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第二十三話 「孤独な空」

 翌日の午前中、宣言通りにリーネがミュール伯爵邸に早馬でやってきた。


「大きなお屋敷だから見つけやすかったわ!

 こんな凄いところにこれから住めるなんて夢みたい!」


 彼女は到着早々、感激の声を上げて、屋敷の中をきょろきょろ見渡した。

 本来小説の筋通りなら彼女はデリア家に滞在している時期である。


 リーネの視線は当然だが今日もルーゼに釘付けだった。

 私が彼と離れられない身であるからして、彼女と親しくなる為にも、大半の時間を三人で過ごさねばならない。

 今日はとりあえず午後からリーネの服を買いに出かける事になったのだが……。


 馬車の座り位置からして、リーネは私とルーゼが隣なのが面白く無いらしく、向かい側から睨んでくる。

 そして彼との間に少しでも甘い空気を漂わせると、凍るような目付きで凄まれるのだ。


 翌日も同じような感じで、王都の中央にある大きな公園を散歩している時も、腕組みして歩く私達を不愉快そうに眺めていた。


 私はついにルーゼに提案した。


「リーネはあなたの事が好きだから、このままだと仲良くなる以前の問題だわ。

 私が彼女の好意を得るには、まずはあなたと距離を取らないといけないと思うの。

 彼女と一緒にいる時はなるべく私達、離れていましょう」


 ルーゼは不満そうに色々泣き言を言って来たが、最終的には私の為を思って納得してくれた。


「……分かった……でも、二人きりの時間も必ず取って欲しいな」


「寝室に朝と晩にいる時間を長めにすればいいわ」


 その日から私とルーゼの馬車の座り位置は向かい側になった。

 私は屋敷でも出先でも、リーネに対し積極的に話しかけたが、返事はいつも短く、会話はすぐに終了した。

 それでも諦めずに自分の持っている持ち物で彼女が興味を示したり褒めたりした物は惜しまず与え、行きたいところにはどこでも付き合い、一日中気を使って日々、接し続けた。


 しかし努力を重ねれば重ねるほど、彼女が興味があるのも親しくなりたいのもルーゼだけであるという事実が浮き彫りになっていくだけだった。

 幾ら仲良くしようと歩み寄っても、その目付から私を敵認定している事は明らかだった。


 想いと癒しの力が比例する。

 その事実が本当ならば、どこまで行っても彼女に助けて貰う事など叶わないと、懸念してしまうほど嫌われたまま……。


 そうして気がつけばリーネと全く仲良くなれないまま、春が終わり、夏になっていた。


(これじゃあいけない! あっという間に、仲良くなれずに19歳になってしまう!)


 こうなったら直接本人に聞いてみるしかない。

 ルーゼが席を離した時に、私は意を決して、リーネに直接訊いてみた。

 ところが彼女の返事はつれないものだった。


「幾ら年頃が近くても、仲良くするには私達あまりにもかけ離れていると思わない?

 あなた貴族の令嬢で、しかも絶世の美少女。

 比べて、この私を見てよ。平凡な容姿に教会でお世話になっている孤児という身分。

 お互いを分かり合うには、あなたと私では今まで生きてきた人生があまりにも違うわ。

 たとえばあなたは、虫けらのように路地の上に寝そべり、空を仰いだことがある?」


「路の上で寝たことがあるかって事?」


「そういう惨めな生活をした事があるかって意味よ」


 勿論腐っても貴族の令嬢の端くれである自分には、そんな経験などはある訳が無い。


「私達の境遇が違う事は認めるけど、それでも親しくなるのは無理じゃない筈よ?」


 めげずに食い下がると、リーネは溜め息混じりに、根本的な事柄を指摘した。


「そもそも、私達は恋敵じゃないの。

 あなた自分の好きな相手の想い人を日々見ていても、動揺しないタイプ?」


 動揺しないどころか、ヒメネス公爵の婚約者に会いたくなくて、お茶会を断わった事すらある。

 舞踏会でも公爵とエリーゼさんが二人で並んで立っている姿を見ただけで、物凄く精神的ショックを受けた覚えもあった。


「……動揺しないどころか、相手を見ているだけでも辛い方かも……」


「ましてや仲良くして友達になりたいなんて思わないでしょう?

