リガ城
ゴラゾンの旗が山路を昇っていく。ジャンヌの代わりにタスクが旗を持っている。その横にジャンヌ。後ろにレイら闇騎士。さらに後方が眼帯騎士らと匂袋五人衆。
「ゴラゾン援軍である!」
レイは大声で叫びながら登っていた。シャルドの偵察に聞こえるように。敵兵と思われ配備兵から襲われないように。
やがて山城が姿を現す。砦には矢を構える兵士ら。その中央にシャルドが立っていた。ジャンヌはタスクから旗を受け取り、前へ出た。
「シャルド様! ジャンヌでございます!」
「な、なんと! ジャンヌなのか?!」
シャルドは信じられないとばかりに、ジャンヌ見つめた。口を半開きにし、唖然としている。
「ゴラゾン王より、王命を受け隊を率いて参りました!」
山城の中にジャンヌ隊が入ると、どよめきと歓声がおこる。
ジャンヌは出迎えたシャルドの前に膝を着き、山麓でジャンヌ隊が敵陣を制圧中であると告げた。
「待て、制圧中だと? ゴラゾンに余力な部隊などないはずだ。どの部隊だ? いや、待て待て、それよりどうやってドラド領内に入ったのだ?」
シャルドは突然のジャンヌの登場と、そのジャンヌが言った内容に驚いたのか、次々と疑問を口にしていった。口にすることで、状況を理解しようとしている。
「では、一つずつお答えいたしましょう。制圧中だと言いましたが、すでに制圧済でしょう。どの部隊かと申しますと、アルシンド様を王都にお連れした一中隊の一部……二百弱の騎士隊にございます。ドラド領内へは、リャンガの町長から教えてもらった旧道を使用し、入りました」
それを聞いたシャルドは、さらの驚愕した。
「たった二百で……」
シャルドだけでなく、城内のほとんどの者が信じられないとびっくりしている。そこに、一報が入った。
「ジャンヌ様、ドラド領内リガ山麓制圧にございます!」
ディアスからの使者だ。
「被害を述べよ!」
ジャンヌは使者に視線を移した。ジャンヌの瞳が震えている。
「本隊は百八十、全て無事にございます!」
使者は堂々と発した。ジャンヌの不安は騎士の被害である。一人たりとも失いたくはない。ジャンヌの震える瞳はそれを心配していたためだ。使者の報告にジャンヌは静かに瞳を閉じ、安堵を噛みしめた。再び瞳が開いたときには、もう憂いは消え去っていた。
「シャルド様への手土産を運べ。後処理を完璧にした後、全員登城せよ!」
ジャンヌはそう命じたが、それにはシャルドが異を唱えた。
「ジャンヌ、せっかく奪ったドラドの地を明け渡すというのか?」
「いいえ、明け渡しはしません。兵を置かずとも不可侵にさせることができるのですわ、シャルド様」
ジャンヌはそう言って、うふふと笑って見せた。
ジャンヌはレイに説明を託した。レイはシャルドに『乙女の匂袋作戦』と、その後処理を説明した。
「なるほど、リャンの森のあの臭いは……」
シャルドは顔をしかめた。そして、続ける。
「……それを撒き散らしてきたら、十日は臭いぞ。それにしても毒とはよく言ったものだ」
シャルドがククッと笑った。
「ですから、ドラド領内のリガ山入口は不可侵となりましょう。臭いだけならまだしも、毒を思わせたので早々に近づけませんわ。それに、この城までの道のりにもちゃんと仕掛けてありますから、ドラド軍は攻めてはこられません。遠巻きに陣をはるだけでしょう」
シャルドはジャンヌのその軍師ぷりに舌を巻いた。
「なかなかよのお、ジャンヌ」
「いいえ、これからですわシャルド様。敵に挟まれている第二王子様との合流!」
ジャンヌは声を張り上げた。
「次の行き先こそ、ゴラゾン勝利への道筋! 敵の背後を突きましょう、シャルド様」
翌朝、ディアス率いる本隊がリガ城に到着した。
