第十三話 「王都での日々の始まり」
冬の初め、私達は一部の使用人達を引き連れ、王都にあるミュール家の屋敷へと移動した。
馬車を連ねて到着すると、留守を預かっていた使用人達が出迎えにきて、降り立った私達は大きな玄関扉をくぐる。
吹き抜けの広い玄関ホールに入り、磨き抜かれた床や高い天井、見事な意匠が施された壁や天井の模様などを眺めた時、ルーゼとの結婚に父が小躍りして喜んだ理由が改めて分かる。
かつて私と父が住んでいた家とここはあまりにもかけ離れていた。
王都の屋敷は領地のそれより大きさや広さこそ劣るが、その分洗練された贅沢な造りで、ミュール家の潤沢な財力を象徴するものだった。
「はー、疲れた! やっぱり遠いわねー」
途中で宿屋などで休憩を挟んだとはいえ、3日間も馬車に揺られ続けてもうクタクタだった。
「今日はゆっくり休んで、明日から王都を見て回ろう」
「ええ! 私、買い物へ行きたいわ」
「そうだね……婚約の記念に、ドレスでも宝石でも何でも好きなものを買ってあげるからね」
「そういうのはいいから靴が欲しいわ! 走りやすい靴」
「靴? しかも走りやすい?」
「そう、かかとは低いけど底が厚くて衝撃を抑えるような靴!」
ルーゼは少し目を丸くして私の顔を見た後、美しい口元をほころばせて言った。
「……レティアは本当に変わっているね」
そうかしら? 普通に身体を動かすのが好きな十代の乙女なんだけど。
「そうそう、サジタリウスの診察は三日後に受ける予定だから。忘れないでね。
彼はとても多忙で、普通は診察を受けるまで数ヶ月待ちなんだけれど、ミュール家との古くから縁故で、特別に時間をとって貰う事が出来たんだ」
数ヶ月待ちか……そんなに凄いお医者さんなんだ。
少し期待しちゃうかも。
翌日、私はさっそく服屋へ行きジャージをイメージしながら無茶な注文をした。
それから靴屋へ行って、またスニーカーの特徴を並べた無茶な注文した。
両方、オーダーメイドで頼んだので、出来上がりがとても楽しみだ。
それでだいぶ時間を使って、気分転換に大きな公園を散策したあたりで、もう時刻は夕方近く。
「時間が経過するのは早いわねー」
「まだまだしばらくいるんだから、焦る事ないよ」
「うん」
移動中は馬車の中でも降りて歩く時でも、私達はずっと手を繋いでいた。
こうして二人で過ごしている分には、本当に時間が穏やかに流れて行く。
その晩、屋敷へ戻って夕食を終え、疲れたので早々にふかふかのベッドの中に潜り込むと、私は今後の王都での予定を楽しい気持ちで考えた。
シルクの寝巻きを着たルーゼもすぐにベッドへやってきて、背後から私を抱きしめながら、髪に顔を埋めてくる。
「王都は人が多くてどこに行ってもあなたを見る男性の目がうるさいね」
髪の香りを嗅ぐようにしながら、少し不愉快そうに愚痴る。
「ルーゼだって凄く女性の熱い視線を浴びていたじゃない」
「私は、レティアしか目に入ってないからいいんだよ。
各所から招待状が届いているけど、とてもあなたを連れて行く気にならないな」
「……私も集まりには出たくないわ」
何しろ魅了スキルに呪われいるし。
王都にはヒメネス公爵様もいるから、貴族の集まりに出かけたら会いそうでとっても気まずいのだ。
「安心してレティア。あなたがまた体調を悪くしたら困るから、健康上の理由で全てキャンセルする予定だ」
確かに婚約パーティーのようなことになりかねないし、会う人が多いというのはあまり良くないような気がする。
年頃のせいか、最近の自分の美しさは神がかかってきていて恐ろしい程なのだ。
正直、ロウルのような男性が現れ、また殺されそうになるのが怖い。
「レティア……あなたの身体はとてもしなやかで柔らかいね」
考え事をしていると、いつの間にかルーゼの手が服の上から私の身体を触っていることに気がついた。
「……っ!?」
「早く自分の物にしたくなっておかしくなりそうになる……お願いだから、地所へ帰ったらすぐに式をあげると言って……それまではなんとか我慢するから……」
言いながらうなじにキスして、ルーゼは私のあちこちを撫でまわす。
そうされていると背筋がゾクゾクしてきて、突如、逃げ出したい衝動が沸き起こり、悲鳴のように叫んでいた。
「止めてっ……ルーゼ!」
「レティア……っ」
弾かれたようにルーゼを突き飛ばし、ベッドの端まで這って逃げると、びくびくと身を縮めながら振り返る。
ルーゼは青冷め傷ついた顔で呆然とこちらを眺めていた。
自分があからさまな拒否反応を示した事実に気がつき、罪悪感に血の気が引く。