 自分が出来もしない事を他人に望むのは止めた方がいいんじゃないの?」


 ぐうの音も出なかった。


「あっ、ルーゼ、お帰りなさい」


 その時の会話はルーゼが部屋に戻ってきてあっさり終了した。


 やはり分かり切っていた事だったが、リーネと仲良くするには、何を置いても、ルーゼとの関係を清算する事から始めなければいけない。



「……レティア……行かないで……もう少し、部屋で二人でキスしていたい……」


 しかし現実は辛く、日中、距離を取るようになってから、ルーゼは寝室で、より激しく私の唇を求めるようになっていた。

 リーネの目もあり寝室以外ではあまり二人きりになれないので、就寝時間を早くして、起床するの時間を遅くしていたが、それでも時間が足りないらしい。


「駄目よ……ルーゼ。今日もリーネと約束しているでしょう?」


 ここに来て、一番の問題であり誤算はこれだった。

 予想を裏切って、リーネと共同生活を始めて数ヶ月経過しても、ルーゼは相変わらず私に夢中だったのだ。


 勝手に私は、運命の恋人と出会ったルーゼは、小説内のように心変わりをしていく筈だと思い込んでいた。

 ところがこうなってみると、今までルーゼを好きになろうと努力して来た事が丸っきり裏目に出てしまっている。

 婚約者のままで彼の気持ちが私にある限り、リーネが言うように私と親しくなりたいとさえ、思っては貰えないのだ。

 この絶望的な状況をどうやって打破したらいいのか……。



 ――心の悩みを相談する相手は、やはりこの人しかいない。


「レティア、三人暮らしの調子はどうだ?」


 サジタリウスの診察は相変わらず定期的に続いていた。

 リーネと一緒に暮らすようになってから、気疲れもあるのだろうか、朝方の頭の重さが最近ははっきりとした痛み、頭痛となっている。


「ええ……相変わらず、緊張状態……私がルーゼと同じ寝室で寝ているのが、特に彼女は気に入らないみたいで……朝方は特に怖いの」


「……そうか……しかし君の予知能力について疑うわけでは無いが、彼女の能力は本物なのか?」


「それについては間違い無いの……問題は……私に対しては今のところ発揮出来ないという点だけ。

 まずはルーゼとの婚約解消から始めないといけない事は、分かっているんだけど……今までの経緯があって私からは言い出せないの……」


 今更ながら、ルーゼにこちらから婚約を解消した場合は死をもって詫びると誓った事を後悔する。


「要するに、ミュール卿の方から破棄して貰わないといけないのか……。

 けれど、今の段階ではそれは難しいのだろう? だったら一旦、そこの部分は保留して、出来る事から始めたらどうだ?」


「出来る事?」


「最初にリーネが言った、お互いの違いすぎるところを、間を、埋めて行くという作業だ」


「間を、埋めて行く?」


「どんなにお互いの境遇が違っても、相手を理解して、近づいていく事はできる。

 その為に必要なのは、まず相手の内面を知る事だ」


 サジタリウスはそう言うが、内面を知ろうにも、現状、会話すらろくにして貰えないだ。

 本人から直接聞くのが厳しいとなると、彼女の事を良く知る人物――ヒイスクリフ神父に会って一度話を聞いてみるのが良いのかもしれない。



 その機会は意外と早く、サジタリウスの診察から一週間後ぐらいで訪れた。

 ヘイゼル教会からリーネ宛に、彼女の弟分である少年が、病気になった事を告げる手紙が届いたのだ。


「そんな、ラスが、肺病に冒されて危篤だなんて!」


 手紙を読むなり、リーネは蒼ざめ取り乱し、バタバタと出かける支度を始めだした。


「リーネ、教会へ行くなら私達も一緒に行くわ! ルーゼ、馬車を出してくれない?」


