第十八話 「心と身体の距離」
春、王都から領地へ帰っての田舎生活が再び始まった。
「この靴、やっぱり走りやすい!」
戻って来た翌日、私は細かい注文をつけて仕立てて貰った靴と服の仕上がりに満足しながら、さっそく田舎道をジョギングをする。
「それは良かったね」
蜂蜜色の髪をなびかせながら隣を走るのは、甘い顔立ちの美貌の義弟にして婚約者のルーゼである。
現在、私の心身はすっかり安定していて、元々の低血圧が悪化しているのか、朝方だけは頭が重かったけれどそれ以外はとても快調だった。
今ではサジタリウスの診察のおかげで、数時間ぐらいならルーゼと離れていても平気な事まで分かっている。
なのに、結局、毎日こうして常に一緒にくっついて行動している私達なのであった。
「ねぇ、ルーゼ、領地に帰ったばかりで、仕事溜まっているんでしょう?
ずっと私といなくてもいいんだよ?」
「うん、そうだよ。書類が溜まっているから、午後は私と執務室にこもってね。
私はレティアが長く視界にいないと不安になって、いっさい何も手につかなくなってしまうんだから」
「えー、私、屋内嫌いーーーっ」
あれからすっかり発作みたいな症状や幻覚などもなくなったし、サジタリウスの診療を受けた事はそれなりの意味があった。
ライナス、彼の存在が関係しているというあの指摘も、あながち見当外れでは無かったのかもしれない。
大好きなライナスに会わない事が心身の安定に繋がるなんてあまりにも皮肉過ぎるけどね……。
とにかく、状態も良い事だし、たまに一人で羽を伸ばしたい。
脱走しちゃおうかな……。
「レティア、言っておくけど、脱走とか考えても無駄だからね?
その代わり、落ち着いたら、また馬に乗ってあちこち散策しよう」
凄い、心の中が読まれている!
ふとそこで素朴な疑問が浮かんできた。
「ねぇ、ルーゼはずっと私と一緒にいて息が詰まったりしないわけ?」
私の質問にたいし、ルーゼは力をこめて即答する。
「まさか、全然、息なんて詰まらないよ。むしろあなたが傍にいないと快適に呼吸出来ないぐらいだ。
いっその事あなたと自分の身体を常にロープか何かで縛りつけておきたいぐらいだよ」
てっ、それだけは止めて欲しい!
と言うかクィンベルの件があって以来、ルーゼの過保護さというか心配性ぶりが確実に悪化している!?
おかげで毎日トイレとお風呂以外は一日中、一緒に行動する生活。
なので私達はジョギングを終えると同じ部屋で背中を向け、汗で濡れた衣服を自分で着替える。
ずっと二人でいるので、使用人に着替えを手伝って貰うという習慣が、すっかり無くなっていた。
「きゃっ!」
「どうしたの、レティア」
突如、悲鳴をあげた私にルーゼが驚き振り返る。
「な、なんでもない!」
かーっと顔が熱くなるのを感じつつ焦って否定する。
ルーゼとの結婚を決意してからこっち、私は覚悟を決めるべくたゆまぬ努力を続けてきた。
今も免疫をつける為に、あえて盗み見たルーゼの女性のようになまめかしい裸体に 思わず叫んでしてしまったところなのだ。
所詮、生まれ変わる前も後も私は処女。
前世でも好きな人はいたんだけど、理想が高く、好きになるのはつねに自分とは釣りあわないような格上か彼女持ちで、一度も交際までにはいたらず。
生まれ変わっても身の程知らずにもヒメネス公爵に片想いしていたあたり、そういう部分はなおっていないらしい。
変わってないのはそれだけではなく、前世の頃からどんなに迫られても、好きな相手以外に身体を許す気にはどうしてもなれなかった。
だからこんな麗しいルーゼですら、抱かれることに拒否反応をおぼえるのだ。
そう、こんなに一緒にいてキスしたりスキンシップしているのに、有り得ない事にいまだに私はルーゼに恋していない。
日々、全力で彼を好きになろう努力しているにも関わらず……。
考えられる原因は、やはり、ライナスへの未練――それがルーゼに恋心を抱くのを妨害しているとしか思えない。
自分で思っているより、案外しつこい性格だったみたい。
――さすがにもう半年ぐらい会ってないから、そろそろ彼を忘れられる頃だと強く信じたい。
「ねぇ……ルーゼ、屋敷内や庭なら別に一緒にいなくてもいいんじゃない?
