将校の外套
子供なしの専業主婦をしていたら、手伝ってくれないか?と知人経由でバイトを頼まれた。
扱っているのは、古屋や古道具だと言われたので、リサイクルショップだと思い訪れたそこは、駅から離れた住宅街にある、一軒家を改装したお店で、リサイクルショップと言うより、骨董品店。
店の名前は、『小道具屋 瑠璃』
その日は、推定六十台後半の髭面オーナーに、
「午前中に届いた段ボールの中身、整理してもらえるかな」
と言われて、出勤早々から二階の倉庫で片づけ作業に追われていた。
「なんなの、これ…」
段ボールを開封すると、とても商品になるとは思えない古い服が詰め込まれていた。
とりあえずひとつずつ取り出して、男物・女物…と分けていく事にした。
段ボール箱を開ける、中身を取り出してわける、また新しい段ボール箱を開ける…黙々と繰り返していると、来客を告げるチャイムが鳴り響いた。
「あ…いらっしゃいま~」
階段下に向けて声をかけると、
「すいませーん」
と返って来た。
急いで降りていくと、ブレザー制服姿の男の子が立っていた。中学生…いや、高校生だろうか。背は低い。
「お待たせしました。いらっしゃいませ」
男の子はレジ台の後ろの壁を指差し、
「あれ、いくらですか?」
「あれ?」
彼の指差した先を見れば、壁に飾られていた一着のロングコート。
「ああ、あれは…ちょっと待ってくださいね」
レジ台の中に入り、商品リストのファイルをめくる。店内には、訳の分からない小道具やいつの時代の物なのか不明の古着が、所狭しと陳列されている。ひとつひとつの値段など、正直覚えていられない。
「コート…コート…」
コート類一覧のページには、コートの色・形・特徴と値段が書かれている。
「色はグレーで、素材はウール、六個のボタンがダブルになっているやつ…」
ひとり言のつもりが、
「色はフィールドグレーです」
高校生に訂正された。
「フィールドグレー?」
「そうです」
「……そうですか」
こいつそんな事もしらないのか?と言わんばかりの彼の視線に、
(雇われバイトですので、ごめんなさいね)
と、心の中で舌を出し、
教えてもらった色で探すと、すぐ見つかった。
「ああ、ありました。これは…二十九万八千円です」
驚いた。こんな古いコートがそんなにするのかと。
「………」
男の子も予想以上だったようで、言葉が無いままコートを見つめている。少しして、
「お金、貯めて来るんで、取り置きしてもらえませんか?」
「取り置き?」
「はい。バイトして、貯めてて来ますから」
(どうしよう)
自分では判断できない。
「ちょっと待っててください。可能かどうか確認しますから…」
オーナーに確認しようと電話に手を伸ばした時、
「すみません」
入り口のドアが開き、声とともに入ってきたのはサラリーマンらしきスーツ姿の男性だった。歳は自分と同じくらい、三十代前半ぐらいだろう。
「いらっしゃいませ」
「こちらのホームページで紹介されていたコートを見たいんですが…ああ、あった」
男性は、男の子が欲しがっていたコートを見て、
「こちらはおいくらですか?」
調べたばかりの値段を告げると、
「カードは使えますか? 現金だけ? わかりました。すぐおろしてくるので、お願いします」
躊躇なく購入しようとするサラリーマンに、男の子が、
「ちょ、ちょっと待ってください。これは、俺が買うんです」
「え、そうなの?」
サラリーマンは高校生をじっと見つめ、
「でも、君に買える金額なのか?」
「それは…お金貯めて来るから、取り置きしてくれるようお願いしてて」
「取り置きねぇ。高校生が無理して買う必要ないんじゃない?」「でも、これ、ずっと探してたんで」
「それはこっちも同じ。やっと見つけたんだ。君に譲る気はない。ね、おねーさん、現金ですぐ支払うから」
「ちょっと待てって。おっさん、横入りするなよ!」
「金持ってない子供にはいらんだろ。ミリタリー好きか? レプリカで我慢しとけって」
「ミリタリー好きとかじゃなくて、俺はこれが欲しんだ」
「ミリタリー好きじゃないヤツが、どうしてこれを欲しがる?」
「そんなの、おっさんには関係ないだろっ」
「ほら、ガキはひっこんでろ」
その後もどんどん語気が荒くなる二人の間に入っていけず、声をかけられない。ただ二人の会話から、どうもこのコートが第二次世界大戦中の軍服であり、レプリカではなく本物であるらしい事がわかった。
(だからこんなに高いのか)
商品リストに再び目を落とせば、商品の状態が詳しく書かれていた。
「あの、このコートって、シミがかなりついているようですよ。あと、穴も開いてるって」
口論していた二人が止まった。
壁からコートを取り外し、レジ台に乗せる。ちょうど腹部の辺りに、百円玉ぐらいの穴が三ケ所開いていた。二人に確認させるように見せる。また、その穴の付近に黒いシミがあった。いくら古着でも、この状態では二人とも欲しがらないのでは?と様子を伺えば、
(あれ?)
