第二十二話 「奇跡の乙女」
運命の相手に出会った時――人は強力な磁力や引力みたいなものを感じるのだろうか。
リーネとルーゼは、お互いから目を逸らすことが出来無いように、数瞬、身じろぎもせず、無言で見詰め合っていた。
――少し苦しそうな表情と溜息とともに、ルーゼが私の肩を抱いておもむろに挨拶する。
「私は、ルーゼ・ミュールだ。
この人は婚約者のレティア。彼女が君に会いに来たんだ」
「ルーゼ・ミュール」
リーネは私に見向きもせず、ルーゼだけを見つめ、口中でなぞるように、その名を呼ぶ。
それから考えこむように瞳を閉じてから、再び開き、鈴のような声を響かせた。
「私はあなたを以前から知っていた気がする」
ルーゼはいぶかしむような目でリーネを見た。
「記憶が正しければ、私達は初対面な筈だが?」
「でも知ってるの。――たぶん、生まれる前から――私はあなたに出会うためにこの世に生まれて来たんだわ」
劇的過ぎるその台詞に、ルーゼはしばし絶句した。
リーネの茶色の瞳には思わず引き込まれるような強い光、生命力が溢れている。
出会った瞬間から、彼女はルーゼとの強い縁を感じているようだった。
異様な空気を正常に戻すべく、ヒイスクリフ神父がリーネをいさめる。
「それぐらいにしなさい、リーネ。お前に話しがあるのはレティアさんの方なんだ……」
「レティア?」
その時、初めて私へと向けられた彼女の視線は、ルーゼに対するものとは大違いの、冷たく突き刺さるようなものだった。
「ふーん、その名前に……月の精霊か女神みたいな容姿……なるほどね。
あなたが、あの可愛そうなロウルの頭をおかしくした女なのね?」
「……!?」
じろじろと無遠慮にねめつけながらの毒々しい口調。
それらは十二分に私に対するリーネの印象が最悪である事を物語っていた。
ロウル――久しぶりにその名前を聞いて、私は改めて小説の内容を思い出す。
そうだった。そもそもヒイスクリフ神父がデリア家を訪ねたのは、教会から依頼された悪霊払いの仕事の為。
この王国で一番勢力の大きいクルス教の教えでは、気の触れた人間は、悪霊に取り憑かれているとされている。
リーネの癒しの力を知っているヒイスクリフ神父は、悪霊払いの時は必ず彼女を同席させていた。
だから彼女はロウルと会って私を加害者だと思い込んでいるのだ。
まずはその誤解を解かなくては!
「待って! 私はロウルに何もしてないわ!」
「ふうん? 一人の人間の心を破壊しておいて、何もしていないとそう言うのね?
悪いんだけど、そんな酷い事言えるなあなたの話なんて、私は一切聞きたくないわ!」
誤解を解くどころか益々拗らせてしまう。
話すら聞いて貰えないのでは、助けを求める以前の問題だ!
生死を分けるこんな決定的な場面で、またしても魅了スキルの呪いを受けるとは……!?
絶望的な流れに血の気が引いて、めまいにおそわれよろめいた私を、ルーゼの腕が素早く支えてくれた。
「酷い事を言ってるのは君の方だ……良く事情を知りもしないで私の大切な人を非難しないで貰おうか!
今の発言を即刻取り消してくれ!
ロウルについてはレティアには一切責任が無い事だ!
その件でこの人を責める事は私が許さない!!」
両腕で庇うように私を抱き、怒りに満ちた激しい口調でリーネをなじる。
「あっ……!」
とたんリーネは雷に打たれたようになり、うめき声をあげた。
場の混乱を収めようと、ヒイスクリフ神父が口を挟める。
「リーネ、彼の言う通りだ。ライナス・デリア卿も彼女には何一つ責任が無いと言っていただろう?
――レティアさん、申し訳ありませんでした。どうか、お許し下さい。
さあ、リーネ、お前からも謝るんだ」
「ご……ごめんなさい」
リーネは泣きそうな目でしゅんとなって謝罪した。
「お詫びという訳では無いですが、レティアさん、あなたがここにいらしゃった用件に移りましょう。
ぶしつけながら言わせて頂くと、他に心当たりも無い事から、この子の癒しの力の話を聞いていらっしゃったのではないですか?
デリア家でもリーネの不思議な能力について話題にした覚えがありますので……」
鋭いヒイスクリフ神父の指摘に、私はゆっくりと頷いた。
「おっしゃる通りです」
「……癒しの力? 手かざしで怪我を治せる能力の事?
あなたどこか怪我しているの?」
リーネは気を取り直したように、改めて、茶色の瞳をまじまじとこちら向けて、観察するように眺めてきた。
――やがて、何かに気がついたようにふっとその眉根が寄せられる。
「ひょっとしてあなた、頭に怪我かなんかしている……?」
さらに近づいてくると、探るようにその手を私の頭部に当てて、彼女は目をつぶって呟いた。
「待って……正しく言うと、頭の中ね? それにこれは、怪我じゃないわ……」
短い時間のうちにすっかり自分の脳の病気を言い当てられ、驚きながらも彼女の能力が健在である事にほっとする。
さすが、後に『奇跡の乙女』と呼ばれるリーネ・フォンデである。
ここは素直に認めた方が話が速い。
「その通りです。私は脳の病気にわずらっていて、それをリーネさんに治して欲しくて……」
その時、初めて私がここへやって来た意図を理解したルーゼが、明らかに驚きの表情を浮かべてこちらを見た。
彼はこれまでも一貫して、恋愛絡み以外では基本的に私が事情を話し出すまで何も聞いて来ないというスタンスを保っていた。
それで、今回も、ここに来た目的を詳しくは明かしていなかったのだ。
話がこの段階までくれば、あとはひたすらお願いするしかない。
「お願いリーネさん! あなたしかもう私には頼る存在が無いの!
