凱旋と王家への文
王の率いる隊と、ザイードの率いる隊に完全に挟まれて、ドラドの勝利は万に一つもない状況に陥った。退路の確保もまだできていないドラドは、慌ててドラド方面つまりザイール側を突破しようとしたが、そこにアルシンドの隊が立ち塞がった。あの『ゴラゾンの乙女』の騎士隊を見たドラド兵は、戦わずして踵を返した。
ドラドから和平の申し入れがあったのは、その無様な不戦敗ぶりから一日もたたずであった。
ゴラゾン王は勝利を宣言し、ドラドは多くの犠牲を払い撤退していく。領土線などの和平交渉はゲラル・ザルクス侯爵が一手に受けた。
「ゲラル頼んだぞ」
ゴラゾン王はゲラルにゴラゾンの大軍を預け、近衛を従え王都へ向けて一路凱旋をはじめる。その横には、アルシンドやザイードがゴラゾン国旗を持って並んだ。
王都では、歓喜する民と共に王妃が王の凱旋を待っていた。城門の前で待つ王妃の目に、ゴラゾン国旗が映った。
「王様!」
王妃が声をあげる。王妃はドレスを摘み、王の元へと駆け寄る。王は馬から降り、王妃を抱きしめた。
「王妃よ、さあ勝利の帰還を祝おう」
王の前に王妃が膝を着き、両の手を差し出した。王はそこに兜を渡す。出陣の儀式同様、勝利の儀式を終え王は高らかに発した。
「ここに、ゴラゾンの勝利を宣言する!」
と。大歓声が沸き上がったのだった。
王都、西の端。大きなテントとゴラゾンの大軍が構えている。ゲラルが任された和平交渉の場である。
そのゲラルの元にそれが到着したのは、王が凱旋をはじめた翌日であった。
「あれは、いつになってもじゃじゃ馬だな」
ゲラルの第一声を聞いたテツはクツクツと笑った。あれとはもちろんジャンヌのことである。
「すでに報告はきている。その王子と引き換えにリガ山の領土権をドラドに了承させる。あれは政治にも強いな」
ゲラルは満足げに頷いた。手にはジャンヌからの文が握られている。
「ドラドが撤退するだけでは元に戻るだけだ。山脈も元の領土線のままなら、この戦の無意味さが目立つでな。あれは人質をうまいところで使いおったわ。あの最終戦でさらすこともできたであろうにの。それと引き換えに撤退をさせることもできたであろう。しかし、そうはせず、ゴラゾンは自力で勝利を掴み、ドラドを撤退させた。そして、ここでこの和平交渉に使えとあれは王子を出してきた。さすが我が娘だ」
テツが不思議そうにゲラルを見ている。ゲラルはテツの疑問に愉快に答える。
「見せかけであるが、奪ったドラド領の代わりに山脈の一つの山から撤退せよ。王子の代わりにもう一つの山から撤退せよ。ゴラゾンはリガ山をすで掌握済みだ。これに対し異議を唱えるな。わかるか、テツよ。あれはそう報告してきよった。山脈二つからもドラドを撤退させる手腕を持っている。これで完全にドラドの敗戦だ。ドラドは奪った山の一つさえ手に入れられない」
テツは『さすが嬢ちゃんだ』と言い、腕組みしながらうんうんと頷いた。
「だがな……全く惜しいことよ。あれは……婚約破棄を申し出おった」
テツは瞬きした。ゲラルが何を言ったのか、一瞬信じられなかった。しかしすぐに気づく。
「……嬢ちゃんに何かあったんですか?」
髪を切り軍服姿で戦場に立っていたことに、テツとて違和感がなかったわけではない。
「テツよ、もうあれに重荷は背負わせたくはない。あれが、ゴラゾンの後の王妃に相応しいことは、ゴラゾンの民ならそう思い願うであろうがな。『ゴラゾンの乙女』であるからな。ゴラゾンを奇跡の勝利に導いた乙女……すでに民からそう讃えられているそうだ」
ゲラルは王都に視線を向けた。
「だが、もうあれはあそこは望まぬだろう」
悲しげにしみじみと呟くゲラルに、テツは問うことはやめたのだった。
王都、王城の王間。凱旋から十日経っていた。ゲラルが和平交渉を終え帰還し、登城している。皆固い面持ちで王間に揃っていた。和平交渉はうまくいった。しかし、『ゴラゾンの乙女』の所在がわからない。その報告が昨日王に届いた。そして翌日のゲラルの登城である。
「皆さん、和平交渉はうまくいったのに、ずいぶん浮かないお顔をされていますね」
王間に入ってきたゲラルの一声はとても軽やかに発せられた。ゲラルは王の前に膝を着くと交渉の成功を報告した。
「大義であった」
王はゲラルを労った後、言いづらそうにゲラルに報せた。
「ジャンヌの所在がわからんのだ。すまない、ゲラル。リガまでの足取りは掴んでいるのだが、そこから忽然と消えた」
ゲラルは首を横に振った。その顔は穏やかに笑んでいる。
「王様、ジャンヌから″王家への文″を預かっています。……婚約破棄の申し出と王様への文です」
