第二十一話 「リーネ登場」
「ルーゼ! 王都へ来たばかりで悪いんだけど、領地へ帰っていい?」
「えっ……別に私は構わないけど……急にどうして……?」
「私にはどうしても出来るだけ早く会わなければいけない人がいるの」
病状が進む前にリーネに一刻も早く会わなければ――
現在、時は4月頭。
物語通りであれば今時期のリーネは、連れのヒイスクリフ神父と一緒にデリア家に滞在している筈だ。
ただし、現在私達は王都にいるから、また移動に三日かかる、
彼女が最初に起こした大きな奇跡――デリア家の庭にて、心臓発作を起こしたライナスの父であるデリア侯爵の止まった心臓を再び動かす、というエピソードには間に合わないかもしれない。
だが、デリア家に行けば、滞在しているリーネを捕まえる事が出来る!
決断するや否や、その晩のうちに荷物をまとめ、翌朝早くに馬車に乗って王都から旅立つ。
ルーゼは嫌な顔一つせず私の希望に従い、むしろ気力を取り戻した様子を見て、ほっとしているようだった。
移動中、言い難かったが、最終的な目的地を告げておく。
「デリア家? なんでデリア家に?」
「そこに私が会いたい人がいるの!」
そこで、あわててつけ加える。
「あ、ライナスじゃないからね!」
「……状況が良く分からないけど……レティアが望むならいいよ……行こう」
「ありがとうルーゼ!」
お礼を言って抱きつくと、ふいに彼の両手が私の頬を挟めてきて、顔を上向きにされた。
降る様なエメラルド色の瞳が、覗き込んでくる。
「あなたが会いたいのは男性?」
どうやら心配させてしまっているらしい。
「違う。女の子なの!」
付け加えるなら嫉妬すべきなのは私の方……リーネ・フォンデはルーゼの運命の恋人だった。
緊張していたルーゼの表情がほっと緩み、ちゅっとキスを落とされる。
「……そうか……良かった……」
サジタリウスの言う通り、今では時間と気力があるうちに重要な事実に気がつけた事がありがたい。
恋敵である事からして簡単にリーネに助けて貰えないかもしれないけど、縋る時間なら充分にある。
何度断わられても諦めずに挑んでみせる。
今この世界にいる誰よりも彼女の能力を知り尽くし、信じているのは間違いなくこの私なのだから。
馬車を飛ばしたおかげで二日目の晩には領地へと到着した。
遅い時間帯なので、デリア家を訪ねるのは翌日にして、出先から帰ってきたばかりの父と居間にて挨拶と会話を交わす。
すると、その口から驚くべき事実が告げられた。
「え? デリア侯爵が亡くなった?」
「ああ、そうなんだ、つい三日前の事なんだがな。庭で私や他の客人をもてなしていた時の事だ。
突然心臓発作に襲われて、そのまま帰らぬ人となった。
葬儀は昨日行われ、ライナス君が侯爵位を継いだんだよ」
おかしい。小説の筋と変わっている!?
リーネがいたのになぜ、デリア侯爵は助からなかったの?
ライナスが侯爵? そんな筋知らない!!
