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「リーネとヒイスクリフ~愛の光~」


「ヒイスクリフ。あなた、私を愛しているのね!」


 発端は久しぶりに再会したリーネが、私の瞳を覗きこんで叫び出したことだった。


 こともあろうにその台詞を自分の恋人であるルーゼ・ミュール伯爵が隣にいる状態で言ってのけたのだからリーネには心底呆れてしまう。


 

 それで数日後、溌剌とした顔でリーネが荷物を抱えて教会の扉の前に立っているのを発見した時には、心の中に嵐が吹き荒れるようだった。


「ただいま、ヒイスクリフ、またお世話になるわ!」


「ミュール伯爵は?」


「別れたわ!」


「……なんだと?」


「あなたの愛に応える為に戻ってくるのに、他の男性を連れてくるわけにいかないじゃない!

 きちんと、どこにでも好きなところに行って、と許可を与えてから置いて来たわ!」


 恐ろしいほどリーネらしい、予想外の台詞と行動だった。


 対処に困った私は、まずは心を落ち着かせる意味あいもかね、彼女を連れてテーブルのある部屋へ移動し、ハーブティーを入れながら思案する。

 これはじっくりお茶を飲みながら話し合う必要がある。

 相変わらずのリーネは素直に席になんかには座らずに、私の横に挑むように突っ立って腕組している。


「……リーネ、私は神父だから、色恋は困るんだ」


 ここは率直に言って聞かせる事にする。


「宗教より私を選んで! 結婚しましょう!」


「私の宗派は結婚不可なんだ」


「だから宗教より私を選んでって先に言ったでしょうっ……!」


 やや怒りながらいきなり座っている私に横から抱きついてきて、何をするのかと思えば、リーネは強引に唇を重ねてきた。

 

 この子は昔から話をきかなくて困る!


 だけど本当のところ、昔から私はそのような彼女が可愛くて可愛くてたまらない。

 それはそれとして、柔らかくみずみずしい唇の感触に酔いしれながらも、必死にリーネの肩を手で押しやり、さらに無理だと言い聞かせることにした。


「……待て、リーネ……私には色んな責任が……」


「そこの点は大丈夫! お金をどっさり持って帰ってきたから、たとえ神父を首になって教会を追い出されても、別に大きな家を買ってみんなで一緒に暮らせるわ!

 お金はあらゆる不幸を遠ざけて、幸せを後押しするのよ」


 ――この数年間、リーネは多くの人の命を救って最後の方には王の命まで救い、国中に奇跡の乙女と称えられると同時に、たくさんの褒美を得たのだ。


「……私にあなたの稼いだお金で暮らせと言うのか?」


「今までだって信者のお金で食べて来たでしょう? まあ自給自足もしてたけど……。

 ねえ、人生って一度きりしかないのよ!

 時は有限なの! 自分の気持ちに正直に生きないと損だと思うわ!」


「リーネは少し自分の気持ちに正直過ぎるのでは?」


「ヒイスクリフは私にまた愛を探しに一人で旅に行けというの?」


「そうは言っていない!」


 反射的に否定しまうほど、もう離れたくないと思ってしまうこの心をどうしたらいいのだろう。

 リーネがいないこの数年間の生活はあまりにも寂しくて、身に詰まされ過ぎた。

 物思いにふけっている間に、またリーネが首に抱きついてきて唇にキスしてくる。


「わー、神父様とリーネがキスしてる」


「二人はケッコンするの?」


 とうとう周りで子供達がはやしたてだす。


「それはヒイスクリフ、この人次第なの。

 この人が自身の愛から目を背けあくまでも拒否するというなら、私はまだ旅に出ようと思うわ。

 世界は広いから、今度はもっとたっぷり見て回るのに時間がかかり、帰ってくる頃にはおばあちゃんになってるかもね!」


 おばあちゃんになる――そんな長い年数、彼女がいなくなる事などもう自分には耐えられそうにない。

 半ば脅しのようなその台詞に、とっさにまた反応して言葉が出てしまう。


「……旅なんて駄目だ」

 

