第二十四話 「苦痛の舞台」
これから私はルーゼの愛を失う為に、一世一大の演技で、悪役令嬢レティア・ミルゼを演じ続けなくてはいけない。
自らの運命が決するカーテン・コールまで降りられない、苦痛に満ちた舞台に立つ演技者となるのだ……。
もうすでにどう演じればいいのかも小説を読んで心得ている。
一緒にいる者の気が休まらないほど神経質に、破滅願望のある悪役令嬢を演じればいいのだ……。
――ヘイゼル教会を訪ねたその晩。
日頃ならとっくに寝室に戻っている時間帯になっても、私は広間にてリーネ相手にカードゲームに興じて夜更かしして居た。
横からルーゼが焦れたように潤んだ熱っぽい瞳で、寝に行こうと何度も急かしてくる。
「レティア、今日は遠出して疲れただろう?」
「悪いけど、私はまだ眠くないの!
リーネ、もう一回勝負しない?」
「別にいいわよ」
強運と幸運に恵まれたこの物語の主人公のリーネには、呪われた脇役の私ではカードゲームですら勝てないらしい。
たった一勝もかなわないで負け続けている。
ゲームをしている間中、傍らにいるルーゼの飢えた目付きが、早く二人きりになって口づけをしたいとしきりに訴えている。
けれど、残念ながらもう二度と、ルーゼの唇など受け入れる気は無かった。
それどころか全力で彼の存在を拒否し、二人で過ごす時間も限界まで減らす予定だった。
やるとなったら徹底的にやらないと、あっという間に時間切れになってしまう。
私は死なない、カードゲームに負けようとも、この生命を賭けたゲームには負ける訳にはいかない。
執念のような思いで、私はカードを切っては負け続け、夜中遅くになって、やっと寝室へと寝に戻った。
扉を閉めるなり、さっそく抱きしめようと伸ばされてきたルーゼの腕をスルリかわし、ベッドの中へと潜り込んで布団をひっ被る。
「悪いけど今日はもう疲れたの! おやすみなさい」
出来るだけ冷たい声ではっきりと言い切る。
「待って、レティア……ずっと一日、我慢していたんだ……どうか眠る前に、愛しいあなたを抱きしめ、キスをさせて……!」
切実なルーゼの訴えと懇願を無視して、私はそのまま寝たふりをした。
――その晩から、私はルーゼからのキスも抱擁も完全に拒否するようになった。
彼は何度も何度もしつこく自分を拒む理由を問いただしてきたが、絶対に正直に答える訳にはいかなかった。
大半は無視でしのいだが、それでもしつこくしてくる場合は、
「したくないものはしたくないの!」と、キレてみせた。
自分の拒絶がどれ程に彼の心を傷つけているかは考えないようにして、ひたすら心を凍らせ、感情を廃した。
そうでなければこの先到底やっていけないのだから……。
(ああ……頭が痛い……)
ルーゼとのスキンシップが無くなると、朝方以外でもたまに頭痛を感じるようになっていた。
しかし、その事を声に出して言う事はしなかった。
8月の末になり18歳の誕生日がやってきて、贅を尽くした料理が夕食の席に並び、私はルーゼにたくさんのドレスやアクセサリーを贈られた。
リーネもこの日ばかりは悪態などはついて来なかった。
それどころか彼女は私に手作りの、見事な細工の施された木彫りの小鳥をくれたのだ。
「凄い、ありがとう!」
予想もしていなかったリーネからの贈り物に、私は感激して、大声でお礼を言った。
一方ルーゼに対してはプレゼントのお礼どころか、心を込めたお祝いの言葉にも返事すらしなかった。
我ながら今まで散々世話になってきた彼に対して、随分なご恩返しだった。
罪悪感を感じる反面、言い訳ではなく、これがルーゼの為にもなるのだという強い思いもあった。
考えたくは無いが、もしも私が運命を覆せずに、予知通り死んだ場合……。
私を酷く愛したままだとルーゼは物凄く辛い筈だから。
彼の愛を失う事は、その苦しみを緩和する為の保険にもなるのだ。
秋になると、私達は、領地の屋敷へ戻る事になった。
勿論、リーネも一緒である。
出発する時、サジタリウスが念の為だと言って、痛み止めがわりになるきつい麻薬を届けに来てくれた。
これからの苦しみを思うと、それは何よりもの有り難い贈り物だった。
領地への帰還は私が特に望んだものだった。
最期の日々は出来れば自然の中で穏やかに過ごしたい。
何よりローズ湖のある土地にいれば、いつでもそこへ入って行けるという安心感があった。