脱走とかしないし敷地内から出ないから、仕事している間、自由にしていてもいい?」
着替え終わって廊下を移動中、歩きながら私はルーゼに提案した。
それに対するルーゼの返事は予想を越えるものだった。
「うちは使用人の数が多いから屋敷の中でも安心出来無いよ。
それで今後は女性の数を増やして男性を減らす方向にしようとは思っているんだ。
その旨は家令のランドクリフにも相談してある」
ランドクリフは先代からミュール伯爵家に仕えている初老の家令の名前である。
嘘でしょう?
そこまで警戒するなんて、ルーゼったらもう病気なんじゃないだろうか。
本気で心配になってくる。
しょうがないので午後からは、執務室の窓際の椅子と小テーブルにて、「リーネ対策」を練る事にした。
小説の内容を思い出しながら、少し離れた机に座るルーゼにペンと紙を借りて、今後の対策をメモ書きにする。
そのテーマはリーネとルーゼという運命の恋人達の出会いをいかに遠ざけ、二人の身体と心の距離の接近をいかに妨害するかというものである。
(あれ? これでは『リーネとルーゼ』での悪役令嬢レティアそのまんまじゃ?)
ふと気がついてそら恐ろしくなる。
小説の筋を変えようとして返って同じになってしまうというこの矛盾点。
ただし、私は小説内のレティアと違って、前世の記憶があり、物語の筋を知っている。
だからどう行動すればリーネを避けられるか分かっているのだ。
小説のレティアの失敗から教訓を学んで生かせるという、この差はかなり大きい。
(やっぱり、最初の対策としては、来年の四月に二人がデリア家の庭で出会うイベントを回避する事よね。
リーネがこの地方にいる間は、王都に逃げているのが無難かも)
私は紙に『来年の春から夏までは王都へ行く』とメモを書く。
(さらに王都にも長居しちゃいけない。次に二人が再会するのは冬の王都なのだから)
紙に、『冬までに王都から帰る』と書き加える。
よし! これで最初の出会いは回避出来るはず。
あとはリーネとルーゼが偶然出くわしたりする前に、正式にルーゼと婚姻関係を結んで備えておく事。
これは出来るだけ早い時点、私がルーゼに純潔を捧げる覚悟が出来たと同時に、実行しようと思っている。
しかし一つだけ謎なのは、なぜ小説のレティアが亡くなる19歳になる前に、ルーゼに結婚を迫らなかったかという点だ。
私と同じ危機にあい、同じ思考を持ち、ましてやルーゼが好きだったなら、絶対にそこにたどり着く筈なのに。
やっぱり小説の中のレティアも、ルーゼに抱かれる事に抵抗を覚えていた?
本当は違う相手を好きだった?
――ひょっとしたら、前世の気が多い自分と混ざる事によって、初めて私はライナス・デリアを好きになる事が出来たのかもしれない。
小説の中のレティアにとっての想い人はずっとヒメネス公爵だったのでは?
ルーゼの胸の中で泣いてもなお、幼い頃からの想いを断ち切れなかった。
だからルーゼと結婚していなかったと解釈すればしっくりとくる。
だとしたら私はますます同じ轍を踏まないためにもルーゼと結婚しなくてはいけない。
同じ悲劇を繰り返すなんてごめんだもの。
やはりそうなると、一日でも早くライナスの事を吹っ切って、ルーゼと恋を始めなければ。
――そう思って毎日ルーゼのキスだって受け入れているのに。
「はぁっ……」
一体この上どうしたらいいんだろう。
正直なところ、もっと簡単にライナスのことを忘れて、ルーゼを好きになれると思っていた。
「どうしたの? レティア? ずいぶん重い溜め息だね?」
はーっと長く息を吐く私に気がつき、書類に目を通していたルーゼが顔を上げて、心配そうにこちらを見て尋ねてきた。
「だって……退屈なんだもの」
適当に誤魔化しつつ、ふとそこで思いついて参考の為にルーゼに質問してみる。
「ねぇ、ルーゼが私の前に好きだったのってどんな人?」
ルーゼは「えっ?」と瞳を丸くする。
「そんなのいないよ? 私はあなたに会うまで女性にあまり興味が無かったから。
実際、14歳で爵位を継いだので、それどころじゃなかったし……。
あなたが私の初恋にして初めて付き合った相手だよ」
「初恋! ルーゼって私が初恋なの?」
心から驚く私。
そんな私に対してルーゼは不愉快そうな口調で注意を促した。
「お願いだから、この流れで、私にレティアの初恋相手とか以前好きだった男性の話をしたりしないでね?