「どうして駄目なの?」


 ここまで口に出してしまっては、最早、素直に認めらざるを得なかった。

 愛くるしい無邪気な茶色の瞳がうらめしい。


「私が傍にいて欲しいからだ」


「もっと、きちんと言ってくれないと嫌っ!」


 本当にわがままで困った娘だ。

 どうやら育て方を間違えたらしい。


「リーネを愛しているから、一緒にいたい」


 神妙な気持ちで告白すると、リーネの表情がみるみる変わっていき、いつかの澄み渡った空のような満面の笑顔になった。

 いつの間にやら全員集まっていた子供達が大騒ぎを始める。


「あんた達、ちょっと部屋から出て行って」


 リーネは子供達を部屋から追い出すと、今度は端にある寝台へ私を連れて行き、押し倒して上に跨ってきた。


「何をする気だ?」


 大人しく移動してされるがままになっている私も私なのだが……。


「決心がつくように、今から教義に背く姦淫の罪を二人で犯すの!」


「……」


 リーネの言葉にさすがに私も絶句する。

 本格的に育て方を間違えたようだ。


「女性が上とははしたない」


「さあ、脱いで!」


「……まったく」


 溜息をつき、リーネの細い腕を掴んで、ベッドへと引き込む。


「こういうのは年上の男性がリードすると相場が決まっている」


 そう、愛してしまった時点でリーネの求めに抗う事など無理だったのだ。

 結局全て彼女の思い通りになってしまう。

 多少途方に暮れながら、神父にならない場合は、教師になる予定だった事を思い出す。

 それもまたいいかもしれない。


 転職の決意の景気づけに身体を返して上下逆になり、寝台の上にリーネをどさりと横たえる。

 そうしてすっかり女性らしく魅力的になった姿をまじまじ見下すと、可愛らしい唇に触れる程度の口づけする。

 リーネが下できゃっと悲鳴をあげて真っ赤になった。

 どうやら彼女の中では自分からするのと相手からされるのでは全く別物らしい。

 先刻は自分からキスしたり押し倒してきたのに、この反応。

 こういうところがリーネのたまらなく可愛らしいところなのだ。

 そう、私だけが知っている。


「やっぱり続きは結婚してからだ」リーネの上から身を起こし、私は決然と言った。


「結婚?」


「まずは、神父を辞めて、郊外の家を探し、教師の仕事を得てから、結婚しよう」


 望み通りのプロポーズしたというのに、リーネは唇を尖らし不満顔だった。


「辞職に求職に採用に家探し? 気が長すぎるわ! それってどれぐらいかかるの?」


 むしろリーネの気が短すぎる……。普通即日結婚とか無理だろう。


「我が家系は教師と聖職者が多く、叔父が文法学校の理事をしている話をあなたにしたかは覚えて無いが、1ヶ月以内に全て片付けてみせよう」


「……それなら待ってやってもいいわ!」


 何かにつけて上から物を言うところもリーネの可愛いところだ。

 無事に話しもついた事だしと、引き寄せるようにベッドから抱き起こし、リーネの顔を改めて見ると、惚れ惚れしたような視線をこちらに向けて溜息をついている。


「ヒイスクリフの瞳って吸い込まれそうなほど深いわよね。

 私小さい頃から大好きだったの」


「初耳だ」


「あなたが路地裏に迎えに来た時は本当に嬉しかったのよ」


「あの時は、何を置いても真っ先に迎えに行ったんだ。あなたを……」


 思い返してみるとあの頃から自分はすでにリーネの魅力にはまっていたのかもしれない。


「ああ……こんな事ならもっと早くあなたに言い寄れば良かった!」


 リーネは心から嘆いてみせた。


「子供は相手にしない。大人になったから、こう出来るんだ……」


「……んっ」


 ――再び自分から奪ったリーネの唇は異様に甘い堕落の味だった。



 

 思えばあの時から坂を転げ落ちるように、自分は神への献身の道から遠ざかっていったのだ。

 リーネのあけっぴろげな性格を思うと信者に知れ渡るのは時間の問題で、一時を争う選択だった。

 破門される前に聖職を自ら辞する事が出来たのを今では幸いと思っている。

 

「あなたが今まで神父で良かったわ」


 ほどなく大きな家に移り住み結婚式も済ませ、すっかり落ち着いたある日、リーネがつくづくと呟く。


「それはどうして?」


「だって、ヒイスクリフがもしも神父じゃなかったら30過ぎまで独身じゃなかったでしょ!

 あなたってとっても魅力的だもの」

 

 彼女が言うように私は今年で34歳で、リーネとは14歳差という年の差婚だった。


「そんな風に思っているのはリーネだけだよ」


「底知れぬ夜のような真っ黒な瞳に、濡れたような黒髪、背筋の伸びた長身痩躯に、やや地味だが整った顔立ち」


「なんだい、それは?」


「私ね、最近、文書を書くのに凝っているの!」


「そういえばたまに書き物をしているね」


「自叙伝を書いて出版しないかと言われているのよ。

 他人に伝記を書いてもらう話しもあったけど、それだと自分の都合のいいように事実を脚色出来無いでしょ?

