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ぶっ飛んでるコメディー

彼女がトランクスをかぶった日

作者: 腹黒ツバメ


 小野島(おのしま)為美(なすみ)、高校二年生。たった今、あたしは危機感を覚えていた。自身を取り巻く現状に。居心地の悪すぎる世界に。




〈彼女がトランクスをかぶった日〉




 ――生まれてから十七年間、我ながら好き勝手やってきたと思う。

 兄がいたせいか男子と殴り合いの喧嘩なんて日常茶飯事で、小学生の頃から揉め事ばかり起こしてきた。両親に幾度となく頭を下げさせ、それでも反省することをほとんど知らないまま、今日までこうして生きている。誇れることではないが、高校に上がってからはアレを飲んだりソレを吸ったりもした。コーラの方が断然美味しかったけれど、無駄な見栄を張って。

 当然学校の成績がいいはずもなく、元来の目つきの悪さも合わさって、あたしは周囲から不良女だと認識されている。いや、実際にそれは正しい。

 将来の夢はお嫁さん――とか寝言を吐いた経験もない。男が度胸なら女も度胸、誰かに頼って甘えるだけの人生なんてクソ喰らえだ。

 そんな、硬派でカブキモノなあたしの目下の悩みが――


「やっぱり駄目だ……こんな服じゃ……!」


 そう、ファッションだ。

 部屋の姿見には、水色無地のポロシャツとジーパンという、ダサさを極限まで追求したような格好の女子高生が映っている。……これでも精一杯の外出着なのだが。

 思い返せば、今まで半端に一匹狼を気取ってきたせいで、友人と服を買いにいったこともなかった。自前の私服はほぼお母さんが近所のユニクロとかで見繕ってくれたものだ。

 中学時代までは、普通に生活する中でそれを疑問に思うことも、困ることもなかった。

 しかし、最近は同級生の女子だけでなく男子までもが服だ靴だアクセサリーだとお洒落の話題に花を咲かせて、自分を着飾ってははしゃいでいる。

 ……べ、別に流行に乗っかるつもりはない。それでも己のダサさを自覚すると、途端に恥ずかしくなるものだ。目を閉じれば、周囲があたしの滑稽な服装を指差して嘲う光景が容易に思い浮かぶ。

 そんなのは嫌だ。手遅れになる前に、ファッションのなんたるかを学び、実践に移さなければ。

 そこで近所に住むマブダチの京子(きょうこ)(小学三年生)に尋ねたところ、すこぶる有力な情報を得ることができた。いわく、


「いーい? ナスミちゃん、今どきのファッションの極意はズバリ“違和感”よ! みんなと同じ格好したってダメ。お洒落するからには注目を浴びなきゃ意味がないの。とにかく誰もが振り向くくらいのインパクトが大事なんだよ!」


 言いながら京子はどこか自慢げな面持ちで、首元に巻いた真紅のマフラーを見せつけるように指先でいじった。確かにそれは幼い京子に似合っているかはともかく、人目を惹くには充分な派手さを備えていた。

 この“違和感”こそが彼女によれば重要らしい。

 しかし、参考にしようにもあたしの手持ちの服はどれも地味で演出不足だ。

 頭を抱えて苦悩すること数分――あたしは階下から“あるもの”を持ち出して部屋に戻った。

 息を呑む。今、右手に握り締めたそれは、間違いなく京子から教わったファッションの極意に合致している。しかしこれが本当にお洒落と呼べるのか、経験の乏しいあたしには判断がつかなかった。

「……えぇい! 女は度胸だ!」

 叫んで自分を鼓舞する。そして深呼吸を重ねてから、意を決して――


 お父さんのパンツを頭にかぶった。


 恐る恐る姿見を確認する。

 そこには紅白の縦縞トランクスがあたしの眉から上を覆って、形容しがたい存在感を放っていた。

 鏡に映った自分としばし睨み合い、そしてあたしはある確信を得た。

 ――間違いない、このトランクス帽子は仰天するくらいお洒落だと。

「おぉ……」

 意図せず感嘆の吐息が漏れる。

 違和感とインパクトを兼ね備え、それでいてこんな奇抜なパンツの活用法は他に類を見ない。完全にあたし独自の発想、縁がなかっただけで、実はあたしの中にはファッションの鬼が眠っていたのかもしれない。