ディアスは真っ先にジャンヌの元に走る。ジャンヌの安否はわかっているが、それでも目にするまでは心が落ち着かないのだ。警護騎士の宿命か、それとも……
「ジャンヌ様!」
勢いよくジャンヌのいる部屋を開ける。ディアスは焦るあまり、礼を欠いていた。淑女の部屋を何の先触れもなく開けるなどあってはならない。
「え? あ……ディアス」
ディアスはいきなり剣を引き抜いた。ディアスには許容できぬ光景がそこにある。
「貴様ぁぁ!」
「待て待て、ディアス!」
レイが慌ててディアスとの間をとった。
「問答無用! その汚らわしい両手を切り捨てる!」
ディアスが見た光景。それは、レイがジャンヌの素足に触れている光景であった。触れているだけであったが、ディアスにはジャンヌの足裏に顔を寄せるレイは、そこに口付けでもせんとしているように見えていた。
「ディアス!」
ジャンヌが真っ赤な顔で叫んだ。ディアスはジャンヌを見る。
「すぐに狼藉者を始末します故、お待ちを」
ディアスはそう言うや否や、レイに向かって剣を振り上げた。
「違う、違うぞディアス! ジャンヌは怪我をしている! っ、こら、聞きやがれ!」
レイはディアスの剣を剣で受け止めるが、相手は頭に血がのぼった警護騎士である。押し返すこともできず、レイは切れぎみに発した。
「怪我だ!! 怪我、足の皮がめくれてるんだって!」
レイは半ばやめくそになって叫んだ。
「怪我?」
ディアスは剣を放りなげジャンヌの元に走る。ジャンヌはサッと足を引っ込めた。しかし、ディアスは引っ込めたジャンヌの足首を引っ張り掴むと、その足裏をまじまじと見つめた。
「いっ、イヤアァァ!」
ジャンヌが盛大な悲鳴を上げた。レイが急いでディアスを剥がす。
「てめえこそ、狼藉者じゃねえか!!」
レイは剣の柄でディアスの頭をごつんと叩いた。
「俺ら闇騎士は医術も得ている。闇騎士は命の砦だからだ。主を守りきれず主が怪我を負ったとき、それを治療するのが闇騎士の役目でもある。その間、警護するのはお前ら警護騎士だろう。忘れたのか?」
ディアスは頭を押さえながら、すまないと謝罪を口にした。
「ジャンヌ、シャルド様にブーツの代えを貰おう。アルシンド様のブーツじゃ、ジャンヌには大きすぎるんだ。靴の中で滑って皮がめくれる。気づかなくてすまない」
レイはジャンヌの足にソッと上着を被せた。
「医者以外に足裏を見られるなんて、恥ずかしいよな? わかるぜ、ほんと。可哀想にジャンヌ。いいか、あの朴念仁に罵詈雑言浴びせてもいいぞ。タスクが包帯を持ってくるまで、ちゃんと見張れよ朴念仁のディアス! 俺はシャルド様にブーツを貰ってくる」
レイはディアスに嫌味の追い討ちをかけて、部屋を出ていった。ディアスにジャンヌとの時間を与えたのだ。ちゃんと詫びて許してもらえと。
ディアスは目を泳がせながら、ジャンヌの前へ行った。
「ジャンヌ様、申し訳ありません」
「……」
ジャンヌの応えはない。ディアスは項垂れる。
「どうぞ、私を殴ってください。気がすむまでどうぞ。何でしたら、ジャンヌ様のおみ足を見たこの目を突いてください」
「わ、わかったわ。ディアス、目を瞑りなさい」
目を閉じたディアスにジャンヌは近づく。ジャンヌは足裏をディアスに掴まれ、見られたことは恥ずかしかったが、レイやディアスの言うほどのこととは思っていない。だから、ジャンヌはイタズラ顔だ。ディアスの閉じたまぶたをツンツンとつついた。
ディアスはビクンと体が反応する。ジャンヌの指の腹がまぶたを優しく突くのだ。(た、確かに突いてくれとは言ったが、これは違う)とディアスは狼狽した。
