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燃えゆ空

 闇の中、真っ赤に燃え上がる陣営は前線からも見えているだろう。逃げたドラド兵からも伝わっているはずだ。後方支援の陣営が落ちたと。ドラドは少ない兵糧で戦わねばならない。さらに、ドラド領にゴラゾンが侵攻したことにより、ドラドは如何に戦うかを考えねばならない。いや、如何に撤退するかかもしれないが。




 時は少し前にさかのぼる。夕焼け空を見上げているジャンヌに声がかかった。


「ジャンヌ、本当にいいんだな?」


 眼帯騎士がジャンヌに問うた。ジャンヌは眼帯騎士の腹にコツンと拳をあてる。眼帯騎士は大げさに痛がってみせた。


「たった百五十しかいないんだ。ここは捨てる。ドラド兵が戻っても陣営がなければここに留まりはしないだろ」


「まあな。俺らの勝利の後はいつも空虚になるな」


 レイがポツリと言った。


 リガ山ドラド領も空であり、リガ山城も空だ。そして、ここも。ジャンヌが勝利を納めた場所は常に空になっている。


「いいのではないか。勝利の後にゴラゾン領からドラド兵が空になるなら」


 タスクが軽やかに声を響かせた。


「前線も」


 ディアスがそう短い言葉を紡いだ。ジャンヌはディアスを見つめた。ディアスもジャンヌを見る。互いの口元には三角巾が巻かれている。


「ああ、前線も空にする。ディアス、火を放て」


 夕焼けから夕闇へ空が変わっていく中、陣営から炎が立ったのだった。




 場所は変わる。ここは王都、王城の一室。ジャンヌが平和を壊した部屋である。主はまだ癒しと温もりに頼っているのだろうか?


「アルシンド様、そろそろお休みしましょう?」


 甘ったるい声が主アルシンドの背にかかる。声の持ち主エレンはアルシンドの背に体を添えた。アルシンドは窓から見える夕闇を見ている。


「燃えている」


 チラチラと見える炎が、夕闇の空を照らしていた。


「アルシンド様? 早くベッドに」


 エレンは小首を傾げ、背後からアルシンドを上目遣いに見つめて言った。しかし、アルシンドの瞳は燃える空から離れない。エレンはアルシンドの胸に手を滑らせた。


「アルシンド様、戦はお忘れください。私はずっとアルシンド様のお側におりますわ」


 いつもの台詞だ。エレンはそう言えばアルシンドが体を寄せることを知っていた。ずっと、そうであったのだから。そうやって、癒しと温もりを与えていたのだから。


 最初こそジャンヌの頼みからの見舞いで、『戦は忘れ一時心を休めてください』と声かけしていたエレンが、いつしかアルシンドに心を寄せてしまい傷心のアルシンドの手を握ってしまったのがはじまりであった。


 肌の触れ合いは、互いの心の隙間を埋めると同時に、周りを見えなくさせていった。王に叱責され、ジャンヌに尻を叩かれてもなお覚めぬ夢に二人はいるのか?


 ーーコンコンーー


 部屋の扉がノックされた。エレンは夕食の配膳かと思い『中に』と声をかける。


 しかし、開かれた扉には王妃が立っていた。


「王妃様!」


 エレンは慌てて膝を折る。エレンの声にアルシンドが振り向いた。


「母上?」


 王妃は無言のまま立っている。


「母上、どうぞ中に」


 アルシンドは王妃である母に手を差し出した。しかし、王妃はその手を取らない。ただ無言で立っている。


「母上、どうしましたか?」


 アルシンドは王妃の腰に手を回し、中に促そうとしたが、王妃はサッとよけた。王妃は中に進む。あの炎が見える窓まで。そして、また無言で立っている。


「母うぇ……いえ、王妃様」


 アルシンドはやっと自分の発言の間違いを正した。


「先ほど報せがありました。リガ山麓ドラド領占拠、リガ山への経路の確保、ゴラゾン領リガ山麓のドラド陣営の排斥、リガ周辺はゴラゾンが奪い返しました」


 アルシンドは絶句した。アルシンドが小指を失った戦場である。その勝利と自身の敗北の過去が心の中で入り混じった心境では、言葉など紡げぬだろう。その報せを戦場で聞いたならまた違ったであろうが。


「ここへの人員はもう割けません」


 王妃はアルシンドとエレンに向き直った。


「ここの世話係りはもう来ません。役目を果たさぬ者になど人員を割けましょうか。王族、貴族の役目を果たさぬ者どもよ。さっさとここから出ていきなさい」


 アルシンドは呆然としている。反してエレンは王妃に涙を流しながら発言した。泣きすがるように見えるが、その瞳は反感を宿している。


「王妃様! アルシンド様はお怪我をしております。役目を果たしたくともできぬのですわ。失った指は生えてはこぬのです。大事な王太子様のお体をもう失うわけにはいきません」