加えて、領地には、ルーゼの愛を遠ざけるべく、最も効果的な配役がいる。
そう、私はこの上になってまで、ライナスの存在を利用するつもりだった。
悪魔だという罵りさえもこの際あえて甘受しようではないか。
それこそ悪役令嬢の自分に相応しい。
今更、ライナスと恋人関係になる気など微塵も無かったが、今の私にはどうしても彼という口実が必要だったのだ。
ルーゼを拒絶する説得力のある理由づけに……。
私は領地へ帰ったあくる日には、デリア家を訪問する旨を二人に告げる。
「私も久しぶりにライナスと会いたいわ!」
幸い、リーネも乗り気だった。
「……なぜデリア家に?」
案の定、ルーゼは麗しくも優美な顔に、暗く浮かない表情を浮かべる。
「別に嫌ならルーゼは付き合ってくれなくていいのよ? 私達二人で馬で行くわ。
ねぇ、リーネ?」
彼が自分を一人で行かせるわけが無いと知っていたからこその、強気の発言だった……。
「やはりあなたに、乗馬を教えるべきではなかった」
ルーゼの口から、苦味に満ちた後悔の呟きが漏れた。
その日の午後、思い通りにデリア侯爵家に到着すると、いつか通された事がある客間にて、ライナスを待つ。
バン、と一気に扉が開かれ、嬉しさと驚きの混じったような表情をした、ライナスの長身の姿が現れた。
「レティア、久しぶりだな。……今日はどうして来たんだ?」
「王都から帰ってきたから挨拶に来たの……あなたと久しぶりに話がしたくて!」
「俺と……?」
上から真意を問うように、熱を帯びたまっ青な瞳が、私を見下ろし揺れていた。
出来るだけ同じ熱量を瞳に込めて、会いたかったと答えるように彼を見つめ返す。
あえてルーゼの方向は見なかったが、息を飲む気配がした事から、大体の表情を察する事は出来た。
「ライナス、久しぶりね!」
リーネも嬉しそうに顔を輝かせて挨拶をする。
――侯爵家の見事な庭園にあるテーブル席に案内され、お茶を頂きながら四人で会話する事になった。
楽しい王都でのお土産話をリーネと共に語り聞かせている間、ライナスの目は終始、私に釘付けだった。
そんな彼の視線を積極的に受け止めては、うっとりとした恋する乙女の表情を作り、意識して甘い声を出す。
自分の想い人が誰であるのかをリーネとルーゼに知らしめる為に、多少大げさな演技を加える必要があったからだ。
病気の話は二人に口止めしてあるので、その場は明るい話題だけで占められていた。
それにもかかわらず、庭の席に座っている間中、ルーゼの表情は不愉快そうに歪められ、全身から冷え冷えとした空気を発散し続けていた。
デリア家からの去り際、ライナスの手を取って挨拶しようとしたが、さすがにそれはルーゼの手によって阻止された。
せめて、愛しむように瞳を細めてライナスを見つめ、精一杯のお願いする。
「頻繁に顔が見たいから、あなたからもぜひ遊びに来てね。お願いよ、ライナス」
「ああ……ぜひ訪ねさせて頂くよ……」
最後に想いのこもった返事を得て、今回の訪問の目的が十二分に達成された事を確認する。
そこにすでに怒り心頭のルーゼの手が伸びてきて、ライナスから身を引き剥がされるように強く肩を抱き寄せられ、私は強制的に馬車の中へと乗せられた。
屋敷へ到着して早々、乱暴に腕を掴んで馬車から降ろされ、真っ直ぐ寝室の方へとルーゼに連れて行かれる。
もうすぐ18歳になる彼の腕の力は強く、私には振りほどけない。
無理矢理に部屋の中へ連れ込まれ、扉を思い切り閉められると、激情に瞳を燃やしたルーゼが感情的に叫んできた。
「レティア! もうこんなのは耐えられない!」
「耐えられない? 何が?」
「あなたは一体どうしてしまったの? 今日の態度だけじゃなく、ずっと私という存在を無視したままじゃないか!」
「ずっとだなんて、まだたったの数ヶ月じゃない」
「私には一年よりもずっと長く感じられるよ! 毎日拷問のようだ!」
拷問を受けているのは私とて同じだった。
どんなに今まで、そうして今も、言葉に尽くせない程の苦しみを、この身と精神に受け続けていることか……。
「なによ! それぐらい……私はこの二年間ずっと我慢してきたんだから!」
半ば八つ当たりするように叫び返す。
「……我慢?」
「私が今まであなたと望んでキスしてきたとでも思ってるの!
