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第十九話 「恋に死す」

  どんなに遠くでも顔が見えなくてもその人だけは分かってしまう……そう自分が好きな人だけは。


 私はふらふらと歩いて門の前まで行くと、そこに寄りかかってライナスの姿を凝視し続けた。

 彼は相変わらずそれ以上近づいて来ないで、ずっと遠くからこちらの方角を眺めている。

 私も同じように遠くから彼を一心に見返し続ける。

 瞳からは自然に涙が溢れてぬるく頬を伝ってゆく。


 私の事を心配して見に来てくれたの?

 近くに来たら駄目だと思っているから遠くで見つめているの?

 まだ私を想ってくれているの?

 ライナス……あなたの声が聞きたい。近くで顔を見たい。抱きしめられたい。

 いつかのようにお互いが溶け合うようなキスをしたい。


 ただそれだけ……言葉を交わしあった訳でも、抱き合ってキスした訳でも無いのだ。

 顔も見えないような遠く同士でお互いに見詰め合っていただけだった。


 それだけなのに……会わなかった間の長い時間も、ルーゼとたくさん交わした抱擁やキスも、全て一瞬のうちに無効にして、ライナスは再びこの心をしっかりと捕まえていく。


 その驚くべき事実と共に、今はっきりと分かった。ライナス、あなたもまた私にとっての死神だったのだと……!

 決っして近づいてはいけない、それどころか遠くからその姿を見る事さえも危険な存在だったのだ!


