名代返上
ザイードが見た新たな砂煙は、アルシンドの隊であった。アルシンドの復帰を目にし、ザイードは決断した。王都目前に迫っていたドラドに総攻撃すると。背後の心配はもうないと判断してのことだ。
「兄さん、おいしいところ持っていくな」
ザイードはクスリと笑った。それも一瞬で切り替わる。目前のドラドを鋭く睨み総攻撃を指示したのだった。
***
シャルドはアルシンドの隊が合流したのを黙視し、ちらりとジャンヌ隊を見る。ジャンヌは新たな援軍には気づいていないようだ。
「アル坊、ようやくお出ましか?」
シャルドの軽口に、アルシンドの眉がぴくりと動いた。
「シャル爺、そろそろご老体を休まれてはいかがです?」
アルシンドも応酬した。馬上で言葉の応酬をしながら、二人は敵を倒していく。
「中隊といったところか?」
シャルドはアルシンドの隊の人数を千人ほどとみた。
「それよりも、少しすくないですね。八百名です。いえ、ジャンヌの率いている騎士らと合流すれば、中隊となりましょう」
「それは心強いことよ! 一気に駆逐するぞ、アルシンド」
二人の隊はドラドの精鋭隊をなぎ倒していった。
犠牲の数は圧倒的にドラドが多かった。転がるドラド兵をシャルドとアルシンドは見ている。
「終わったな」
シャルドはやっと静かな声を落とした。
「ええ。いえ、まだこれからです」
アルシンドはザイードの隊に視線を移した。
「アルシンド、間違えるな。そこではないぞ、お前のこれからは」
シャルドはそう言って関の方を見た。ジャンヌが戦っている方向を。アルシンドもそれに続いた。
「ですが、私は報告に向かわねばなりません」
「そうか、ならば先に私が行こう。……ジャンヌとは賭けをしているでな。少々挑発でもしてくるかの」
シャルドはガッハッハと笑った。アルシンドは深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
と。シャルドはそのアルシンドの頭をグリグリと撫でた。
「見ないうちに、随分男らしくなったな。男らしい手じゃないか」
シャルドはアルシンドの失った小指を見ている。
「はい。私が唯一誇れる手です。それに気づかなかった自分が恥ずかしく思います。この失った小指は弱いからではなく、強く誇らしいものであると……気づかされました」
アルシンドは遠く関の方、ジャンヌの姿など見えぬがそれを見ていた。
「ああ、男の怪我は勲章だ」
シャルドはアルシンドの左手を両手で包んだ。
「この手は何を守っていくのだろうな?」
シャルドはニヤリと笑って手を離した。部下二人を呼び、関の方に駆けていった。アルシンドは自身の手を見る。
「守りたいものは決まっている」
そう呟いて、アルシンドも駆け出した。
シャルドは関に向かう途中で馬を止めた。ちょうど、ザイード隊の全体が見える場所である。総攻撃の様を見ていて、警戒が削がれていたのだ。ジャンヌの叫ぶ声を聞くまで、その気配に気づかなかった。背後に敵が息を潜めていたことを。
ジャンヌの叫びでシャルドはすぐに応戦するが、敵は予想外に多く手惑う。手惑うどころか、押される一方であり、防ぎきる余力がシャルドには残っていなかった。加えて、この状況はジャンヌをも危険にさらしていた。ここで、ジャンヌが捕らえられれば、ドラドはまた勢いを増すだろう。戦場に駆け巡っている『ゴラゾンの乙女』の命を手に握ってしまえば。
シャルドは叫んだ、ジャンヌに逃げよと。しかし、ジャンヌは逃げるどころか自身の手足であるレイとタスクをシャルドに遣わせた。
騎乗したジャンヌが慌てたように、ディアスに向かっていく。シャルドの目にもその矢が見えた。ジャンヌは自身の体を盾にしようとしていた。シャルドは息が止まった。心の中で『ジャンヌ!!』と叫ぶ。
ーーバシューー
颯爽と現れたのはアルシンドである。アルシンドは矢を剣で叩き折ったのだ。シャルドは気が抜けたと同時に、体の芯から力が込み上げてきた。残った力などないはずであったが。安堵と憤怒が同時に沸き起こり、敵兵にそれを向けた。それは、レイとタスクも同じであり大暴れしている。
「おかえりなさい。アルシンド様」
その声は皆の耳にどう届いたであろうか。遅れてきたアルシンドの隊が合流し、危機は去った。
シャルドは若者たちの姿を眩しく見ていた。
***
「関にご案内いたします。アルシンド様」
ジャンヌはそう言ってリリィを蹴って動き出す。その横はいつものようにレイとタスクである。ディアスはアルシンドの横に連なった。アルシンドはディアスと話しながらも時おりジャンヌを見る。
「アルシンド様、泣きましたか?」
ディアスはそう問うた。
「は?」
アルシンドの視線はディアスに向く。
「ああ、そうだな。情けないが、王妃様の前で膝を着き頭を床に擦り付けてな。出陣の許可をもらったときには顔はグチョグチョだったよ」