ディアスの狼狽を知りながら、ジャンヌはディアスのまぶたで遊ぶ。まぶただけに留まらず、ジャンヌはディアスの少し伸びた髭に指を滑らせた。
「髭ってこういう感触なのね」
ジャンヌの吐息がディアスの顔にかかった。ディアスの顔が一気に熱を持つ。触れられる細い指の熱と吐息で、ディアスはバクバクと心臓が波打った。
「何だよ、もう許したのかジャンヌ」
レイとタスクが入ってきた。これまた先触れなしである。二人はわざとであったが。ディアスは目を開ける。目前の近すぎるジャンヌに、ディアスは固まった。濃紺の瞳に魂を吸い込まれそうな感覚と、ジャンヌの手がまだ髭にある現実の感覚との狭間で、ディアスは固まるしかなかった。
「ジャンヌ、ディアスが熱を上げるから、もう触れない方が良いよ」
タスクはいつもの穏やかで優しい声でジャンヌに言うが、なぜかディアスを見る目は笑っていない。目だけ笑っていない。ディアスを、冷ややかな笑顔で見つめていた。十分な威圧感である。
「さあ、ジャンヌ足を。ディアスはさっさと出ていってください。レイもさっさとブーツを置いて出ていきなさい。二人も医者はいらない」
レイとディアスは、氷の笑みを向けるタスクに恐れをなして部屋を辞退した。
「めっちゃ、怖っ。タスクは医者出の闇騎士だからさ。ディアス、勘弁してやって。俺と一緒で気づけなかったことに責任を感じているはずだ」
レイはタスクの想いを代弁し、ディアスの肩に腕を置いた。
「ディアス、俺もタスクも同じ土俵だってこと忘れんなよ」
そう言ったレイに、ディアスは首を傾げる。どういう意味だと問う前に、前方から眼帯騎士が二人を呼んだ。
両国伝令はすでにゴラゾン領に入ったそうだ。ドラド領内にゴラゾン軍が現れ勝利した。それはきっとドラドに衝撃を与えるだろう。領内に侵攻したゴラゾン軍の人数もわからない。ドラド軍は急いでドラド領に戻らねばならない。ドラドに侵攻したゴラゾン軍が大軍であったなら、王都へと向かうだろう。それを阻止するためにも、引き返さなければならないのだ。ゴラゾン軍が王都に向かわなくとも、ドラド領を奪ったゴラゾンに対峙する兵は必要となる。ほとんどの兵をゴラゾンに投入しているドラドは、どう引き返すかの選択に迫られる。
全軍を引き返すか。一部を戻すか。全軍なら和平。もしくは強行突破で戻ることも可能であろう。一部ならどの部隊とするか。また規模はどのくらいにするか。多く戻せば、ゴラゾンとの前線は厳しい戦いになる。だからとて、少なくても危険である。ゴラゾン軍が大軍でドラドに侵攻しているのなら、それを阻止できないことになるのだ。
「ドラドは、今頃判断に迷っているだろうな」
そう言ったのは眼帯騎士だ。シャルドの前に集まっているのは、ディアス、レイ、眼帯騎士。それと、シャルドが率いる中隊二つの各隊長と小隊長である。
山城の一室でゴラゾン領の地図を広げ、シャルドは敵陣と味方陣営の駒を地図上に置いていった。層のように重なるゴラゾンとドラド陣営が地図上にある。一番厳しいのはドラドに挟まれている第二王子の陣営だ。ジャンヌの言うように、ここに道筋をつければゴラゾンは勝利する。しかし、その道筋は苦難であろう。
「ジャンヌの策は?」
シャルドはジャンヌ隊の面々に視線で問うた。
「詳しくはまだ聞いておりません。もうすぐこちらに来ますので、お待ちください」
レイが答えた。
「そうか……、ところで、なぜ誰も言わんのだ? どうして、ジャンヌがあのような姿でここに来たことを」
シャルドの問いに、皆が目を伏せた。誰も答えようとはしない。
「そうか、なら本人に訊くしかあるまいか」
「シャルド様、それだけはご勘弁くださいませ! どうかジャンヌ様には何も訊かないでくださいませ!」