 しばらくそうしている間に、ズキズキとした頭の痛みが襲って来て、自分の限界時間がいつもより早く訪れた事を知る。

 ルーゼのいる執務室へ戻らなくては……そう思っているのに、頭がどんどん割れるように痛くなっていくのに……。


 傷みに耐えてなおもそこに止まり、彼の姿を見続けずにはいられなかった。


 やがて視界が暗くなっていく間も、私はただライナスの姿が見えなくなっていく事を、酷く悲しく思って惜しんでいた。

 完全に目の前が闇に閉ざされ気絶する前に、なんとか執務室へと、半ば手さぐり状態で戻る。


「レティア! どうしたの? 大丈夫!」


 よろめき部屋へ入ったとたんに崩れゆく私の身体を、ルーゼが駆け寄り、両腕で抱き止め、癒してくれた。

 再び視界が晴れてきて、私はほっと呼吸をつく。

 動揺した美しいエメラルドの瞳が目前で揺れている。

 酷く取り乱した様子のルーゼが、髪や頬や額や唇……あちこちに何度もキスを降らせてきた。


 それを受けながら、私の心は再びほの暗い真実の闇の中へと落ちていくようだった。

 ……やはり恋する相手が変わった事は致命的だったのだ。


 身体はこうしてルーゼの側にあり、その腕の中でキスを受け続けているのに、心は今もライナスの元にあるのだ。


 そしてそれゆえに、この先もルーゼに抱かれる気持ちにはなれず、結婚も出来ず、彼を完全に自分に縛りつけて置く事も出来ず、死んでいくのだ……。


 ――命がかかっているのに、初めては好きな相手がいいとか、そんな甘ったるい事など言っていられない状態なのに……。

 それでも私にはどうしても出来無かったし……小説の中の自分もきっとそうだったのだろう。


 そう、死んだって出来無い。


 どうしてもどうしても。

 好きな相手がいるのに、別の男性に抱かれる事だけは……。


 他の全ては受け入れられても、それだけは無理だったのだ。

 私に唯一残された最後の砦のようなものだったのだ。


 ……それは絶望的で残酷な自分の心の真実だった。



 それから私は二度とライナスが現れた方角の草原を見る事は無かった。

 それどころかライナスの影を踏みそうな場所は徹底的に避ける事を心に誓っていた。


 その数日後、ルーゼは約束通り書類の整理が落ち着くと、馬での散策に私を連れ出してくれた。


 色とりどりの春の花が咲き乱れる花畑、光を浮かべて流れる小川、少し遠い森の方まで行って、苔むした小さな谷まで見せてくれた。

 自然の景色は私の心と身体を癒し、草原の鮮やかな緑は目に染み入るようで、春風は優しく温かくこの身を包み込んでくれる。


 恋など叶わなくても生きている事は充分素晴らしいように思えた。


 ――時がいつか自分のこの絶望的な想いを押し流していってくれる事だけを願い、毎日を過ごす。


 私の乗馬の腕も次第に上達していって、ルーゼの監視下なら一人で騎乗する事も許されるようになった。

 それだけではなく、鞍をつけたり水勒をつけたり、馬を乗れる状態にする事まで自分で出来るようになっていた。


 両親からは社交や人づきあいの重要性を懇々と説かれたが、私はもう誰も自らの魅了スキルで呪いたくなかったし、一番は偶然にライナスに出くわすのが怖かった。

 ゆえに人が集まるようなところには決して近づかないように心がけ生活を続けた。


 日々は緩慢に穏やかに過ぎて行き、私は17歳になり、再び秋が来て、冬になり、春が来て……一年経過しても、私はルーゼとは結婚していなかった。

 失恋の時に胸を借りた相手の差が、一年経ってもどうしても覆せなかった。

 そう、私はまだルーゼに恋をしていなかった。


 時はもうすで小説の筋の中でリーネがこの地方へ現れる頃にまでなっていた。

 前もって春から夏にかけては王都で過ごせるようにルーゼに頼み込んであったので、3月中に無事に旅立つ事が出来た。


 久しぶりの王都のお屋敷へ到着した翌日、さっそく懐かしい人が会いに来てくれた。


「サジタリウス!」


「やあ、レティア、調子はどうだ? 体調に変わりは無いか?」


 銀髪に紫の瞳をした刃物みたいな目付きの私の主治医サジタリウスだった。


「はい、この通り、元気です」


「それは良かった。便りが無いのがいい便りと思ってはいたが、実際元気そうな顔が見れてほっとした」


 私も彼の顔が見れて、優しい言葉をかけられ嬉しかった。

 彼の連れている新しい助手は丸い眼鏡をかけた柔和な顔付の女性だった。


「助手のマールだ」


「よろしくお願いします」


 挨拶や会話もそこそこに、ルーゼには部屋から出てもらい、まずは久しぶりの診察を受ける事になった。

 変化は、健康状態をチェックし始めて、1時間もしないうちに訪れた――頭がズキズキと脈打つように痛み出したのだ。


「どうした、レティア?」


 様子がおかしいのに気がつき、サジタリウスが問いかけてきた。


「頭が……」


 一言だけで状況を察してくれたらしい。


「そうか、マール、ミュール卿を呼んで来てくれ!」


「はい!」


 マールは急いで部屋から走って出て行き、すぐにルーゼを伴って戻ってきた。


「レティア、大丈夫?」


 ルーゼが駆け寄り、いつものように私を抱きしめてくれると、頭痛はたちまち止んでいく。

 診察は隣でルーゼに手を握られての続行となった。


「……以前よりひょっとして、長い時間ミュール卿と離れていられなくなったのか?」


「はい、離れている事自体が少ないからはっきりは言えないけれど……以前より、頭痛が起こるまでの時間の感覚が、短くなっているのかも……?」


「……レティア……やはり君は……」


 言いかけて、すぐにサジタリウスは躊躇した表情になり、言葉を飲み込んで、少しの間押し黙った。


「サジタリウス?」


 私は首を傾げて彼の伏せ気味の紫の瞳を見つめる。

 少し重い感じでサジタリウスが再び口を開いた。


「一度また、診療所で時間をかけて診よう……再来週の午後、時間を取るから来てくれ」


「分かりました」


 答えながら、じょじょに心の中に黒雲のような不安が広がっていくのを感じる。

 ルーゼと離れていられる時間が短くなったという事は、気がつかないうちに私は悪化している?


 私は今17歳と半年……運命の日、すでに小説の中でレティアが死ぬ時まであと1年と5ヶ月ばかりしか時は残されていなかった。



 嫌な考えを頭から振り払うように、あくる日は早くから起きて、公園へと出かけていった。

 懐かしい水鳥達が池の中で泳いで餌をねだるように鳴き声をあげてくる。


 ルーゼの知り合いに会って軽く立ち話した後、木陰に敷物を広げて、持って来ていたバスケットに詰めて貰っていた昼食を食べる事にした。


 楽しい時間を過ごす合間、時おり、不安な思いが胸をもたげては、自分に言い聞かせる。

 大丈夫、だってルーゼはまだ傍にいるし、リーネにもまだ出会っていないし暫く避ける事が出来るのだから。

 私の生命も穏やかな時間はまだまだ続いていく!


「大丈夫? レティア」


 つい、サンドイッチを食べる手が止まっていた私に対し、ルーゼが心配そうに声をかけてきた。

 ハッとして彼のエメラルドの瞳を見返し、答える。


「うん、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけ……」


「……ならいいけど……」


 昼食を終えると、敷物に身を横たえられ、すっかり慣れたルーゼの長い口づけを受ける時間になった。

 キスだけでは足りないと言う様に、ルーゼが首筋から胸元にまで唇を這わしては、切ない呼吸を肌に吹きかけてくる。

 口に出さないが、彼は常に自分の欲望と理性の限界に耐えているようだった。

 私だって彼に早く応えたい。

 ライナスを忘れて、彼に恋して、抱かれてしまいたいと思っている。

 けれど今は時に全てを任せ委ねるしか手立ては無かった。

 思ったより長く時間がかかっているだけで、いつか忘れてしまえるだろう、そう自分に言い聞かせた。

 だってもう一年以上ライナスとは会っていないのだから……。



 ――二週間後の4月の頭、私は再びルーゼと共にサジタリウスの診療所を訪れた。


 ルーゼには別室に待機してもらい、全身に渡る念入りな診察を受ける――すると一時間もしないうちにまた頭が痛くなってくる。

 サジタリウスは助手にルーゼを呼びに行かせ、その到着を待つ間、顎を撫でつつ、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。


「レティア……!」


 すぐに駆けつけてきたルーゼの腕に抱きしめられ、痛みが引くのを感じながら、私は主治医の顔を緊張して見つめ続ける。


「サジタリウス……私はどこか悪いの?」


 ルーゼも長椅子の隣に座り、私に身を寄り添わせてサジタリウスの返事を待っていた。


 ――やがてその口からは、思いもよらぬ残酷な宣告が吐かれる事となった――




もう少しでリーネが出ます……。

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近日(ざまぁ追加の)番外編公開予定→完結済作品:「侯爵令嬢は破滅を前に笑う~婚約破棄から始まる復讐劇~」
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