに帰還するジャンヌ隊を見つけると、ディアスはやはりホッと息を吐いた。しかし、その人数が多いことに気づきすぐに個隊とともにジャンヌ隊に向かう。
ドラド敵兵の存在よりも、ジャンヌのひどくボロボロの姿にディアスは驚いた。すぐに上着を脱ぎ、ジャンヌにかける。
「何があったんです?」
「ふふっ、名誉の負傷よ」
「お怪我を?」
ディアスはレイとタスクを睨んだ。
「負傷したのは軍服だけだけど」
ジャンヌは自分にはあわぬ大きな軍服のおかげで、ほぼ無傷であることを告げた。ジャンヌの左肩に突き刺さった矢は、軍服を貫通しただけだった。アルシンドの肩幅とジャンヌの肩幅は当然違う。アルシンドだったら、矢は肩を貫通した。しかし、ジャンヌならそこまでの肩幅はなく、ブカブカの余った空間に矢が貫通しただけであった。
ジャンヌの一番近くで矢を確認したタスクは、ジャンヌから血が出ていないことに気づいていた。皆に知らせて結果に備えていたのだ。負けても、勝っても対処できるように。
「まったく、貴女という人は」
ディアスが眉を寄せた。そのディアスの眉間のしわをジャンヌはグリッと指で押した。ディアスは驚いて後ずさる。
「ええ、私という人は『ゴラゾンの乙女』です」
ジャンヌはディアスに笑って見せた。ディアスの眉間のしわがさらに深くなった。しかし、ジャンヌは視線を反らしゴラゾンの騎士らを見る。
「皆、聞け! ドラドの第三王子とドラド兵十名を捕虜にした。予定を変更する。敵兵に扮して前線に向かうぞ! 幌のついた大きな荷馬車を準備しろ」
ジャンヌの堂々たる隊長ぶりはもう板についている。ゴラゾンの騎士らも躊躇なくそれに従った。従うべき信頼は、すでに今までの戦いで培っている。ジャンヌは今や、二百弱の騎士が命を捧げる隊長として存在しているのだ。
しかし、ディアスは知っている。ジャンヌが押し込めている弱さを。恐怖を。独り泣くジャンヌの姿を。ジャンヌが堂々であればあるほど、その強がりの脆さを感じていた。大きな軍服でほぼ無傷であったが、その大きな軍服がジャンヌの震えを見えぬものにしていた。上着をかけたディアスが気づかないわけがない。その震えも二度目なのだから。
「服を脱がし、リャンの森へ連れていけ」
ジャンヌはニタリと笑って、ドラドの第三王子を見た。第三王子はジャンヌを睨む。
「てめえ、名を名乗れ!」
「あ、そうだ。言っていなかったな。何処ぞの貴族の坊っちゃんか……だったっけ?」
ジャンヌは腰をかがみ、王子と視線を合わせた。
「ジャンヌ・ザルクス。ゴラゾン五侯爵の一角、ザルクス候の"嬢ちゃん"だよ」
次話更新12/29(木)予定