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弱さと強さ

 第三王子は目を大きく開き固まった。


「な、なんだと?」


 ジャンヌはクスリと笑った。


「だから、ジャンヌ・ザルクス。父はゲラル・ザルクス侯爵」


「お、ん、な、だとぉ?」


「違う。女じゃない。私は誰だ?」


 ジャンヌは、近くにいた騎士を捕まえて促す。


「『ゴラゾンの乙女』です。ジャンヌ様」


 騎士は淀みなく答えた。


「だそうだ。王子よ、不運だったな」


 王子はパクパクと乾いた息をした。ドラドの捕虜たちも信じられないといった表情だ。


「少しばかり臭い場所にお連れするが、身の安全は保証する。ゴラゾン勝利後に、貴方の身の交渉が行われるだろう」


 ジャンヌはその言葉を最後に、もう捕虜には目もくれなかった。王子がハッと意識を戻し、騒いだがその声はもうジャンヌの遠くにあった。




「百五十と九とディアスと私で、百六十一か。馬車が五だと一台あたり三十人か、六だと二十五人。まだ多いな、七台か」


 ジャンヌはディアスに指示を出す。


「はっ、では七台準備します。どういう作戦で?」


「ドラド兵の軍服を着て馬車を動かす。あの第三王子がゴラゾンの兵糧を奪ったという設定だ。それをドラド陣営に運ぶ名目で前線へと入る。一番安全な潜入方法だろ?」


 ディアスは頷くも、少し考えている。


「ですが、七台では少々多いでしょう。それに全て幌つきとは怪しまれます」


 ディアスの指摘は最もだ。ジャンヌとてそれはわかっていた。二人で思案していると、レイが声をかける。


「俺らも捕まったことにしよう。先に四台の兵糧幌馬車。後ろに三台の荷馬車。荷馬車には捕まったふりのゴラゾン騎士が憔悴した顔で乗っている。うん、これで欺けるはず」


「なるほど、それはいいな。ディアス、そうしよう」


 作戦が決まり、ディアスは本隊の騎士の振り分けへ、レイとタスクは捕虜をリャンの森へ、ジャンヌは皆から少し離れリリィの元へ。


 ジャンヌはちらりと振り返った。リリィの温もりを求めながら、何かに惹かれる。後ろ髪を惹かれるとはこんな感覚なのかと、ジャンヌは振り返りながら思った。そして、振り返った先にあるディアスの視線が、自身に向けられていることに気づくと、トクンとジャンヌの胸が波打った。


 ディアスがフッと優しく微笑む。ジャンヌはかけられたディアスの上着をギュッと握りしめた。ジャンヌの中で二つの真逆した想いがせめぎ出す。その温もりに頼っては駄目だとジャンヌの矜持が訴えている。その一方で、小刻みに震えるジャンヌがこんな自分を押し決めないでと訴えているのだ。


 ジャンヌは震える手でディアスの上着を取った。そして、駆け出す。ディアスの元へと走り上着を突き返した。


「一駆けしてくる。眼帯! 着いてこい」


 ジャンヌはそう言うと、ディアスの返事を待たずリリィの所に走っていった。それを眼帯騎士が追う。馬に一気に乗ると二人はリャンガ方面に駆けていった。


 ディアスは眉間のしわを深くする。あの場所は本来自分であるのにと。何より、返された上着の存在は、ディアスの心にさざ波をたたせた。拒まれた……そうではないとわかっている。拒んだのは、ジャンヌ自身の内にあるジャンヌなのだ。ディアスはわかっている。それでも、ディアスは思うのだ。せめて、私にだけは頼ってほしいと。




「ジャンヌ!」


 眼帯騎士はジャンヌを呼ぶ。


「これ以上行くと、本隊と遠くなる」


 ジャンヌはリリィを止めた。無表情のジャンヌに眼帯騎士が声をかける。


「もう、戻ろう。戻って診てもらえ」


「診てもらえ? どこも悪くないぞ」


「心を」


「心か」


 ジャンヌはハハッと力なく笑った。


「誰に診てもらえと?」


「それは……」


 眼帯騎士は言い淀んだ。


「心の弱さなど、自分だけだろう抗えるのは。誰にもすがってはいけない。すがるようでは、お前たちの命を預かれないからな。あの日の決意にお前たちが忠誠を誓ってくれた。それに私は応えたいんだ。恥じぬ私でありたい」