すぐさまディアスがシャルドに懇願した。
「シャルド様、ご勘弁を。医師として、今のジャンヌ様にそれを問うことを認めるわけにはいきません。傷を抉るようなことでございます。この想いはジャンヌ隊全ての総意と思ってください」
レイが沈痛な面持ちでシャルドに頭を下げた。
「王都で何かあったか……。いいだろう、問うまい。ゴラゾン勝利まではな」
会議にジャンヌが合流したのは、それから少し経ってからだ。タスクに抱かれながら入ってきたジャンヌの両足は、包帯がぐるぐると巻かれていた。ジャンヌの顔が赤い。タスクが優しい笑みでジャンヌに話しかける。
「今日一日は私がジャンヌの足ですからね」
ディアスは二人の姿に、マグマのようなものが心の奥底から沸き上がるのを抑えることができなかった。
「タスク、ジャンヌ様を渡せ。ジャンヌ様の警護騎士は私だ」
「ちょっと、待った。タスクがジャンヌ様の足になったら、ジャンヌ様の足は誰が診るのだ? 私がジャンヌ様の足になろう」
レイも名乗りを上げる。二人同時に立ち上りジャンヌに手を伸ばした。
「ジャンヌが決めればいいことだろ」
眼帯騎士がジャンヌにニッと笑った。ジャンヌはコクコクと頷き、眼帯騎士に手を伸ばした。するりとタスクの腕から降り、眼帯騎士に支えられながらブーツを履いた。ひょこひょこと歩いてシャルドの横に座る。呆然とする三人を眼帯騎士がガッハッハと笑えば、三人は気まずそうな顔で会議に戻ったのであった。
ジャンヌは地図を使って作戦を説明する。まず、リガ山からゴラゾンに抜ける二つの路の制圧方法である。ジャンヌ隊がリャンガ方面の路を、シャルド隊が第二王子方面の路を担当する。決行は、ドラド陣営にゴラゾンが異臭の毒を持っていると伝わってから直ちに。まだ毒だと思われている内に、あの匂袋を使い一気に攻め込みドラドを退散させるのだ。
「待て、ジャンヌ。兵数の偏りがありすぎる。それにこのリガ山を空にするのか?」
シャルドは眉間にしわを寄せていた。
「兵の偏りは、匂袋が代わりを果たします。シャルド様には一袋だけです。リガ山ですが、リャンガの民がここに山村を作ります。
この戦いの後にゴラゾンがリガ山を治めるには、城でなく民の存在が必要となりましょう。ドラドは侵攻のみしております。負ければ撤退を余儀なくされるはずです。山脈は元通り所有なしの国境線では、いったい何の戦だったのかと思われます。ですから、実効支配を今からしておかねば。今後のため、ドラドの動きを監視するためにもリガの支配を確固なものとしなければなりません。
シャルド様、あの異臭の効果はもって二週間。ドラドに毒でないとわかるまでに、進路を切り開きリガに戻ってくるのです。援軍がリガにいると思わせているからです。戻らねばいずれ見破られるでしょう。兵には戦場に命を散らすなと命令を。リガに戻ることこそが、ゴラゾンの勝利になるとお伝えください」
何ともスリルのある作戦であるかと、シャルドは天を仰いだ。たった二週間で全てを終え帰還する。その間、民に場を預け兵をおく場所を全くの空にする作戦など、一蹴し退けるのが普通である。しかし、何と言おうか、そのスリルに身を投じても良いと思わせる衝動を抑えられそうにないのだ。
「ワクワクしますね」
眼帯騎士はニヤリと笑った。無謀な作戦をやってのける達成感を、ジャンヌ隊はすでに味わっている。たった二百弱でドラドに侵攻し、敵を退け孤立無援のリガ山に合流するという奇跡を。シャルドとて、それを味わってみたいのだろう。やってやる! ここリガに押し込められた二ヶ月間の鬱憤をはらすべく、シャルドは眼帯騎士と同じくニヤリと笑ったのだった。
次話更新12/23(金)予定