第十話 「未来を見る乙女」
『ルーゼ、あなたまで去ってしまった……私はもう一人ぼっち……』
映像の中の自分は確かにそう呟いていた。
一人ぼっちで自分で死ぬのと、誰かに殺されるのなら、一体どちらがマシなのだろう。
「姉さん、大丈夫?
まだ顔色がとても悪い」
絶叫した後、酷いめまいに襲われて倒れこんだ私を、ルーゼがベッドへ寝かせて、つきっきりで看病してくれていた。
ショックでまだ動悸がおかしくて、息苦しく、頭の中が重くどんよりしている。
私の陰鬱な気持ちを反映するように、窓を見ると外は雨模様だった。
こんな弱気なのは私らしくないのに、自然にぽたぽたと涙が零れ落ちてしまう。
なぜなのだろう。
なぜ自分は死ぬのだろう。
考えてみると、ここまでであきらかにおかしい部分があった。
この世界と小説記述との違和感というか。
たとえば自分のこの性格。
実は、前世の記憶を思い出す前とそんなには変わってはいない筈なのだ。
そりゃあ、多少がさつになったり、身体を動かすのが好きになったり、気が多くなったのは認めるけれど。
元々の私も小説に書いてあるように破滅願望があったり、神経質だったりはしなかった。
容姿以外は普通の貧乏男爵令嬢だったのだ。
そう考えると、何か『神経質』になる理由があったのではないだろうか。
その理由として思いつくのはただ一つだけだった。
(小説の中の私もこの予知能力を得ていて、自分が死ぬ運命を見せられていた?)
そう、この能力が前世を思い出した私だけの物ではなく、レティア固有のものであるなら説明がつく。
小説に記述が無かっただけで、レティアもリーネと同じように、不思議な力を持つ人物だったのだろう。
その能力が出現したのが私が前世の記憶を思い出したのと同じタイミング、ロウルに首を絞められた瞬間である可能性は高い。
そんな状況では神経質になるのも無理もないことだ。
破滅願望というよりも自分が破滅する様子を絶えず予知で見せられていた。
だから小説の中のレティアは神経質で一緒にいても気の休まらない状態だった。
実際この私も、このまま不吉な映像を見続けたら、いつか自分は正気を失ってしまうのではないだろうかと心配になっている。
正直、それが今、一番怖い。
けれど、予知能力があるという事は、死を回避するヒントを得られるという側面もある。
心折れさえしなければ希望は絶対にある。
そう信じたい。
だから諦めずに助かる道を考えよう。
今まで見た映像にもヒントがある筈だ。
ヒメネス公爵といる時見たのは、屋内で自分が床に転がっている映像。
ライナスと一緒にいる時に見たのは、湖でダランとした私を誰かが横抱きにしているところ。
一人でいる時に見たのは、湖で入水自殺する映像。
今のところ分かっているのは、ルーゼと一緒にいる時にはまだ映像を見てないという事だけだ。
その理由は、彼を選ぶ事が唯一死を回避出来る選択肢、だと解釈していたのだが、違うのだろうか?
まだ何かが足りない?
一緒にいるだけでは……。
ひょっとして私がルーゼを愛していないから?
愛したら運命が変わってしまったりするのだろうか。
しかし小説の中の私はルーゼを深く愛していたのに、やはり捨てられて自殺した。
――でも、果たしてそれは本当なのだろうか?
小説の記述でレティアの心情を直接描写した箇所はなく、全て彼女の言動と行動から推測される事実だけだった。
(レティアがもしもルーゼを愛していなかったとしたら?)
……なんて、推測に推測を重ねていってもキリがない。
今出来る事は、一つだけだ。
自殺するぐらい精神を病まないように気をつける、それに尽きる。
その為に、ルーゼと一緒にいる時はあの映像を見なくて済むのならなるべく彼と一緒にいよう。
そう思いつつ、ベッドの傍らにいるルーゼに目を向ける。
彼は真剣に分厚い本を読みながら、たまに蜂蜜色のやわらかな髪が目元にかかっては、うるさそうにかきあげてページを捲っている。
「ねえ、ルーゼ」
「なあに、姉さん」
「夜も一緒に眠ったりできない?」
「えっ?」
本から顔を上げ。エメラルドの瞳を大きく見開いて、ルーゼが私の顔を凝視してきた。
「駄目かしら?」
「それって……」
義弟の耳元がみるみる赤く染まっていく。
わ、また勘違いさせてしまっている。言い方が悪かったか……。
「添い寝して欲しいの……首を絞められてから、さっきみたいな怖い幻覚を見る事が多いから、一人でいたくないの」
「……そうか……そういう事か……」
ルーゼは少し残念そうな顔をしたあと、形のいい唇に指を当てて考え込んだ。
「やっぱり無理?」
「いや、ただ、両親や使用人の目があるから、さすがに夜も一緒に過ごすとなると、このままの関係だとまずいんだ」
「このままの関係?」
「うん、せめて婚約しないと……」
「婚約!」
私はその単語に驚きの声をあげた。
「私は、姉さんが……レティアが合意してくれるなら、すぐに婚約したいと思っているよ」
つまり、私の気持ち次第?
婚約って、解消可能だったりするんだろうか?
その疑問を直接ルーゼに質問するのも失礼な話だし……どうしよう……凄く悩む。
ルーゼと一緒に居てもこれから幻覚を見てしまう可能性だってあるし……。
「うーん」
「そんなに悩まないで……。取りあえず、しばらくは、皆が寝静まってから、こっそり部屋にしのんで来るよ」
「本当?」
そっか、そうしてくれるなら、それでしばらく様子見をしてから決めればいいんだ!