王間がざわついた。ゲラルはアルシンドを一瞥した。強く固めた拳は何を思うのか? ゲラルは目を細めた。胸にある感情を押し殺すように小さく息を吐き出し、王に視線を戻した。
「ジャンヌ個人の申し出か、それともザルクス侯としてもそれを申し出るか?」
王の問いにゲラルは目を閉じ深く頭を下げた。
「ゴラゾン王太子アルシンド様との婚約の辞退を申し出ます。破棄ではなく、辞退とさせていただきたくお願い申し上げます」
「破棄でなく辞退か」
王はフッと笑った。その王の手にジャンヌからの文が渡る。王は婚約破棄の申し出と、ジャンヌの文を読む。片眉が上がり、険しい目になるが、文を読み終える頃には口角が上がっていた。
「もったいないよの。ゲラルよ、お前もそう思っているであろう。ジャンヌは王妃の器であるぞ」
「ええ、そう思います」
その会話にアルシンドの顔が上がった。しかし、それも一瞬の希望であった。
「だが、これしか方法はないであろうな。アルシンドとの婚約の辞退、受けようぞゲラルよ」
アルシンドがそれを聞いて王の前へ勢いよく出た。
「どうか、ご猶予を!」
「ほお、アルシンドよ。猶予?」
「ジャンヌを説得します」
「何と説得するのだ?」
「婚約の続行です!」
「では、エレン嬢はどうする?」
「それは……」
アルシンドは答えられない。
「器でないと記してきた。自分は寄り添うこともせず、癒しも温もりも与えられず、支えることができなかった者が、王太子の婚約者にはなれないとな。王太子の名代も勤めあげ、さらに支えにもならなければ、その器に相応しくないのだと。王妃はそれが出来ていたのに、自分は出来なかったのだからとな」
王は隣の王妃と目を合わせた。互いに微笑みあい、それからジャンヌの文に再度目を落とした。
「違います! それは違います。私の弱さなのです。甘えていた。自分が情けなく思います。ですが、機会をください。王様、ザルクス侯」
アルシンドは声を震わせながら発した。背後ではディアスやレイ、タスクが唇を噛みしめ控えている。悲痛な面持ちだ。
「アルシンド、もう一度訊く。では、エレン嬢はどうする?」
「っ、そ、それは……」
王はため息をついた。手を上げて合図を送る。王間の扉が開き、エレンとその父と母が入ってくる。父母は期待に胸を膨らませている表情である。エレンは、アルシンドを見ると恥ずかしそうに視線を向けた。アルシンドは息を詰まらせた。三人はこの場に呼ばれたことが、アルシンドとの婚約のことであると思っているようだ。
最後にシャルドが入ってくる。
「王様、ゴラゾン勝利お祝い申し上げます」
シャルドはそう言って、ザイードや第三王子の横に立った。
「よし、全員揃ったな」
王は大きく息を吐き出した。
「再度訊く、アルシンドよ。ジャンヌとの婚約の続行を望み、エレン嬢とはどうするというのだ?」
王はそう言って、真っ直ぐ射るようにアルシンドを見つめた。エレンは王の言葉が信じられなかったのか、大きく目を開きアルシンドを見つめる。
「……」
アルシンドは押し黙る。
「エレン嬢、そちに訊く。何を望む?」
エレンはビクンと体を震わせた。出陣の日の廊下以来、エレンは王と会していない。
「わ、わたしは、……アルシンド様と居とうございます。ぅっ、ぅっ」
震える小さな声だ。涙が溢れているのだろう。嗚咽が聴こえる。アルシンドは目をギュッと閉じた。
「すまない」
押し出すようにアルシンドは発していた。それを聞き、エレンはさらに泣き出した。そこに王の言葉が落とされる。
「二人の望みは聞いた。ではジャンヌの望みは何であるか、知りたくはないか?」
王はまた文を見る。その顔は穏やかである。
「アルシンド、エレン嬢よ。ジャンヌの望みを伝えよう」
王は立ち上がった。王妃も横に寄り添う。
「ジャンヌの望みは、いや、『ゴラゾンの乙女』の望みは、ゴラゾンの安泰だ。ゴラゾンの未来の平和だ。未来を担う者は、それを背負わねばならない。
名代は勤めあげても、寄り添い支えることが出来なかった自分は、力不足であると謝罪しておる。……寄り添い支えることが出来たが、民や臣下の忠信を失わせた者に、未来は背負えはしないと進言している。どちらも、未来の王の王妃の器にないとな。
未来を背負う王ならば、ゴラゾンの未来に平和をもたらす妃を迎えねばならない。ドラドの隣国であり、ゴラゾンの新たな領土リガにも面している″ガルゴ国の姫″を一の候補とすることを提案しておる。ドラドに牽制できるからである。一の候補がだめなら、二の候補三の候補……ゴラゾンの平和に繋がる姫をとな」
王は文を畳んだ。それをシャルドが受け取る。