「……っ、ごめんなさい……」
「……私こそ……ごめんね、レティア」
お互い謝りあったものの、その後はとても気まずい雰囲気で、ルーゼはベッド上の可能な限り私から離れた位置で背中を向けて横になった。
私はといえばいまだ動揺に揺れている胸に、キスは受け入れられても肉体を求められる事には激しく抵抗を覚えている、自身の心と身体の状態を思い知る。
それは嫌でも自分の中に残っているライナスへの未練や想いを自覚させるものだった。
そんな感情は早く殺さないといけないのに。
そうでなければこの先はもっと辛くなる。
結婚すればルーゼとの夜の営みは避けられなくなるのだから。
他に想っている相手がいながら別の男性に抱かれるというのは、かなりきついものだろう。
たぶんライナスに想いが残っているうちはルーゼに求められてもまた拒んで傷つけてしまう。
死を回避する為にはあらゆる手段は取りたいけれど、問題は心が、それを拒否してしまうという点なのだ。
――翌日も昨夜の出来事を引きずって、私達の間の空気は微妙なものだった。
いつも向こうから手を繋いでくるルーゼが、今日は並んで歩いているだけで顔すら見てこない。
私は彼の素っ気ない態度に焦りを感じて泣きそうになる。
お願い見捨てないで、嫌いにならないで、こっちを向いて。
「ルーゼ……」
ついに焦燥感に耐え切れなくなり、馬車の中で私はルーゼにしがみつくように抱きついていた。
「レティア……?」
「ゆうべの事を怒っているの? もしそうならお願いだから許して……」
「……」
ルーゼは驚いた顔で私の顔を見た。
「怒る? 私が? 違うよ……レティア……。
私は自分の欲深さに落ち込んでいるんだ」
「欲深さ?」
今度は私が驚く番だった。
「最初は側で顔を見ているだけでも充分幸せだったのに、この頃の私は、あなたの全てを自分の物にしたくてたまらない……。
あなたを手に入れられただけでも奇跡で、もっと大切に慎重に扱わなくてはいけないのに……昨夜の欲望をおさえきれずあなたに怖い思いをさせた自分を恥じているんだ」
「ルーゼ……」
そんな風に思っていたんだ。
「レティア、わかって、私は決してあなたを汚したい訳では無いんだ。
ただあなたが愛しくて、求める心が強すぎて……自制が効かなくなる。
もうあなたを怖がらせるような事は二度としない誓うから、お願いだから私を嫌いにならないで……。
あなたに嫌われたら、もしも失ってしまったら、私は生きてゆけない。
――そうだ……分かっているんだ……! あなたは男性なら誰もが求めずにはいられない理想の女性なのだから、いかなる相手だって手に入れられる。
私よりももっと条件のいい相手だって、この王都に掃いて捨てるほどいて、いつ何時この腕からあなたを浚っていくかもしれない。
あなた無しでは生きられない私にとって、それは死の宣告に等しい。
だからお願い……レティア……昨夜の事を許して……」
熱く込みあがってくる思いがあって、私は彼の胸に顔を埋めた。
「ルーゼ……謝る事は無いし、絶対にあなたの事を嫌ったりしないわ……」
「レティア……改めて言う、どれぐらいでも待つ……私はあなたと一緒にいられるだけで充分幸せなんだ……」
「ルーゼ」
欲深いのはルーゼではなくこの私だ。
愛してもいないのに保身の為だけに彼の好意を利用している。
自分の事ばかりしか考えていない身勝手な女。
一方的に愛を与えられるだけで気持ちを返す事もしないのだから、いつか捨てられるのも当前だ。
もっと彼の愛に答え、愛し返せるように努力しなくては……。
たとえ彼の気持ちがいつか自分から離れていくとしても……今この瞬間注がれている愛は、真のものだと分かるから。
「……もう少しだけ待って欲しいの……きっとあなたの想いに応えてみせるから……もう少しだけ時間が必要なだけなの。
私にとってこそ、あなたは何よりも必要な人なの」
「レティア……」
「ルーゼお願いキスをして……そして私を抱いて……離さないで」
私の気持ちをもっと引き寄せて、あなたで満たして、心を浚って欲しい。
ライナスの事なんか忘れさせて欲しい。
「ああ……レティア……愛しているよ……あなたを離すものか……」
その後、馬車の中で私達はずっと抱き合い、唇を重ね続けた。
その唇の温もりは生命の温かさ。
私の残された命の時間そのものに思えた。
あくる日は、いよいよサジタリウスと会う日だった。
私はルーゼと手を繋ぎ、緊張と期待に胸をどきどきさせながら、自宅と診療所を兼ねているという建物の玄関扉前に立った。