そんな話を聞いてしまったが最後、私は嫉妬のあまりおかしくなってしまうから」
わざわざ断わらなくても、ヒメネス公爵の話しも、ライナスの話しも滅茶苦茶しにくいから安心して欲しい。
「分かったわ!」
「とにかく、初恋のあなたと結婚出来るんだから、心から私は運がいいと思うよ」
そう言って、ルーゼは麗しいその顔を幸せそうにほころばせたけど、果たして本当にそうなのだろうか?
私には甚だ疑問だった。
なぜなら、裕福な超絶美形の伯爵様のルーゼなら、私以外の女性も選び放題な筈なのだ。
しかもこれから悪役令嬢ばりの私に、運命の恋人リーネとの恋まで妨害工作されてしまう。
魅了スキルの被害を抜かしてもかなり私から災難を受けているし、むしろルーゼは運が悪いような?
なんてよけいな事まで考えている間に、この部屋に来てから2時間ぐらい経過していたのだろうか。
ルーゼが急に机から顔をあげてこう言った。
「さて、レティア、休憩でもしようか? 庭にでも出る?」
私は「うん!」と弾んだ声で同意すると、椅子を蹴るように立ち、さっそくテラスの扉を開いて庭へと飛び出す。
そうして深呼吸して、景色と風に癒されながらリラックスしようと思った矢先。
ルーゼにいきなり肩を抱かれて、強引にベンチに座らされ、
「レティア……今日のあなたも凄くかわいいから、書類に目を通している間も、こうしたくてたまらなかった……」
なんて言いながら、がばっ、抱きしめられて、熱く唇を重ねられてしまった。
「んっ……」
わざわざ外に出てからする事でも無いような気がするんだけど!
しかも剪定作業中の庭師が梯子に登ったままこちらをちらちらと見ているし、凄く恥ずかしい。
おまけにルーゼは終わったと思っても何度も何度もしつこいぐらい口づけをしてくる。
最近、歯止めが効かなくなるという理由でベッドの上でディープ・キスしなくなった代わりに、日中にするキスの時間が長引いていた。
今回もあまりに長時間に渡ってキスをしてくるので、しまいには顎が疲れて痛くなってしまっていた。
……ようやく顔が離れて、ほっとした時。
「さて、そろそろ中に入ろうか」そう言って、ルーゼが私と手を繋いで立ち上がる。
「酷い、休憩って、ずっとキスしていただけじゃない!」
さすがの私も怒ってルーゼに抗議する。
「ごめんね。でもあなたの唇があんまり甘くておいしいから悪いんだ……。
一度味わい出すときりが無くって……」
全然理由にもなっていない。
今度ばかりは本気で腹が立ってきた。
「嫌っ、入らない。私はまだ庭に残ってる! 認めてくれないなら、家出してやるんだから!」
私の強い怒りが伝わったのか、ルーゼはふーっと溜息してから譲歩した。
「本当に庭の中だけだよ? 絶対に出たら駄目だからね?」
子供に言い聞かせるみたいに念押しする。
過去に逃亡した前科があるせいかあまり信用されていないらしい。
とにかく無事に庭に一人で残る権利を勝ち取ると、私はせめて広い外の景色でも見ていようと思い、田舎道と草原が見える門の近くのベンチに座る事にした。
そうしてぼーっと草原の向こうの林のあたりを見ていると、やがてはるか向こうからやってくる騎影が目に止まる。
「……あっ」
その騎乗の人物は、ある程度近づいたところで馬を止め、同じ距離を保ったまま、草原からじっとこちらを眺めているようだ。
困った事に遠くからでも私にはそれが誰だか分かってしまう。
黒馬に黒衣……間違いなくライナスだ。
――そう悟った瞬間――縫い付けられたようにその姿から視線が外せ無くなり、心臓がうるさい程に高鳴って、私の心は急速に彼の元へと引き戻されていった……。




