【お題三つ:天文・水・自然】夢両立
私は自然が大好きだった。ある時はカブトムシ、クワガタムシを捕まえ、またある時は驚くほどおいしい山ブドウを見つけた。甘酸っぱい果実の風味を今でも覚えている。
「見ろよ、凛」
思い出に浸っていた私は、彼の声を聞きながら空を仰ぐ。
「流れ星……って季節じゃないけど、山の中じゃあ星空自体が美しいな……」
ああ、美しい。今聞こえるのは虫が鳴く声、川のせせらぎ、彼の声。
そう感じるがゆえに、私は苦しい。
時は少しさかのぼり、五年前。
私は高校二年生だった。小学校、中学校、高校に進級して行っても田舎なので周りの面子はあまり変化しない。しかし、高校二年生の春に変化があった。
「転校生の新垣啓太くんです」
馬場先生がいつもの棒読み口調で話す。「みんな仲良くしてあげてね」という言葉すら棒読みである。こんな紹介をされた新垣君はきっと傷ついたに違いない。
「新垣啓太です。高校二年生で岡谷東高校に転校してきました」
クラスのみんなの気持ちは一致していた。「こいつも棒読み族かよ」と。しかも自己紹介であるにも関わらず、名前と転校先の高校を言うだけである。
「えー、ちょっと少ないかな。もうちょっとスペックよろ」
相変わらず棒読みで馬場先生が新垣君に語り掛ける。新垣君はというと、腕組みをして唸り始める。先生が口を開こうとすると新垣君は突然、「ああ」と声を漏らした。みんな彼の次の言葉を待った。
「夢は建築士、それもホテルを立てる建築士です。よろしくお願いします」
さらなる静寂が、私たちを襲った。しかし馬場先生だけは変わらず
「はい、よろしくねー。じゃあ、HRは以上。解散」
とみんなに指示を出す。新垣君は席について一時間目の授業――国語の準備を始めた。
私は隣の席に座った彼を国語の授業中ずっと眺めていた。まあまあ、容姿はいい方だ。授業中に頬杖をつく姿は様になっている。すると、突然彼がこっちを向いた。思いっきり視線がぶつかる。
「……」
一番後ろの席で話し声が先生に聞こえないと言えども、授業中にしゃべるのはよくない。私は無言で黒板に向きなおろうとした。
「待って」
横から彼が私を呼び止める。私が彼の方を見ると、彼はぼろぼろの紙切れをカバンから取り出した。
「――!」
私はそのあまりにも大きな衝撃に大声を出しそうになる。彼が持っている紙切れはいわば「勘合符」である。
「久しぶり、凛」
「改名って、趣味悪いわね康則……」
昔の約束、私がずっと想ってきた相手、康則と晴れて付き合えることとなった。
こんな簡単に付き合い始めていいのだろうか。一瞬考えたが、今でも康則が好きな気持ちは変わっていないので考えることを放棄した。
彼は自然が大好きだった。オオクワガタをたくさん捕まえては売り、小遣いを稼ぎ(当時のオオクワガタの値段は非常に高かった)キノコを見つけては食べられるキノコ、売れるキノコはないかと研究をしていた。私とはまた違う、自然との接し方をする男の子。私はそこに惹かれたというのもあるのかもしれない。自分が持っていない価値観を持っている彼は、魅力的だった。
付き合って二年。私と彼はそこそこの大学に受かり、私は理学部に、彼は建築科に入っていた。家が近いこともあって、毎日一緒に返っていた。
私は将来、自然を案内する「ネイチャーツアー」をやりたいと考えていたため、それに関する知識を集めていた。理学部の生物班の私は――否、夢を追いかける私は輝いていた。
そのころの研究内容はざっくりいうと「生物と水の関係」だった。私たち人間の体の約五割が水である。この水が無い状態でも生きていけるとなると、これは素晴らしい発見である。災害時にも対応できるからだ。そんな無水環境で生きられる生物を研究し、人間に応用できないかとこの研究を始めた。
ただ、それほど研究テーマに興味があったわけではない。私の目には「ネイチャーツアー」と「彼」しか映っていなかった。
彼は高校生の頃に言った通り、ホテルの作り方を学んでいた。最近では「耐震」タイプよりも「免震」タイプの方が売れ行きがいいと教わったらしい。学校から家へ帰るまで、その内容を説明してくれた。自分の専門分野でないが、彼から話をしてもらえること自体が幸せだった。
さらに三年が経った。
「今日から『ネイチャーツアーズ』の社長になります、星下凛です。よろしくお願いします」
私は大学卒業後にすぐ、企業を立ち上げた。入ってくれた社員は私を含めて六名。
方向音痴だけど生物の知識は一流の前島天人。
声が通る物理班卒業、でも生物は趣味として好きな合井倭子。
いつも時計ばかり見ている通称『アリスのウサギ』、神田弦太。
電話対応が一流な『ホテルのフロント』こと那須佳代(「茄子かよ」ではない)。
そしてだらしのないくせにこの中で最高学歴、茨一也。