 これで野外を歩くことへの羞恥心は当然ある。なにせパンツだ。それも父親の。

 ――が、決して一筋縄ではいかないファッションの道に手を染めると決心した以上、そんな弱気な感情で及び腰になっては女がすたる。

 この格好ならばきっと、往来を我がもの顔で闊歩する同年代の間でも充分に通用するはずだ。――早速試しに散歩でもいってみようか。

 お洒落を楽しむという初めての感覚に胸躍らせて、あたしは弾む足取りで玄関を駆け抜けた。




 お披露目は隣町で決行することにした。

 服装そのものに問題がなくとも、人々の視線に上手く対応できなければ台無しだ。本命である友人たちよりも、まずは見知らぬ他人で注目を浴びることに慣れておきたい。

 お父さんのトランクスを学校指定のバッグに忍ばせ、緊張の面持ちで電車に揺られること数分――

 改札に降り立ったあたしは人通りの多い駅前で、満を持して再びパンツを頭部に装着した。

 瞬間、周りの喧騒が一際大きくなり、こちらに集中するのを全身に感じる。癖になりそうな悦楽。武道館ライブ中のミュージシャンも、きっとこんな気分なのだろう。

 あたしは向けられた熱視線に応えるように、テレビで見たモデル歩きの真似事をしてみた。心なしか注目がさらに強まった気がして、背筋がゾクゾクしてくる。

 おお、たまらない。身も蓋もない表現だが、自己顕示欲を満たすのにファッションという手段は最高だ。無難に済ましたかっただけのはずが、すっかり夢中になってしまっている。

 その後も積極的に人通りの絶えない道を選んで街を練り歩く。やはり至るところであたし自慢のトランクス帽子は周囲の目を釘づけにして、このスタイルは間違っていないのだと確信が深まった。

 調子に乗ってすれ違ったサラリーマン風の男性にウィンクをお見舞いしてみたりして――ふと、不穏な気配を感じてあたしは振り返った。


 そこには、足早にこちらへと接近してくる警察官の姿があった。


 脳よりも早く本能が警鐘を鳴らす。即座にあの男の目的は自分だと察する。

 不良をやって長いあたしは、深夜に補導されるのは数えきれないほど経験してきたし、暴力沙汰で一晩を警官と越したこともあった。きっとあたしの顔と悪名がこの隣町でも知れ渡っているのだろう。