 エレンのその反論に王妃は一瞥もくれなかった。無言のまま、重厚な机の引き出しを開き中の物を手に取る。


「そ、それは」


「要らぬでしょう、貴方には」


 王妃の手にはジャンヌの白銀の髪が握られていた。


 エレンはそれをキッと睨んでいる。


「今、あの子がどんな姿で戦場に立っているか教えてあげましょう。持ってきなさい」


 王妃のお付きが大きな箱を持ってきた。ジャンヌの部屋にあった箱である。


「この中に貴方の軍服が入っていました。今は切り取られた袖と裾しかありませんが。意味はわかりますか? ジャンヌはこれを来て前線に向かったのです。髪を切り、貴方の軍服を着て戦場で戦いゴラゾンを勝利に導いているのです! 先の報せはジャンヌの初陣の結果です」


「ほ、んとうに? 本当に戦場に行ったのですか、ジャンヌは?!」


 アルシンドはジャンヌが戦場に行っているとは思っていなかった。この部屋であれだけのものを見せられてもなお、アルシンドはジャンヌの本当の決意を信じていなかったのだ。いや、甘えていたのだ、目の前の王とジャンヌの会話はアルシンドのために繰り広げられていると、無意識にわかっていたのだから。


「まさか、本当に行っているとは……」


 切り取られた袖と裾を両手で掴み、『嘘だろ』と呟いている。


「あの子は今でも貴方の婚約者よ。そうでなければ、王様は戦場になど行かせないわ。王太子アルシンドの名代として戦場にいるのよ。貴方に残された唯一の導べ」


 王妃はアルシンドの手から袖と裾をスッと取り、箱にしまった。お付きに預け、その手に残ったのは白銀の髪である。


「選びなさい。この髪か、……」


 王妃はやっとエレンに目を向けた。


「ただの女か」


 伯爵令嬢であるエレンをただの女と王妃は言った。


 エレンは頭を横にぷるぷると振る。王妃の前であるというのに、エレンはアルシンドの腕を掴み訴える。


「行かないでくださいませ。私を一人にしないで、アルシンド様。置いていかないで」


 エレンのその様に王妃は眉を寄せた。ただの女がそこにいた。


「王妃様、もうお時間がありません」


 お付きが伝える。王妃は、一息ハァともらし踵を返した。もう言うことはないとばかりに、王妃は廊下に向かった。


 アルシンドはその背を目で追った。王妃が薄暗い廊下を進んでいる。その手がきらりと煌めいた。ジャンヌの白銀の髪だ。それを見て、アルシンドの芯が動けと命令する。


「王妃様! お待ちください!」


 アルシンドは王妃を追った。アルシンドはやっとあの部屋から出たのだ。引きこもって二ヶ月強、出ずにいた部屋からやっと一歩を踏み出した。


 エレンもアルシンドを追う。


「アルシンド様、アルシンド様」


 名を連呼して追いすがっている。


 だが、アルシンドはその目に白銀の髪しか入っていない。王妃は導べだと言った。あれを追うことが衝動となりアルシンドを動かしていた。


 王妃の後にアルシンド、それを追ってエレンと連なっている。お付きは王妃の前を歩き、ランプで足元を照らしている。王妃は呼びかけるアルシンドを無視して進んだ。


 前方から幾人かの足音が聴こえてきて、お付きはランプを胸もとまで上げた。王妃は止まる。廊下の端に寄り、来る人物を待っていた。


「王様」


 王妃は軽く膝を折る。


「王妃よ、行ってくる。必ずゴラゾンに勝利をもたらそう」


 王はアルシンドやエレンを全く見ない。そこに居ない者としている。


「王都はお任せください。玉座を守ってみせますわ」


「すまぬな。その身一つに、王都と玉座を任せてしまうとは」


 アルシンドは身を縮めた。恥ずかしさが全身を熱くさせた。


「ゲラル、ここに居るべき華を迎えに行こう」


 王の後ろにはゲラル・ザルクスが控えていた。ジャンヌの父であるザルクス侯爵である。


 アルシンドはさらに身を小さく固まらせた。会わす顔がないことは充分に理解している。横にはエレンがいるのだ。耳に届いているだろう。いや、ジャンヌが出兵した時点で王から聞いているはずだ。


 アルシンドは蚊の鳴くような声で『すみません』と発した。誰の耳にも届いたが、誰の耳にも聴こえぬものとして発言は無視される。


「いいえ、華はまだ帰れません。あの子は名代です。代わりに戦場に行ったのですから、その役割は代わるまで続きましょう。ですが、名代たるゆえんは、あの子が婚約者であるからです。お取り下げいただければ、帰還できましょうが」


 ゲラルの答えに、王は降参だと肩をすくめた。


「続きは、勝利後に話そう」


 王は従者から兜を受け取った。それを王妃に渡す。


「頼む」


 王は頭を少し下げた。王妃が王に兜を被せた。これはゴラゾン王族の出兵の儀式である。この儀式のため王妃は急いでいたのだ。


「ご武運を」


 王と王妃は抱き合った。三ヶ月前、アルシンドとジャンヌがしたように。


 アルシンドはその場で崩れていく。両膝を床に着き、拳は太股に強く握りしめられていた。『すみません』とまた発する。だが、誰もそれを見ない。それに応えない。


 王とザルクス侯爵、近衛、従者らがアルシンドの横を過ぎていった。


「お待ちください! 王様、王様! 私に出兵の許可を! どうか、私に! ゴラゾン国王太子アルシンドに出兵の許可をお出しください!」


 決して振り向かぬ背中にアルシンドは叫んだのだった。

次話更新1/10(水)予定

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