「すがることは、頼ることは、恥じることじゃねえと思う。怖いと泣いたって、誰もジャンヌを責めねえよ」


 眼帯騎士はガッハッハと笑う。


「俺だって、ジャンヌにすがったようなもんだ。全てを失った。目も失った。看護棟でジャンヌに情けねえ姿を晒したじゃねえか。覚えてねえかい? 絶望と失望、恐怖と悔恨、不甲斐なさや羞恥、色んなもんをジャンヌに吐いた。だから俺はここに居れるんだ。ジャンヌが認めてくれたからな。普通、片目の騎士など戦場には立てない。感謝してるぞジャンヌ。だから言わせてくれ。ジャンヌがジャンヌを晒せてやらねえと、いつか壊れちまうぞ」


 ジャンヌは眼帯騎士を見て穏やかに笑んだ。


「ああ、そうだな」


 眼帯騎士はホッとする。ジャンヌが了承したと思ったからだ。


「そうだ。乗り越えられる者だからさらけ出せるのだ。さらけ出せるのは強い者だから。さらけ出したのは、乗り越えられると自分で無意識にわかっていたからだ。眼帯は強い者だ」


「ジャンヌ?」


 眼帯騎士はジャンヌが言ったことが理解できなかった。弱音を吐いた自分が強い者だと言うジャンヌの発言が。


「私は怖くて人前で泣けない。泣いたら、そこから立ち直らなければならないから。泣いた先を、皆が望むだろう? そこから前に進むことを。成長することを。泣くと言うことは、強い者のすることだと私は思う。


私は人前で泣けないな。弱い者だから。弱さをさらけ出し泣いてしまったら、次の私にならなければいけない。そんな余力を私は持ち合わせていないんだ。だから、私は王太子アルシンド様の婚約者を止めず、名代としてここにいるのだ。ずっと同じジャンヌのまま。あの決意した日以上の自分にはなれないんだ。この私が今まで生きてきて一番強い私であると自負している」


 眼帯騎士は衝撃を受けた。そんな風にジャンヌが思っていたと思わなかったのだ。泣く者が強く、泣かない者が弱いとはと。だから泣けないのだと、さらけ出せないのだとジャンヌが言っている。


「戻るぞ、はっ」


 ジャンヌはリリィを蹴り駆け出した。一拍遅れて眼帯騎士が続く。眼帯騎士の胸はざわめいていた。苦しくて仕方がないともがく。ジャンヌにかける言葉を見いだせずにいた。なぜなら、ジャンヌの心は泣いても壊れ、泣かなくても壊れいくのだと知ってしまったから。




「気にするな、私はそんなに弱くはない」


 本隊に戻ってきたジャンヌは、眼帯騎士の肩をポンポンと叩いた。眼帯騎士は渋い顔をしたまま頷く。ジャンヌは困ったように笑った。


「だから、皆の体が必要だった。私一人はもう限界だから、皆の体を貰ったんだ。覚えていないのか、小指以外は私に捧げよと言っただろ? 皆が私の体であり心なんだ。眼帯が強くて頼もしいよ」


 眼帯騎士は目頭が熱くなった。そして、これがジャンヌの告げたことだとわかってしまう。


「そうですな。泣くことは強者のすることだ。俺はたくさん泣く。たくさんさらけ出す。たくさん悪態をつき、わめき散らしみっともないことを乗り越えて、片目を無くした今の俺がいる」


 眼帯騎士はその目元を拭った。


「だろ? 眼帯はまた新しく強くなったな。私は嬉しいよ」


「ああ、私が強くなればジャンヌも強くなるのだからな」


「うんうん、今私は眼帯を泣かして帰ってきた隊長だ。皆、私の強さを目の当たりにしている。見よ、眼帯」


 ジャンヌは辺りを見渡した。眼帯騎士も見渡す。皆、驚いてジャンヌと眼帯騎士を見ている。


「眼帯! また挑みたいなら挑め。今度も私は勝つがな」


 眼帯騎士は目をくるくるさせた。ヒソヒソと『眼帯騎士にも勝ったのなら、あのドラドの王子を討ったのも実力ということか』『眼帯騎士を泣かすなど、さすがゴラゾンの乙女だ』などと聴こえてくる。眼帯騎士はクワッと目を見開き睨んだ。そして、


「チキショー! 誤解だ、いや謀られた。ジャンヌ! こら、待ちやがれ」


 と吠えたのだった。




 ディアスはそんな二人をまた妬ましく見ている。二人の距離が近すぎると思うと同時に、自分がその距離に在りたいと思うのだ。それは、リャンの森から帰ってきたレイやタスクも同じで、二人に合流しじゃれあった。


 ディアスはため息をついた。


「私もジャンヌ隊が良かったんだがな」


 ぽつりと呟く。


 あの王都の部屋でジャンヌに誓った者の中で唯一ディアスだけがジャンヌから離れてしまった。その寂しさがディアスの心を辛くさせた。それが、いち早くあの場でアルシンドを庇ったディアスに対するジャンヌとの信頼の距離のような気がして、ディアスは寂しげにジャンヌを見つめるのであった。


