決戦への階段
大半の騎士が思ったことは、『なるほど、だから馬車を持ってきたのだな』だったに違いない。坑道で進めば安全であるのにも関わらず、ジャンヌが馬車にこだわった理由を騎士は理解した。
「相変わらずの奇策ですね」
タスクは唇の端を珍しくヒクヒクとさせている。
「ジャンヌの奇策には免疫がついてきたと思っていたが、今回も驚かされるよ」
レイも呆れている。
「任せてくれ、ジャンヌ」
眼帯騎士は力こぶを見せた。
「ジャンヌ、お転婆もこれを最後にしてくださいね」
何よりも反対すると思っていたディアスが、奇策を了承したのを受け、騎士らはジャンヌに頭を下げる。了承の意を示したのだ。
敵陣に斬り込む策は決まった。後は、シャルド隊と足並みを揃えるだけである。
「シャルド様は、真っ向勝負を望まれる方だ。夜襲はない。陽が昇ると同時に攻めると思う。敵陣を突っ切っていくはず」
ジャンヌは広げたラゾン丘陵の地図を指して、シャルドの動きをよむ。後方支援の敵陣営を掌握し、攻め込む機会をうかがっているはずだ。ほぼ同時期に後方支援の敵陣営を潰しているなら、そろそろ動くだろう。
「敵の最も薄いところを一気に突くはず。つまり、第二王子ザイード様まで最短距離を突き進むと思う。縦の動きだな。まあ、そうじゃなくてもシャルド様が動いたら敵陣の動きでわかるだろう。我々は、そのシャルド様の隊に向かって突き進む。こちらは横の動きだ。敵陣はザイード王子様と対峙している。敵を二方から攻め、一方は塞がっている。退路は自ずとわかるだろう」
ゴラゾンとドラドで二重になっている陣営の一つを退けようとしているのである。ゴラゾン王都からゴラゾン→ドラド→ゴラゾン→ドラドと重なっている陣営のドラド側最後尾を撤退させ、残った前線のドラド隊だけとなれば、ドラドも敗戦を余儀なくされるのだ。和平の申入れがされるだろう。なぜなら、ドラド領内にゴラゾンが侵攻していると思わせているのだから。リガ山麓のことだ。ジャンヌらはここで勝利しても、それで終わりではない。すぐにリガに戻らねばならない。
「早ければ、明日早朝にも決戦になるだろう。レイ、タスク交代で偵察を」
レイとタスクは頷くと、坑道の穴から出ていった。
「皆、今日は十分に休んで明日に備えてくれ。……最後まで私についてきてくれてありがとう」
決戦前夜はこうして過ぎていった。
ジャンヌは朝焼けの空を見ながら、茜色の空を思い出していた。ゴラゾン王都の壇上で見た茜色と、今見ている朝焼けの空は違う。同じ空であるのに、違う姿である。ジャンヌの心も同じであった。決意は同じであるのに、心は壮麗であった。
「茜は闇へ向かい、朝焼けは陽に向かうか」
ぽつりと呟いた。
「ジャンヌ」
ディアスがジャンヌに呼びかける。
「ああ」
二人は微笑みあう。そして、ジャンヌは振り返った。百名ほどの瞳がジャンヌを見つめていた。
「茜色の空に誓った言葉を覚えているか?
あの日、私は壇上で皆に言った。小指以外は全て捧げよと! 皆の体は私である。私の体は皆のものである」
ジャンヌは屈んでズボンの裾に隠してある短剣を取り出した。短くなった髪の一束を掴み短剣で切った。それを風にのせる。白銀の髪は騎士らに降り注いだ。陽に照らされた白銀はキラキラと黒の軍服に映える。まるで祝福を受けているかのように。
「『ゴラゾンの乙女』隊、出撃する!!」
ディアスは号令を発した。
三台の馬車はドラドの兵服を着た御者によって、敵陣営に真っ直ぐ駆けていた。敵陣右方向に砂煙が見えている。シャルド隊が暴れているのだろう。前方に敵陣営の関が近づいてきた。こちらに気づいた見張りが静止を叫んでいる。ドラドの兵服のおかげで、攻撃は避けられた。関のギリギリまで馬車が走る。
先頭の一台が止まった。荷台から縄をかけられたジャンヌが引きずり出された。
「ゴラゾン遊撃隊を返り討ちにした。こいつが『ゴラゾンの乙女』だそうだ。最高の生け贄だろ」
レイが見張りに見せている。ドラド兵は関から数人出てきてジャンヌを睨んだ。その一人がジャンヌの髪を鷲づかみし、顔を近づける。
「へぇ、これがあのゴラゾンの乙女か」
ドラド兵士がジャンヌを投げた。ジャンヌは顔から地面に打ち付けられる。
「こいつを見せしめにして前線に送れば、ゴラゾンも二の足を踏むんじゃねえか」
