私、悪女ですので
この日、アトゥサリ王国の王宮では王家主催の夜会が開かれていた。
そんな中、夜会会場にとある令息の声が響き渡る。
「リーゼル・テレジア・フォン・グーフシュタイン! この俺、マテオ・ライアン・フォン・マンスフェルトは貴様との婚約を破棄する!」
赤毛にアンバーの目の令息だ。
その声により、貴族たちの会話や宮廷音楽がピタリと止まり、会場はしんと静まり返る。
「マテオ様、このような公の場で婚約破棄ですか。理由を伺っても?」
渦中の人物となった侯爵令嬢リーゼルは、表情を変えず冷静である。
そのマラカイトのような緑の目は、スッと冷えていた。絹のようなプラチナブロンドの髪は、シャンデリアの光を反射している。
「そんなの決まっている! 貴様は何度もこの可愛いシエナに嫌がらせをする醜い心の持ち主だ! この悪女め! そんな悪女は我がマンスフェルト侯爵家に相応しいはずがない! そして子爵令嬢シエナ・タベア・フォン・エルツを俺の新たな婚約者とする!」
リーゼルの婚約者マテオはそう言い放った。
マテオの隣では、シエナと呼ばれた令嬢が勝ち誇ったような表情を浮かべている。
シエナはエルツ子爵家の令嬢だ。艶やかな黒褐色の髪に、ムーンストーンのようなグレーの目であり、大人びた美人であるリーゼルとは違いパッと華やかで気が強そうな顔立ちである。
「嫌がらせ? 全く身に覚えがございませんわ」
リーゼルは呆れながらため息をついた。
「嘘をつくな! シエナはお前に突き飛ばされたり他の夜会で池に突き落とされたと言っている! 俺の愛が得られないからシエナに嫉妬してやったことだろう! 本当に心が醜い悪女だ!」
アンバーの目を吊り上げ怒鳴り声を上げるマテオ。
「まあ、おかしいこと」
リーゼルはその発言に思わず笑ってしまう。
「何がおかしい!?」
「大体、私は貴方の愛なんて必要ではありませんもの。そもそもこの婚約は政略的なもの。感情で決まったものではありませんわ」
リーゼルは呆れながら鼻で笑った。
「まあ良いですわ。それで、エルツ子爵令嬢は私に突き飛ばされたり、池に突き落とされたと言っておりますが、それはいつのことですの?」
リーゼルは視線をシエナへ移した。
「えっと……突き飛ばされたのは、二週間前のアルタン伯爵家の夜会。池に突き落とされたのはえっと……先週のプフハイム子爵家の夜会です」
そう答えるシエナの視線はほんの少し泳いだ。
恐らくリーゼルからいつのことか聞かれるとは思わなかったのだろう。
「おや? それはおかしいな」
そこへ、新たに別の人物の声が響く。
輝くようなブロンドの髪、アメジストのような紫の目。思わずうっとりと見惚れてしまうほどの顔立ちの令息である。
「ルドルフ様……」
「やあ、リーゼル。休憩室から戻って来たら、君が大変なことに巻き込まれていて驚いたよ」
ルドルフ・マルクス・フォン・エステルハージ。リーゼルの幼馴染で、エステルハージ公爵家長男だ。
「お恥ずかしいところをお見せしましたわ」
リーゼルは肩をすくめた。
「気にすることはないよ、リーゼル」
ルドルフはリーセルに優しく微笑む。そして次にマテオとシエナに視線を向けた。そのアメジストの目は、スッと冷える。リーゼルに向けていた先程の表情とは大違いだ。
「二週間前のアルタン伯爵家の夜会だっけ? アルタン伯爵家主催の夜会があった日、リーゼルは我がエステルハージ公爵家が主催した夜会に出席していたよ。アルタン伯爵家の夜会にリーゼルがいたなんてあり得ない。目撃者も私以外に多くいる」
ルドルフの冷たい声が、会場内に響き渡る。
「そんな……!」
ルドルフの言葉にシエナは焦る。
「でも、シエナが池に突き落とされたのは」
「それもリーゼルではあり得ない」
同じく焦ったマテオの言葉をルドルフが遮る。
「一週間前、プフハイム子爵家主催の夜会があった日、リーゼルはずっと私の妹といたよ。妹と一緒にヴァレンシュタイン筆頭公爵家の夜会に参加していた。もちろん、そこに私もいた。プフハイム子爵家の夜会にいることはあり得ない。こっちも目撃者は私や妹以外にもいるけれど」
ルドルフの証言に、マテオとシエナは何も言えなくなってしまった。
リーゼルは一歩前に出る。
「マテオ様、婚約破棄の件、承知いたしました。ですが、マテオ様とエルツ子爵令嬢の不貞、そして公の場での名誉毀損についてはグーフシュタイン侯爵家から抗議いたします。もちろん、慰謝料もたっぷりといただきますわ。私、悪女ですので」
リーゼルは堂々と二人に対して言い放った。
そして、ルドルフと共に夜会会場を出ていくのであった。
「ルドルフ様、先程は助けてくださりありがとうございました」
休憩室にて、リーゼルはホッと胸を撫で下ろしていた。
「礼には及ばないよ、リーゼル。私は放っておけなかったんだよ。……愛する女性があんな風に公の場で糾弾されていたら、見過ごすわけにはいかない」
ルドルフのアメジストの目が、真っ直ぐリーゼルに向けられる。
「まあ、ルドルフ様」
リーゼルは頬を赤く染めながら、表情を綻ばせた。
「マテオとの婚約がなくなったら、私と婚約して欲しいんだ」
「ルドルフ様、嬉しい。私で良ければ、喜んで」
リーゼルはルドルフから差し出された手を握った。
その後、リーゼルとマテオの婚約はマテオ有責で解消された。
もちろん、マテオのマンスフェルト侯爵家とシエナのエルツ子爵家からは莫大な賠償金をもらうリーゼルである。