 そのジャンヌの異変にディアスは気づく。じゃれあいながら、時おり顔をしかめるのだ。それは一瞬であるがディアスは見逃さなかった。


「ジャンヌ!!」


 ディアスは駆け寄りジャンヌを抱き上げた。


「何をする!? ディアス!」


「どこです? どこを痛めたのです?」


 ジャンヌは目を反らした。ディアスはそれでもジャンヌの瞳をとらえ、言えと無言で訴える。


「大したことはない。かすり傷だ」


「見せてください。大したことがないのなら」


 二人は睨みあった。タスクが何か言おうと前に出た。タスクとて、自分が診た方がいいと思ったからだ。だが、それをジャンヌが手で制した。ジャンヌとディアスは視線を反らさない。


「いいだろう。下ろしてくれ」


 ディアスが抱き上げたジャンヌを下ろす。


「ディアス、幌馬車の中で」


 ジャンヌは観念した。眼帯騎士をちらりと見て、眉を下げる。その眉と同じに肩の力もストンと抜けていた。ジャンヌは準備ができた近くの幌馬車にすたすたと歩いていき、馬車の入口を開けディアスを見ている。ジャンヌは思い出していた。昨日の馬小屋からの帰り道、頬を伝った一筋を。心の中に押し込めた弱いジャンヌが彼の手は温かいからと訴えていた。手当てするだけだからと。


 しかし、そのディアスは躊躇した。幌馬車を使う意味、その傷が外では見せられない場所にあることに気づいたからだ。


 レイとタスクが顔を見合わせた。


「ディアス、俺らが診よう。ジャンヌが怪我をしているなら、俺らが診た方が早い」


 レイがそう言っている間に、タスクは医箱を取りに行っている。


「ディアスが行け!」


 眼帯騎士が言った。それも怒鳴るようにだ。


「お、おい」


 レイは怯んだ。


「さっさと行け、ディアス!」


 眼帯騎士はディアスの背をドンと押した。


「もういいよ、眼帯。もういいんだ」


 ジャンヌは戻ってきていた。哀しげに笑っている。


「タスク、傷薬と白布と一応包帯をくれ。自分でやるよ。ちょっとしたかすり傷なんだが、ディアスにはばれてしまった。騎士の皆はすごいな。私程度の傷は舐めときゃ治るんだろ」


 医箱を持って戻ってきたタスクから、ジャンヌはそれらを受け取ると眼帯騎士を見てガッハッハとわざと眼帯騎士と同じに笑った。


「ハッハッ」


 笑っているのに声色は細く寂しい。


「誰もいないんだ、私をさらけ出す相手など」


 ジャンヌは小さく呟いた。眼帯騎士だけがその意味を知っている。


 眼帯騎士はぎろりとディアスを睨む。せっかくジャンヌが弱さをさらそうとしたのに、それを引き出したディアスが躊躇したからジャンヌはまた閉じ込めたのだ、弱さを。ディアスはドラドの王子と対峙した時よりも怒っている。


「幌馬車少し借りるぞ。眼帯、警護してくれ。他は持ち場に戻れ。全部の準備ができたら出発する」


 ジャンヌはそう言うと、幌馬車に入った。


 眼帯騎士はディアスの胸ぐらを掴む。低い声でディアスの耳元で発した。


「てめえにはジャンヌはやらねえ。中途半端なことして、ジャンヌの傷をえぐりやがって! ジャンヌがせっかくてめえに診てもらいてえって言ってんのに! 傷を診るのになぜ躊躇するんだってんだ?!」


 眼帯騎士はディアスをドンと突き放した。ディアスは足を踏ん張って立っている。


「女が勇気を出して、初めて肌をさらそうとしたんだ。その相手がどんな存在であったかがわからねえって言わせねえぞ。ジャンヌは拒まれた。それも二度目だ。愛した者の次は信頼した者お前にだ。お前にとっちゃ、ちょっとした躊躇だったんだろうが、ジャンヌにとっては……」


 眼帯騎士はジャンヌの代わりに涙を流した。


「泣くやつは強いんだってよ。泣いた後にそれを乗り越えていくからだ。泣くってことは、乗り越える力をわかってるから泣くんだ。そうやって、新しい自分になって強くなる。一番弱いのは、泣かねえやつだ。乗り越える力がねえってわかってるから泣けねえ。


ジャンヌはずっと人前で泣いてねえ。さっきやっと、やっとお前に頼ろうとしたってのに!」

次話更新来年となります

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