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第二十七話 「蒼白のレティア」

 ギリギリ生にしがみつき、追い詰められ。

 やはり予知も死の運命も回避出来無いと完全に諦めかけていた矢先にもたらされた、リーネからの初めての心強い言葉。

 それは、まるで地獄に落とされた一本の蜘蛛の糸のような、一筋の希望の光だった。

 彼女の表情からは本気で助けたいという気持ちと気迫が溢れ出ている。


 寝室へと移動してベッドに身を横たえると、いよいよ期待に胸が苦しくなってきた。

 ルーゼが見守る中、リーネが私の頭に手を添え、目を閉じて集中を始める。

 彼女の手の温もりを感じながら、私も目を瞑って、祈るような思いでひたすら力の出現を待った……。


 緊張の沈黙が部屋に満ち、時間だけが一時間、二時間といたずらに過ぎて去っていく……。


 そろそろ三時間ぐらい経過した頃だっただろうか……近くから深い溜息の音が聞こえてきた。

 乗せられていた手が頭から離れ、目を開いて見てみると、蒼ざめ、当惑したような、リーネの顔が視界に映る。


「……どうして……どうして駄目なの……?」


 震える声とその表情が今回の結果の全てを物語っていた。

 

 大きく期待した分、今まで以上に落胆も大きい。

 失望のあまり口をきく気力も無くがっくりして、顔を手で覆って、私はもう無言で泣く事しか出来なかった。


「ごめんね、だけど、もう少しな筈だから……」


 リーネの呟きが聞こえる。

 

 もう少し……私の寿命だってそうだ……もう少しで終わってしまう。

 再び心が絶望の闇に染め抜かれていく……。


 その晩、泣きながら寝ている私の頭を、ルーゼの手が優しく一晩中撫でてくれていた。

 同情であっても嬉しくて、心が慰められた。



 誕生日が終わると、私の最期の人生の時、9月が訪れた。

 リーネはくる日もくる日も長い時間をかけて、手を頭にあてて脳の病気を癒そうと努力してくれていた。

 

 ――しかしある日、手かざしを終えると、リーネはいつに無い深く絶望するような溜息をついた。

 長い気まずい沈黙の後、ルーゼが使用人に呼ばれて席を外すのを見計らい、リーネは重く口を開いた。


「ごめんなさいね、レティア……私努力したのよ」


 呟くリーネは本当に悲しそうな表情をしていた。

 悪い予感に胸を苦しくさせながら、必死な視線を彼女に向ける。


「謝らないで……」


 願うような私の言葉に、リーネは視線をそらし、眼差しを遠くした。


「レティア……私、最初はあなたの事が大嫌いだったけど、今では友達だと思っているわ。

 なのに、なんであなたを治せないのか分からなくて……日々考え続けていたの……。

 それで思ったんだけど……私、小さい頃から人に愛されたいとばかり願っていて……。

 だけど、ルーゼと知り合って、生まれて初めて、自分の真の望みが分かったの。

 みんなに愛されたいんじゃなく、たった一人の人にだけ深く愛されたかったんだって、その人にやっと出会えたんだって……。


 でもね、ルーゼにはあなたがいて、こうして彼と親密になった今でもね……。

 無意識下では彼が本当に愛しているのはあなたではないかという――疑念が常につきまっているの。

 あなたががいる限り、彼の心は永遠に手に入らないのではないかというね……その気持ちが根底にある限り――力が出ないのかもしれない……。

 ……結局、一年間努力しても駄目だった……この先も……あなたの役に立てるか分からないわ……」


 リーネらしく無い弱気なその発言にぞっとして、嫌な汗が流れてくる。


「どうしてそんな事言うの?」

 

 まるで全部お仕舞いみたいな……。


「実はね、教会から手紙が来て、私にとって妹みたいな存在のメリノが病気らしいの。

 だから非常に言いにくいんだけど、一度教会に戻らないといけなくて……。

 ――その後、あなたがまだ希望してくれるなら、もちろん、戻ってくるけど……」


 リーネの口から放たれた衝撃の事実を告げる言葉に、頭が一瞬真っ白になる。


「教会に……待って、リーネ……戻るっていつ?」


「そうね、10月ぐらいには戻って来られると思うわ」


 10月――それではもう間に合わない……。

 着いて行こうにも私はすでに王都への移動に耐えられるような状態では無い。

 今置いてかれると完全に希望が絶たれてしまう……!