男の子はコートにおそるおそる触れると、穴の部分をそっと撫ぜて、泣くのを我慢するかのようにぎゅっと唇を噛んだ。
もう一人、サリーマンは、やはり同じように穴の部分に触れると、大きくため息をついた。
そして二人とも、コートの内側を何やら確認して、
「やっぱりこのコートだ」
と男の子は呟き、サラリーマンは黙ったままコートから手を放した。
「?」
二人の反応が思っていたのと違い、なんだか重苦しく、
「あの、えーと」
何を言えばいいのかわからない。
ややして、
「お金、すぐ持ってくるので、包んでてください」
サラリーマンがそう言うと、
「あの、これ、俺もどうしても欲しいんです」
男の子がサラリーマンの腕にすがりついた。
「どうしてそんなに欲しいんだ? もっといいヤツを探せばいいだろう」
「これじゃないとダメなんです」
「あいにく、俺もこれがいいんだ。譲れない」
一切引く様子の無いサラリーマンに、男の子は意を決したように一瞬黙り、
「あの、これは、実は、俺の知っている人が持っていた物なんです。だから、絶対手に入れたいんです」
「知ってる人?」
「はい」
「じゃあ、その人が直接購入すればいいんじゃないか?」
「その人はもう、死んでるんで、無理なんです」
「どうして君がその人の代わりに買わないといけないんだ?」
「その人、そのコートが原因で死んでるんで…その人の思い出にしたいんです」
「死んだ原因?」
男の子は再びコートの穴を撫でると、
「このコートを着て、撃たれて死にました」
「え、ええぇぇぇ」
声を上げたのは店員である自分。
「ってことは、あの、これ、もしかして血のあと?」
穴とシミを指差すと、男の子が頷く。急に怖くなってコートから離れたが、サラリーマンは顔色一つ変えず、
「知っている人っておかしいだろ。このコートが作られたのは七十年以上前だ。コートの持ち主が撃たれて死んだのも、それぐらいだ」
「そうです」
「それなのに君の知り合いって、そんなはずない」
「それでも知り合いなんです。昔、そのコートの持ち主は、そのコートが支給されたのが嬉しくて、敵が近くにいる地域だって言ったのに、そんな目立つコート来て出歩いて、案の定撃たれて死んだんです。そんなバカな人だったけど、俺は尊敬していた人なんで…」
男の子は言いながら、コートを撫でる。
そんな男の子に、
「それ、なんかのラノベ?」
サラリーマンの声が冷たい。
「ちがうっ」
「それとも前世の記憶です~なんて、中二病みたいな事を言う訳?」
図星だったのか、男の子の顔が真っ赤になった。
「中二病かもしれないけど、仕方ないだろ、記憶があるんだから。覚えているんだから。俺だって、何の妄想だよ!って思ってて、でも、この店の前を通りかかった時にこのコート見つけて…俺だって、俺だって、そんなはずないって、こんなの、妄想だって思ってたのに、現実にこのコートがあって…」
男の子は興奮した様子で、ぽろぽろ涙を流した。
その姿に戸惑い、サラリーマンの方を見ると、彼は肩をすくめて、男の子の肩をポンと叩いた。
「話、聞いてやるから、な?」
落ち着かせる為に、店の奥で入れたコーヒーをトレイに乗せてレジ台に戻ると、男の子は恥ずかしそうに顔を隠していた。
「………君はその昔、このコートが作られた国の兵士で、このコートの持ち主は君の上官にあたる人物だった。君も上官も下士官だったが、上官が昇進して将校になり、このコートが支給された。上官は、まだ戦闘が収まっていない地域であるにもかかわらず、支給されたばかりのコートを着て出歩き、敵兵士の標的になって撃たれて亡くなった………という事でいいかな?」
サラリーマンの言葉に男の子が頷く。
サラリーマンはコーヒーのカップを二つ、「ありがとうございます」と手に取り、一つを男の子に渡した。男の子は素直にそれを受け取った。