私の脳の病気を治して!」
私の必死の懇願をリーネは冷たく一蹴する。
「それは無理だわ」
予想以上の冷たい返事にうろたえる私。
「そんな事言わないでお願い!」
「何も意地悪で言っている訳じゃないの、治したくても治せないのよ」
「えっ?」
どういう意味?
「私の能力は想いの強さと力が比例するの。つまり治したいと心から思う相手しか治せないのよ」
「治したいと思う相手?」
「つまり自分に関わりのある人間以外は、力を発揮出来無いの。
そうじゃなければ、この力で、とっくに私はもっと有名になれていた筈よ!
正直、自分でもその点に関しては悔しいの!」
リーネは嘆くように空を仰ぎ見た。
それにヒイスクリフ神父が補足する。
「リーネの精神状態には波があって、気分が乗らないと、すり傷すら治せないのです。
しかも人との相性がかなりあって……。
幸い、デリア家ではご子息のライナス・デリア卿とは気があったようで、彼の為にロウルさんを治そうと努力していました。
そのおかげもあってか、ロウルさんの状態は少し落ち着いたようでしたが……」
ライナスは小説の中でもリーネの友人にして良き理解者として登場していたから、気が合うのも当然だった。
一方私とリーネの相性はこれ以上と無いぐらい最悪なのだ。
新たに判明した絶望的な事実が私を再度打ちのめす。
「そんなっ……!?」
「そういう訳で……今の段階では、あなたのお役には立てないとしか言いようが無いわ」
――そう言われてもここで諦める訳にはいかなかった。
他に助かる手段が無い以上、引き下がるのは自分の死を受け入れるのと同じ事なのだから!
しかし、この状況を一体どうしたらひっくり返せるというのだろう。
すっかり呆然として私が途方にくれていると、横からルーゼが助け舟を出してくれた。
「もし良ければだが、我が屋敷に滞在して貰えないだろうか? リーネ」
「えっ?」
一同の視線がルーゼに集まった。
「関わりが無いならこれから作ればいい。
幸いあなたとリーネは同年代でもあるし……。
リーネ……君に本当にそのような力があるなら、どうかこれから彼女と仲良くして、レティアの願いを叶えてあげて欲しい。
私からも重ねてお願いする」
「……屋敷に?」
リーネは目を丸くしてルーゼを見ている。
突然の申し出に対して、神父は思慮深い瞳を向けて言った。
「リーネが了承するならこちらは構いませんが、そこまでしても、治せるかどうかは分かりませんよ?」
「それでも可能性があるならぜひお願いしたい」
強くルーゼが言い切った。
私は感動に近い思いでそのやり取りを横で眺めながら、改めてルーゼが頼りになる存在である事を痛感する。
リーネの返答には迷いが無かった。
「ルーゼ、あなたのお願いなら断われないわ!」
甘い声を出して同意する彼女に対し、ヒイスクリフ神父の叱責が飛ぶ。
「リーネ、貴族の方にそのような失礼な口を聞くな。
ミュール家といえば伯爵位を継ぐ家系で、私の記憶が正しいならこの方はそこのご当主だ」
「まあ、あなたそんなに若いのに伯爵様なの? 素敵ね」
怒られてもどこ吹く風で、うっとりとリーネの瞳がルーゼを見つめる。
完全に私の存在は無視されている状態だった。
「それでいつからあなたの家に住めばいいの?」
そこで、肝心の質問をリーネがしてくる。
「なるべく早く来て欲しいわ!」
私は願いを込めて即答する。
マイナスからのスタートになるので、少しでも良好な関係を築ける時間が長く欲しかった。
彼女はまたしても私では無く、ルーゼの方に向かって甘ったるい声で答えた。
「だったら、支度が出来次第、自ら馬に乗ってお宅を訪ねるわね。
早馬は得意だから、明日の朝出たら、昼前に着いてしまうわ!」
リーネはどうやら私より乗馬が得意らしい。
かくしてルーゼの機転により私は希望を繋ぎ、早くも翌日からリーネとの共同生活を始める事が決定した。
――帰りの馬車に乗り込むと、さっそく私は溢れる感謝の気持ちを伝えるべく、ルーゼに抱きつき、頬に何度もキスした。
「ルーゼ、あなたのおかげで今日も助かったわ!
いつもいつも私を助けてくれてありがとう!」
「そんな事はいいんだよ……私はあなたの為ならなんでもしてあげたいんだから」
「――もう、どうしたら、あなたに今まで受けた恩を返せるのか、私には分からないほどよ!」
胸が感動で詰まっていた。
「ずっと一緒にいてくれるだけで充分だよ……愛しいレティア」
天使のような彼の声は優しく、その腕や胸の中は温かくて、包まれているだけでも私を癒してくれる。
ふと顔が近づけてくる気配がしたので、目をつぶって唇を迎えいれる。
――口づけを受けながらふと今日の事を思い出し、考えた。
二人の間に起こった現象は、ルーゼとリーネがまぎれもない運命の相手同士である事を証明している。
一緒に住むようになれば、二人の距離はますます近づき、ルーゼの心も確実に自分から離れていくだろう。
明日までの残り少ない二人だけの束の間の時間――その愛情と温もりを惜しむように――馬車の中でも屋敷へ帰っても、私はルーゼにぴったりと身を寄り添わせ続けた。




