3.お兄様とお話をしよう
「ご、ごきげんよう。お兄様」
私はお兄様の執務室へと自分から赴いた。こうして部屋の外に出て、お兄様の部屋へと向かうのは随分久しぶりだった。
引きこもってからしばらくして、私はお兄様の元へ自分から赴くことを恐れてしまった。お兄様の冷たい視線や厳しい言葉が私はすっかり苦手になっていた。
――逃げて、お兄様の元へと自分の足で向かうことなどなくなっていた。
お兄様はきっと、私が執務室までやってこないと思って私を呼び出した。どうせ、私が逃げると思って。
だからお兄様は私が執務室までやってきたのを見て、目を見開いた。
お兄様の顔を真正面から見るのも、凄く久しぶりだった。それだけ長い間、私は逃げ続けていたから。
お兄様は私の二歳年上。これから公爵家を継ぐ予定で、年の割には若く見える。私と同じ銀色の髪はとても綺麗で、かっこいい。
私は生活習慣が悪かったのもあり、髪もとても荒れている。
「……マルグレッタ、何の用だ」
お兄様の声が冷たい。
これまでのことを思えば当然だった。ごめんなさい、とそんな気持ちばかりが沸く。
私はお兄様のことが大好きだった。だからこうしてお兄様からの視線を受けて、怖くなる。
だけれども前世の記憶があるからこそ少しだけ冷静でいられる。
「あ、あの……」
こんな風にどもりたくなかった。お兄様の前ではもっと、堂々とした立派な私で居たかった。
そう思っていたからこそ、恐ろしくてお兄様に近づけなくなった。私があまりにも、至らない妹になってしまったから。
「い、今更で信じてもらえない……と思いますが、私はこれから自立できるように頑張りたいと思います」
私がそう口にするとお兄様は目を見開いて、その後、冷めた目をこちらに向ける。
信じてもらえていないのは、仕方がないことだった。これまでのことを思えば、お兄様が私に期待していないのも当然だったから。
「自立? どうやって?」
「……今すぐには、無理かもしれないですけれど仕事を探します」
「仕事?」
「私は……これから平民になることを目指します」
私がそう言ったらお兄様は、少し呆れたような視線を向ける。ただ否定はしなかった。まだお兄様が私の言葉を聞いてくれるのは嬉しかった。
……というかそもそも、これまでもお兄様は私に呆れていただろうし、諦めもあっただろうけれども私の話は聞いてくれようとしていた。そこから逃げていたのは他でもない私だった。
お兄様は怪訝そうな表情だけど、それは私を嫌っているからではないというのも分かる。おそらく、心配してくれているのだ。
「平民に? なれると思っているのか?」
厳しい言葉も、公爵令嬢として生きてきて、それでいてずっと引きこもっていたから。
これまでの私だったら、お兄様の感情を理解出来ずに恐れただろう。ここまでやってくることもきっと出来なかったと思う。
「……すぐは難しいかもしれないです。だからその、私が上手く自立できるまではお金を貸してください。後で返します。それか……手元にあるアクセサリー類などを売って、資金を作るつもりです」
正直、前世では社会人として生きていたとはいえ、今世の私は世間知らずだ。外で働いたことも一度もない。自分でお金を稼いだこともない。
そんな私がすぐに働くことは難しいかもしれない。だから結局、お兄様に助けられながらなんとかするしかないのだ。
「はぁ……」
お兄様はため息を吐いた。
呆れた様子のお兄様は、そのまま私に続ける。
「それは当然だろう。このままお前を外に出したところで野垂れ死ぬだけだ」
そうはっきりと言われる。お兄様の言葉は、冷たく見えるけれど私を思いやってのものだ。
ああ、私はお兄様のことがやっぱり好きだなと思う。
昔から私のことを大切にしてくれていた。優しくて自慢で、何だかんだ家族を大切にしている人。
今は私が引き籠っていたからこそ、色んな葛藤があって冷たい言い回しもしている。でも本質は変わらない。
……私が平民として生きて行くことになったらお兄様にはもう会えなくなるかな。でも私が一人でも生きていけるようになれたなら、お兄様は昔のように優しく笑いかけてくれるだろうか。
そんな未来が来たら、私は嬉しいな。
「マルグレッタ。なら、こちらでも職場を探しておく。お前が本気であるならば、そこで働くといい」
「お兄様っ……! ありがとうございます」
そうして私とお兄様の会話は終わった。やっぱり、私はお兄様が大好きだと実感した。
お兄様が探してくれる職場ならば、きっとそこまで悪いものではないだろう。公爵令嬢として生きてきた私からしたら大変かもしれないけれど、私はお兄様が私のために探してくれる場所ならば頑張れると思う。
それに安心出来る。
これが悪意を持つ相手がやることだったら不安だらけだろうけれど、私はお兄様がどういう人か知っているから。
お兄様は私のことをどうしようもないってあきらめようとしていた。そんなお兄様は私のこんな自立したいという気持ちを聞く必要もないのだ。それでもお兄様は、私の言うことに耳を傾けてくれた。
――なら、少しずつでもいいから頑張れる。