レイは地面に転がったジャンヌを足で踏みつけた。
「……ああ、今ちょうどゴラゾンが特攻しているらしい。ここは陣営の端だしまだ詳しい情報がきてねえがな」
ドラド兵の目が砂煙の方向に向いた。顔は厳しい。
「リガ山麓のドラド領が落ちたのは知っているか?」
レイは問うた。
「ああ、このゴラゾンの乙女が一枚噛んでるんだろ」
ドラド兵らはまたジャンヌに視線を落とした。
「こいつを使って前線に行ってみねえか? うまくいきゃあ、手柄になるだろ?」
レイの足がジャンヌの体をぐいぐいと押している。ジャンヌは顔を歪め、レイを睨んでいる。
「なんだ、その目は!」
レイはジャンヌをくくっている縄を引っ張ってジャンヌを引きずった。その足は関の方へと進む。
「中に入るぞ!」
レイが馬車に大声で指示を出した。ドラド兵も関に足を向けた。馬車の荷台の確認もしない。兵標も確認しなかった。それをしなくてもいいほど、ジャンヌは粗雑に扱われたのだ。レイは完璧にドラド兵を演じていた。
それを馬車から苦痛の面持ちで見ているのはディアスである。ディアスだけでなく、騎士らも同じであった。ディアスがこれを反対しなかったのは、これしか方法がないからだ。いや、多少の犠牲があれば関に入れたであろうが、ジャンヌの答えはどうせ否であったろう。ディアスは、引きずられるジャンヌを見ながら拳を強く握りしめていた。
馬車はなんなく関に入る。幌のすき間からドラド兵の配置と、人数の確認をしディアスは幌の中の騎士らに目配せした。
先頭の馬車が離れていく。
「こっちに繋げてくれ」
外ではドラド兵が御者に馬車の置き場を指示している。
「いい馬だな」
馬車から外された馬が馬小屋に連れられていった。馬小屋の中で御者は兵を片付けているだろう。小さくゴンッという音が馬小屋から聴こえてきた。
「隊長、馬小屋におねんねさせてます」
ディアスに寝ろと命令した騎士が、幌を少し上げて報告した。ドラドの兵服を着て御者に化けていたのはあの騎士であった。
「よし、行け」
幌からドラド兵の服を着た騎士が散らばっていく。はたからみれば、ドラド兵が単に幌から出ていく様子に過ぎない。
散らばった騎士らは、ドラド兵を言葉巧みに誘い馬小屋に入っていった。そして、またおねんねさせている。そうしてドラドの兵服を奪っていった。百名もの偽のドラド兵ができあがっていくのだ。馬小屋が満杯になったら、幌馬車に積めていった。
「隊長、お似合いですね」
あの騎士がディアスのドラド兵服姿をニヤニヤ笑った。ディアスは騎士をごつんと叩く。騎士は頭をさすりながら『冗談っすよ』と口を尖らせていた。
そんなことをしている間に、馬車の周りに続々と偽のドラド兵が集結した。皆、内側にゴラゾンの軍服を着ているので、一回り大きな体つきになっている。
「隊長、揃いました」
全員が偽者になった。ディアスは馬小屋に立ち入り禁止の札をたて、幌馬車の荷台の入り口も厳重に封をした。ほんの少しの時間もってくれればいいのだ。
「よし、行こう」
ディアスは隣で青白い顔をしているドラドの将を促した。ドラドの将には『テオン王子の身柄はこちらで預かっている。言うことを聞かねば命の保障はない』と脅してある。
レイは敵陣営のテントに入り、説明をしていた。
「……というわけで、テオン王子は捕虜となったドラド兵を救出しにリガに向かいました。退路も探っているようです。俺らは捕まえたゴラゾンの乙女をここに連れていき、全線の手土産にしろと指示されました」
「なるほどねえ、こいつがゴラゾンの乙女か。いい面してるな」
この関の頭なのだろうドラドの将は、ジャンヌの顎を持ち上げて舐めるように見ている。
「ついでに言いますと、味見はテオン王子様もまだですので、ご遠慮ください」
「ちっ、まあいいだろう。よし、テオン王子様の指示とありゃ、前線に行くしかねえな。この手土産のおかげで胸はって闊歩できるだろう。こんな端の関で燻っているのはもう飽きたってもんだ」
将は、グヘヘと嫌らしい笑いをジャンヌの目前でしている。レイは心の中で『この下衆が!』と悪態をつきながら必死に平静を装っていた。
「ゴラゾンの奴等に見せつけるように、馬車にくくりつけて前線に行きましょう。ちょうどゴラゾンから奪った豪勢な馬車もありますしね」
レイは愉しそうに告げた。