アルシンドは眉を下げた。ディアスはそれを眩しげに見つめた。アルシンドはディアスの表情に戸惑った。ディアスはアルシンドの表情をよみ、肩をすくめる。
「泣くのは強い者がすること。泣いた後にそれを乗り越えていくから。泣くことは、乗り越える力をわかっているから泣く。そうやって、新しい自分になって強くなる。一番弱いのは、泣かない者。乗り越える力がないとわかっているから泣けない」
ディアスは淡々と発した。その目はジャンヌを見つめる。
「ジャンヌはそう言いました。……ジャンヌはまだ泣いていません」
アルシンドは衝撃を受けた。話の内容だけでなく、ディアスがジャンヌを見る瞳の色が何を意味するかわかったからだ。そして、ジャンヌを呼び捨てにしていることにも。ディアスが再度アルシンドに視線を向けるまで、アルシンドは息が止まっていた。
「デ、ィアス? なぜ……」
アルシンドの喉はカラカラと渇く。ディアスはフッと笑った。
「なぜ? 何に対してのなぜです?」
その言葉を最後に笑みは消え、ディアスは鋭くアルシンドを見た。
「俺の感情なんてどうでもいいことだ。いや、ジャンヌは俺に言ったよ。『私にはエレンはいらない』とな。俺は拒まれた。ジャンヌは今も泣かずに立っている。『ゴラゾンの乙女』であり続けている。お前の名代であり続けているんだ」
王子であるアルシンドに対する口調ではない。ディアスはアルシンドの動揺が、どんなものであったかを見破っていた。ここが戦場でなければ、ディアスはアルシンドに殴りかかっていただろう。ジャンヌの心の叫びでなく、ディアスの思慕に反応したアルシンドに怒りが込み上げたのだ。エレンの思慕を受けたアルシンドが、なぜそこに反応するのかと。
「……」
アルシンドは唇を噛みしめた。反論できるわけがない。
「未来が描けないと言っていた。『私の未来はゴラゾンの勝利で綺麗に終われたらいいのにな』と……そんな言葉を聞いて手を伸ばした俺をお前は責められるか?」
ディアスは鋭い視線を緩ませ、眉が下がっていた。悲しげな瞳だ。アルシンドはその瞳を知っている。あの日、ジャンヌも同じ瞳をしていた。そう、あの日、王都の部屋でエレンを抱きしめたときに見せた瞳と同じであった。
「私は、アルシンド様に着きます。隊の者もそうするでしょう。ジャンヌを解放してください、貴方の名代から」
「元よりそのつもりだ」
それだけはハッキリとアルシンドは宣言したのだった。
***
関に着くと、ジャンヌ隊はすぐさま立ちあがり、ジャンヌの前に膝を着いた。アルシンドの姿があろうが、その背後に中隊ほどの兵が居ようが構わなかったようだ。ジャンヌは苦笑し、自身もアルシンドに向けて膝を着いた。
「アルシンド様、失礼を承知にお願い申し上げます。我が隊への労いをしたいのですが、許していただけますでしょうか?」
ジャンヌはアルシンドに頭を下げた。そこにアルシンドの婚約者たるジャンヌはいない。いるのは、隊を率いる頭としての『ゴラゾンの乙女』である。アルシンドは心の狼狽えを何とか隠し、『許す』と答え数歩下がった。
ジャンヌは立ち上がる。目前には百名の騎士らだ。
「お前たちの体は小指以外私のものだと言った。私の体は小指以外皆のものだと言った。しかし、それは今をもって終わりとする。預かっていたお前たちの体を、私は返す!
私はアルシンド様の名代としてお前たちの前に立った。アルシンド様は復帰した。お前たちは今からアルシンド様に着け。それを私の最後の命令とする。
今まで、こんな小娘の元に居てくれてありがとう」
ジャンヌはゆっくり片膝を着き、騎士らと同じに目線を合わせた。
「ありがとう」
騎士らは熱いものが込み上げてきたのだろう、潤んだ瞳でジャンヌに頭を下げた。
「立て!」
ジャンヌは腹の底から声を出した。騎士らは一斉に立ち上がる。ジャンヌはディアスの元に歩んだ。腕を伸ばしディアスを抱擁した。ディアスは突然のことで固まってしまう。ジャンヌはありがとうと耳元で発した。そして、次にレイ、タスク……騎士ら一人一人を抱きしめていった。
最後の騎士になる。ジャンヌは騎士を抱きしめた。それから、眼帯騎士の持つゴラゾンの国旗を受け取った。それを掲げ、アルシンドの元に進んだ。
「お返しいたします!」
ジャンヌが膝を着く。騎士らも同じく膝を着いた。
アルシンドは震える手でそれを受け取った。ジャンヌが本当に騎士らの上に立っていたことを見せつけられたのだ。騎士らにジャンヌは守られていたのでなく、頂きであったと目にした。名ばかりでなかった。ジャンヌは目前に居るのに、アルシンドにはその背が遥か遠くに感じた。しかし、胸を張る。アルシンドの矜持がそうさせたのだった。
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