終焉
ジャンヌと王は遠目にお互いを確認した。本来、王の到着を待つべきであったが、ジャンヌは王に音のない言葉を発した。
『王様、お許しを』
ジャンヌは扉を開けた。
真っ正面の窓には西方の煙が見える。その窓の前には重厚な机がある。主に使われなくなった机が。左に応接のソファーとテーブル。右にベッド。二つの山並みあった。
ジャンヌはもう一度真っ正面の窓を見る。戦の煙がよく見えている。
「ゴラゾン城の中で、ここだけは平和ね」
その言葉の後を待たずして、王が部屋に到着した。背後の気配にジャンヌは振り返る。
「ジャンヌともあろう者が、先ほどの無礼どうしたというのだ?」
王の言う無礼とは、王の姿を確認したにも関わらず、待ちもせず、中に知らせもせず扉を開けたことをいうのだろう。
しかし、ジャンヌは王のそれには答えず、視線を山並みへと向けた。
「無礼……」
王は様子のおかしいジャンヌの視線を追うと、目を見開いた。
「どうぞ、私の無礼を叱責くださいませ。この前で、叱責くださいませ」
この前とは二つの山並みの前でということだ。二つの山並みは王太子と女。王太子の右腕に幸せそうに腕枕されている女。その横で健やかな寝顔をする王太子。左手には包帯が巻かれているが、もう化膿も出血もしていない。
ジャンヌという婚約者がいながらこれほどの無礼があろうか。その前で叱責などできようか。
「これは、いったい……」
どうしたことか? そう紡ぐことはふさわしくない。わからぬときに発する言葉をこの状況下で言えるはずもない。状況はわかっている。王太子と女がベッドを共にしているという状況は。戦の最中だというのに。まだ昼間だというのに。
「王様、ゴラゾン国で唯一平和であるこの場所を、破壊いたしますことのお許しを。加えて破壊いたします許可をいただけますか?」
ジャンヌはそう言うと、また西方の煙を見た。
王は肩で息をしだした。目をカッと見開き憤怒の形相だ。
「許す! だが、破壊はわしの役目だぁぁ!」
王の剣が王太子に向かった。
王の前に闇の騎士二人が現れる。一人は王太子の体を庇い、もう一人は王の腕を止めた。
王太子は王の怒声で覚醒した。剣を自分に向ける王とそれを庇う闇の騎士が目に入る。隣の女は悲鳴を上げて布団に潜った。そして、王太子にしがみつく。
「ち、父上」
「父上だと? わしは戦がはじまった時に宣言したはずだ! 王族として、ゴラゾン国を率いる者として、親子兄弟の関係は捨てよと。ゴラゾン国の勝利のために父の首とて必要あらば切り捨てろと。わしも、ゴラゾンのためなら息子の首とて切り捨てるとな。戦の最中だ! 王を父などと呼ぶでない!」
王は王太子を睨み付けた。そして剣を引っ込める。闇の騎士は王の前にひれ伏し、首を差し出した。
「ほめてやる。闇の騎士の役目をきちんとはたしたな。しかし、姿を知られたからにはもう闇の騎士としては生きられぬ。王太子の闇の騎士及びに警護騎士を解除する! お前たちは……その首をジャンヌに預けよ!」
騎士らは王の命に従った。ジャンヌの背後へと回っている。
それを確認した王は、再度剣を王太子に向ける。
「なぜ人の気配に気づかなかった? なぜ服を着ていない? なぜ靴を履いておらん? なぜ剣を持つ右手が自由に動かん? なぜ剣はないのだ? なぜだ……勇敢であったアルシンドはどこへ消えた?」
人の気配に気づかなければ、簡単に寝首を取られてしまう。服や着、靴を履いていなければ有事の際にすぐに動けない。剣を持つ右手が自由に使えぬ状態などもっての他である。その右手に剣をすぐさま持てるように、寝ている時は布団の中に剣を忍ばせることも、戦の最中には常ならんこと。
