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第二十六話 「希望の兆し」

 もしも予知も病気も無かったら、あの丘での口づけの後。

 私はきっと今頃、普通にライナスと恋人同士になっていた筈だ。

 プロポーズされたら迷う事なくこのネックレスを受け取って、婚約していたに違いない。


 ――でも全ては変わってしまった……生き残る為にルーゼを選んでしまった時点で……。

 なのにそこまでしてもいまだに自分の死の運命を退けられないで、予知を覆せないでいる。


 私はライナスになんて酷い事をしてしまったのだろう。

 彼はいつも優しく誠実でいてくれたのに。

 その愛に応えられる資格も時間も無いのに、心を弄ぶように気を持たせ、プロポーズまでさせてしまった。


 それを思うと、心が引き千切られるように苦して悲しくて、涙が溢れて止まらなくなる。


 ライナス、私はあなたが大好きなの。

 だから、死ぬ可能性が高いのに、あなたの愛を受け入れる事など絶対に出来ない。

 今更遅いけれど、あなたがいつまでも屈託なく笑っていられるように、私への想いを出来るだけ残さないようにしてあげる。

 憧れの理想の騎士はそれに相応しい相手と幸せになるのだから……。


 はるか遠く丘の麓の道から馬に乗ってやってくるルーゼの姿が視界の端に映る。

 いつかの構図とまったくそっくりだと思った。


「ライナス、少し屈んでくれる?」


「こうか?」


 私はあえてルーゼからも見える位置で、ライナスの頭を両手で掴み、ぐいっと自分の方へと引き寄せた。

 それから彼の唇を自分の唇で包み込むように、そっと重ねていく。

 懐かしい感触と温かさを確かめるようにキスすると、彼の大きな逞しい身体を抱擁して、身を離した。


「これはお別れのキスよ……」


「別れ?」


 青い瞳が動揺に揺れている。

 拒絶の意味を込め、ネックレスの箱をライナスの方へと押しやる。


「ごめんなさい、ライナス、私の言った事は全部嘘なの……。

 リーネが現れてから、ルーゼを奪われそうで、嫉妬させる事で彼の心を引き戻したかっただけ……。

 彼の愛を試す為に、あなたの存在を利用したの。

 あなたをかつて好きだった事は本当だけれど、ずっと一緒にいるうちに、いつしか私はルーゼの方を愛するようになってしまった。

 私の運命の相手はルーゼで、あなたじゃなかった……だからプロポーズは受け入れられない……。

 本当にごめんなさい、ごめんなさい!

 酷すぎて、もう許してとすら言えない……!」


 むしろ運命の相手などいないのかもしれない。

 誰も決して死地の旅には連れて行けないのだから……。


「レティア……嘘だろう? なぜそんな事を言うんだ?」


「さようなら、ライナス、もう二度と来ないで……」


「待てレティア……」


「私あなたの愛は絶対に受け入れられない……ごめんなさい!」


 ライナスの顔を見るのはこれが最後だと予感がした。

 もう半分以上視界が曇っていて、彼の顔が良く見えない。

 私は最後に想いを込めて愛しい彼の顔を眺めてから、その場を振り切るように走り去って行った。


 さようならライナス……あなたとは結局、もう一度、恋を始める事は出来そうに無いわね……。


 ルーゼの馬が近づいてくる前に、屋敷の方へと自ら戻っていく。

 ライナスと一緒に馬に乗って草原を走ったのが随分遠い昔に感じる。

 たとえ死んだとしても、忘れない。

 今日という日のプロポーズとキスを、いつかしたあなたとの溶け合うようなキスの思い出を、永遠に胸に抱いているからね……。




 ルーゼは馬に乗ったまま追いついてきて、馬上から私の肩を乱暴に掴んできた。


「あなたは私に殺されたいの?

 それとも自ら死んで詫びたいのかな?」


 すでに死期が近い私に対し、随分な台詞じゃないかと思う。


「そうね、ずっとあなたと一緒にいるぐらいなら、殺されたり、自分で死んだ方がましかもね!!」


 また酷い言葉をあえて投げつける。


「……そんなのは嘘だっ!」


「今更嘘を言ってどうなるの?