「なるほど、それなら一目瞭然でいいな。よし、前線に行くぞ。準備しろ」
レイは頭を下げた。地面を見る顔はニヤリと笑っている。その顔で地面に膝を着くジャンヌを見ると、ジャンヌもニヤリと笑い返した。
「おい、立て」
レイはジャンヌを引っ張るように立たせると、テントから出ていった。
『大丈夫か』
レイが小声で問う。
『ああ』
ジャンヌは切れた唇を舌でぺろりと舐めてみせる。その瞳は爛々としている。レイが怯むほどの目の強さだ。レイは肩を少しばかりすくめた。
馬車の御者の席に木の棒がたてられ、そこにジャンヌがくくられた。もちろん、ドラド兵に扮したタスクによってであるが。
「おお、こりゃいい眺めだな」
敵将は、ジャンヌを見上げて言った。
「隊長、失礼します」
青白い顔の例のドラド兵が、ジャンヌを見上げている将に声をかけた。
「腕のたつ精鋭を百名ほど準備しました」
「ん? そんな命令は出していないぞ」
「俺が関に入るときに指示しました。すぐに前線にいけるように」
レイがすぐに答えた。これも予定通りである。将は、レイの肩をばんばんと叩きよくやったと褒めている。
「各小隊から選りすぐりました」
青白い顔の将は、隣のディアスによって思いのままだ。
「ああ、だからか。お前のとこの顔ぶれじゃないから不思議に思ってたんだ」
それはそうであろう、ゴラゾン騎士であるのだから。
「よし、馬車の周りに配置しろ。前線に行って手柄をあげるぞ! 出陣だあ!」
前線に向かうこの隊にドラド兵は数人しかいない。関の頭の将とその側近。ディアスに操られている将とそれを知らずに従う脇兵だけである。
前線が見えてくる。シャルドはやはり中央突破を試みていた。ドラドが圧倒的に多いにも関わらず、シャルド隊は前進しているようだ。だが、ゴラゾンの陣営まであと一歩のところで苦戦している。ザイード王子の陣営がドラドを攻めれば挟み撃ちで勝てるのだが、そうすれば今度はもう一方のドラド陣営に背後をつかれてしまうのだ。目前のシャルドの勇ましい戦いを見ながら、指をくわえて待っているだけしかないという歯痒さを感じているだろう。
「ゴラゾンの乙女を捕まえた! ゴラゾンのやつらに見せつけろ! 行くぞおお」
あの下衆な将は、声高に発生し突き進んで行った。
「どけどけええ」
将は得意気に進んでいる。味方のドラド兵もひいている。関の下級の将が闊歩する姿に眉を寄せていた。
「テオン王子様直々の命令だ!」
そう言われてしまえば中々立ち止まれとは言えない。ドラドは位を重んじる国である。ジャンヌを張り付けている馬車の前に道ができる。
果敢に戦っているシャルドの姿が見えてきた。下衆な将は、この陣営の総大将の前へと行くと、テオン王子の命令で参じたと言い、『前線への手土産だ』とジャンヌのことを伝える。と同時にこのまま出撃させろと無礼にも迫ったのだ。王子の威光を盾にして。
「いいだろう。ただし貴重な人質だ。……撤退時に役にたつはず。さらわれないように厳重に警備しろ」
「ふっ、すでに精鋭を集めております。ご安心を」
その精鋭とやらは、ゴラゾン騎士だけどな。とレイはほくそえんだ。
ジャンヌがくくられた馬車の周りにゴラゾン騎士である偽ドラド兵が囲った。
「ゴラゾンのクソ野郎どもに見せつけてやれ!」
下衆な将は、レイとタスクに挟まれて号令を出した。後方ディアスの横には唯一この隊がゴラゾン騎士であると知っている将が、青白い顔をさらに悲壮にさせてなんとか立っていた。
少数の隊ではあるが、その異様な様で道が開けていく。馬車を中心に円陣のような配置は、シャルドを阻むように意図したものであるが、実際はジャンヌを守り四方へ攻撃できる配置ともいえる。
シャルドの目がジャンヌの姿をとらえた。大きく目を見開き凝視している。
「ゴラゾンのクソ野郎ども! この女がどうなってもいいのか?!」
下衆が下衆らしく発する。戦っていたゴラゾン騎士もドラド兵も一斉に動きを止めた。
「命乞いでもしろよ」
下衆はジャンヌの首もとに剣を押しあてた。
ジャンヌは顔を上げゆっくり辺りを見渡す。そして、にっこりと笑った。
「ゴラゾンの誇り高き騎士よ! 敵を殲滅せよ!」
ドラドの兵服が宙を舞った。奇跡の勝利が駆け出した。
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