「姉さんに怖い思いはさせたくないもの」
ルーゼったら優しすぎる!
いつぞやは顔を見ただけで死神だと怖かったものだけれど、今のルーゼは天使そのものに見える。
私は思わず起き上がって、彼の片手をぎゅっと握り締める。
「ありがとう、ルーゼ!」
「いいんだよ……レティア」
すっかり気力を得た私は上体を起こしたまま、ルーゼの読んでいる本を覗き込んだ。
「ところで、さっきからずっと何を読んでいるの?」
「ああ……これは医学書だよ」
「医学書?」
「あなたの身体の調子が悪いみたいだから、心配で色々調べていたんだ」
「そっか……でも私の調子が悪いのは身体というより、精神的なものが原因だと思うから……」
「本当に? どこか身体に痛いところとかない?」
「ちょっと、頭が重かったり痛かったりするような気はするけど、色々考えすぎているせいだと思うから」
「一度、医者に診て貰おうか?
この辺の医者よりも、王都に古くからミュール家が診て貰っている高名な医師がいるから、一度受診しよう。
たぶん精神的な病でも相談に乗ってくれると思う」
「精神的な病!」
これは予知能力的なもので、たぶん自分の精神は正常だと信じたいんだけど。
でも素人なので幻覚を見る理由が、精神異常ではないとは否定しきれない。
「ロウルの一件があって以来、あなたの様子がとてもおかしいから、心配なんだ……」
心から私の事を心配していると感じられる真摯な眼差しと言葉を受けて、胸がジーンと熱くなる。
「ありがとうルーゼ……そういう事なら、相談だけでもしてみようかな」
「そうだね……できるだけ早く王都へ行こう。
サジタリウスという医師なんだけれども、彼は多忙な人なんで、こんな田舎に呼びつける訳にはいかないんだ」
「王都かー、懐かしい!」
三ヶ月弱前までは住んでいたのよね。
「落ち着いたら王都にある屋敷へ移動しよう」
「うんわかったわ、ルーゼ! お医者さんに診てもらったあとは帰って来れるのよね?」
「それは勿論だよ……ここが私たちの家だもの」
――その夜、さっそく約束通り、ルーゼは皆が寝静まった後、私の寝室にしのんで来た。
シルクの寝巻きを着たルーゼを目の前にして、一緒のベッドで眠るという行為に対して、なんだか異様にドキマギしてしまう。
「あまり身体をくっつけないでね、姉さん」
一緒にベッドに入ってすぐ、ルーゼが私に頼みこんできた。
「なんで?」
一応質問してみる。
「私も男だからだよ……好きな人と一緒に寝ていて、何もしないのはかなり辛い事なんだ」
発言の意味を理解して、かーっと思わず顔が火照ってくる。
「わかった。な、なるべく離れて寝るね」
「そうしてくれると助かるよ……もしくっついてきたら、合意とみなして、あなたを抱いてしまうからね」
だ、抱く!
天使のように清らかな様子のルーゼの口からそんな言葉をきくなんて!
私はベッドの上で思わず身もだえしてしまう。
「まあ……姉さんがその気になれば、婚約を飛び越えて結婚すればいいんだし。
その気になったらすぐに、合図変わりに抱きついて教えてくれるといいよ……じゃあおやすみ」
「おやすみ、ルーゼ」
やがて隣で横になったルーゼが健やかな寝息を立てだした。
どうやら彼は寝つきがいいタイプみたい。
逆に私の方がその天使のように美しい寝姿を見て、心臓が高鳴ってなかなか眠れなかったという事は、ルーゼには絶対秘密にしておこう……。
とにかく、ルーゼの添い寝のおかげだろう。
ほぼ24時間彼といるおかげか、その日から私はしばらく不吉な映像を見る事は無くなった。
というわけで、そちらの面ではとても良かったのだが――ところが今度は別の問題が起きてしまった。
なんと、とうとうある日、私達が一緒に寝ている事実を両親に知られてしまったのだ。
「レティア、どういうつもりだ? 使用人からその事実を聞いて、私はとても恥ずかしく思ったよ!」
バレた当日、即行で私とルーゼはお父様の部屋に呼ばれて、お小言を頂く事となった。
「ごめんなさい……お父様」
「ミルゼ男爵、レティアを責めないで、私が悪かったのです。
きちんと婚約なり結婚を先にするべきでした」
「ルーゼは何も悪くないの!」
ここは力いっぱい否定しておかなくては。
「まあ……いい、こうなってしまっては、ルーゼ君に責任を取って貰って、婚約後、結婚するしかない。
とにかく人の口には戸は立てられない。こうして使用人達にお前達の関係が知られてしまっている以上は、他の選択をする余地はない」
そっ、そんな……っ!?
関係たって、まだキスぐらいしかしていないのに!
「分かりました」
し、しかもっ、ルーゼ、即答!
「レティアも分かったね?」
父があらかじめ答えが一つしかない問いかけをして、厳しい表情をこちらに向けてくる。
「はい……ルーゼと婚約します……」
もう神妙に頷くしか選択肢がない。
「取りあえず、おめでとうを言わせて貰うよ、レティア。
家族だから候補から除外していたが、ライナス君以外ではルーゼ君は最高の結婚相手だ」
ミュール家は古くから続く裕福な名門の伯爵家で、充分玉の輿だったから、そう言う父の目はキラキラと輝いていた。
――かくして私、レティア・ミルゼと、ルーゼ・ミュールの婚約がその日正式に成立した――




