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翌朝、訓練場には熱気が立ち込めていた。
ハンスたちが丸太を担ぎ、地面を震わせる低い足音だけが響く。
そこにはエリックの姿があった。
その手には剣がない。彼は無言のまま、若者たちが作り出す熱気の中に足を踏み入れた。
「……ケンジよ。一つ、聞かせろ」
ケンジの隣に立ったエリックが、視線を外さずに口を開く。
「奴らのあの目は、薬で作ったものか? 」
「いえ。あれは、自らの肉体が昨日を超えた瞬間にしか得られません。自らの意思によるものです」
脳内に、ノアの涼やかな声が響く。
(マスター。エリック閣下の心拍数は平時の二〇%増。軽度の興奮状態にあります。また、ハンス氏を注視する際、視線は筋肉の『起点』を追っていますね。解析するまでもなく――彼は、彼らに憧れています)
ケンジは心中でノアに苦笑しつつ、エリックに向き直った。
「エリック殿。あなたは領主のご子息で、魔法も剣も扱える優秀な騎士だろう。だが、それは民が『魔族から守られる立場』であったからだ。彼らがもし、あなたを追い越すほどの力を得た時……あなたは、何を持って彼らの上に立つおつもりか?」
エリックは言葉を失い、ハンスが咆哮とともに丸太を持ち上げる姿を見つめた。
その腕の太さはもはや自分とは比較にならない。
エリックは、自嘲気味に笑った。
「……完敗だな。守るべき対象に、守られるとなっては騎士の面目が立たん」
エリックはゆっくりと、大切に手入れされた騎士の外套を脱ぎ、地面に置いた。
続いて、機能美の塊であった胸当てを外し、シャツを脱ぎ捨てる。
朝日を浴びたその肉体は、確かに美しく鍛えられていたが、泥にまみれたハンスたちのそれと比較すれば、どこか「飾り物」のような白さが目立った。
「おい、ハンス。その丸太を貸せ」
場が静まり返った。
ハンスは驚きに目を見開いた後、丸太を差し出した。
「……どうぞ、エリック様」
エリックが丸太を担ぎ、その重圧に顔を歪ませる。
洗練された騎士の動きではない、泥臭く、無様な、しかし力強い一歩が刻まれた。
それからエリックは訓練場の常連となった。
1か月後、訓練場の端、その様子を領主バルトが静かに見守っていた。
ケンジが隣に歩み寄ると、バルトは目を細め、静かに語り始めた。
「……ケンジ殿。エリックは、後継者として完璧であろうとするあまり、常に自分を高く、清く保とうとしてきた。ゆえに、自分が守るべき民を知らぬ男だった」
バルトは、泥まみれになって丸太と格闘する息子を見て、深く、満足げに頷いた。
「あやつは今、ようやく土の上に立ったのだな。……ありがとう。これで私は、安心してこの街をあやつに託せる。民たちだけではなくエリックまで変えてくれるとは思わなかったぞ」
「……俺はただ、管理しやすい組織を作っただけです。上が現場の熱を知らなければ、下は真にはついていかない」
「ふ、相変わらず可愛げのない男だ」
バルトはケンジの肩を強く叩いた。
「行け。カレンベルクのことは、このバルトとエリック、そしてあの鋼の若者たちが守り抜く。お前にはもっとやるべきことがあるはずだ。リィザも連れていけ」
そろそろ異動のころ合いだな。引継ぎを始めるか。




