ゴラゾンの乙女
ジャンヌは砦に登った。淡い風がジャンヌの頬を撫でる。肩先に切った髪が風を含み踊っている。濃紺の瞳がゴラゾン領を見つめる。視線の行き先がゴラゾン城へと向かった。ツキンと胸が痛みを訴える。ジャンヌは手をぎゅっと握りしめ、胸にあてた。
「ジャンヌや、アルシンドとは変わらずか?」
シャルドがジャンヌに語りかける。砦にはジャンヌとシャルド、見張りの兵だけだ。いつも控えているレイとタスクは偵察に出ていていない。
ジャンヌはひゅっと息を吸い込んだ。何かを答えようと口を開くが、言葉は出てこない。
「ここにジャンヌが居る意味を、私はゴラゾン勝利まで問わぬとあやつらに言った。リガはずっと孤立無援であった。王都で何があったのか、私にはわからない。だが、これだけは言おう。ジャンヌ、軍服もその髪を似合っているぞ」
シャルドの大きな手がジャンヌの頭を撫でた。ジャンヌは笑みがもれた。何かあったことの結果が今のジャンヌである。シャルドは、その生まれでたジャンヌを原因も訊かずに認めたのだ。それも男物の軍服を着た乙女を。髪を切った乙女を。
「そう言えば、お前の本隊の騎士らが言っておったぞ。ジャンヌは『ゴラゾンの乙女』だと。ゴラゾンの紋章のようだったと聞いた。『白銀の盾は、その髪である。盾を支える濃紺のユニコーンは、その濃紺の瞳である。そして、我らが黄金の剣を持つ甲冑の騎士だ!』とな。よく団結しておる、お前の部隊は。私も負けてはいられない。やるぞ、ジャンヌ!」
シャルドがマントを翻した。
「そうですね、シャルド様。どちらが先に第二王子様に合流できるか、勝負いたしましょう。負けませんわよ」
ジャンヌも踵を返して、シャルドの背に挑んだ。シャルドはワッハッハと笑った。
ジャンヌ隊は一気に山を駆け下りた。敵陣から弓が降り注ぐ中、闇騎士らが一気に『あれ』を振り撒く。二番手の弓は降ってはこない。逃げ腰気味の敵陣に、もう一度『あれ』をお見舞いした。
「さっさと洗わねえと、失明すっぞ! ガッハッハ」
眼帯騎士らが先陣をきって敵陣に突っ込んだ。
「続け! ゴラゾンの騎士よ!」
ジャンヌがゴラゾンの旗を大きく振った。隠れていた本隊がいっせいに出撃した。敵陣は大きく後退した。
しかし、数の上では圧倒的にドラドが優勢で徐々に押し返されていく。倒しても倒しても、減らない。ジャンヌは厳しい顔で英断を下す。
「撤退!」
ゴラゾンの騎士はジャンヌの命に悔しそうに従った。ジャンヌも騎士らもわざとそんな顔で撤退する。リガの山中に一気に引き返した。ドラドが攻めてくる。狭い山中の路での戦いだ。平野では数で押されるものの、この狭い路では自然と一対一に持ち込めた。山の麓では、山中へ入れないドラド兵の列ができていた。
山中での戦いは互角だ。だが、ゴラゾン側の疲労度は増していく。目前の敵を倒しても、また次のドラド兵がやってくるのだから。ジャンヌ隊はリガ山の中腹まで押された。いや、中腹まで誘導したと言った方が正しい。
リガ山中腹は狭かった路が一旦広がる場所だ。草木があまり生えぬ小石が転がる急斜面である。リガ山難所とも言える場所へ、ジャンヌ隊はドラド軍を誘導していった。
「今だ!!」
ジャンヌは大声で急斜面の頂きに向かって叫ぶと、ゴラゾンの旗を一回転させ、戦っている騎士らに合図を送った。騎士らは素早く次の行動に移る。互角で戦わせて見せていた剣が、様を変えた。ドラド兵を剣先でいなすとみぞおちに蹴りを入れる。怯んだその瞬間に急斜面を駆け上がった。
