巨石群へ
翌日、まずリガに向かう三班が出発していった。それから、ジャンヌの率いる二班が出発する。
ジャンヌは首の三角巾を上げて口を覆った。目を閉じて呼吸と鼓動を感じている。心は穏やか、しかし、鋭意な平常心になってからジャンヌは目を開けた。
「出発する!」
ディアスの一班に向けて手を上げた。ジャンヌの視線の先にはディアスがジャンヌと同じように三角巾を口に覆っていた。
ディアスの横でテツが泣いているアンジーを抱き上げている。
「アンジー、テツから離れるなよ! 箱んときと一緒だ。ちゃんと守れたらまた会えるんだから」
眼帯騎士はそう大声でアンジーに発した後、ニカッと笑った。アンジーはこくこくと頷く。袖で涙と鼻水を拭って眼帯騎士と同じようにニカッと笑って見せている。
ジャンヌはそれを見て、思わず小指を見た。ちょっと先にある未来は素敵なものだと、眼帯騎士とアンジーを見て思っている。今、この別れさえも昨日からしたら素敵な未来だと。
そのジャンヌをディアスは慈しむ。ジャンヌが怖いと言った未来を、少しは和ますことができたのかもしれないと思いながら。ディアスも小指を見る。小さな温もりだった。しかし、抱きしめるよりも大きなものであったとディアスは感じている。
ジャンヌらを見送ってから、ディアスの一班が出発した。ムカデ数人を先頭に洞窟を行く。ジャンヌらとの合流は明日の夜の予定だ。
ジャンヌらは沢の入り口で馬車三台を回収した。騎士十名がまたもドラドの兵服を着て馬車を進める。敵に出くわした時のための偽装だ。
ジャンヌとレイは馬車の中にいた。
「ジャンヌ、テツに原石を貰った?」
レイの問いにジャンヌは頷き、ポケットからそれを取り出した。濃紺のそれはジャンヌの瞳と同じ色をしている。原石であり、まだ輝きはない。
「サファイアやラピスラズリとどう違う?」
レイはジャンヌの手からそれを取ると、まじまじと見ている。
「すごく脆いらしい。加工も難しいと父上が言っていた」
「脆いのに、それを……」
レイは言い淀んだ。
「ああ、それを結婚式に身に付けさせようとしている。結婚式があるのかはわからないけどね」
「悪い」
ジャンヌはクスリと笑う。
「気にしてないよ」
ジャンヌの心の重石は昨日ディアスが取っ払ってくれた。少し先の未来だけを望めばいいと。
「脆いと言うことは、丁寧に扱えと言うこと。父上は、この婚姻を決めた王様に言葉でなく伝えたのだと思う。それと私に対しての戒め」
レイは眉を寄せた。何の戒めだと言うのかと。
「私は見ての通り、少々お転婆だ。この石が壊れないような淑女たる行いをしていろということ。父上は嫌味ったらしいよ。王様にも私にもな」
ジャンヌはレイの手にある原石を取り、馬車の床にゴツンと叩いた。原石は真っ二つに割れている。ジャンヌはその一つをレイに渡した。
「不思議だろ? 衝撃を与えると青が水晶のような透明になる。一週間経つとまた青に戻るのだけどね。それ、レイにあげるよ」
ジャンヌは割れた原石をポケットにしまった。レイも原石を暫く見た後にポケットにしまった。何か考えているようだ。その考えがまとまったのか、レイは笑う。
「ジャンヌ、脆いんじゃなく、騙されない真実の石なんだ。ジャンヌの身に何かあったらジャンヌが言葉を発せなくても石が教えてくれる。いや、石で危機や緊急を伝えればいい。王妃になるための石なんじゃないか? いわば危機管理の石。王妃の危機を知らせるための石。ジャンヌの父上はジャンヌを大事に思っているのだな」
ジャンヌは驚いた。そんな使い方に気づきもしなかったのだ。ジャンヌは父がなぜこの石にこだわったのかやっとわかった。王太子妃、後の王妃への布石であると。しかし……
「そうか。ならば」
(私には要らない石だな)ジャンヌは続く言葉を止めた。レイが訝しげにジャンヌをうかがっていた。
「いや、この石にもう一度色が戻るまでにリガに戻らねばな」
レイのうかがう瞳を誤魔化すようにジャンヌを言ったのだった。
ディアスは坑道に隠れながら、まだかまだかとジャンヌの到着を待っていた。予定した通り、ラゾン丘陵出口には一日程で着いた。ジャンヌの到着まではまだ時間がある。ディアスは坑道のすき間から見える蒼い空を眺めながら、早く夜にならないのかと空を睨み付けている。全くもって物騒な視線だ。
「隊長、少し休んでください」
騎士の一人がディアスに声をかけた。ディアスに『三角巾は暑くないのですか』と訊いた騎士である。騎士は三角巾を首に巻いていた。ディアスの真似をしているのだ。
「代わりに見ていますから」
だが、ディアスは腰を上げなかった。
「ちゃんと見ていますから、目だけでも閉じてくださいよ」