「そんなっ、お願い、行かないで……!」


 私はベッドから床に降り、命乞いするように、リーネの足に縋りつく。

 見下ろしながら彼女は大きく頭を振った。


「ごめんなさい。メリノは大切な子なの……だからどうしても行かなければいけない。

 実はもう出かける支度をしてあって、今日、今から教会に帰るつもりなの」


 ――その台詞は、私にとってはまさに死刑宣告そのものの、止めを刺す一言だった。

 心臓が止まる程のショックを受けて、視界が暗転した……。


 

 目を覚ますと、侍女のフランが付き添っていた。


「リーネは?」


 どれぐらい意識を失っていたのだろうか?

 リーネはもう行ってしまったのだろうか?

 心臓がドクドクと痛いほど早鐘を打つ。


「彼女なら、今さっき、屋敷を出て行ったばかりです」


 その言葉を聞き終わらないうちに私はベッドから降りて這うように玄関へ行き、表へと飛び出した。

 

 ちょうどそこには、馬車に乗り込むルーゼの姿があった。


「ルーゼ、リーネは?」


「レティア! リーネは馬車の中だ。今から、私が王都へ送るところだ」


 事態は絶望的なまでに最悪な状況になっていた。


 ルーゼまで行ってしまったら、それこそ私は一貫の終わりだ。

 動揺のあまり全身がガタガタして唇が震え出し、喉に鉛が詰まったようになり、しゃべる事さえ出来なくなる。


 その時、馬車の中から急くようなリーネの声が響いた。


「ルーゼ、早く馬車を出して、今すぐ出さないと、降りて馬で行くわよ」


「ごめん、レティア……もう行かないと」


 あわてたようにルーゼはそう言い、扉を閉じる。


「あっ」


 間も無く車輪の音が響き、無情にも馬車が走り出して行った。


 追いかけようとしたが、三歩目にして弱った足がもつれて、地面にもんどり打ってしまう。

 すでにこの身体には走る体力など残されていないらしい。


 吐き気で唾液をゲエゲエと吐いてから、顔を上げ、遠ざかる馬車を絶望的な気分で見つめ、私は悟る。

 ああ、とうとうこの日がやってきてしまったのだ……と。

 人生最期の日が……。


 ルーゼは私が自分と長時間離れていられない事を理解しているにもかかわらずリーネと行ってしまったのだ。

 さすがに彼にまで見捨てられてしまったのでは、もうどうする事も出来ない。

 

 視界はすでに歪んで霞み始め、頭は痛みでズキズキと脈打っている。

 ルーゼに癒されなければ、この症状は時間を追うごとに益々酷くなっていき、そのうち精神が耐えられないレベルの苦痛になるだろう。

 一日も持たない事は確実なのに、王都には片道三日かかる。たとえ彼が戻って来たとしてもその時にはもうとっくに手遅れだ。

 