 私の死神」


「……死神?……」


「あなたゆえに私は死ぬのよルーゼ……覚えておいてね!!」


 ヒステリックに呪詛の言葉を叫んで、ルーゼを睨みつける。

 顔を青ざめさせながら、それでも彼は私を馬の上に力づくで引っ張りあげた。

 浚うように屋敷に連れて行かれる途中、気力を使い果たした私は、馬上で昏倒した……。


 時は2月末、私が小説で死ぬまで時はもう半年前まで迫っていた……。




 ――春を迎える頃、運良く両親は領地から王都の屋敷へと移動して行った。

 ヒメネス公爵の結婚式などに呼ばれたついでに、数ヶ月間は向こうで過ごす予定だそうだ。

 病に侵されてる事を知られる前に二人が行ってくれて、私は心からほっとした。

 きっと脳の病気を知れば両親は大騒ぎするに違いないから。


 もう自分が末期な事は明らかだったから。

 ルーゼが傍にいても絶えず頭痛や吐き気、めまいが頻繁に起こり、たまに舌が痺れて食べ物が飲み込みにくい時もあった。


 ……もう私はかなり悪いのだ……。


 だけどルーゼ。

 弱っている様子なんてあなたには見せてあげない。

 頭痛じゃなくってただ苛々しているふりをしてあげる。

 具合が悪い時は、寝室に戻って、ギリギリまで悪態をついて布団から頭をかぶってフテ寝したふりをするの。

 全部病気のせいじゃなく、私の精神状態がおかしいせいにするんだから。


 リーネはあれから何度も病気を治そうと努力してくれたが、いずれも力の出現には到らなかった。

 命の残り時間はもう少ないのに……まだ足りない、もう間に合わない?

 それでも最期まで希望を捨てないで彼女に縋り続けなければいけない。



 春のある日、調子が悪く寝室で一日寝ていると、リーネが部屋を訪ねてくれた。

 ルーゼが席を外して二人きりになったタイミングで、ライナスの話題を持ち出す。


「ライナスの事、もういいの?」


 リーネなりに気にしてくれていたのだろう。

 長く一緒に暮らすうちに彼女は自分の感情に正直過ぎるだけで、根は優しい所があるのを私も理解するようになっていた。


「うん……いいの……リーネ。

 ……こんな弱った自分の姿をライナスに見せるぐらいなら、舌を噛んで死んだ方がマシだもの……」


「――私、なんとなくその気持ち分かるわ」

 リーネは優しく静かな声で言った。


「私もね、自分の弱った姿は他人に見せたくない方だから……大切な人には特にね……。 

 実は何度か、あなたの病気の事、あやうくライナスに話しかけたんだけど、黙っておいて本当に良かったわ。

 私も憐れみや同情は大嫌い……あなたもそうなのね……」


「うん、その通り! そう考えると、私達似ているわね」


「かもしれないわね! あなたって貴族の令嬢の割に、品が無いしね」


「リーネだけには言われたくない!」


 私達は笑い合った。


 そこで急にリーネの表情が沈んだ物になった。


「あなたの事、助けてあげられるといいんだけど……。

 なんで力が出ないか分からないの……」

 彼女は悲しそうにボソリ呟いた。


「待って! やめて、そこで諦めて貰っちゃ困るわ!