騎士はディアスの横に座り、蒼い空を見上げてた。ディアスは小さく息を吐き出して『頼んだ』と短く答えた。騎士はディアスが目を閉じるのを気配で感じながら空を眺めている。
「あの方は、きっとゴラゾンを勝利に導いてくれるでしょうね」
騎士はジャンヌを思い浮かべながら話す。
「ほんの数ヵ月前は、アルシンド様が導いてくれると思っていたんですが」
騎士はふぅと空に息を吐いた。独白は続く。
「あの方の隊に属すことができて、誇らしく思います。あの方はゴラゾンの象徴です。凛として立派で戦場において唯一な方(乙女)だと思うのです。
けれど、時々胸が痛みます。何かに誰かに属することは、自分の弱さを補ってくれるのだと気づかされました。アルシンド様の元では感じなかったのに。アルシンド様はその地位と力を持っていましたから。何も考えず従うだけで良かった。でもあの方は違います。確かに地位も力もおありだ。なのにあの方に自分の弱さを背負ってもらうことに、胸が軋むのです。
『ゴラゾンの乙女』我々が祭り上げたものですよね。傷ついたあの方にその傷を振り返らないように、我々は背負わせた。あの壇上での決意を聞けば従わざるをえませんでしたし、我々もそれを望んだから膝を折った。なのに……
胸が痛むのです、勝利する度に。きっと皆も同じです。
……王太子妃としてこれほどまでに望む方であるのに、胸が悲鳴を上げます。あの裏切りを知っていますから。だからと言って、その地位を得なくても納得がいかないのです」
騎士は三角巾を口にあてた。
「アルシンド様が目覚めたならいいのに」
どんなに口を覆ってもその呟きはディアスの耳に入った。王都のアルシンドでは駄目だいうことだ。女にうつつを抜かすアルシンドではジャンヌに相応しくない。だから、目覚めてほしい。以前のアルシンドならば皆は納得するのだろう。
しかし、ディアスは思う。アルシンドが目覚めても、あの日あの部屋で見た聞いたことは、覆されないのだと。いくらアルシンドが目覚めたところで、ジャンヌにあの日のことに蓋を強いるのは残酷なことだと。ディアスがそんなことを考えていると……
「……とも思っていたんですが」
騎士はまだ続けた。耳を澄まさねば聴こえないようなくぐもった声だ。
「自分の手があの方の手を取る未来を想像するんですよね、夢見るんです。お恥ずかしいことに」
ディアスは目を開けて騎士を見た。そこにディアス自身がいるようで。ディアスもその未来に思わず手を伸ばしかけたのだから。あの水鏡の水源でのことだ。
「俺だったら、貴女を裏切ったりはしない。悲しませたりしない。そう言ってあの方を引き寄せるんです」
騎士はそこでディアスを見る。
「何で起きてるんですか。少しは夢見たかったのにさ。仕方ないですね。まあ、聞いてください。あの方を引き寄せているのが、ディアス隊長に変わるんですよ。自分で想像してるのに、最後にディアス隊長にかっさらわれる夢」
ディアスはどんな顔をしていいのかわからず、騎士を見続ける。
「腹立たしいのに、納得するんです。アルシンド様では納得しないのに。さあ、隊長本当に寝てくださいよ。俺の夢でも見て寝てください! いえ、寝てしまえ、寝ろ!」
騎士は笑いながら、ディアスに命令した。ディアスはその温かい気迫にこそばゆさを感じながら目を閉じたのだった。
暗闇にうっすらと浮かび上がるのは、巨石群である。敵に見つからないように、灯りを使えないジャンヌらはおぼろげに見える巨石群に向けて静かに進んでいる。
おぼろげな輪郭が近づき、ジャンヌらは一旦歩を止めた。静寂の中、気配を探る。敵の気配はない。レイが先頭で再度進みだした。十名は馬車を巨石群の一番奥へ。もう半分の十名は巨石の付け根を一つ一つ確認していく。
『あった、ここだ』
ジャンヌがそれを見つけた。あの原石である。ジャンヌは原石の周辺に目を凝らした。奇妙な盛り上がりを見つける。ジャンヌは手をかざした。ヒヤリとした空気が手にあたった。
『ディアスいる?』
『ああ、ジャンヌ』
ジャンヌは盛り上がりを手で除けていく。人一人がやっと通れる小さな穴が現れた。ジャンヌはそこを覗いてディアスの瞳を見つけると、手を伸ばした。
『ジャンヌ! 何を?!』
坑道にいるディアスの胸にジャンヌは落ちていく。ディアスは慌ててジャンヌを抱き止めた。
「何やってんですか! 危ないでしょう!」
「お転婆だって言ったじゃない。あはは」
ディアスは蒼白、ジャンヌは笑顔だ。
『おい! ジャンヌ大丈夫か?!』
上でも慌てているようだ。
「大丈夫、馬車に三名残して皆下りてきて。作戦を話す」
決戦が幕を開けようとしていた。
次話更新1/20(金)予定