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乙女の匂袋作戦

 その作戦を聞いたときの本隊の騎士らは、ジャンヌ隊の騎士らと同様真っ青な顔になり身震いした。ドラドの兵士よ、御愁傷様と皆が思った。思った、つまりこの作戦は成功すると確信しているのだ。


「本隊がドラド軍を追い出しているうちに、一気にジャンヌ隊がリガ山に登る。本隊は、すまぬ……」


 ジャンヌはそこで言葉を止めた。本隊は何となくわかっていた。皆、口元をヒクヒクさせている。


「ドラド軍が撤退した後の処理をしてくれ」


 ガクン。皆、項垂れハァーとため息が出た。腐敗臭の後処理などしたくないだろう。


「あ、そうだ。ジャンヌ隊に少し騎士をわけてくれないか、ディアス」


 本隊の騎士らが、項垂れた頭を勢いよく持ち上げ、ずいと身を乗り出した。皆、ジャンヌ隊に選ばれたいようだ。


「何名でしょうか?」


「匂袋五袋を背負える人数」


 顔を上げた騎士らは、見事なまでにジャンヌとディアスから視線を反らしたのは言うまでもない。




 大量の匂袋は一週間で完成した。それを本隊に任せ、ジャンヌ隊は先発していった。ドラド内のリガ登山一路の入口に配備されている敵陣を偵察するために。


 ディアスはジャンヌの後ろ姿を見つめる。本当は着いていきたい、その衝動を抑える。この憂さはドラド軍との戦いではらそうと、リガ山を越えたドラドに覇気を送った。


 ディアスが覇気を送った先の敵陣に、ジャンヌ隊は向かっている。険しい山路であるが、ジャンヌは皆に遅れはとっていない。それどころか先頭を歩いている。


「やっぱり軍服って動きやすいのね」


 鼻唄でも歌いそうな軽やかな足取りである。


「ドレスってほんと大変なのよ。あれで三ヶ月間必死に歩いていたら、足腰強くなっちゃった」


 ジャンヌは先頭のレイと同じ速度でピョンピョン跳ねながら進んでいっている。身軽な上、ドレスから開放され動きやすい軍服に、ジャンヌの足取りは軽い。ジャンヌの後ろの騎士らの方が山路に苦戦しているようだ。


「ジャンヌ、あまりはしゃぐと後で辛いぞ」


 レイは呆れ顔だ。ジャンヌは口を尖らせる。


「思い詰めた顔がいいの?」


 ジャンヌはレイの前だと小娘口調になってしまう。隊を率いてからは隊長言葉を使っているが、レイがいるとどうも小娘になるようだ。


「はんっ、そりゃよくねえわ。なるほどね、これから敵をはじめて見るわけだ。恐いって思っている顔はできねえわな」


 ジャンヌはべーっと舌を出した。レイは変顔で返す。レイの優しさだ。三ヶ月間ではあるが、ずっとジャンヌを見守ってきたのはレイとタスクだ。ジャンヌが一人で耐えてきた顔も知っている。皆がジャンヌに望む顔を、ジャンヌは見事に演じていたし、ものにもしてきた。ただ、ジャンヌの個の顔を置き去りにして。それを唯一見てきたのはレイとタスクと言えよう。真っ暗な部屋でぽつり『アルシンド様』と呟いたときの表情は、レイとタスクの胸を締め付けた。レイはあの日すでにジャンヌに誓っている。一生見守ると。




 リャンガの民に教えてもらったリガ山の裾のを行く道は、何百年も前に使われていた旧道で、今や誰も使わない荒れすさんだ道であった。丸一日かかって、ドラドの地が見える所まできたジャンヌ隊は、少し開けた場所にベース基地を作った。ここに本隊も合流する。本隊は一日遅れの予定である。