「その話が本当かどうかはさておいて、高校生の君にこのコートは高すぎる。親御さんだって、知れば驚くし、反対するだろう?」
「でも…」
「とりあえず、これは俺が買う」
「!」
「最後まで話を聞けって。俺が買って、うちに保管しておく。君が将来働いて、お金を用意できたら、俺から買えばいい。値段を釣り上げるような事もしないし、まったく知らないヤツが買う訳じゃないからいいだろ?」
サラリーマンの提案に、
「あの、お客様はそれでよろしいんですか?」
と聞けば、
「ああ」
サラリーマンは上着の内ポケットから名刺入れを取り出し、名刺を一枚男の子に渡すと、
「勤め先と、メルアド書いてあるから、金が溜まったら連絡しろ」
「………いいんですか?」
「その頃になったら、君もそんな妄想を忘れているかもしれないだろ? それならそれで、連絡してこなくてもいいし」
「絶対連絡します」
「それでもいいから」
サラリーマンが、男の子の頭をぽんっと軽く叩くと、
「ありがとうございます」
男の子は深く頭を下げた。
サラリーマンはそんな男の子に対し、軽く笑うと、自分もコーヒーを飲んだ。
彼らは二人して一度店を出ていき、しばらくしてサラリーマンだけが戻ってきた。
「お金、おろしてきました」
「すぐお包みますね」
支払いを済ませ、コートを出来るだけ丁寧にたたみ、袋に詰めた。
「お騒がせしてすみませんでした」
頭を下げる彼に、
「いえいえ、お買い上げありがとうございます。それに、あの男の子の事、ありがとうございます」
「あれぐらいの年齢の時って、幽霊が見えるとか、自分は誰それの生まれ変わりだとか、思い込む事がありますから」
「そうですね」
袋を手渡して、ふと、気になった。
「あの、あなたもこのコートを探してたって仰ってましたけど、何か思い入れがあるんですか?」
「どうして、そんな事を聞くんですか?」
彼の顔色が少し変わる。
「あ、すみません。失礼しました」
慌てて謝ると、サラリーマンは袋をぎゅっと両手で抱きしめ、
「このコート、支給された時、すごく嬉しかったんですよ。士官学校を出ていない自分が、いろんな幸運に恵まれて昇進して、それまでに支給されていたコートより数段質のいいこのコートをもらえた時、本当に嬉しくて嬉しくて。それで我慢できなくて、着て出歩いて、撃たれて死んだ。本当、あいつが言うように、バカだったんです」
「え……?」
彼は目を伏せ、
「支給された時に、内側にこっそり自分の名前を刺繍したんです。それをあいつも知ってたんですね」
あいつ、と言うのが、あの男の子を指している事は明確だった。でも、それを確認する事は憚られた。
彼はコートの入った袋を片手に持ち直し、
「でもまさか、あいつとこの時代でまた会うとは思ってませんでした。じゃ、お世話になりました。コーヒーもありがとうございます」
サラリーマンはそう言って店を出て行った。
夕方、店に帰って来たオーナーに売り上げ報告と今日あった事を伝えると、「そうか、そうか」と、特別驚きもしなかった。
「こういう商売をしていると、そんな事もあるもんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。古い物を取り扱っているとね」
「へえぇ」
「そういう商品ほど高く売れるから、商売としてはいいんだよ」
オーナーは笑って、仕入れてきたらしい商品の入った箱を持って二階へ上がって行った。
一人になり、コートの飾られていた壁を見つめ、あの二人の事を思い出す。
(彼は、自分の事を男の子に言うのかしら)
そして、それを知ったその時、
(あの男の子はどういう反応をするのか)
見てみたい気がした。