第十七話 「生命を燃やして」
「サジタリウス……来てくれたんですね」
ルーゼのその台詞と、すんなりここまで通されたところをみると、彼の訪問は予め予定されていたものだったらしい。
一体サジタリウスはどれぐらい、そうして私達の様子を部屋の入口で観察していたのか。
「今回の一件については私もそれなりに責任を感じている。だからこうしてなんとか時間を作って来てみれば……全く、酷いものだな、レティア。
まるで死んだような瞳をして――おまけに本当に死にたいだって?」
非難が込められている彼の鋭い眼光から逃れるように目を逸らし、私は投げやりに呟く。
「悪いけど、もう、あなたの診察なんて何の意味もないわ……帰って……」
私はサジタリウスに対して、二度と心を開く気はなかった。
幻覚が予知である事が判明した今、診察を受けても無駄なのだから……。
私の言葉を聞いたサジタリウスは、帰るどころかつかつかとこちらへ歩み寄り、長い腕を伸ばして強引に手首を掴んできた。
「……いやっ、離してっ!?」
「来い…!」
そのままベッドから引きずり降ろされ、力づくでどこかへ連行され始める。
「待って、サジタリウス! レティアをどこへ連れて行くつもりだ……?」
あわてて追って来るルーゼを、サジタリウスは手を上げて制止した。
「ミュール卿、あなたは何も訊かず、ここで待っていて欲しい。
レティアにはどうしても治療の為に見せなくてはいけないものがある。
もしもあなたが着いて来るなら私はこの件から降りる。信用するなら最後まで任せて欲しい」
断固としたサジタリウスの口調に、ルーゼはそれ以上後を追ってはこなかった。
あっという間に表に引きずり出された私は、必死に抵抗しながら訴える。
「お願い離して! もう、治療なんかしても意味がない……!
サジタリウス、あなたは間違っていたのよ!
思い込みでもノイローゼでもなく……予知だったの!
ヒメネス公爵といる時見た映像が、クィンベルに浚われた時の状況と何もかも同じだった。
台詞の一語一句までもが一致していたんだから……!
他の映像も同様に、これから起こる避けられない出来事なんだわ。
要するに私が死ぬのは宿命なのよ……!
だからもう離して……無駄な事をしないで私を帰してよ!」
しかし、私の必死の叫びは、彼の怒りにますます拍車をかけただけだった。
すぐさま突き刺さるような視線と、
「……宿命だと? レティア? 君が死ぬのが?」
毒を吐き出すように言葉を返される。
そのまま結局逃れる事も出来ず、無理矢理、馬車に乗せられ辿り着いたのは、街外れにある大きな簡素な建物。
「いいか、レティア? 今から見せる部屋にいるのは、皆、数ヶ月も生きられない者ばかりだ
――しっかり瞳を開き、心して見ろ!」
玄関をくぐり、長い廊下を歩きながらそう告げられ、混乱しているうちに通されたのは、部屋を埋め尽くすようにベッドが並んだ一室。
空のベッドが多かったが数名の子供達がその上で横になっている。
ここは病室?
なぜサジタリウスはこんなところに私を連れてきたの?
困惑して入り口に立ち尽くす私に気がつき、寝たまま笑いかけて挨拶してくれる子供がいた。
サジタリウスの顔を見て、みんな口々に「院長先生」と声をかけている。
全員10歳にも満たない幼い子供ばかりだ。
中には苦しい息の下にある少女を必死に励ましている少年もいた。
直前のサジタリウスの言葉が真実なら、ここにいる子供達は全員、余命があと残りわずかって事……!?
「見ろ、こんな小さな子供でさえ戦っている。
なのに君は逃げるのか?」
背後から問うサジタリウスの言葉を呆然と聞きながら、私は笑いかけてくれた少年を見て、それから苦しい呼吸を繰り返す少女のそばへと近づいて行く。
そばに立つと少女は口を動かし、そっと震える手を伸ばしてくる。
母親の面影を私に見ているようで、唇を僅かに動かし「ママ」と言っている事に気がつき、とっさにその小さな手を握る。
その後、サジタリウスに連れられ、無人の別室へと移動して説明を受けた。
「ここは私の所有する病院で、患者を診ているのは私自身が育てた元助手達だ。
ここの運営には非常にお金がかかる――お金が無ければ人の命は救えない。
私は君のような貴族を診てお金を稼ぎ、彼らはそれで人を救う」
だからサジタリウスは貴族専門の医者なのだ。
「再度質問しよう……君はあと数ヶ月以内に死ぬのか?
