5.働き出してみよう
「マルちゃん、あっちのテーブルに持って行ってね」
「はい」
さて、職場を決めてすぐに私はさっそく働くことにした。働き先は、ミレハーユ公爵領にある一つの街の食堂だ。
体力がないというのもあり、まずは短い時間で働いている。
……この食堂の店主夫妻は、私の身分を知っている。お兄様と旧知の仲らしい。お兄様
は探してくれた職場にちゃんと話をつけて、私のことをお願いしてくれたそうだ。
お兄様は私がすぐに働き出したことに驚いた様子を見せていた。もう少しぐたぐたと屋敷に残ると思われていたようだ。それも仕方がない。
私のためにと忙しい中、色んな手配をしてくださったお兄様に感謝しかない。もう大好きって子供の頃のように抱き着いてしまいたくなるぐらいだった。
私って、凄くブラコンだわ……!
もっと私が立派に独り立ち出来るようになれたら、お兄様に頭を撫でてもらいたいかも……なんて三十歳にもなってそんなことを考えてしまった。
お義姉様が許してくれるなら、一生懸命頑張ったら褒めて欲しいとか思っている私であった。
食堂の店主夫妻から「マルちゃん」呼びされているのもあって、お客さん達にも同様の呼び方をされている。
当然のことながら引きこもるまでは呼び捨てか様付けばかりだったので、こうしてあだ名呼びをされるのはとても不思議な気持ちになった。だけど、悪くない。
ちなみに「おデブちゃん」とか太っていることを揶揄されることも無くはない。……私はまだ痩せれていない。寧ろ働いて身体を動かした方が健康的だろうと判断したため見苦しいかもしれないけれど、こうして働けて私は満足している。
それに痩せることが出来れば、揶揄われることもなくなるしね。
「お姉さん、俺、肉食いたい。おすすめは?」
ただ太っていることを嫌な風に言ってくる人ばかりではない。今、話しかけてきているのは、このあたりで活動している冒険者の一人、リグシャンである。
私よりも年下の獣人だ。人当たりが良く、私が「おデブちゃん」と呼ばれている時も止めてくれていた。狼の獣人らしく、黒い耳と尻尾が生えている。前世では実家ではペットを飼っていた。もふもふとした毛並みに触れることも好きだった。獣人を見ていると、ちょっと触ってみた気持ちはわく。
ただし流石にいきなり触るのは変態すぎるので、やらないけれど……。そもそも獣人にとって、耳や尻尾を触られる行為って特別みたい。まぁ、そうよね。私もいきなり知らない人に耳とか触られたら嫌だしね。
「そうね。今日は――」
此処で働き始めて少し経ち、メニューなども全て覚えている。流石に厨房には立たせてはもらえないけれど、少しずつ料理の作り方も学ばせてもらっている。
私は今、食堂のすぐ傍にある従業員用の住まいに住まわせてもらっているの。今は食堂の店主夫妻と私、そして二人ほどの従業員がいるが、残りの二人は他に家があるので住んでいるのは私だけだ。
一人暮らしは今世では初めてで、分からないことだらけ。
だから周りの助けを借りながら、一生懸命過ごしている。少しずつ働く時間を増やしていく予定。
しばらくの金銭面は、お兄様が餞別としてくれたお金ともう身に着けないアクセサリーなどを売ったお金があるので問題はない。
私の部屋には過去の栄光である……昔、社交界の場で身に着けていたアクセサリーなどが大量に残されていた。
正直言ってそんなものは外にも出ないから必要なかったのに、処分もしなかった。お兄様から売って、そのお金を自分で使っていいといってもらえたので有難くもらった。
それにしても今世で自分で買い物をしたのもこの街にやってきてからのことだった。食堂の店主夫妻についてきてもらって、生活に必要なものをそろえた。
昼食はまかないを食べさせてもらえるけれど、朝と夜は自分で準備をしなければならない。だから結構大変だ。
働き始めてからバタバタしている。覚えなければならないことも多い。それでもずっと部屋の中で引きこもって、外の世界へ飛び出すことの出来なかった時のことを考えると――それよりもいいと思っている。
私は人と接することを恐れてはいるけれど、話すことは楽しいとも感じている。
きっと私のことを見たら、過去の知り合いたちが見たら驚くだろうな。あのマルグレッタ・ミレハーユが平民として生きているなんてと。
当たり前の貴族令嬢として生き、周りから傅かれてきた。公爵令嬢として、華やかな未来だけを夢見てた。
幼い頃の私は、いつか結婚して子供を産んで幸せに生きるんだろうなとそんなことを思っていた。
それなのに長年引きこもった末に、働き始めているなんて本当に不思議だ。
それでもすごく楽しいから、いいけれどね。
幼い頃の誰かと結婚するなんて未来はおそらく叶わないだろうけれど、まずは自分の生活を整えて、やりたいことを全てやってみよう。
私はそう決意した。




