世界と恐怖
寝苦しい夜、2人は布団を並べて休んでいた。
枕元にはホームセンターで持ってきたLEDランタン。
電池が無くても手動で発電出来る優れものだ。
「ねえ、瑞希さん。明日はどこに行こうか」
ぼんやりとした明かりに照らされる和久の横顔を見て、質問をする。
「そうだね、どうしようか。今日は街の人が多く居た所に行ったけど、誰もいなかったしね。」
起き上がり、和久の方に体を向ける。
「他の街に行ってみる?」
和久が提案する。
この街には誰もいないかもしれない、2人はそう思っていた。
「そうだね、夜になったらこっちに戻ってくればいいし」
「ううん、戻ってこない。他の人が見つかるまでは」
「え……?」
瑞希が驚いたような顔をする。
「一回一回戻ってきてたら時間がもったいないからさ。どこか適当な所で寝ればいいよ。
もし寝てるうちに人がきて俺たちに驚いたらそれはそれで良かったとしようよ」
「でも……」
「怖い?」
「……ううん」
「じゃあ、そうしよう?」
「……そうだね」
そうして、また2人は黙る。
ブランケットが擦れる音、2人の息遣いが部屋に広がる。
鼓動さえも聞こえてしまいそうな静寂の中で瑞希が口を開く。
「あのね……私、この街を出ていくことは怖くないの……」
「この街に出て、他の街に行ったり他の県に行ったり……っ……それでっ……それで……!!」
ゆっくりと言葉を選んで話していく。
けれども言葉は途中で途切れてしまった。
「それで?」
ふと、視線を瑞希に向けると静かに泣いていた。
「それで……他の場所に行っても……誰もいなかったらって思うと……怖いの。」
誰だってそうだ。
希望を残しておきたい。
自分の街には誰もいないかもしれないが、外に出れば他の人がいるかもしれない。
けれども、そこでも誰もいなかったら?誰も見つからなかったら?
次こそは、次こそは、そう思って場所を転々とする恐怖。
慣れ親しんだこの街ですら、駅前、公園、役所、マーケット、知人の家、行ってはショックを受け、次こそは……次に行っても誰もおらず……。
ある場所では紙に文字を書いている途中だったり、
ある場所では砂場の山を作っている最中だったり、
ある場所では齧りかけのパンが床に落ちていたり。
そんな光景を見続けている内に、2人が持っていた期待の気持ちは夕方になると消えてしまっていた。
「俺も……怖いよ」
どちらからともなく手を繋ぐ。
「誰もいなかったら……って思うと。正直怖いんだ。」
その言葉に瑞希が手を強く握る。
「でも……だからってここに居続けると、だんだんおかしくなっていきそうなんだ。
誰もいない、この街で2人動き続けるだけじゃ。
もしかしたら他の場所で誰かが探し回っているかもしれない。ここで待っているだけじゃ会えないんだ。
擦れ違いになるかもしれないなら、いたるところに俺たちが居た印をつければいい。
そうしたら……」
希望は消えない。
その言葉を続けることはできなかった。
強く握った手を引っ張られて、瑞希に抱きつかれる形になったから。
「ありがとう……和久さん。ありがとう。……だからもう少しだけ、このままで……」
和久の言葉に励まされた瑞希。
自分の意思とは裏腹に心臓がどくどくと脈を打つ。
きっと和久にも聞こえているだろう、けれど抑えられなかった。
不安な気持ちを受け入れてくれて、手を差し伸べてくれた和久に対して瑞希はあと少しだけ安心をもらいたかった。
和久もまた、この非日常の中で瑞希の存在に助けられていた。
いきなり抱きつかれて驚きはした。が、暑苦しい夏の夜にも関わらず瑞希の温かさが心地よかった。
このどくどくと音がするのは自分のものか、はたまた瑞希のものかは分からない。
2人はこの感情にまだ、名前を付けることが出来なかった。
けれども、今だけは……ただ2人の存在を確かめたく抱きしめ合い続けた。
そのまま抱き合って眠ってしまい、カーテンの隙間から洩れる明るい朝日で2人は目を覚ます。
「おはよう」
「あ……おはっ……おはよう」
抱きついたままの恰好で目を覚まし、すぐに体を離す瑞希。
和久はずっと肩に瑞希の頭を乗せていたせいか腕が痺れているが、そんな雰囲気も出さず部屋を出る。
「ご飯、食べよう?……と言っても簡単なものしかないけどね」
朝食はカセットコンロでお湯を沸かし作ったレトルトの味噌汁、お湯で温めたレトルト米、缶詰を1人2つ。
味噌汁以外の器にはサランラップがかけられており、それを剥がし捨てることで水の節約になる。
「十分立派な朝ごはんだね」
頂きますと、2人で手を合わせて食事を始めると瑞希が言う。
「うん、今はこれでいいね。」
「うん、今はね……」
これからを考えるとどうしても暗くなってしまう。
考えるのは人に会うことだけではない、食料、水、移動手段、山ほどあるのだ。
「とにかく、今はこれを食べて移動しよう。」
和久が仕切り直しをすると、再び少し笑顔のある会話に戻る。
食事の合間にお互いの家族のことを話していた。
まだ知り合って数日、お互いのことは何も知らない。
和久は実家暮らし、家には定年間近の父と新聞の集金を内職とする母。
その3人で住んでいた。
和久が大人になってからは喧嘩をすることもなく、仲良く暮らしていた。
現在、和久の年齢は25歳。
ようやく親とも少しずつ歩み寄れるようになってきた所だった。
瑞希は一人暮らし、県外に実家がある。
家には現役のトラックドライバーの父と、家を開けがちの父に代わって支える母、1個違いの兄がいたそうだ。
母親は猫が好きでよく拾ってきては可愛がっていたそうで、父に怒られていたと話す。
瑞希もまた25歳。
家族との仲が良く、もう少ししたら帰省し新しく増えた猫をみるつもりだったそうだ。
「じゃあ、まずは瑞希さんの実家に向かってみようよ。」
「え?」
「家、心配でしょ?」
「そうだけど……いいの?」
「俺の実家はここだし、瑞希さんも自分の家気になるでしょ。
それに目的があった方がいいから」
「ありがとう」
にこにこと笑顔でお礼を言う瑞希につられて和久も笑顔になる。
「じゃあ、支度をして出かけよう」
サランラップを剥がし、ゴミ箱に捨てポリタンクに入れた川の水で味噌汁を入れていた器を軽く洗う。
食器は持っていけないが、汚いまま出ていくのは気が引ける。
それぞれの準備が整うと、家を出て鍵を閉める。
玄関には紙に大きく瑞希の実家の住所を記入し、「ここに向かっています」と付け加え張り付けた。
こうして目的を見つけた2人は先へと進んでいく。