第十一話 「麗しの婚約者」
「婚約お披露目パーティー?」
「そうよ、レティア、ルーゼ。おめでたい事だから皆に祝って貰わなきゃ」
「出来ればそんな風に派手にして欲しくないわ」
父が再婚し、この地方へ引っ越して三ヶ月少し。
ロウルに首を絞められ、ヒメネス公爵に振られ、ライナスと恋をしかけて諦め、ルーゼと婚約。
あまりの急展開になかなか頭がついていけない私だった。
この上、婚約パーティーだなんて、とてもじゃないが気が進まない。
「ライザは女主人としての腕を奮いたいんだよ。
いいじゃないか、たくさんの人を呼んでもてなして大いに楽しんで貰おう。
私も最高の娘の婚約者殿をみんなに自慢したい気持ちでいっぱいだよ」
両親は私達の婚約を心から祝福してくれている、それは分かっている。
だけどリーネ登場後に解消される可能性が高い婚約を公で祝いたくない。
「ルーゼだって嫌よね? そんな風に騒がれるのは」
話題を振りながら、ルーゼに助けを求める視線を送る。
「どうして? 私は出来るだけ多くの者にあなたが私の物である事を知らしめたいよ。
二度とあなたに対し邪な感情を抱く男性が出てこないように」
独占欲にかルーゼのエメラルドの瞳が強い光を浮かべて輝く。
「ルーゼは老人から幼い子供まであらゆる年齢帯の女性に人気があるから、レティアもみんなに知らしめた方がいいわ」
ライザは楽しそうに笑って言った。
やはり婚約パーティーは避けられないようだった。
「レティア、浮かない顔だね」
広間のソファでぼんやりしていると、ルーゼが髪にキスをしながら、話しかけてきた。
婚約が決まって以来、私に対するルーゼのスキンシップが確実に増えている。
使用人に見られても平気になったので、どこでもここでも、ちゅっとキスで挨拶してくる。
「そんなにパーティーが嫌なの?」
「……ううん、そうじゃないの」
あまり沈んだ顔をしていたらルーゼに失礼だ。
「私は今夢のように幸せだよ。
少し前までは、あなたは私の物にはならないような気がしていたから。
婚約パーティーが終わったら王都にも行こう。
医者に診てもらうのもそうだけど、色々結婚の準備の買い物などもしようね」
「結婚準備?」
「婚約したら次は結婚でしょう?
私はなるべく早く式をあげたいと思っているけど、レティアは先の方がいいの?」
「だって、まだルーゼは15歳でしょう?」
「あと三ヶ月したら16歳になる」
「そんな焦って結婚しなくてもいいと思うわ。
婚約期間というのも楽しいものでしょう?」
だって、結婚している状態でルーゼがリーネと浮気したら不倫になってしまう。
「そうかな。新婚生活の方がずっと楽しそうだけど」
「私、19歳ぐらいで結婚したいわ」
「19歳? 偉く遠い設定だね」
「遠くないわ。三年なんてあっという間よ」
「私にはとても遠く感じるけれど?」
「……ううん、あっという間よ…」
小説の中のレティアは19歳の誕生日が過ぎてすぐに亡くなってしまうのだ。
ひょっとしたら私の余命は三年かもしれない。
残りの人生が三年間なのだとしたらあまりにも短すぎる。
一瞬、一瞬を大切に生きないとね……。
――憂鬱なイベントほどすぐにやってくる。
気がつくと、あっという間に婚約パーティーの当日になっていた。
蒼白のレティア……今日も鏡の中の私は酷く美しい。
この日の為にルーゼから贈られたドレスは深い青色で、極めて色白の私にはとても良く似合う。
娘らしい華やかな色より青が似合うなんて……死に近い自分のキャラクターを象徴しているかのようだった。
そう、その肌はあまりにも白すぎて、淡い金の髪と一緒に、空気に溶けて 消えていきそうだった。
儚い、儚い、夢のように。
「ルーゼ、そろそろ振り返ってもいいわ」
私はもう一人の自分の姿を鏡の中で見て以来、鏡恐怖症になっていた。
それで着替えている間も背中を向けた状態で、ルーゼに傍に立って貰っていたのだ。
くるりと向き直ったルーゼはすぐに感嘆と称賛の声をあげた。
「今日も言葉にならないぐらい綺麗だ……あなたはなぜこんなにも美しいの?」
「ルーゼだって、とても素敵よ」
丈の長い華やかな白地に金色の刺繍の入った衣装が、顔の甘さをより際立たせて、見惚れる程麗しい。
私達は仲睦まじく、腕を組んで会場である広間の中へ入って行き、さっそくあちこちから祝福の言葉を贈られる。
義母のライザが張り切って交流のある貴族や親戚全てに招待状を発送したのだ。
勿論、ライナスのいるデリア家にもそれは送られているだろう。
会場にいる多くの招待客の顔を見渡しながら、私の目は自然にライナスを探していた。
今日彼は来ているのだろうか?