「ジャンヌ、夜営ははじめてだろ。後は皆に任せろ。中に入って休んでくれ。俺らは入口にいる」


 ジャンヌ用に素早く設えたテントに、レイはジャンヌを促した。ジャンヌは何か言おうとしたが、コクンと頷いて中に入った。レイとタスクがジャンヌのテントの見張りだ。


 ジャンヌはテントに入り腰を下ろした。そのままコテンと横になる。疲れが押し寄せてきて、ジャンヌはまぶたを閉じた。


「寝たな」


 テントの入口にいるレイは、気配でわかってしまう。闇の騎士であるレイには見えずとてわかるのだ。


「ああ、寝た」


 タスクも同じく。そこで二人はやっと一息吐いた。


「ずっと気が張っている。そうしなきゃ、溢れるんだろうな」


 レイはジャンヌの異変に敏感だ。


「まだ、泣きもしないんだ。こっちがつれえよ」


 レイはタスクと顔を見合った。闇の騎士は目だけで会話できる。互いに反らさないのは、譲らないとしめしている。


「二人で入るか」


 レイがため息をつきながら笑った。タスクは肩をすくめる。そして、荷物の中から毛布を取り出した。レイはテントの入口をソッと開け、中をうかがった。どちらが毛布をかけに中に入るかを、目で会話していたのだ。


 ジャンヌが身を丸めて寝ている。二人は起こさぬように静かに入り、ジャンヌに毛布をかける。


「んぅ……」


 眠りが浅かったのか、はたまた戦場ゆえの六感なのか、身の異変に反応しジャンヌはうっすら目を開けた。レイとタスクがしまったという顔をしている。


「ア……ンド様」


 その呟きが何を言ったのか、二人はわかっている。レイはジャンヌの横に座り、『ああ』とその呟きに答えた。ジャンヌの頭を撫でる。ジャンヌの瞳がまた閉じる。幸せな寝顔で健やかな寝息が聞こえはじめた。タスクも座り、その寝顔を見つめた。


 外でレイとタスクを小さく呼ぶ声がして、二人はテントを出た。眼帯騎士が手首を返し、来いと伝えている。レイはタスクをテント前に残し、眼帯騎士のもとに向かった。


「寝てるんだろ」


「ああ。少し寝かせてあげたい。その間に偵察に行く」


 眼帯騎士とレイがジャンヌ隊を仕切っている。レイが闇をまとめ、眼帯騎士が闇以外の騎士のまとめ役だ。


「じゃあ、こっちは本隊の準備と飯だな。昼に会議といこうや」


 レイと眼帯騎士が話をつけ、ジャンヌ隊は行動を開始した。




 眼帯騎士が笑っている。起きたジャンヌの髪がぴょんと跳ねていた。なんとも可愛らしい。


「ジャンヌ、まあ拗ねねえで座れよ」


 眼帯騎士がジャンヌの座る場を指差した。いつもの三人の真ん中だ。頬傷騎士がジャンヌに器を差し出す。器には、食べ物らしきものが見えた。たぶん、食べ物だと思われるが、ジャンヌには衝撃だ。


「ハハッ、やっぱ夜営飯ははじめてだよな。何でも食べれるもんいれて火をいれるだけだ。腹に入りゃ一緒だしな」


 ジャンヌはうんうんと頷いて、それに手をつけた。意外においしいらしく、ジャンヌは平らげた。


「お、偵察が帰ってきた」


 闇騎士が飯の輪に入る。レイはジャンヌの横に座った。器をもらうと、嬉しそうに久々の夜営飯だと笑っている。レイは闇になる前は、地方兵士であった。夜営飯を懐かしんでいる。


「ドラド側はやはり手薄だ。リガ城の兵士が二千に対して、麓には五百もいない。こっちがドラドに攻め込む状況にないから、手薄なんだろう」


 王弟シャルドがドラドに攻め込めば、城が手薄になりゴラゾン側のドラド軍がリガを奪う。反対にゴラゾン側のドラド軍へシャルドが進軍しても、同じ結果と言えよう。リガ登山路の三つは、二つがゴラゾンにあり一つがドラドにある。ゴラゾンにいる二つのドラド軍をシャルドは同時には攻められないからだ。ドラド側の配備兵が少ないのは、最もである。そこに兵を費やす必要はない。