この個性あふれる五人をまとめるのが私。これから大変になることが予想されるが、私は夢の実現がどんどん手の届く場所に来ていることに興奮していた。
彼はというと、建設業界に入るや否やホテルを任され、それを実践経験なしとは思えない手際の良さで作ったので次のホテルも任されることになったという。
同棲し始めた私たち。テーブルを囲んで食事を始めようとすると、彼がいきなり言った。
「次のホテル、うまくいった時は……、うまくいった時でいいから、結婚してくれ」
「……うまくいった時って……なんで」
すぐに結婚したかった。別に今の生活が不満なわけではない。でも「既婚者」という肩書きにあこがれを抱いていた。
「なんでって、うまくいかないかもしれないからだよ」
彼は私を見て、悲しそうな顔を一瞬みせるといつもの棒読みで「いただきます」と言った。
彼の言った「うまくいかない」の意味が分かったのは8月12日の事だった。
彼は夜、家に着くや否や私を車に乗せて街の方向に向かった。
「どこにいくの」
と聞いても、彼は答えてくれなかった。いつもと違う彼の雰囲気に、私は圧倒されていた。
それから二時間半。街に向かうと思っていた車はそれを通り越し、ついには山奥に来てしまった。舗装されていない通りを車のヘッドライトのみを頼って進んでいく。がたがたと激しく揺れる車体。乗り心地は最悪である。車酔いしかけながらも、腕時計に目をやる。午後10時56分。
突然車が止まった。
「着いた」
彼は降りるように私に促すと、エンジンを切って外に出た。私も外に出る。夏の夜だが、少し肌寒いくらいだ。耳を澄ますとしゃあしゃあという虫の音とちょろちょろと流れる水の音が聞こえた。なんだろう、懐かしく思える。
彼は私の方に来ると、私の手を引き、歩く。車の辺りでは見えなかった星が、歩くにつれちらちらと見え始め、彼が「ここだ」という時には頭上に星が広がっていた。赤い星、ちらつく星、やけに明るい星、消えてしまいそうな弱い光を放つ星。ここ三年、星を見ていないことに気付く。毎日が忙しかったし、同棲が始まってからは引っ越しをして、田舎とは呼べない場所に移ったから。
「……言わなきゃならないことがある」
彼が口を開く。ここがどこか分からないのは不安であったが、とりあえず彼の次の言葉を待った。
「ここにホテルを作る」
「ああ……」
ホテルを作る予定の場所だそうだ。確かに星もきれいだし、川も近くにあるようだし、環境としていいのではないか。そんなことを私に言う必要はないのではないか。
「ここがどこかは……分かっていないか」
「分からないわ、教えて」
「……岡谷山だ」
私は息をのんだ。岡谷山は私が昔から触れてきた自然が集う場所。思い出の場所。その場所を切り開いてホテルにする。建設のためにトラックやクレーン車が行き来し、きれいな空気が汚れ、植物の気孔は黒く汚れてしまう。森の生態系が崩れる可能性さえある。
でも、私一人が反対の気持ちを言ったところで、相手は企業だ。建築会社に何を言ったところで無駄だろう。いつの間にか、私は彼の胸に顔をうずめ、泣いていた。
「しょうがないって分かってるのに……っ」
彼はしばらく何も言わなかった。
しばらくして私が落ち着くと、地面に腰を下ろして、星を眺めていた。
「見ろよ、凛」
私が幼いころの記憶を振り返っていると、彼が私に声をかけた。相変わらず瞬く星。
「流れ星……って季節じゃないけど、山の中じゃあ星空自体が美しいな……」
彼の声は一時虫の声と水の音を遮ると、私の耳に到達する。声にすら、人間が自然を妨害するようなイメージを抱く私。彼だって、自然を妨害したいからホテルを作るわけではない。私のツアーの計画を壊すためにホテルを作るためでもない。ただ、自分の夢が偶然、私の思い出を消費して成立するというだけだ。
彼は昔から、自然から利益を得るという、私とは違う視点を持っていた。
私も、彼の夢を応援したい。夢がかなうためには、それ相応の代償が必要ということか。
「分かったわ」
彼がこちらを向く。私は彼を見つめると、言った。
「夢の代償が、天文学的確率を超えて、私に降りかかっただけよ。あなたの顔に元気がないような気がした理由がよく分かったわ」
彼は少し、微笑んだ。私は続ける。
「ただ、これからは、こんなことしないで。何を始めるにも、何かを終えなければならない。生き物にも弱肉強食ってあるでしょ。弱者と強者が同時に成り立つってことはないの。私はそれを知っている。よく分かっている。あなたが悩む気持ち話わかるけど、私を理由にして、夢をあきらめてほしくない」
「……ああ」
つくづく、嫌な世の中だな、と。結局、全部は思い通りにならない。私の夢の一つ、「岡谷山でのネイチャーツアー」を消費して、彼の夢がかなう。私はそれでいい。彼さえ幸せならば。
H A P P Y E N D ?