「分かった。リーネ、すぐに用意させるから、待っていてくれ」


 私は二人に声をかけると、あわてて使用人に命じて、滋養に良さそうな食べ物をバスケットに詰めて準備して貰う。


 リーネは馬車で移動する間も、親指の爪を噛みながら、とても落ち着かない様子だった。

 教会へ着くなり、彼女は馬車の扉を蹴破るように飛び出して行く。


 あわててその背中を追って教会の奥へと入って行くと、ベッドの傍らで、寝ている少年の手を取り、必死に声をかけているリーネの姿が見えた。


「ラス! しっかりして!」


 叫びながらリーネは少年の上に被さるように、その胸元に右手をかざし始めた。

 ――その後、私達は稀なる奇跡を目の当たりにする事になる。


 胸元に手を当てられているうちに、ゼイセイしていた少年の呼吸が段々静かに、穏やかになっていき、土気色だった顔に、みるみる赤みが差してきたのだ。


 その速やかな反応に、リーネ本人が一番驚いているようだった。

 彼女は自身の両手をじっと見つめた後、はっとしてルーゼを振り返った。


「あなたが……あなたがいるから……?」


 呆然と立ち上がり、子供達を見回し、リーネは怪我をしている子供を見つけて、傷口にさっとその手をかざす。

 次に彼女が手をどけた時には、そこには傷跡一つ無い、綺麗な皮膚が現れた。


「こんなに簡単に力を行使出来るのは初めてだわ……」


 再びリーネはぼうっと自分の手を見る。


「そうか、そうだったのね……」


「リーネどうしたの?」


 その様子を不思議に思って私が声をかけてもリーネは答えず、視線をさっとこちらに走らせ、なにやらぶつぶつ呟いた。


「あなたの頭の病気、それもそうなのよ……」


「私の頭?」


「……ごめんなさい。何でも無いわ。ただの独り言よ……」


 それからリーネは、気を静めるように深呼吸して、くるりと背を向け、歩き出した。


「――さてと、久しぶりに来たからちょっとその辺を歩いて来るわね……」


「あ、それなら、ルーゼも一緒に行ったら?」


 ――この機会を逃す手は無かった。


「え? 私も」


 きょとんとした表情のルーゼの耳元で、私は「お願い」と、強く囁いた。

 彼は長い睫毛を伏せて、溜息まじりに同意した。


「……分かったよ。リーネ行こうか」


「うん、ルーゼ、行きましょう!」


 リーネは上機嫌でルーゼと並ぶと、弾んだ足取りで部屋から出て行った。



 ――二人を見送ると、私は少年に付き添っているヒイスクリフ神父に対し、折り入って相談があると持ちかけた。

 神父に促されテーブルのある部屋へと移動すると、ルーゼとリーネが散歩している間、お茶を飲みながら会話する流れとなった。

 彼が入れてくれたお茶はとても香り高く美味しかった。


「いい香り」


「うちで育てているハーブを煎じたものです」


 一口だけお茶を飲むと、私はさっそく本題に入る事にした。


「……実はすでに数ヶ月経つのに、思うようにリーネと親しくなれなくて……。

 もし良かったら、リーネの事を色々聞かせて頂けませんか?」


「なるほど……親しくなるには、相手の事を理解するのが大切ですからね……」


 視線を合わせたヒイスクリフ神父の黒い瞳は、夜の闇のように深かかった。 

 彼は遠い昔を思い出すように静かに語り出した。


「リーネ……あの子は、教会に来る前の9歳までは、貧民街の路地裏で暮らしていました。

 彼女は親兄弟を知らず、物心ついた頃にはすでに孤児でした。

 ――教会では数日に一度、貧民街で炊き出しをしていて、幼い頃の彼女にとって、それが唯一の栄養源のようでした。

 私はその頃はただの伝道師で、炊き出しの手伝いの為にそこを訪れていたのです。