 ――さて、せっかくお洒落に着飾ったのに、サツとデートなんて興醒めだ。ならば……

 あたしはその警官から逃げるように素早く駆け出した。

 ちらと後ろを確認すると、急な逃走に驚いたのか慌てた表情でこちらに手を伸ばす男。

「あっ! ま、待て!」

 そう言われて誰が素直に待つものか。叫び声を無視してあたしはガムシャラに走った。頭上でパンツが風にはためきバタバタと激しく音を立てる。

「きみ、聞こえているなら止まりなさい!」

 予想以上にその警官はしつこかった。もう十数分は全力疾走を続けているが、一向に諦めてくれる様子はなく、激しい足音は次第に近づいてきていた。

 真昼の逃走劇を繰り広げるあたしたちに奇異の眼差しが集まる――が、違う。求めていた注目はそれではないのだ。

 このままでは埒が明かないと、あたしは息を切らしながら怒鳴った。

「どうして追っかけてくんのよ!? 今は別に悪いことなんかしてないでしょ!」

「そういう問題ではない!」

 駄目だ、聞く耳を持とうとしない。

 やはりあたしのような不良の言葉は信用に値しないと考えているのだろう。癪に障るが、残念ながらそれに抗議する余裕はなかった。

 走力ではあちらに軍配が上がるし、どこかに隠れてやり過ごそうにもこの周辺の道には明るくない。捕まるのは時間の問題だろう。

 脇腹に痛みを覚え始めた頃、眼前にT字路が見えた。

 左右どちらに曲がるか逡巡し――そこで妙案が脳裏に浮かんだ。

 あの警官は恐らくあたしの顔を見て有名な不良だと判断して追ってきた。だとすれば、その顔さえ覆い隠してしまえば、強引にあたしを捕まえることは不可能なのではないか。

「……いける!」

 我ながら完璧な作戦に、思わず舌舐めずり。

 あとは行動あるのみだ。あたしは素早く右側の角に飛び込み、すぐに立ち止まる。

 そして迫る追手の足音を鼓膜に捉えつつ、頭のトランクスをすっぽりと顔面にかぶせた。

「ようやく観念したか! もう逃げられな――」

 直後、追いついてきた警官が大声を上げかけて硬直する。ごく自然な動作であたしはそちらに向き直るが、布地が邪魔で相手の姿は見えない。

 とはいえ彼が愕然としているのは想像に難くない。なにせ巷で話題の不良を追っていたはずが、そこにいたのはトランクスをかぶった女だったのだから。

 向こうから切り出す気はないのか、それとも想定外の事態に言葉が出ないのか、しばし無言で睨み合う(あたしは正面が見えていないが)。

 その間にあたしは浅く息をつき、いざ声色を変えて沈黙を切り裂いた。

「あなたが追っていた人なら、この奥の方に走り去っていきましたよ」

 よし、これで警官はあたしの傍から消えるはずだ。

 どうにか難を乗り越えたと内心で安堵していると、不意に警官は一度咳払いをして――

「え」

 ――がしり、とあたしの手首を掴んだ。

 狼狽して振り払おうとするが、力強く握られた拳は微動だにしない。胸を突き飛ばしても、やはり状況は依然として変わらなかった。

 そしてあたしは、まるで試合に敗れた覆面レスラーのように、無造作に頭のトランクスを剥ぎ取られた。

「あっ!」

 すかさず奪い返すが、素顔を見られては仕方がない。諦めて自由な方の左手で、それを後生大事に抱き締める。開けた視界に映った強面の警官を負けじと眼光で刺す。

 ……それにしても、さすがに理不尽すぎやしないか。ただ不良だからというだけでここまでの迫害を、屈辱を受け……いい加減にしろ! もう堪忍袋の緒が切れた。

「離せよ! この野郎……いくら札つきのワルが相手だからって、お偉い警察サマが好き勝手していいと思ってんのかよ!? 馬っ鹿じゃないの!?」

「……どこをどう勘違いしているか知らないが――」

 あたしの迫真の訴えに、警官は呆れたように嘆息する――溜息が出そうなのはこっちだというのに――と、極めて事務的な、平板な口調で言った。


「ついさっき、男物のパンツを頭にかぶった不審者がいるとの通報があった」


「……は?」

 思わず腹の奥底から疑問符がこぼれ出た。あたしが……不審者?

 驚きに口をぱくぱくと開閉するが、上手く声が出てこない。ようやく絞り出した言葉にも、直前のような覇気は籠もらなかった。

「だ、だってアンタ、あたしが有名な不良だから追ってきたんじゃ……」

「不良? さっきから意味不明なことを。トランクスをかぶるような胡散くさい輩がいれば、治安を守る警察官としては職務質問をしようとするのが当然だろう」

「違う……! これはお洒落で……」

「はぁ? その変態チックな格好が?」

 がつん、と後頭部を思い切り殴られたような衝撃。彼の情け容赦ない罵倒で、ようやくすべてを正しく理解した。

 この警官に追われた原因だけじゃない、トランクスをかぶった自分が注目を浴びた理由、その眼差しに籠められた感情の正体に――

 遅すぎた後悔と、なにより羞恥心で身体中が熱くなる。耳の端まで真っ赤に染まる。

 強く固められた両方の拳がぷるぷると震え、

「おい、大丈夫か――ぐおぅ!」

 心配そうにあたしの顔を覗き込んだ警官の頬に渾身のストレートを叩き込み、あたしは脱兎のごとくその場から逃げ出した。握り締めていた縦縞のトランクスを放り投げて

「んもおぉぉぉぉ! あたしの馬鹿あぁぁぁぁぁぁ!」




 ★




 それからしばらくの間、傷心を癒すため自分の部屋に引き籠もった。

 幸い春休みの時期だったため学校もなく、両親に少し心配される程度で、周囲にはさほど怪訝に思われることもなかった。

 新学期が始まる時分には、どうにか精神も回復して、人前に出ても特に問題はなくなっていた。それ以前は、他人の視線に触れる度に例の記憶が蘇って悶絶していたというのに。

 もうファッションなんて生涯手を出すものか。毒づきながら数週間ぶりに袖を通した制服は、かけがえのない安心感を与えてくれた。

 今日は進級しての登校初日。あの事件はもう青春の一ページから削除して、新たな日々のために教室の扉を開く。


 ――開いた口が塞がらなかった。


「あ、ナスミちゃんおはよー。久しぶりだね」

 変わったばかりの教室へ足を踏み入れたあたしに軽く挨拶をかけた級友の頭には、トランクスがかぶさっていた。


「な、なにそれ……」

 唖然として震える手で級友の頭頂部を指差すと、彼女はからからと笑って辺りを見回した。

「えぇー? ナスミちゃん知らないの? もうみんなトランクスかぶってるよ」

 確かにその言葉の通り、教室内で各々の会話に華を咲かせる生徒たちは、男女問わずみなが頭に男性もののトランクスを装備していた。

 まるで別世界のようなおぞましい光景に混乱するあたしに気づかず、さっきの級友は食い気味に説明してくれる。

「この帽子トランクス、なんでも最初は隣町の女の人がやってたらしいよ。それが日本全国で話題を呼んで、いつの間にかファッション雑誌で特集組まれるくらいに流行したんだ。隣町で先駆けになった当の本人は行方が知れないんだけど……そういう最先端になれる人ってすごいよねぇ。憧れちゃうなぁ――」

 もうそれ以降の台詞は頭に入ってこなかった。

 どう反応していいかわからず、そして未だこれが現実だと理解できず「はは……」と乾いた笑いが漏れる。むしろ、笑うしかできなかった。

 誰も彼もがトランクスをかぶった地獄絵図のような、あたしのトラウマを抉るこの状況に頭痛を覚えて、あたしは膝から床に崩れ落ちた。







 読んでいただきありがとうございます!


 ファッションって難しいですよね。最近は特に。

「着物にブーツ」とか「男性がスカートを穿く」とか聞いたこともありますが、それは私が無知なだけで広く普及してたりするんでしょうか?

 いずれ本当にパンツをかぶるのが流行する日がくるかもしれませんが、どうせなら女性ものがいいですね。


 ……たとえばの話ね! 別にかぶりたいわけじゃないですよ!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 思わず笑ってしまいました。
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