 ジャンヌはその盲点を突こうとしている。思惑通りの兵の少なさに、ジャンヌは高揚した。ジャンヌ隊の面々もニヤリと笑っている。


「あいつら、安全な場所でだれてたし、気が緩んでる。手柄が取れねえ場所でイラついてる兵もいる。バラバラだ。こっちは圧倒的に少ないが、充分勝てる。『あれ』があるし」


 レイは鼻を摘まんでガクンと項垂れて見せた。


 美味しく楽しい昼食だった。




 翌日、本隊の迎えを眼帯騎士らに任せ、ジャンヌと闇騎士らはドラド軍を見に行く。風の通りを確認する。匂袋はドラド軍の風上に置かねば威力が発揮できない。発揮できないどころか、自滅してしまう可能性もある。


「運がいいことに、あそこに匂袋を置けばちょうどドラド軍の風上になる」


 レイが指差した場所は、大きな岩がごろごろ転がっている足場の悪い荒地だった。足場は悪いが、身を隠すには最適だ。


「偵察もいない。敵は完全にたるんでいる。まあ、まさかドラド領にゴラゾン兵がいようなど思っていないしな」


 ジャンヌは頷いた。


「問題は、敵にバレずに匂袋を置けるか。本隊をどこに置くか。でしょ?」


 ジャンヌの問いにレイは頷く。


「匂袋はなんとかなる。闇に任せろ。問題は本隊百八十をどこに待機させるか。あの岩を使うにしても全員は無理だ。まさか真っ向勝負って訳にはいかないだろう?」


 レイはそう答えた。ジャンヌは考えている。


「個隊は三つ。一個隊六十は岩で身を隠す。一個隊六十が敵に対峙する。一個隊六十は、あれを」


 ジャンヌの指先が敵陣に入っていく荷車を指した。兵糧を運んでいる荷車のようだ。


「シャルド様の所に手土産なしでうかがえないわ。たった六十での対峙なら、敵は油断する。一陣をかなり少ないと見せかけて、攻撃開始時に岩から二陣が出る。それから、手土産を奪った三陣めがドラドの横っ腹から出れば、敵は混乱する。こちらの人数を把握できないはずよ。さらに匂袋が臭いを撒き散らす。敵を追い出すには、夜の手前の薄暗い刻がこの作戦を最も有効にさせるはず」


 なぜそのような時刻なのか、敵にこちらの人数を把握させない時刻であるからだ。敵五百に対して百八十の戦いでは、倍以上の数の差がある。こちらの人数を把握させない最も有効な時間は夜であろう。奇襲だけなら夜が良い。しかし、敵を全て掌握するには無理がある。暗闇の中、敵の動向を把握するのは困難だ。だからといって昼間では、すぐにこちらの人数の少なさに気づかれてしまう。薄暗い時刻が有効であるのは、一陣のあとに二陣が出たとき、見張りにまだ兵が隠れていると錯覚させることができる。いや、その可能性を植え付けられる。そのときに、また違った方向から三陣が出れば、敵は囲まれたと判断するだろう。シャルドが陣取っているリガ山に逃げようとはしないはずだ。三方をゴラゾンに囲まれていると思わせれば、退路は一つだけとなる。ジャンヌが敵と戦うのでなく、追い出すと言ったのはこの思惑があったからだ。あえて傷つく必要はない。


「私の体たるお前たちに、傷は一つもつけたくないんだ。傷は一つだけでいい」


 ジャンヌは手を胸にあてた。


 それは、心の傷のことだ。偵察の騎士らは儚げに笑うジャンヌに胸がえぐられた。


「当たり前だ。傷一つつけるものか」


 あれ以上の傷をジャンヌに与えられようか。レイの言葉に、他の騎士も当たり前だと胸をはった。




 ベース基地では本隊が到着していた。小さな基地はぎゅうぎゅう詰めである。基地内では、騎士らがドラド領を目にし高揚している。熱気がすごい。加えて夜営飯も騎士らを満足させていた。