 私まだ生きているし、少なくともあと数ヶ月はまだ死なない筈よ」


 なぜか私が彼女を励ますという妙な構図が生まれていた。


「たしかにそうね、ごめんなさい」


「分かってくれればいいの。

 諦めて湖に入るのはまだまだ先のつもりだから」


「湖?」


 不思議そうに問いかけるリーネに私がローズ湖の説明をしていると、ルーゼが扉のところに戻って来て、彼女の名を呼んだ。

 リーネは跳ね上がるように椅子から立って飛んで行き、二人は扉の外で何やら話し込み始めた。

 最近よくルーゼとリーネはこうやって、私に聞こえないように二人で会話をしている事が多い。

 ひょっとしたら二人の間に、愛が育って来ているのかもしれない。


 証拠に、ルーゼはもう、私の方をあまり見なくなっていた。

 正しく言うと、ライナスとのキスを見せつけ、死神という酷い言葉を投げつけてから、彼は目に見えてよそよそしくなっていた。

 全ては私の努力と演技の賜物だろう。


 あとはルーゼの愛が完全にリーネの方へ移るのを待つのみだった。



 それも遠くない日だと感じたのは、春の半ばのある日の事だった。

 私が庭の木の陰から二人へ近づいて行くと、ルーゼがリーネの肩に手を置き、話しかけている声が聞こえてきたのだ。


「……君が望むなら、レティアとの婚約解消を考えている」


「本当にルーゼ……嬉しいわ」


 リーネが感激したように言い、二人はその後、見つめあってから、口づけを交わし合った。

 ――その光景を目にした途端、私は息が止まるほどの衝撃を受けて、脱兎のごとくその場を走って逃げ出していた。


 望み通りの結果が得られたのに……心臓が八つ裂きにされるようだった。


 ついに一つの目標が達成され、助かる希望が見えたのだから、本来、嬉し涙を流すべ場面なのに……この目からこぼれているのは、明らかに苦しみと悲しみの涙だった。


 このままいけば、きっと私はもうすぐ助かる。

 リーネに病気を治して貰える……。


 願いが叶った筈なのに、心は大きな喪失感に悲鳴をあげ、死にたいほどに打ちのめされていた。


 どんな状況でもひたむきに愛を与えてくれた、私の愛しい義弟はもうこの世界のどこにもいないのだ。

 ルーゼの愛という、かけがえの無い大切な物を失った悲しみは想像以上に大きく――ベッドに伏せって、ひたすら泣いて、泣き続けずにはいられなかった……。


 

 ――春も終わりにさしかかり、病状が悪化していくのに比例するように、ルーゼとリーネの新密度も上がっていった。

 最近は私と三人でいても、二人だけの世界を作る事が多くなっている。

 素で嫉妬を感じて苛立っていた私は、演技する必要も無く、激しくルーゼに八つ当たりをしては、さらに彼の愛を遠ざけて行った。


 夏の始めになった頃には、ルーゼとリーネは自分達が恋仲である事をもう私の前でも隠さなくなっていた。

 見つめあい、腕を組んで歩き、耳元で甘い睦言をささやきあう。

 そんな二人を近くで見ているのは、正直、かなり辛いものがあった。


 ただ、神様にも慈悲はあった。

 この頃の私は、病気のせいで、意識がぼんやりしている事が多かったのだ。

 頭痛が止んでいる時も思考が定まらず、常に夢の中にいるように意識がふわふわとしていた。


 命の期限が目前に迫り、間近な死の恐怖に晒されている今。

 頭がはっきりしているより、半ば朦朧としている今の状態の方が救いはある。

 辛いのは、同時に記憶もあやふやになってきている点だった。

 このままいくと、自分という存在さえも見失ってしまいそうで、それがとてもとても怖かった。



 やがて夏も真っ盛りになり、とうとう私の誕生日の月である、8月を迎える時が来た。

 小説内で私が死ぬ9月はもう目前に迫っている。


 私は脳の病気がさらに進行して、一日の大半をベッドや椅子でうとうとしている事が多くなっていた。

 症状や痛みにも波があり、調子の良い時は近くを散歩する事も出来たが、酷い時は耐え難い痛みに苦しみ、サジタリウスから貰った麻薬を使用する必要があるほどだった。

 薬が切れた時には今まで以上にルーゼに酷い言葉を投げつけて、醜態を晒す事が分かっているのに……。

 残り時間はもう少ないのに、リーネとルーゼが恋人同士になっても、いまだに彼女の力は私に対し現れない。

 本格的に追い詰められ、心の中は絶望の闇に沈み込み、自暴自棄な態度で嵐のように周りに当たり散らさずにはいられなかった。


 誕生日の当日もそんな調子で、病気を知らない使用人達には、私が乱心しているように見えただろう。


 ルーゼはそんな悲惨な私の様子を沈痛な面持ちで眺め、リーネも心を痛めているのか、重苦しい表情で俯き続けていた。

 ようやく食事の時間を終えると、急に彼女は決意したように顔を上げ、真剣な顔でこちらを見据えた。


「決めたわ! 私からレティアに贈る19歳の誕生日プレゼントは、脳の病気を治してあげる事にする。今日こそは達成してみせるわ」


 きっぱりと言い切ったリーネの茶色の瞳には、強い意志と決意が込められていた。





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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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