急斜面の頂きには闇騎士が控えていた。結んだ縄を一気に叩き切ると、大きな丸太がゴロゴロと急斜面を転がっていく。前線のドラド兵は、背後から押し寄せる味方に逃げ場を失い丸太の餌食になっていった。餌食になった者も丸太同様転がるのだから、ドラド兵はバタバタと将棋倒しのように倒れていく。
山の麓のドラド兵はそれを知らない。前線へ進もうと退路を塞いだ。ドラド兵は山ばかり見ていたのだから気づいていない。背後にゴラゾンの兵が忍び寄っていたことなど。
シャルド隊である。シャルドは別の一路を力で蹴散らし、ジャンヌ隊の援軍として予定通り中隊を出していた。
「突っ込め!」
ドラドの背後を突いた。山中では丸太が襲い、山麓ではゴラゾン兵に背後を取られる。逃げ場を完全に失ったドラドは呆気なく散った。ジャンヌの作戦は思い通りの結果となった。
戦いの後処理を終えて、シャルド隊中隊は、捕虜を引き連れてシャルドに合流する。ジャンヌ隊は、リャンガの町に向かう。あの臭いリャンの森を抜けて。
町では、すでにリャンガ有志のリガ開拓隊が待っていた。ジャンヌは戦の勝利を告げる。シャルドも無事であるとも。町は歓声に包まれた。リャンガの民は、領主シャルドのため、リガ山に出発する。あの急斜面に転がる丸太が山村の材料となる。リャンガの民とて二週間の戦いだ。シャルドが戻ってくるまでに、山村を作るのだから。新しい領をシャルドに贈るのだと意気込んだ。
ジャンヌは、リャンガの町で騎士を休ませた。翌日には出発する。シャルドも今ごろ夜営しているだろう。ジャンヌは一人リャンガの町に出た。レイもタスクも翌日の準備でジャンヌには着いていない。二人は、ジャンヌがもう眠りについたと思っているはずだ。部屋をこっそり抜け出して、町の通りを進んでいる。町外れまで歩んだジャンヌは、目的の場所馬小屋に入っていった。
リャンガまで乗ってきたジャンヌの愛馬に、ジャンヌは体を寄せた。
「リリィ」
ジャンヌは愛馬リリィを抱きしめる。その温もりに身を寄せた。次第に体が小刻みに震え出す。
「リリィ、リ……リィィ……、私、私人を」
ジャンヌの脳裏に崩れるドラド兵が浮かぶ。たくさんのむくろがジャンヌの頭を埋めていく。その目がジャンヌを恨みながら、朽ちていくのだ。
「私、殺し、ちゃったの。殺しちゃったんだよぉぉ」
ジャンヌは旗手なのだから、一人とて手にかけていない。しかし、ジャンヌの命令の元にたくさんの死者が出たのは真実だ。本来なら、戦や死から一番遠い所に身をおくはずのジャンヌが、その真実を真正面から受け止めねばならない立場にある。騎士らのように、死が日常になかったジャンヌにとって、勝利した光景よりドラド兵のむくろが重なる光景の方が心を占めるのだ。
「こんな、血に……汚れた乙女なんて、もう、あの方の隣に、ふさわしくないよね」
ジャンヌはリリィの体に顔を押し付けながら涙した。
「最低だよね、私。癒しや温もり……今ならわかるわ。私だって、リリィにリリィの温もりを求めたっていうのに……」
ジャンヌは嗚咽していく。リリィはヒヒンと小さく鳴いて、ジャンヌの頭に顔を寄せた。ジャンヌを労るように。
ディアスは馬小屋の扉に背を預け、ジャンヌの声を聴く。こっそり抜け出すジャンヌの後を追ってきたディアスは、ジャンヌに声をかけられなかった。馬小屋に入ったジャンヌの独白を聴き、唇を噛みしめた。