 ちなみにもう、あなたが毎日仕事に行っている間に、三冊分ぐらい書いちゃったわ。

 あとはあなたとの生活の記録が溜まったら、書いてみようかと思うわ」


 自分に都合良く脚色を加えたものは正確には自叙伝とは呼べないのではないだろうか。

 そう、それはもっと軽い読み物、小説と呼ぶべきだ。


「楽しそうだね」


「ああ……楽しいわ! あいにく癒しの力はある事情でそれほどでは無くなったんだけど、そのかわり、自由を得たわ!

 あんまり凄い力を持っていると、あちこち呼ばれて、わずらわしいから、この怪我ぐらいしか治せない、弱い力ぐらいでちょうどいいわ。

 王の命を救った時に力をほとんど使い果たした、と、いう名目にしておいたから、よりいっそう王に恩を着せられたしね。

 忘れず力を失ったと国中に布告を出して貰い、引越しもしたから、今ではこの通り、平和そのものよ!」

 

 王に恩を着せる……王宮でもこんな態度だったのだとしたら、よく不敬罪に問われなかったものである。

 相当、付き添いだったミュール伯爵は苦労した事だろう。


「力が弱くなってもテッドの病気を治せたんだから立派なものだ」


「だってテッドの事は大好きだから! 教会で一緒に育った兄弟はみんなみんな大好き。

 家族だものね! ヒイスクリフ、あなたの事だって、大抵の病気は治せる気がするわ。

 愛しまくっているんだから、私の旦那様!」


「男冥利に尽きるよ、リーネ」


 門の方へ歩きながらそう呟くと、斜め前からリーネが瞳を見返してきて、光がこぼれるような笑顔を浮かべる。


「ヒイスクリフ、今あなたとても幸せだと思ったでしょう?

 あなたって一見、無表情だけど私だけにはそのわずかな表情の差異が分かってしまうのよね」


 言いながらスキップするように前を進んで行く。


「リーネ、そんなにぴょんぴょん跳ねてはいけないよ。お腹の子がびっくりしてしまう」


 リーネは先に門の前に到着すると、くるりと振り返り、手に持っている包みを渡してきた。


「はい、特製の昼食よ。今日も仕事頑張ってね」


 相変わらず、全く話を聞いていない。


「ああ、行ってくるよ奥さん」


 出勤の挨拶に、門の前でリーネと熱烈なキスを交し合う。


「あ、ヒイスクリフ父さん行ってらっしゃい!」


 外で遊んでいた子供達も手を振ってくる。

 無事にコネで教職を得た後、教会にいた8人の子供を全員を引き取ったので、新婚早々大所帯になってしまったが、みんなで協力しあって相変わらず楽しく暮らしている。

 生活はすっかり変わったけれど、よりいっそう幸せになった事は疑いようも無い。

 神父より教職の方が天職だったみたいで、信者への説教で鍛えたせいか、教え方が分かりやすいと評判になっているらしい。

 

 思い返してみれば神父の職を選んだのは、母親がいつも他の兄弟に比べて陰気で大人しい私の性質を、事あるごとに非難していたから。

 彼女が象徴する家庭生活を支配する女性の存在からただ遠ざかりたくて、一生独身でいられる司祭になる道を選んだだけだったのだ。


 幼い頃より無表情でいつも何を考えているかわからないという小言は、母以外の女性から、姉やおさななじみからもたびたび言われていた。

 ところが愛しの妻リーネは、私の表情のわずかな差異が読めるばかりか、瞳の中の愛まで見抜くのだ。

 こんな得がたい女性はこの世に二人といない。

 彼女の価値に比べれば、職業の違いなどは取るに足らない。

 むしろ今こそ神に感謝の気持ちを伝え、祈り、真の愛の為に生きたいとすら思えてくる。


 今思うとリーネが不在の数年間も彼女の大切さを再確認する為の、必要な回り道だったのだろう。

 リーネも同じような事を言っていた。

 彼女いわく、なんでも数年間、死んだ魚のような自分への愛が無い瞳を見続けたからこそ即座に見抜けた、やっと辿り着けた真実の愛だそうだ。


「再会した時に、あなたの深い瞳の中に、漆黒の夜の闇を照らすような愛の光を見つけた時、私は旅に出て良かったと心から思えたの。

 だってずっと教会にいたのでは、あんな瞳で私を見なかったでしょう?」



FIN




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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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