私の婚約を知って今どんな気持ちでいるの?
そんな事ばかり考えてしまう。
今日だけではなく、幾ら考えないように心がけていても、普段のふとした瞬間に彼の事を思いだしては、胸がチクリと痛んでいた。
不思議な事にあんなに長い間好きだったヒメネス侯爵の事より、ライナスの事ばかり考えている自分に気づく。
今日も彼の事が気になってしょうがなかった。
そのせいかすっかり浮ついてしまって、ルーゼが何か話しかけてきた時も、言葉が耳に入っていなかった。
気がつくと、すでに彼はどこかに去っていて、一人で会場に立っていた。
「ルーゼ……?」
話を聞いていなかったから、当然、どこに行ったのかもわからない。
常に一緒にいる彼が傍にいないだけで、即座に胸が不安に覆われていく。
幾ら周囲を見回してもルーゼの姿が見当たらなかった。
広間にいないという事はテラスだろうか?
そう思って外に出てみると、そこにいたのは黒衣を着た際立って背が高い男性――ライナスだった。
「やあ……レティア。
今日の君も夢のように美しい」
彼は酒の入ったグラスを傾けながら、酔っているのか熱っぽい目で、私の方へと振り返った。
「ライナス……来てたのね……酔ってるの?」
「酔いたくもなる。そうだろうレティア?」
彼らしくも無い皮肉な調子の台詞だった。
「……ライナス……」
すぐに立ち去らないといけないのに、久しぶりに見た彼の魅力的な容姿に、思わず目が吸いつけられてしまう。
「なぜ、俺をそんな瞳で見つめる?
また勘違いさせたいのか?」
言われて、ハッと、目を逸らす。
それを許さないとでも言うように、ライナスの手が伸びて、私の顔を強引に自分の方へと向かせた。
「あ……っ!」
目の前のライナスのきりりとした顔に、とたんに胸が早鐘を打ち出す。
「どうした? こんな青い顔をして……。
あの日の君の顔も蒼ざめていたね……愛しいレティア。
……俺は今でも思い出してしまう。
あの夜、君は何かに怯え、恐ろしい物を見るように、ルーゼを見ていた。
なぜあんなに怖がっていた?
君は本当に、ルーゼを愛して婚約するのか?」
「……なっ!?」
ライナスの青い瞳が私の心の内を探るように見つめてくる。
「俺は君が好きだ」
「……!?」
「君を心から守りたいし、守ってみせる。
だから何か理由があって、愛してもいない男性と結婚をしなくてはいけないなら、真実を打ち明け、俺を頼って欲しい」
「……真実なんてないわ……何も分かっていないのに……変な事を言わないで……」
否定する声が動揺に震えてしまう。
あなたを必死に忘れようと、諦めようとしているのに、なぜそんな風に心を揺らすの?
「ああ……そうさ、分からない!
分かっているのは、今俺を見ている君の目が、とても艶っぽく潤んでいるという事だけだ。
今こうしている瞬間も、君は俺を求めているように見える!」
「違う……そんな事ありえない!」
私は必死にかぶりを振って否定する。
止めて! お願いだから私の心を貴方へと引き戻さないで……!