彼らのように呼吸をするのも苦しい状態なのか?
毎日責め苦のような苦痛を受け続けているのか?」
私はそのサジタリウスの問いに一つも答えられなかった。
「――それと、君は宿命がどうとか言っていたな?
君が本当に死ぬような宿命を背負っているとは私には到底思えないが、あえてそれを前提とするとしよう。
――確か、ミュール卿に聞いた話によると、君はヒメネス公爵の親戚だったな。
私の顔は彼に非常に良く似ているだろう?
それもその筈で、私達は同じ父親を持つ血を分けた兄弟だ……。
なのに片方は貴族で、一方は平民。
同じ父親を持ちながらその境遇はあまりにも違い過ぎると思わないか?
はっきり不公平だと言える、それが私の宿命なのだ!」
言い切ったサジタリウスの瞳は突き刺さるような鋭さだった。
「だが、果たしてその宿命を恨んで、腐り、すべてを投げ出して何になるというのだ?
君だってそうだ。
全てが君の言う通りなのだとしても、そこで諦めてどうなる?
諦めて、投げ捨て、それで良い方へと向かうとでもいうのか?
――たとえそれが本当に逃れられない運命――宿命なのだとしても、なぜ戦わない理由になる?
生きるという事は戦う事だ。それを放棄するという事は死ぬことだ……!
――これまで私は職業柄これまで多くの病に侵された者達を見送ってきた。
ある者は最後まで壮絶に病苦と戦い、ある者は諦め、生きているうちから屍のような目になった。
レティア、君はどうする? このまま生きながら残りの人生を屍として過ごすのか?
君を救おうと手を伸ばす者すら拒むのか?
君を探し回っていた時のミュール卿がどんなに必死だった事か。今もどれ程、心を痛めている事か。
その愛すらもどうでもいいと言うのか?」
刃物のように冷たいと思っていたサジタリウスの目が、今目の前で、熱く強い感情をほとばしらせて燃えていた。
その眼差しと言葉、今見てきた子供達の姿は、私の心の奥深くを揺さぶる。
あんな小さな子供達でさえ死を目前にしながら必死で戦っているのに……。
この身体は健康に動き、残された時間はまだまだあるのに……。
早くも諦めて全てを投げ出そうとしていた自分が急に恥ずかしくなり、瞳から熱い涙が溢れてくる。
サジタリウスがそんな私の頭を自分の方へと引き寄せる。
その温かな胸の中に顔を埋め、私は凍っていた感情を一気に溶け出させるように号泣していた。
泣きながら、残りの人生を屍として過ごす――そんなのは絶対に嫌だと思った。
私は生きているうちに死にたくなどない。
生きる事は戦う事……。
だったら私は最後まで戦って、命の炎を燃やし、真の意味で生き続けたいと強く思った。
「……ありがとう……サジタリウス」
しばらく泣いて心が落ち着いてくると、私はサジタリウスへお礼を言った。
彼のおかげで再び生きる気力、運命に抗う気持ちを取り戻せたことへの深い感謝の気持ちをこめて。
――同時にそこでようやく、私はある「大切な」イベントの存在を思い出した――
「ごめんなさい、ルーゼ、あなたの誕生日、もうだいぶ過ぎてる!」
私より四ヶ月遅く生まれたルーゼは一月頭生まれで、すでに一月の半ば近くになっている。
サジタリウスに馬車で送られて屋敷へ帰ると私は大慌てでルーゼに謝罪した。
自分の誕生日の時はそれはそれはたくさんの贈り物を彼から貰ったのに。
「レティア……いきなりどうしたの?