 こうなってしまった以上……この苦しみを終わらせる手段はもうたった一つしか残されていない。


 意識を失う前に、行かなくては……なんとか辿り着かなくては……。

 そう、完全に視界が閉じる前に、出来るだけローズ湖に近づくのだ。


 人気が無い厩舎から馬を一頭連れ出す。

 視界がチラチラして鞍などの装備をつけるのに非常に手間取った。


 やっと乗れる状態にすると、馬の背に這い上がり、乗るというよりはしがみついている状態で、手綱を握る。

 あとは、ひたすら痛みに耐えながら、執念だけでローズ湖を目指すのみだった。


 死神がこの身に取りついている。

 視界は一度完全に真っ暗になる。

 暗闇に耐えて馬を走らせていると、時折チラチラと光が差し、わずかに周りが見える時があった。

 そのたびに方角を修正し、やっと青緑色の湖面が遠くに見えた時は、心から安堵の溜息をついた。


 時間をかけてやっとの思いで、自分が眠るべき湖のほとりに立つと、もう辺りは夜の気配に包まれていた。

 到着できた喜びに、自然に涙がこぼれ落ちる。

 良かった……無事にここに来る事が出来て……これでやっとこの長い苦しみから解放される。


 その時、最期の神様からの贈り物のように、頭から痛みが引き、視界が晴れた。

 静寂の中、明るい月の光に照らし出されるローズ湖の湖面が見える。

 今のうちに湖の中へ入って行かなくては……。


 湖の方へといざ足を踏み出し始めると、叶わなかった恋や見捨てられた悲しみや、色んな思いが溢れてきて、胸の中でごたまぜになる。

 最期に自分が消えていく悲しみに今生の別れの言葉が口をつく。


「ルーゼ、あなたまで去ってしまった……私はもう一人ぼっち……。

 やっぱり私の運命は変わらなかった……変えられなかった……!

 さようなら、ルーゼ……さようなら、ライナス!」


 さようなら、……私の最愛の義弟にして婚約者と、大好きな理想の騎士。


 たくさんの思い出をありがとう……三年間……愛し、愛されて、幸せだった。


 幸いなのは死んだ自分の姿を誰にも見せないで済むかもしれないという事だった。


 なぜなら私は死にたいのではなく、ただ消えたかっただけなのだから。

 ライナスにもルーゼにも自分が死んだ姿を晒したくなかった。

 だって二人ともきっととても悲しむと思うから……。


 もう生きている事は耐えられない苦痛しかもたらさない。


 全ての苦しみから解き放たれて、静かに苦痛の無い世界で眠っていたかった。

 本当はもうとっくに、いつの頃からか、この世から消えたくなっていた。

 

 たぶんそれはルーゼの愛を失った時かもしれない。

 ずっと、苦しくて苦しくてたまらかなった……。

 これでやっと楽になれる……。


 ざぶざぶと足で水をかきわけ歩いて行く――出来るだけ深い底まで歩いていこう。

 もう決して浮かび上がることが無いように……。


 病が死より強いという言葉は本当だったのだ。

 私は私なりに最後まで生命を燃やし戦ったつもりだった。

 サジタリウス、あなたもきっと褒めてくれるよね?


 月だけが私の死地への旅を見守っていた……。

 深く深くへと歩いて行くうちに、頭が水の中へと沈んで行く。


 鼻や口から水が入ってくる。

 けれど、この苦しみは長く続かない事は知っている……。

 

 冷たい湖の底で目を瞑ると――やがて視界が漆黒の闇へと飲み込まれていった――


 暗闇の中で時間だけが静かに経過していく。


 

 ――ふっと、意識が浮かび上がる感覚があった。


 しかし身体は微動だにしない。

 足が地面に着いていないところをみると死んでいるのだろうか?

 僅かに薄目だけが開き、月明かりを感じる。

 微かな視界と誰かの温もりに、自分が湖のほとりで、身体を横抱きにされている状態である事に気がついた。


「やっと目を開けたんだね……レティア……本当に……心臓が止まりそうになった……。

 屋敷にあなたがいないから、あわてて捜して……悪い予感がしてここへ来てて……。

 光る湖面に泡が浮かんでいるのを見た時は、どんなに衝撃を受けた事か……

 勝手に一人で死にに行こうだなんて……あんまりだよレティア」


 それはルーゼの声だった。


「聞こえている? もう返事も出来ず、動けないぐらい弱っているの? 

