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第四話 「天使と死神」

 自分を殺すのがルーゼだと直感し、確信した瞬間。 

 血も凍るような恐怖を感じて、身体の芯から震えが起こり、歯の根ががちがちと鳴り出してくる。


「探したよ、姉さん……。

 なのに……そこで、誰と……何を、しているの?」


 エメラルド色の瞳を濁らせたまま、苦し気に、途切れ途切れの声で問いかけてくる。

 天使のような美しいルーゼの顔が、今は死神のごとく不気味に見える。


 狂気に染まったその視線から逃れたくて、私はライナスの胸の中で隠れるように身を縮めた。

 それが一気に彼を刺激したらしい。

 

 ルーゼがカッと目を見開きヒステリックに叫んだ。


「離れて! 今すぐその男から!」


「……嫌っ!」


 悲鳴のように叫び返すと、ライナスの服をぎゅっと掴む。

 いわばこの胸の中は今の私にとっての安全地帯。

 ここから出るなんて、絶対に嫌だった。


「ルーゼ、彼女は今気分が悪いんだ、大声で怖がらせるな」


 異常なルーゼの様子に、ライナスも気が付いているようだった。

 緊張した声でそう言うと、庇うように私の身体をしっかりと抱き直す。


「気分が悪い? 

 丁度よかった。私も、今、一秒でも早くあなたをここから連れて帰りたくなっていたところだ。

 さあ、お願いだから、その男の腕から出て、こっちへ来るんだ姉さん。

 そうして、私たちの屋敷へ戻ろう」

 

 ルーゼが一転して今度は優しく言い聞かせるように語りかけてくる。

 それがよけいに不気味で怖くてたまらない。


「……私は……ライナスと一緒にいたいの……!」 


 泣いて震えながら、ライナスの身体にしがみ続ける。

 絶対に離れない覚悟だった。

 

 ――そこに、ふいに声が響いた。


「ミュール伯爵、レティアは居ましたか?」


 銀髪にアメジストの瞳をした長身の男性――ヒメネス公爵の姿が、開いたテラスの扉からカーテンをめくりながら現れる。

 その穏やかだった表情が、ライナスと抱き合う私の姿を認めたとたんに、一転する。


「これは……お邪魔かな?」


 こわばった表情と、冷えていくような視線だった。


「公爵様……」


 他の男性と抱き合う姿を一番見られたくない相手の前なのに、今は恐怖が勝っていてライナスから離れられない。

 その気持ちが伝わったのか、


「ルーゼ、レティアは本当に気分が悪いんだ。

 それにこの怯え方は尋常ではない……。

 今夜は俺の屋敷へ連れて帰って、落ち着かせてから、明日帰す」


 ライナスが断固とした口調で宣言してくれた。


「ライナス……!」


 その優しさに胸が詰まりそうになる。


「ふざけるな! それこそ獣の檻の中に預けるようなものだ。

 そんな事は絶対認め無い!

 いい加減、その汚ならしい手を、姉さんから離すんだ!!」


 叫びながら腕を伸ばして飛び掛ってきたルーゼを、ヒメネス公爵が肩を掴んで制止した。


「落ち着くんだミュール伯爵……」


 なだめるように押さえ込みながら、公爵がキッとした視線をこちらに向けてくる。


「レティア! 本当に気分が悪いのなら、そんな風に男性と抱き合うのではなく、一人で別室で休むか、彼の言う通り家に帰るべきではないか!?」


 非難を込めた厳しい物言いと、怒りがにじんだその眼差しに、私は強くショックを受ける。


「公爵様……私は……」


 言いかけた言葉はすぐに遮られる。


「ライナス・デリア、あなたも、彼女の女性としての評判を貶めるような、軽率な行動は避けるべきでは無いか?」


 矛先はライナスにも向けられた。


「俺はレティアに対しどんな種類の責任でも取る覚悟がある」


 ライナスの答えはその見た目と一緒で男らしいものだった。


「冗談じゃない! 責任にかこつけて姉さんを手に入れたいだけだろう!」


 ルーゼの剣幕は酷く、ヒメネス公爵が羽交い絞めにしていなければ、きっとライナスに殴りかかっていたと思う。


「さあ、レティア。義弟君が憤死する前に、その男性の腕から出た方がいい。

 それと本当に具合が悪いなら、馬車に乗ってもう帰りなさい。

 貴方の両親は後で私が別の馬車を出して送らせるから。

 私の顔を立てて、素直に言う事を聞いてくれないか? 君にはその義理がある筈だ」


 先代のヒメネス公爵の頃から父ともどもお世話になってきた身では、そこまで言われて逆らう訳にはいかない。

 それにライナスのおかげとこの一連の流れでかなり頭が冷えてきていた。

 冷静に考えてみると、すぐに殺されるような状況では無いのだ。


 私はやっと握りこんでいた服から手を離し、ライナスの硬い胸をそっと押した。


「分かりました。帰ります」


 どのみち、どんな理由があるにせよ、今の自分の住まいがミュール伯爵邸である以上、ルーゼからは逃げられない。


 ライナスの目が気遣うようにこちらを見つめてくる。

 