我慢して受け入れてたのよ! だけどもう嫌なの!」
「……そんなっ……!?」
ルーゼはショックのあまり蒼然と固まってから、助けを求めるような苦しそうな表情で私を見つめ、あえぐように言った。
「……嘘だ……」
「嘘じゃないわ」
私は冷たく言い放ち、力を失ったルーゼの身体を突き飛ばす。
部屋から出て、扉を後ろ手に閉じると、目の前にリーネが立っていて、微妙な表情を浮かべていた。
「あんた……一体……どうして……?」
私は会話する為にその腕を取り、廊下と広間を通ってテラスから庭へと降りると、彼女に向き直った。
「私はルーゼの事より、あなたと仲良くする事を優先したいの」
リーネは腕組みして、面白がるような瞳を私に向けた。
「――ふうん……なるほどね……ついでに、ライナス・デリアとも仲良くしたいって訳?
これはさっきの会話が少し聞こえちゃったのと、ライナスに対するあなたの態度からの私の想像だけど」
「そうよ、その通りよ。
私一目見た時からずっと、ライナスに惹かれていたの!」
これは本当の事だった。
「だけど脳の病気が理由で、ルーゼを選んだのね。
彼の傍にいる時のみ症状が緩和されるから」
「――どうしてそれが分かるの?」
リーネには癒しの力だけでは無く、心を読む能力まであるのだろうか?
「どうしてって? それは今まで言わなかったけど、ルーゼも私と同じ癒しの能力を持っている事を知っているからよ。
とは言え、全く同じではなく、より受動的な種類のものかもしれないけどね。
最初に会った時もお互いの力が共鳴しあうような感覚があって、ラスを救った時についに確信したわ。
どうやら彼と一緒にいるだけで、私の力は何倍にも増すという事実をね。
たぶんだけど、ルーゼがいなければ、あなたの病はもっと進行していて、とっくに死んでいた筈よ」
ルーゼにも癒しの能力がある? ――そうか、だから私は彼といる時のみ頭痛や眩暈が収まっていたのだ。
予想以上の真実に、身体の芯から震えが襲ってくる。
「……ルーゼに出会わなければ死んでいた?」
「ただ、彼の力だけでは、あなたの病を完治させるまでには到らず、むしろじょじょに進行していっているみたいね」
リーネの話が本当だとすると、やはり彼は死神どころか私の命を救ってくれる天使そのものだったのだ。
デリア侯爵が助からなかったのも、ルーゼがその場にいなかったから。
つまり彼女の力だけでは足り無かったからだろう。
それは逆の状況でも言える話だった。
「ルーゼの力だけでは足りないなら……あなたの力が合わされば、私の病は治るの?」
「そうね、私が心からあなたを治したいと思いさえすれば、進行を止めるぐらいは可能なんじゃないかしら」
彼女の口から初めて希望の言葉が吐かれた。
「だったらお願い、その為なら何でもするから! どうか、私を……!
……っ!?」
急にそこで頭がズキズキと脈打つように痛み出してきて、反射的に頭を押さえる。
「どうしたの? レティア?」
「頭が……」
「大丈夫?」
焦った声を発しながら、リーネが私の頭に手かざしする。
しかし頭の痛みは益々増していくだけで、少しも改善される様子は無い。
「……駄目だわっ……ルーゼを呼んでくるわね」
どうやらリーネの力はいまだに私には発揮出来無いらしい。
急いでリーネがルーゼを呼んで戻ってきた時には、私は頭痛以外のめまいと吐き気にも襲われていて、惨めに地面に手をついている状態だった。
「レティア! 大丈夫?」
叫び声と一緒に力強く身体を抱きあげられ、額に唇の感触がした後、ぎゅっと腕に包み込まれる感覚があり……段々と痛みが引いていく……。
めまいが消えて視界が晴れてくると、ルーゼの胸の中に顔を埋め、その腕にしっかりと抱きしめられている自分の状態に気がついた。
「あ……っ」
久しぶりの抱擁とその温かさに、胸が熱くなり、涙が出そうになる。
必死の思いで身を離そうとするが、ルーゼの力は強く、その腕から逃れることも叶わない。
「……ほらね……あなたにも私が必要なんだ……分かったでしょう?
愛しているよ……レティア……!」
囁きとともに、強引に頭を掴まれて唇を奪われる。
リーネの手かざしの力は全く私に対しては発現しなかった。
予想通り、彼女が望むルーゼの愛が私の元にある限り、力の行使は無理なのだ。
なのに彼女の目の前で激しくルーゼに唇を奪われている自分は、助かる見込みからまた急速に遠ざかっていっている。
残り時間は11ヶ月を切り、終わりの時は刻一刻と確実に近づいている。
急いで彼の想いを自分から引き剥がさなくて……。
苦しいほどの焦燥感に駆られながら、逃れることの出来ない恋に絡め取られるように、狂おおしいルーゼの口づけと抱擁を、私は絶望的な想いで受け続けていた……。