王は瞬きもせず王太子アルシンドを睨み付けた。剣はアルシンドの首元寸でで止まる。その剣先が、アルシンドの横へと移動した。
「王への忠義もないのか、女」
女はブルブルと震えている。
「王であるわしの前で無礼であろう!」
王の手が布団に伸びた。
「父上! お止めください! エレンは何も身に付けておりません。ゆえに動けぬのでございます。どうか、着替えのお許しをください」
火に油を注ぐとはこういうことを言うのだろう。王太子は自らこの不貞を肯定し晒したのだ。王が布団をめくっても同じ結果であったが。
「エレン、一つお訊きしても良いかしら?」
王の独壇であった場に、ジャンヌが入ってきた。王はちらりとジャンヌを見る。
「王様、王太子様の婚約者として、ゴラゾンを率いる者として、どうしても確認したいことがございます」
王はジャンヌの落ち着いた様子を訝しげに見た。泣きわめき、罵詈雑言を発し、悲嘆にくれてもいい状況であるのにだ。その無礼をすべてしたとしても、王はジャンヌを咎めはしないだろう。
「許可しよう」
王は一旦退いた。アルシンドとエレンから少しだけ緊張が解ける。
「エレン、貴女の母君はどちらにいらっしゃるのです? 数日前からいないでしょ?」
その質問に王の顔色が蒼白になる。最悪のシナリオが頭に浮かんだのだ。王はジャンヌの思惑をすぐに理解した。
「ジャンヌ、そちはアルシンドを守るためにか?」
ジャンヌは首を横に振った。
「いいえ、そのようなことはないと思っておりますが、万が一を思い尚早な行いをしていると自負しております。ですが」
「よい。もうよい。それもまたアルシンドのためであろう」
王はジャンヌを制した。そして、アルシンドを見る。今度は睨むのではなく、哀れな瞳で。
「エレン、貴女の母君は敵に捕まっているわけではないわね?」
布団の中のエレンは小さく『ええ』と答えた。
「そう、良かったわ。もし、捕まっていたらと思って心配でした」
そこで騎士らも事態の緊急性に気づいた。もし、捕まっていたら、エレンは王太子の寝首を取る駒にされていただろう。母君を助けたければ、王太子の首を取ってこいと脅されて。
その危険性にいち早く気づき、ジャンヌは行動に出たのだ。
「女、まだわからぬか? 自ら出てくることもできぬか?」
王のいく分落ち着いた声のおかげか、エレンは布団を握りしめながら顔を出した。
「母上は捕まってなどおりません。東方の町に私の婚礼衣装を依頼しに行っております。私とアルシンド様の! ゴラゾン国内ではまだ依頼できませんので」
エレンはジャンヌを睨んでいた。その瞳は憎悪に染まっている。それから、わぁんと泣き出し、アルシンドの胸に飛び込んでいった。
その体をしっかりと包むアルシンド。周りの騎士らを睨み付け、エレンの露になっている肌を見るなと威嚇しているようだ。
「……」
「……」
ジャンヌと王は無言になった。二人の視線はアルシンドへ向かう。
「王様、私はエレンが愛おしいのです。怪我をした私の支えとなってくれました。肉がちぎれる痛みと、その時の情景が悪夢となって私を苦しめたのです。その悪夢に温もりと癒しを与えてくれたのがエレンなのです。……ジャンヌは私の見舞いにも看病にもほとんど来ておりません。体の欠損した私など、もう魅力を感じないのでしょう。まだ傷のある私に、臣下の前へ出ろと無理難題を押し付けたのです。エレンが私に危害を加えるなどありえません。女の嫉妬は見苦しいことです。エレンを辱しめるのが楽しいか、ジャンヌ?」
アルシンドとエレン以外の者は、『ああ、これで終わってしまった』と思った。