ごめんね水の中から連れ戻してしまって……。

 少しだけあなたと最期の時を過ごしてから一緒に逝きたかったから……私のわがままだよね……。

 苦しいの? 

 ……可愛そうに……可愛そうに……こんなになって……。

 ごめんね……今終わらせるから……一緒に逝きたくて引き戻してごめんね……」


 ルーゼがゆっくりと移動を始める気配がする。

 嗚咽するような息の音と、震えている振動が身体から伝わってくる……泣いているの?

 私が悲しませている?


「あなたが倒れた後、行かないようにとリーネを長時間屋敷で説得して……さらにあなたを置いて行ってまで……馬車の中で最後まで頼んだけど駄目だった……。

 彼女と会話するうちに……無理なのだと悟って……急いであなたが心配で戻ってきた。

 これまで、リーネと恋人のふりさえすれば、きっといつかあなたを救ってくれると信じていたのだけれど……。

 結局あなたを救えなくて、ごめんねレティア……。

 

 ――だけど大丈夫だよ。

 私達は約束通り、ずっと一緒だ。

 死んだって一緒だからね……あなたを一人では決して逝かせはしない。

 さあ、苦しいでしょう? もう一度二人でこの湖の中に入ろうか?

 二人きりでこの中でずっと眠ろう。

 そうすれば、誰にも邪魔されずに、ずっと二人でいられる……永遠に私達は一緒にいられるのだから……」


 その言葉に全ての真実を知る。

 ルーゼは私を見捨てた訳ではなかったのだ。

 最後までリーネに頼んでくれていたんだ。

 そして今、私と一緒に死んでくれようとしている。


 私はルーゼにたくさん酷い事をしたのに。

 散々暴言を吐き、痛めつけて……。

 彼に対して不実だったのに。


 結局何も返せなかったのに……。


 彼は今まさに自分のすべてを与えようとしてくれているのだ。


 こんな愛を私は知らない。


 頭の中を今までのルーゼとの様々な思い出が駆け巡る。

 一緒に田舎道を走って、王都へ行って、同じベッドで眠って、婚約披露パーティーのあなたはとても素敵だった。

 誕生日にプレゼントをくれて、買い物も一緒にして、観劇もしたね。

 いつも手を繋いで歩いた。

 どこでも一緒に行ってくれた。

 どんな時でも私を一番に思ってくれて愛を伝えてくれたよね。


 いつもどんな時でも一緒に居て私に寄り添ってくれてありがとう。

 最期まで一人にしないでくれてありがとう。


 前世の時と同じ、また一人ぼっちで死ぬのだとずっと思っていた。


 ぬるい涙が目尻を伝っていく。

 

 唇にルーゼの温かい唇の感触がした。


 ルーゼ……私は今やっと分かった。

 今まで気がつかなかっただけで、私はとっくにあなたに恋をしていたのね。

 だからあなたの愛を失うのが怖くて、失ったと思った時はあんなに絶望的で悲しくて……。

 リーネと二人でいるあなたを見るのが切なく辛かったんだ。

 

 今こんなに胸が震えて幸せなのもそのせいなのね。

 だって、心があなたへの愛で満たされて溢れそうなんだもの。

 

 ――あなたが私のたった一人の運命の人だったのね……。


 気力をかき集め、私は最後の力を振り絞って、口を開き、ルーゼに思いを伝える。


「ありがとう……」


 大好き、ルーゼ。

 今度こそ死にに行くというのに、その時の私の心は、生まれて初めて感じる熱く温かい気持ちに包まれて……。

 ルーゼへの深い愛情と幸福感にこの胸は満たされていた。

 死ぬのが怖いどころか……ルーゼとずっと一緒なのが嬉しいとすら思えた。


 愛しているルーゼ……。


 ルーゼが湖の中へと入って行く水音が耳に響き続けて……。

 再び水の感触が私の身体を包み込んでいった――そんな時だった。




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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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