世界と体感
「暑い……」
茹だる様な暑さの中、和久が呟く。
「うん……」
暑ければエアコンをつけていた生活とは違い、身体を冷やすものと言えば風か水。
さすがに体が慣れておらず、2人とも川沿いの風通しが良い木陰で休んでいた。
「かき氷……食いたいな……」
「冬じゃなきゃ無理だね……」
「アイスとかも……」
「……牛乳や生クリームがないから無理だね」
「夢物語だな……」
「そうだね……」
口を開けばお互いに暑いしか言わない。
一応手元には電池で動く扇風機もあったが、それほど涼しさを感じられるものでもない。
「暑い……ちょっと川で水浴びてくる」
耐えきれなかったのか、そういうと瑞希は川に向かって駆けだしていく。
タンクトップにデニムショートパンツという格好のまま川へ飛び込み水の冷たさを味わう。
太陽が川の水に反射して、きらきらと光って眩しい。
目を細めながらも和久の視線は瑞希を追う。
それを眺めながら傍にある携帯電話で音楽を流す。
携帯電話は手動で充電するタイプのものを使用している。
徐々に電池の減りは早くなっているものの、現在不具合も無く使用出来ている。
そこから瑞希と和久の携帯にそれぞれ入っている音楽を流し、ゆっくりと寛ぐ。
瑞希は足先から徐々に川へと入っていき、あっという間に腰までつかる。
空気の暑さと川の冷たさがギャップとなり、一瞬全身に鳥肌が立つ。
それさえも血が沸騰してしまいそうな暑さの中では丁度いい。
風が川の冷たさを纏って身体を撫でるのが気持ちいい。
少し離れた所から和久が流した音楽が聞こえてくる。
アップテンポな曲が軽やかに流れてきて気持ちも上がってくる。
人が消えても地球はまわり続けるし、太陽もうごき続ける。
雨が降って川が流れて、雲も流れる。
けれどそこには魚もいなければ鳥もいない。
虫もいなければ動物もいない。
この1年、本来あるべき姿に戻ろうとしていく地球の力を、肌で、目で、口で、指先で、足先で、身体全体で2人は感じてきた。
ふと、瑞希が視界の端になにかちらちらと動くものを捕えた。
そちらの方を向けば何もなく、初めは影か何かかと首を傾げたが遮るものも何もない河原ではありえない。
どこに居てもちらちらと動き、それは踊っているようにも立っているようにも、座っているようにも見えた。
それを見つけてから、ぶわりと全身に鳥肌が立つ。
川に入ったときに出たのとは違う、全身を匿うかのような鳥肌の立ち方に瑞希は身震いをする。
右端の方にその存在があれば、徐々にそちらに視線を移していく。
ほんの少しずつ、眼球を右に寄せてそれを確認しようとする。
しかし、いつの間にかそれは左の視界にいる。
たらりと全身から汗が噴き出る。
身体を伝う汗は暑さのせいではないようだ。
何か分からないそれが一層と恐怖を掻き立てる。
和久に伝えるべきか。
いや、自分の見間違えかもしれない。幻覚かもしれない。
余計な心配を煽る必要はない。
「――ハッハッハッハッハ……」
無意識に呼吸が荒くなり、肩で息をする。
自分は壊れてしまったのだろうか、精神がおかしくなってきたのだろうか。
それならば私は和久と一緒にいていいのだろうか、いきなり襲いかかる様な事をしてしまわないだろうか……。
いっそ居なくなった方が……。
それとも――。
「――き?――ずき?……瑞希!」
遠くから和久が呼ぶ声で我にかえる。
何を考えていたんだろうか、自分は。
瑞希は自分を叱責して和久の方へ振りかえる。
「どうしたの?」
太陽が瑞希の背にある為、和久は手で庇を作って見ている。
「いや、ここから見ててしんどそうだったから」
「ああ、はしゃぎ過ぎて息が上がってたみたい。もう大丈夫だよ、ありがとう」
無用な心配はかけるべきではない。自分の行動を振り返り反省する。
気付けば視界の端には何もなく、瑞希は気のせいだったのだと思い込むことにした。
「そろそろかえろっか」
そう言って濡れた身体をバスタオルでふく。
「そうだな」
両手を上にあげ大きく伸びをした後和久は立ちあがり車へと向かう。
そのまま2人は乗り込み、家へと帰っていった。
誰もいなくなった河原はまた静かになり、水の音と葉の擦れる音だけが聞こえる。
瑞希の忘れていったペットボトルから長い影が伸び、2人に向かって手を振っていた。
それに気付く人間がいるはずもなく、2人の気付かぬ所で世界はゆっくりと動きだす。