そして、無事にルドルフとの婚約も決まった。
マンスフェルト侯爵家は莫大な賠償金の支払いにより弱体化し、その原因となったマテオは両親から大目玉を喰らい廃嫡されるのであった。
エルツ子爵家も莫大な賠償金の支払いにより破産し、爵位を返上することが決まった。エルツ子爵家の者達は全員路頭に迷っているそうだ。その際、シエナはどこかに行方をくらましてしまった。
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リーゼルとルドルフの婚約が決まった数日後のこと。
リーゼルはアトゥサリ王国の王都エウィンにあるひっそりとした隠れ家的なカフェにやって来た。
少しキョロキョロと辺りを見回すと、奥の席に座っているフードを被った女性がリーゼルに向かって手をあげた。
それに気が付いたリーゼルは、奥の席に向かう。
「お待たせして申し訳ないわ。……シエナ」
「いえ、気にしないでください、リーゼル様」
何と、フードを被った女性はリーゼルの元婚約者マテオの浮気相手、子爵令嬢シエナ・タベア・フォン・エルツだったのだ。
「リーゼル様のお陰で両親と妹に復讐することが出来ました。ありがとうございます」
「良かったわね。私の方もお礼を言わないと。シエナの協力のお陰で鬱陶しいマテオ有責で婚約解消して、新たにルドルフ様と婚約出来たわ。それに、賠償金もたっぷりといただけたし」
リーゼルとシエナ。二人揃って悪い笑みを浮かべていた。
「私の妹、もう健康体なのに昔病弱だったせいで両親からずっと甘やかされていたんです。それに、妹は私のものを何もかも欲しがるのですよ。両親も私に『姉だから妹に譲りなさい』っていつも言って……。それで私、お気に入りのドレスもアクセサリーも何もかも、全部妹に譲らなければならなかったのです」
シエナはコーヒーを飲みながら家族への不満を零した。
「本当に大変だったわね」
「夜会に出席するにも妹にドレスを奪われたから、いつも流行遅れのドレスで参加しなければならなくて。毎回他の方々に小馬鹿にされました。でも、リーゼル様が声をかけてくださって事情を聞いてくださったお陰で、今こうしてエルツ子爵家を潰して逃げることが出来ました。両親と妹は今頃路頭に迷っているのでざまぁ見ろですよ」
シエナは嬉々とした様子だった。
「シエナ、結構悪女ね」
「リーゼル様も悪女ですよ」
お互いクスクスと笑っていた。
「シエナと私、利害が一致したからこそ協力関係を結べたのよね。だからシエナにマテオを誘惑するよう頼めたのよ」
リーゼルはそう言い、懐から巾着袋を取り出してシエナに渡す。
「これ、約束のものよ。数ヶ月分は暮らせる金額が入っているわ」
「約束の額よりかなり多いじゃないですか……!」
シエナはムーンストーンの目を大きく見開いた。
「シエナにとってもマテオはあまり関わりたくないタイプだったでしょう? 嫌な役目を引き受けさせてしまったのだから、このくらいお礼をさせてちょうだい」
「ありがとうございます……!」
シエナはムーンストーンの目をキラキラと輝かせていた。
「それでシエナ、貴女これからどうするつもりなの? きっと貴女の家族、必死になって貴女を探すわよ」
「そうですよね……」
シエナは苦笑し、少し考える素振りをする。
「とりあえず、隣国、ガーメニー王国に行こうと思います。アトゥサリ王国と言語も通貨も同じなので。そこで仕事を見つけて暮らそうと思います」
「そう。頑張るのよ。応援しているわ」
「ありがとうございます」
リーゼルとシエナは、手を握り合っていた。
そして、ひと足さきにシエナが席を立ち、カフェから去った後のこと。
「やあ、リーゼル」
リーゼルがいる奥の席に、ルドルフがやって来たのである。
「まあ、ルドルフ様、どうしてここに?」
まさかルドルフがいるとは思わなかったので、リーゼルはマラカイトの目を大きく見開いた。
「平民向けのカフェに溶け込めるような格好をしていても、私は一発でリーゼルのことに気付くからね。いつものドレスとは違ったから、どこに行くのか気になってこっそりつけて来たんだ」
ルドルフはニヤリと笑った。
「ルドルフ様ったら。じゃあ、シエナとの会話も聞いていたわけですね」
リーゼルは諦めたように肩をすくめた。
「ああ。まさか二人が協力関係にあったとは驚きだ」
「私もシエナも悪女ですわよ。……悪女な私に失望しましたか?」
「いいや、全然。エステルハージ公爵家はヴァレンシュタイン筆頭公爵家程ではないにしても影響力はそこそこある。未来のエステルハージ公爵夫人となるなら、むしろ今回リーゼルがやったような策略を練ることが出来る方が助かるよ」
ルドルフはアメジストの目を愛おしげに細めて笑った。
「良かったですわ」
リーゼルはホッと胸を撫で下ろす。
「リーゼル、私は君が悪女だろうと何だろうと愛しているよ」
「私も、ルドルフ様が何であろうと愛していますわ」
リーゼルとルドルフは互いに微笑みあっていた。
その後、リーゼルはルドルフと結婚し、ルドルフに愛されエステルハージ公爵夫人として社交界を渡り歩いた。
定期的にシエナとも連絡を取り合っている。
シエナはガーメニー王国で仕事を見つけ、そこで素敵な相手と出会い結婚して幸せに暮らしているそうだ。
シエナの幸せな様子に、リーゼルはホッと胸を撫で下ろしたのである。
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