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「……ふむ。やはり実際に目にすると、聞いていた以上に順調のようだな」
カレンベルクの出島を見下ろす高台。そこに立つ街の領主、バルト・カレンベルクは、感心したように声を漏らした。
三ヶ月前、ケンジの持ってきた「出島」の計画書に署名したのはバルト自身だ。だが、実際に魔族と人間が共通の目的を持って動き回る光景は、長年戦場に身を置いてきた彼にとっても感慨深いものがあった。
「お父様。許可をいただき、本当にありがとうございました。おかげで、この三ヶ月で大きな問題は起きていません。最初は多少のいさかいもありましたが今ではご覧の通りです」
横に立つリィザが、誇らしげに報告する。その後ろには、ケンジが、いつものように淡々とした佇まいで控えていた。
「いや、礼を言うのは私のほうだ、リィザ。……それにケンジ殿。貴殿の書面通りの運用ができているようで安心した。この短期間でこれほどの形にできるとはな」
バルトが柔和な笑みを浮かべてケンジをねぎらう。だが、その後ろで腕を組んでいたリィザの兄、エリックが鼻で笑った。
「父上、甘すぎます。見た目は平和かもしれませんが、魔族と肩を並べて働くなど……。魔族の犠牲になった者たちに顔向けできませんよ。リィザ、お前もだ。いつまでこの得体の知れない男の言いなりになっている?」
エリックは苛立ちを隠さず、出島を、そしてケンジを睨みつけた。
「兄様、失礼です! ケンジは――」
「いいよ、リィザ」
「エリック殿。俺はリィザに命令しているわけではありません。彼女は自分の意志でここにいるんです。……さて、立ち話もなんです。粗末ながら夕食の用意ができています」
出島の食堂。バルトを上座に、エリック、リィザ、そしてケンジが席を囲む。
給仕が運んできたのは、カレンベルク伝統の肉料理だった。しかし、そこからは嗅いだこともないような、刺激的で食欲をそそる香りが漂っている。
「……この香りは何だ? 魔族の食材か」
バルトが興味深そうに尋ねる。一方でエリックは不機嫌そうに皿を睨んだ。
「出島を通じて魔族領から入ってきたスパイスです。肉の臭みを消し、脂の旨味を引き立てる。……冷めないうちにどうぞ」
ケンジは自分が先に食べてみせ、バルトは一口、肉を口に運んだ。
その瞬間、バルトは激しくせき込みむ。
「貴様に毒でも盛ったのか。父上、大丈夫ですか!?」
エリックがバルトに駆け寄る。
バルトの目が驚きに見開かれる。
「……っ、これは。今まで食べていた肉が、まるで別の料理のようだ」
恐るおそる一口食べたエリックも、言葉を失った。舌を刺激する微かな辛みと、鼻に抜ける爽やかな香り。魔素の豊かな土地で育った薬草が、料理に未知の深みを与えていた。
「お父様、それは魔族が『命の糧』としてきたスパイスです。彼らの知恵と、我々の食材を合わせれば、これほど豊かな味が生まれるんです」
リィザが熱を込めて語る。バルトはゆっくりと頷き、ケンジを真っ直ぐに見据えた。
「ケンジ殿。この『味』は、理屈よりも雄弁だな」
「ええ。閣下。美味しいものを食べた時、人は幸福になります。魔族も同じです。飢えていたから奪いに来た彼らに、スパイス一袋で小麦が手に入る日常を与えれば、彼らはもう命を懸けて城壁を登る必要がなくなる。この一皿の美味さがカレンベルクを安定させると考えています」
ケンジの声は低く落ち着いていた。
バルトはワインを飲み干し、娘のリィザに目を向けた。
「リィザ。お前の選んだ道、そして信頼したこの男の才……改めて確信した。カレンベルクは、新しい時代へ進んでいるのだな。エリック、お前もこの『現実』を否定はできまい?」
エリックは悔しそうに皿を見つめ、小さく「……確かに、この味は否定できません」と呟いた。
晩餐の後、リィザは久しぶりに実家に帰っていった。
ノアから通知が届く。
『報告。市街地での魔族物資への拒否反応、依然として微増傾向。感情面での完全な和解には、経済的メリット以上のプロセスが必要です』
「……分かってるよ。家族を説得するより、街の数千人の感情を計算する方が、よっぽど厄介な仕事だからな」
ケンジは夜風に吹かれながら、静かに次の仕事へと意識を向けた。