その晩は混乱し過ぎて、いつものようにルーゼと一緒にベッドに入っても、なかなか寝つけなかった。
翌日、午前中の早くから、私達はデリア侯爵家を訪ね、出てきた使用人に夫人を呼んでもらうようにお願いした。
客間へ通され、侯爵夫人を待っていると、勢い良く室内に飛び込んでくる人物があった――
黒髪に青い瞳の見上げるほどに長身の男性――私の二番目に恋した相手、ライナス・デリアだ。
「母は父が亡くなったショックで寝込んでいる……かわりに俺が挨拶に来た」
一年ぶりに会った今日の彼も憎らしいほど格好良かったけど、必死の努力で動揺を表に出さず、つとめて平静な表情を保つ事が出来た。
成功理由は移動中に心の準備をしてきたのと、一番にはそんな場合ではない、というのが大きい。
「ライナス……このたびはお父様が亡くなられたそうで、大変残念だったわね」
静かに懐かしくも愛しい彼の姿を見返し、お悔やみの挨拶をする。
「ああ……急な事だった……」
ライナスの表情が沈んだものになった。
「デリア侯爵は才知溢れる、このレーム地方を代表する方だった……とても惜しい偉大な人物を亡くしてしまった……」
ルーゼも続けて心が篭った言葉で故人の死を悼んだ。
「葬儀に間に合わずにごめんなさい」
私は改めて謝罪をする。
父を亡くした影響もあるのか、久しぶりに見たライナスは、以前より顔つきが鋭くなって大人びた印象だった。
「……そんな事はいいんだ……それより君達は今、王都にいるという噂をきいていたが、わざわざ帰ってきてくれたのか?」
「いいえ、他に用事があって偶然帰ってきたところで、あなたのお父様が亡くなられている事実を知ったの……」
会話していても、絶えず自分に注がれ続けているライナスの熱い視線が、心に痛い。
「そうか……レティア、君は……今まで元気にしてたのか?」
すっと伸ばされたライナスの手に先んじるように、ルーゼが私の両手を掴んで自分の方へと身を引き寄せる。
「私達二人は常に一緒にいて元気にしていたよ。ライナス。
王都では結婚準備の買い物などをしていたんだ」
「……そうか……」
彼は俯き重く静かに呟いた。
その沈んだ表情に、針を飲み込んだみたいに胸が痛んだけど、堪えながら肝心の質問をする。
「ライナス……それでききたいんだけれど、ここにリーネ・フォンデという少女がいるかしら?」
ライナスは顔を上げ、けげんそうな表情で答えた。
「リーネ・フォンデ……ああ……ヒイスクリフ神父が連れていた……。
彼女なら昨日、葬儀が終わった後に、王都の教会へと帰って行ったよ」
「ええっ!!」
入れ違いになった? そう思うと同時に、はっとする。
――ああ、そうか、なぜ気がつかなかったんだろう。
リーネがデリア家に長期滞在していたのは……侯爵の命を救った恩人として、もてなされるためだったのだから、この筋の変更は当然予測出来たものなのだ。
もう少し良く考えれば、無駄足を踏まずに済んだのに!!
また王都へ戻らなくては!
「ありがとう……、私そろそろ行かなくちゃ」
「レティア……待て、リーネが一体どうしたというんだ」
長椅子から立ち上がった私の肩へライナスの手が伸ばされたが、触れる前に素早くルーゼが遮った。
「レティアは彼女に用事があるんだ――忙しいところにお邪魔して悪かった……ライナス、いや、デリア侯爵」
あとは振り切るように、ルーゼと二人あわただしくデリア家の領主館を後にした。
「ルーゼ、ごめんなさい! また王都へ戻っていい?」
「ああ……」
物思わし気な表情でルーゼはデリア侯爵邸を振り返り、
「出来るだけ早くここから遠ざかりたいから、願っても無いよ」含みのある言い方で同意した。
来たと思ったら帰るという私達に、両親は驚き呆れた反応を返した。
王都へと取って返す馬車の中、ルーゼは絶えず物思いに沈み、言葉少なく、ずっと苛々しているようだった。
思い出すようにしてくる私への口づけも、向かう時よりも執拗で、時々噛み付くように激しくなる。
「……んっ……ルーゼ……一体どうしたの?」
唇を離しながら、とうとう我慢出来なくなって質問する。
「別に……何でも無い……」
「気になるから、言いたい事があったらはっきり言ってよ。ルーゼ!」
苛立って追及する私に、ルーゼは重い溜息を吐くと、渋々と語り出した。
「……ライナスは今やこの王国屈指の金持ちの侯爵で……容姿もあの通り……私よりも条件のいい相手だ。
そんな彼にずっとあんな熱いまなざしで見られて、あなたもまんざらでは無かったでしょう?」
正直に言えと促したのは私だけど、それにしても酷い嫌味だった。
必死に自分の感情を抑えて平静に振舞ったのに……言いがかりも甚だしいと、胸がムカムカとしてきた。
「条件とか関係無いでしょう? 私に今一番必要なのはルーゼなんだから。
私達は婚約してからずっと一緒にいるしもう何百回とキスしてるのよ?