 ディアスは眼帯騎士から夜営飯をもらい食らっていた。その目はそこにいないジャンヌをすぐにとらえるようにと、ドラド領を見つめている。ジャンヌと闇騎士五人の影が見えたとき、ディアスはやっとほっとしたのだった。


 そして、


「……以上が作戦内容だ。ディアス、個隊の役目を決めてくれ。ディアスは一陣を指揮しろ。こっちは闇三名が匂袋の配置、残り五名が矢を射る。レイ、眼帯、任せたぞ。私は旗手でタスクが捕手だ。私が旗を振ったら、それを合図とする!」


 ジャンヌが命を出した。


 翌日、昼過ぎにまずは荷車を奪う個隊が出発した。ついでレイ率いる闇騎士。それを見送って、眼帯騎士ら。岩に身を隠す個隊が陽の傾きを確認し出発する。ベース基地から身を隠す個隊が無事配置できたのを確認し、ディアス率いる一陣が待ってましたとばかりに基地を出ていった。


 そして、最後にジャンヌとタスクである。


「ジャンヌ、我々が最後尾だ。誰も見ていない。無理に震えを抑えずともよい。私も初陣はガタガタと震えたよ」


 タスクは小さく震えるジャンヌの頭をポンポンと撫でた。


「タスク、酒を」


 タスクは無言で酒を差し出した。


 ジャンヌはコクンと喉を一鳴らしして酒を飲み込んだ。熱くなる喉と体が、震えに打ち勝つ。


「私の心は、私が乗り越える。皆がそうだったように。ありがとう、タスク」




 ゴラゾンの旗が風になびいている。真っ黒な軍服と同じく、ゴラゾンの旗も漆黒の色。そこに浮かび上がるは、白銀の盾とその両脇に濃紺のユニコーン。盾の上部には甲冑騎士。突き出した剣は黄金色。その漆黒に映える紋章の国旗と共に、ゴラゾンの騎士がドラド軍に対峙した。


 しかし、その映える国旗よりも目を惹くのは、旗手のジャンヌであった。紋章の盾と同じ白銀の髪は薄闇を照らしている。闇に対抗するように。ユニコーンと同じ濃紺の眼は何者をも惹き付ける。その背後に、薄闇と同化寸前の真っ黒な軍服騎士がいる。持つ剣は黄金色に発光していた。


「ゴ、ゴラゾン兵だぁぁ!」


 ドラドの見張りが驚愕の声で叫んだ。


 ジャンヌが大きく旗を振る。銀糸刺繍のそれは遠くからでもわかる白光の合図だ。矢が空気を切り裂き『あれ』に向かって突き刺さる。風がドラドに異臭を運んだ。ゴラゾンの黄金の光が岩影から出て倍になる。いや、三倍に。荷馬車を奪ったであろう隊が別方向から黄金の光を放った。


「小指を捧げよ!! 他は傷一つ受けることは許さぬ! お前らの体は私のものだ!」


 ジャンヌの号令がとび、本隊の黄金の光がドラド陣営に押し寄せていった。


 ドラド陣営は混乱の極みであった。立ち込める異臭が鼻をつく。右手に武器、左手で鼻を押さえる構えでゴラゾンの騎士に勝てようか。極めつけに、ゴラゾンの騎士が発した言葉にドラド兵は逃亡せざるを得なかった。


「捕まっても解毒などしてやらんぞ、ドラドの兵士よ!」


 そう言って、ゴラゾンの騎士があの異臭の物体を投げつけてくる。異臭の元が毒だと告げられ、ドラド兵は逃げまどった。リガ山麓からの撤退しかなかったのだ。


 銀と金が闇を照らし、ドラドを退けた。ジャンヌの初陣は勝利したのだった。

次話更新12/20(火)予定

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