そう願う一方で、強く思ってしまう。
どうせ、ルーゼとこのままいても、死んでしまうかもしれないのだったら、心のままにライナスを求めて、殺される方がずっとマシではないかと!
「違わない……君とあの日、木の下で口づけした時、確かにお互いの魂が強く惹かれあうのを感じた。
君は俺にとって運命の女性だ!
君は何も感じなかったというのか?」
「ライナス……!?」
私だってあなたと口づけした時に、今まで感じた事のない感覚を覚えた。
あなたが運命の人のように思えた!
そんな磁石のように引かれる思いが止められなくて、彼の方へ手を差し伸ばしかけた――その時だった――
「あっ……!?」
視界がぐわんと歪み、激しいめまいに襲われる。
頭を両手で抑えて、とっさによろめいた。
「レティア……?」
波打つような頭痛に合わせて、どんどん視界が暗く閉じていき、胸に恐怖と混乱が広がっていく。
――このままではまた悪夢に掴まってしまう!
「いやっ!」
まるで死ぬ時のように視界が闇に落ちていくのを止められない。
「一体、どうしたんだ?!」
間近から焦ったライナスの声が聞こえる。
もう目の前の彼の顔もすっかり見えなくなっていた。
だけど私を救うのは彼ではないのだ。
「ルーゼ! どこなの!」
暗闇の中で手を伸ばし、必死に名前を叫ぶ。
私を唯一救ってくれる、義弟にして婚約者の名を……。
「ルーゼ、助けて!!」
喉が張り裂けんばかりの声を上げて助けを求めていた。
やっぱりルーゼがいないと私は駄目なのだ!
頭の中を酷いショックと激痛が駆け巡っている。
「レティア、そこにいるの?」
何度も大声で呼んだ後、やっとルーゼの声がして、身体を強く抱きしめられた。
「ルーゼ……来てくれたの?」
「レティア! どうしたの? 何があったの?」
抱擁されるとともに、突然、視界がスーッと明るく開けてきて……目の前で不安そうに揺れるエメラルド色の瞳が見えた。
「どこに……行っていたのルーゼ……とても探したの……」
唇がわななき、涙が止め処なく溢れ流れ落ちる。
石を飲み込んだみたいに胸の中が苦しくて呼吸もおぼつかない。
「ごめん……一人にして……姉さん許して……」
ルーゼはそう言うと、いっそう強く身体を抱き直してくれた。
それからキッとライナスを睨みあげる。
「ライナス、レティアに何をしたんだ!?」
慌てて私はルーゼの勘違いを否定する。
「……違う……ライナスは、何もしてないの……!
……ルーゼお願いだから、手を握って……」
「ああ……分かったレティア」
ルーゼは頷くと、私の手をしっかりと掴んで、指先に唇を押し当ててきた。
すると胸の苦しみも次第に癒えて、恐怖もやわらいでいくようだった。
「ルーゼ、レティアはどうしてしまったんだ?」
ライナスがかすれた声で問う。
「どうしたもこうしたもない! あなたの従兄弟に殺されかかってから、すっかりレティアはおかしくなってしまったんだ!」
ルーゼの声は怒りに満ちていた。
「ごめんねレティア、たくさんの人に会うのは、あなたにはまだ早かったんだね」
「……そうか……本当に済まなかったレティア……」
苦しそうなライナスの表情と声。
……お願い、そんな辛そうな顔をしないで……。
「……あなたのせいじゃない」
こうして力なくルーゼの腕に抱かれている今もなお、ライナスの顔を見ているだけで、愛しさが募ってくるようだった。
今夜の彼の愛の告白だってどんなに嬉しかった事か。
だけどもう二度とこの想いを伝えようとは思わない。
ずっと一緒にいたから分からなかった。
ルーゼと離れただけで――目も見えなくなるぐらい自分が悪化しているだなんて。
そうして今はっきりと分かった。
小説の中のレティアも間違いなく同じだったのだと。
誰を愛そうと何を望もうと同じ。
ルーゼ以外に縋る事などは決して許されなかったのだ……!!