ディアスは馬小屋の中に入れない。隊長であるジャンヌが、騎士らに見つからぬように泣いているのだ。騎士らの前では泣けないだろう。敵兵の死を悼むなど、心を痛めるなど、命をかけて戦っているゴラゾンの騎士に対して顔向けができない。だからこそ、ジャンヌはここに来た。ディアスが姿を現せば、きっと涙を止めてしまうはずだ。心に色んな葛藤を押し込めて、また隊長に戻ってしまうのだ、ディアスが馬小屋に入ったなら。
ディアスにできることはただ、ここでジャンヌを警護するだけだ。唇を噛みしめ、強く握り拳を作り、ただただ耐えるのだ。抱きしめたい衝動を抑えるように。頼ってくれと口にすることを抑えるように。
何より、ディアスはジャンヌが頼らないと知っている。頼ってしまえば、アルシンドと同じになってしまうから。頼り方に違いはあっても、きっとジャンヌは拒むだろう。ディアスは待つしかなかった。
「あ、ジャンヌ様、こちらでしたか」
馬小屋を出てきたジャンヌに、ディアスは声をかけた。ジャンヌは肩をびくんと揺らすも、苦笑いを浮かべああと答えた。
「何かあったのか?」
ジャンヌはあくびをしながら訊く。手を口にあて、指先で目元を拭うように。
ディアスは全てわかっていたが、ジャンヌの演技に付き合うのだ。
「いいえ、私も馬が気になって来ましたが、先にジャンヌ様に越されていましたね」
ディアスはそう言いながら、上着を脱ぐ。
「だいぶ寒くなってきましたから、どうぞ」
ディアスはそう思いながら脱いだ上着をジャンヌの肩にかけた。せめて上着の温もりだけでもと思い。
「ああ、ありがとう。……暖かいな。宿まで少し借りるよ」
ジャンヌとディアス、二人は夜道を言の葉を繋げずに歩んだ。時おり、夜空を見上げながら。
宿が見えてきて、ジャンヌはかけられた上着に手をかけた。ディアスはジャンヌの背後から、その手を包むように止める。ジャンヌはなぜかディアスの手の温もりに、押し込めたはずの弱った心が込み上げてきた。それほど、大きく包まれた手は優しく力強い。
「ジャンヌ」
ディアスは名を呼んだ。ジャンヌ隊がジャンヌに様をつけず呼ぶことを妬んでいたし、羨ましかった。だから、ディアスはそう呼んだ。
「私はゴラゾンの騎士で、あなたは『ゴラゾンの乙女』です。騎士である私に見栄をはらせてくれませんか?」
ディアスは上着を取るように見せかけて、ジャンヌを背後から空気を含むように抱きしめた。いや、抱きしめるように背後から上着を掴んでいる。
ジャンヌの目の前にディアスの両腕が重なっている。ジャンヌはぽろりと一筋の涙を頬に伝わせた。
「乙女よ。この無礼な行いに許しを。そして叶うなら、私と三角巾を交換いただけませんか?」
ディアスの声は限りなく優しい。
ジャンヌは紡ぐ言葉を発せられずにいた。この隙間のある温もりにまだ包まれていたいと、思っていた。
「……情けないことに、私は不安なのです。三ヶ月も貴女の警護をしてきました。ずっと、この瞳に貴女を確かめていたのです。なのに、貴女の姿を私はとらえられない。貴女が私に本隊を託したからです。本当に情けないことです。私は貴女の姿が捜してしまう。それで、離れている現実に不安になるのです。大の男がです。ゴラゾンの騎士がです。ジャンヌ、この情けない騎士に貴女の代わりに三角巾をください。乙女の代わりに。私はいつでも貴女とともにありたいと願います」
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