 リーネは、路地裏に粗末な布を敷いた上に寝そべって、よく空を見上げていました。


 健康状態が悪いのかと思って心配して話しかけると、お腹が空くから寝ているのと彼女は笑って言いました。

 何度か会って会話をするうちに彼女と私は自然に打ち解けていきました。


 ――ある時、彼女は私に問いました。

 神様は本当にいるのか? 自分はなぜ生まれて来たのか、なぜ誰にも必要とされず、愛されないのか……。

 どうしたら誰かに必要とされ、愛されるのかと……。


 あの子は他の誰よりも誰かに必要とされたい、愛されたいという欲求が強い子でした。

 だからこそあのような力を授かったのでしょう。


 ある日、私がたまたま炊き出しの鍋を掴んで軽い火傷をした時に、彼女がそこに手を当てると、それが治癒したのです。

 私は驚き、お礼を言うと、リーネはとても嬉しそうに笑いました。

 それは晴れ渡った空のような満面の忘れられないような笑顔でした。


 その事もあって、神父となってこの教会を預かるようになった時に、私は真っ先に彼女の事を思い出し、迎えに行ったのです。

 リーネはこの教会で最初に引き取った孤児でした――それから8年間、ここで一緒に暮らしています」


『あなたは虫けらのように路地の上に寝そべり、空を仰いだことがある?』


 ヒイスクリフ神父の話を聞き、初めて彼女の言葉の意味を知る。


 お茶を飲み終わる前にルーゼとリーネが散歩から帰ってきて、私達は屋敷へ帰る事となった。



『自分はなぜ生まれて来たのか、なぜ誰にも必要とされず、愛されないのか……。

 どうしたら誰かに必要とされ、愛されるのかと……』


 誰よりも愛される事を望んでいる、そんなリーネが今最も愛されたい存在がルーゼなのだ。

 彼女が言っていたように、その一番の障害で恋敵であるこの私を、好きになれと言うのは無茶な話だろう。


 ただ生きる事すら過酷な貧民街の路地裏。

 生きる事は戦う事という、いつかのサジタリウスの言葉を借りるなら、孤独な空を見上げながら、幼いリーネは日々戦っていたのだろう


 帰りの馬車の中、灰色の空を見上げて、私は新たに心に誓い、決意する。

 自分もまた同じ、生き残る為の孤独な戦いを始める事を……。

 

 ――これ以上、現実から目を逸らしてはいけない……本当は何もかも、とっくに分かっていたのだから。

 リーネと会話をする前から、神父の話を聞く前から――自分が取るべき行動の答えは、すでに小説内に書いてあったのだ。

 だけど私はその苦しい戦いから逃れたくて、無意識に考えないようにしてた。

 出来るだけ先伸ばしにしていたのだ。


 いまだにルーゼの愛情や温もりに未練があり、失いたくなかったから……!


 そう、今や私の中では、物語の最後にして最大の謎までもが、確信を持って解けていた……。

 なぜ物語の私が、レティアがルーゼの愛を失ったのか……。


 考えられる答えはたった一つ、生き残る為にはルーゼの愛を失う事が必要だったからだ!

 小説の中の私は、自らルーゼに捨てられるよう努力して……唯一の生き残れる可能性に賭けたのだ!

 たとえ最後は失敗して湖に沈んでいく運命だとしても……。


 この私も同じ、その絶望的な戦いに挑まなくてはいけない。


 自分へのルーゼの愛を殺す戦い。


 苦しくも辛いその戦いに挑まなければ、万に一つも生き残る可能性は無いのだから……。

 



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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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