なんにしても、サジタリウスはあなたをきちんと治療してくれたようで良かったよ!」
ルーゼは天使のようなまばゆい笑顔を向け、嬉しそうに腕を広げて私を出迎えた。
私はその胸へと飛び込んで抱きつきつつ、なおを訴える。
「だって、私、あなたにいつも世話ばかりかけているし、今回だって助けて貰ったのに、八つ当たりまでして……。
おまけに誕生日を無視して……そう思ったら、すごく自分が最低過ぎて!」
「大変な目にあったんだから、今回はしょうがないよ。
むしろ誕生日を覚えていてくれた事だけでも充分嬉しい。
それに私にとっては、こうしてあなたと一緒に過ごせる日々が何よりもの贈り物なんだ。
だからもしも何かを贈ってくれるなら、あなたの笑顔が見たいな。
あなたが傍で笑っていてくれる事、それが私にとっての一番の幸福なのだから」
そう言われても、さすがに私の笑顔だけではルーゼに申し訳なさ過ぎる。
「そんなこと言わないで、私に出来る事があれば何でも言ってよ!」
さらに私が食い下がると。
「じゃあ、レティアからキスをして欲しいな……」
ルーゼは私への愛情を溢れさせるような満面の笑顔を向けてそう言った。
私からキス?
そんなんでいいの?
私はやや瞳を丸くしつつ、ルーゼの顔を両手で挟んで下を向かせ、少し爪先立ちになる。
そうすると、私はやや身長が高い方で身長差が10cmもないので、容易に彼の唇を奪うことが出来るのだ。
そのまま思い切って顔を寄せて、ちゅっと、唇と唇を重ねた。
自分からルーゼにキスするのはこれで二度目。
彼の唇は相変わらず滑らかで柔らかく、心なしか良い香りがした。
そうして天使のようなカーブを描く彼の頬に手を当て、しばし唇をくっつけて目を瞑っていると。
いつかのように私の肩に手が乗せられた。
それから私の唇を割るように舌が差し込まれてきて、口中をなぞり、ゆっくりと、長く味わい始める。
その義弟の唇や舌の感触は相変わらず刺激的だったけれど、いつかのような背徳の味はしなかった。
変わりにすっかりなじんだような優しい温もりに満ちていた。
「愛してる……レティア……とてもとても幸せだ」
口づけの合間に漏らされたルーゼの喜びの言葉を聞きながら、私は新たな決意を胸に抱く。
彼をもっと幸福にし、かつこの命を少しでも永らえる為に、リーネと彼が出会う前にルーゼに恋して結婚するのだ。
加えてルーゼとリーネを出会わせないよう最大限妨害する。
それが新たな自分とこの物語との戦い方だった。
――その後の王都での日々は再び穏やかさを取り戻し――月日はあっという間に過ぎ去って2月になり、とうとう、領地へと帰る3月になった。
あれからサジタリウスには数回会って、予知についての相談をする事が出来た。
当面、解決する手段はなくても、不安や恐怖を聞いて貰えるだけでも、充分、彼の存在は心の慰めとなっていた。
そう、サジタリウスの治療は決して無意味なものなどではなかった。
絶望の底から私の心を再び浮上させてくれた彼は紛れもなく名医だったのだ。
王都から領地へ向けて出発する日、忙しい予定の合間をぬってサジタリウスが見送りに来てくれた。
「経過を手紙で知らせてくれ……力になるから」
「ありがとう……」
目の前に立つ彼は出会った時と同じ、冷徹そうな顔立ちをしていた。
なのに今の私の瞳には全く違う印象で映っている。
内側に秘められた熱い心と優しさを知った今、その顔は冷たい観察者ではなく、信頼出来る温かい主治医のものに見えていた。
「……さようならサジタリウス……」
感謝の想いを込めて私は彼に別れを告げる。
「ああ……レティア……また会おう」
答える彼の口調は穏やかで優しかった。
ルーゼは先に馬車に乗車済みで、私は乗り込む前に最後にもう一度サジタリウスを振り返る。
すると、彼は耳元で私だけに聞こえる声でささやいた。
「正直、私に爵位があったなら、君に求婚していただろう……。
それだけが唯一自分の境遇で惜しむところだ……」
――それは彼にとって惜しむことでも私にとっては幸いなことだった。
だって、これ以上ルーゼ以外の人に心を奪われたら困ってしまう。
今回の出来事もあって、私の魅了スキルは彼やヒメネス公爵などの、理性がある人には致命的な影響を与えないと分かり、それが一つの心の救いとなった。
そうして、サジタリウスに見送られ、私達を乗せた馬車は走り出す……懐かしい領地の屋敷へと……。