「大丈夫なのか? レティア」


「うん、大丈夫」


 自分を勇気づけるようにそう頷いた。


「何かあればいつでも俺を頼ってほしい」


「ありがとう……ライナス」


 温かなその青い瞳とその胸から離れがたく、少しの間、見つめ合っていると、


「姉さん、来るんだ!」


 痺れを切らしたルーゼが、手首を掴んで強引に私を引っ張って連れて行こうとした。


「乱暴にするのは止せ」


 ライナスがすぐに弾かれたようにルーゼの肩に手をかけようとしたが、ヒメネス公爵がそれを遮った。


「私が馬車まで着いて行くので、レティアの為を思うなら、今夜のところはもうここで引いてくれないか。

 ……君が絡むとますます彼の気が立って彼女の負担になる」


「……っ!?」


 ライナスを残しテラスから去ると、広間を通り、玄関から外へと出た。

 ルーゼに手を引かれ、背後にはヒメネス公爵がぴったりとくっつき、二人の間に挟まれるように馬車まで移動する。


 先に馬車へ乗り込むと、ルーゼが手を伸ばしてきた。


「さあ、早く乗って」


 その手を取るのを躊躇する私の背を押しながら、ヒメネス公爵がそっと耳打ちしてきた。


「レティア……あまり男性の心を弄ぶのは感心しないな、今にきっと酷い目に合うよ」


「え?」


「危うく、あなたに夢中になりかけた男からの忠告だ」

 

 最後の言葉はささやく程のわずかな声だった。


 押し込むように乗せられると、直後に扉が閉じられ、速やかに馬車が動き出した。

 呆然と車窓からヒメネス公爵を振り返る。


 公爵……今のはどういう意味……? 

 私に夢中になりかけたって、聞こえた……。

 ヒメネス公爵が? まさか私に?

 そんなの有り得ないよね……きっとなにか、別の言葉と聞き間違えたんだよね?


「姉上、どうしましたか? 公爵に何か言われたんですか?」


「……ううん、何でも無いの……」


「本当に?」


 再度、聞き返すルーゼの目は、相変わらず底なしの闇のようだった。

 軽く身ぶるいして、自分の身体を抱きしめながら、必死で頷きを返す。


「本当よ、ただ心配して……大丈夫かと、声をかけて下さっただけ……」


 それから馬車に揺られて屋敷に着く間、ルーゼも私も終始無言だった。 


 ルーゼは自分の激情を押さえるように唇をぎゅっと噛み締め続け、時おり暗い眼差しをこちらへ向けてきた。

 私はつねに心臓が縮みあがるような心地で、一刻も早くこの密室空間から出たかった。


 それで馬車が屋敷へ到着すると、私は逃げるように一目散に自分の部屋へ走って行った。

 扉に鍵をかけても落ちつかなくて、その夜は、布団に潜って怯えて過ごした。

 ルーゼへの恐怖以外にも、ヒメネス公爵の言葉やライナスにかけた迷惑の事など、色々考える事に忙しかった。

 おかげで頭が疲れて限界が早く来たみたいで、いつの間にか眠りこんでいた。


 

 運命の歯車が、小説の筋とズレて来ている事に気がついたのは……その翌日の朝食の席だった。

 

 昨夜のヒメネス公爵の言葉の意味が知りたくて、婚約について父に確認してみたところ、首をかしげられた。


「お前は一体、何の話をしているんだレティア。

 昨夜はヒメネス公爵といろいろ会話をしたが、婚約の話などは一度も出なかったぞ」


「……えっ……」


 どういう事?

 確かに小説の回想シーンで、ヒメネス公爵が彼女を婚約者として、会場で紹介して回る描写がきちんとあった筈だ。 

 何よりそれはルーゼとの恋のきっかけになる重要なエピソードな筈なのに。


「父上、姉さんは昨夜から、なんだかとてもおかしいんだ」


 そこへ先に朝食室に来て食事を取っていたルーゼが、ナプキンで口元をぬぐいながら会話に入ってきた。

 時折こちらに向けられるその視線は、監視するような居心地の悪いものだった。

 

 おかしいのは私じゃなくルーゼの方なのに!

 ……と、言いたかったけれど、義弟を刺激したくないのもあり、ぐっと堪える。


 それにしても分からない。本当にどういう事なのだろう。

 

 ヒメネス公爵は婚約の発表の時期を遅くしたのだろうか?

 あるいは昨夜の言葉が聞き間違いじゃなくて、私ゆえに婚約を思い止まった?


 そんな事がありえるの?

 もしそうなら、昨夜の弁解をきちんとして、ヒメネス公爵の気持ちを確かめ、私の気持ちを伝えたい。

 

 でもどうしてストーリーが変わってしまったのだろう?

 公爵の婚約に、ルーゼの狂気。

 まるで、昨夜から自分の住んでいるこの世界が一変して、違う世界に変わってしまったみたいだった……。


 




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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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