ずっとあなたの腕の中に私がいてもまだ不安なの?」
言い聞かせるように訴えてもなお、ルーゼの麗しい顔は曇る一方だった。
「ああ……そうだよ……レティア……ヒメネス侯爵やライナスを見ていると、とても不安な気持ちになる。なぜだか分からないが……負けているような気がするんだ」
彼が挙げたのはどちらも私が恋した男性の名前だった。
ルーゼの勘の鋭さに驚きつつも、彼の不安を打ち消すべく気持ちを訴える。
「ルーゼ、誓うわ。
私からは絶対あなたとの婚約を解消したりしないって、だから無用な心配は止めて」
「もしもその誓いを破ったら?」
「死んでお詫びするわ!」
死の病に侵されている身としてはあまり重みのない誓いだが……今さらここまで来て、ライナスとどうこうというつもりは無かった。
「……分かった。私が悪かった。ごめんね」
「ううん、いいの……ルーゼ大好き」
言いながら、彼の滑らかな頬に口づけをした。
実際、恋はしていないかもしれないが、ルーゼが愛しくてたまらないのは本当だった。
父が再婚してからずっと私はこの美しい義弟が自慢で大好きで、時を重ねたその分愛情も深まっていた。
最近ではいつも自分と一緒にいてくれる彼が自分の所有物のように思えてきて、独占欲まで感じているほどだ……。
正直、病気の事が無ければリーネになんて会わせたくない。
「私も愛しているよ……レティア……」
ルーゼに再び唇を求められ、今しがた見たライナスの面影を振り払いたくて、積極的にそれに応えた。
すっかり慣れて親しんだその唇なのに、している最中、会ったばかりのライナスの姿や声が自然に想い出され、心臓がチクチク痛んでしまう。
「あなたの唇はとても甘くてなんて官能的なんだろう……幾ら味わっても、足りないと感じてしまう……いっそこの口とその口を縫い付けてしまいたいぐらいだ」
ひぇーーーっ、それだけはやめてっ!
相変わらず心配になるほどの、ルーゼの異常さを垣間見た一時だった。
――領地へ戻った翌朝、往復でさすがに身体に疲れが溜まったのか、頭の重さはいつもより酷く鈍い頭痛となって襲って来ていた。
「レティア、顔が青いけど大丈夫?」
ルーゼは心配したけれど、今日は大切な日なので休んでいる間が惜しい。
私はすぐに起き上がり、急いで朝食を食べて馬車で出かける事にした。
王都の郊外に建つヘイゼル教会は、畑が広がるのどかな田園風景の中に建っていた。
建物に寄せて馬車を停めて降り立つと、どこからか口笛の音が聞こえてくる。
表で遊んでいた子供達が、来客を知らせる為にかあわてて教会の中へと飛び込んでいく。
――少し経って、黒髪に黒い瞳の、落ち着いた様子の青年が入り口から出て来た。
「ヒイスクリフ神父ですか?」
私が訪ねると、彼は静かな面持ちと声で答えた。
「そうですが? あなた達は?」
「私はルーゼ・ミュール。
彼女は私の婚約者のレティア・ミルゼ。
デリア侯爵からあなた達の話をきいてやってきた」
「ああ……デリア侯爵様のお知合いですか……」
さっそく私は用件を伝えた。
「リーネ・フォンデさんはいますか? 彼女と話したい事があって来ました」
「リーネですか? リーネはたぶん、牛小屋の方にいるかと……。
こちらです」
さっそく先導するようにヒイスクリフ神父が歩き始める。
小説にも、教会ではなるべく自給自足の生活をしていると書いてあったから、畑や牛小屋があるのだろう。
教会の裏手に出ると、牛小屋らしき建物がすぐに視界に現れ、その屋根の上に座る人物も見えた。
一人の少女が茶色の髪を靡かせ、屋根の上に座って、口笛を吹いている。
それはろうろうとした笛を奏でているような澄んだ美しい音色だった。
「リーネ、お前にお客様だ」
近くまで来て神父が声をかけると、ぴたっと音が止む。
「ふうん?」
頷くと、少女は軽々と屋根の上から下に詰んである干草の上へと飛び降りた。
ぴょんと続けて地面へと降り立ち、自分の服についた干草を払って顔を上げ、生き生きとした茶色の瞳をこちらに向けてくる。
――と、その瞳が、私達の姿を眺めているうちに、みるみる驚いたように見開かれていった。
「あなたは誰?」
呟いて、不思議なものでも見るような視線をルーゼに向けたまま、鹿のように飛びながら歩き、近づいてくる。
さっと差し伸ばした少女の手が、ルーゼに触れた刹那――二人の間で、ばちっと火花のような光が弾けて飛び散るのが見えた。
「……あっ!?」
ルーゼの口からも思わず驚きの声が漏れる。
――そう、それはこの物語の主役である運命の二人――ルーゼとリーネが初めて出会った瞬間だった……。