「お前たちの望んだことと、ジャンヌの望んだこと、こうまで違うとはな」
アルシンドは両膝を床に落とし、拳を膝に強く押し付けていた。エレンはペタンと床に座り込んでいる。ジャンヌはゴラゾンの未来を思い、アルシンドとエレンは己の恋慕を思う。まざまざと見せつけられた確固たる差であった。
「王妃に一番相応しいのに、その言葉を覆すことを我々は出来ないとは、歯痒いことだ」
シャルドがそう言って顎を擦った。ゲラルはシャルドに会釈し笑んで応えた。王はアルシンドの肩に手を置く。王妃はエレンをそっと抱き上げた。
「エレン、貴女には三つの選択肢があります。
一つ目は側室となること。でもこの場合、アルシンドの正妃が決まり、世継ぎを生み、正妃の立場が確固たるものになってから側室になること。また、それまでアルシンドとの面会は禁じます。早くて三年、遅くて五年はかかるでしょう。貴女の華の時代は終わった後になります。
二つ目は他の誰かに嫁ぐこと。けれど、ここゴラゾンで貴女を受け入れる貴族はいないでしょう。純潔でない貴女を望むものは。他国のそれも妻に先立たれた者になります。相当な年の差の覚悟がいりますわ。
三つ目は……修道院です。
よく考えなさい。貴女の望みとゴラゾンの貴族としての矜恃、何が貴女の芯になるものですか?」
王妃はそれからエレンの父と母を睨む。
「王妃の座に欲を出し、貴族としての矜恃を忘れた者よ。戦時中でありながら婚礼衣装の依頼に行っていたとは、ゴラゾンの貴族としてあるまじき行いです。あなたたちのその姿が、エレンの判断を狂わせたのです。正妃の座がどんなものか、ジャンヌの文でおわかりでしょう!」
エレンの父母は床に額を擦り付け謝っている。やがて王が合図を出し、三人は王間から下がっていった。退出時、エレンは振り返りアルシンドの背に『さようなら』そう呟いた。その声はアルシンドに届いたであろうか?
アルシンドがゆらりと立ち上がった。
「王様……最後の願いをお聞きください」
その声にジャンヌとの婚約続行を望んだときのような力はない。
「何だ、言ってみよ」
「せめて、ジャンヌに。ジャンヌから聞きたいのです。文でなくきちんと会って話し、受け入れたい……」
立ち上がったアルシンドは項垂れていた。
ーーガシャンーー
ディアスが剣を床に叩く落とした。そのままアルシンドまで進み、胸ぐらを掴む。
「アルシンド、お前……お前は、どこまでジャンヌを追い込めば気がすむんだ! ジャンヌのいや『ゴラゾンの乙女』の言葉を聞きたいだと! そうやって、己でなくジャンヌに決めさせるのか。『ゴラゾンの乙女』の決めたことに、民は納得するだろう。臣下も納得するだろう。
だが違う。ジャンヌはそれを望んでいない! お前が! お前が決めることなんだ。未来を背負うお前が、ゴラゾンを思い、ゴラゾンのために下した判断に、民や臣下たちがついていくのだろ? 文を王様に託し、ゴラゾンの未来をお前に託した。ジャンヌはそれを願って身をひいたのだ。姿を消したのだ……お前に下して欲しいんだ。
ちゃんと、未来を担う立派な王の片鱗をみせてくれと。ならば、別れも胸を張れるから。
ジャンヌを解放してくれ!」
ディアスはアルシンドの胸ぐらを離す。アルシンドはよろけり、また床に腰を落とした。
「立ちやがれ! お前が未来の王であるならば!」
王間はディアスの荒い息遣いだけが響いている。すると、アルシンドが『うおぉぉぉぉーー』と叫びながら、両手で頭をがしがし掻きだした。
やがて、ディアスの荒い息遣いが落着き、アルシンドの叫びも息を尽きる。アルシンドはふらりと立ち上がった。
「ガルゴに打診を王様。ゴラゾンの平和のために!」
身も心もぼろぼろだ。だが、芯は活きている。アルシンドはまた新しい未来の自分に手を伸ばした。王妃の前で泣き崩れ出陣を願ったときよりも、さらなる高みに向けて彼は立ち上がったのだ。
「ディアス本当だな。泣くことは強い者のすることだ。泣くことは、乗り越える力をわかるから泣くんだな。そうやって、新しい自分になって強くなる。今だからわかるよ」
アルシンドは泣き崩れていた。しかし、清々しく笑っている。ディアスも笑みを返した。
「ディアス、ジャンヌを……ジャンヌを頼んだ」
「言われずとも」
ディアスは王の前に進み膝を着き、警護騎士の解任を願い出た。
「ディアス、一人でかっこつけるなよ」
レイも王の前に膝を着く。
「私ももちろん行きますよ」
タスクも並んだ。
「ディアス、レイ、タスク三人を王宮騎士から解任とする」
王は踵を返した。王妃もアルシンドもそれに連なる。『頼んだぞ』王は背中ごしに発したのだった。
次話更新2/4(土)予定